50 フレイムマンの後悔
全身が派手な赤い服に身を包んだ男は三脚の上から小さい箱状のものを取って自らの胸のあたりに持っていく。
そして、そのまま踵を返すと躊躇なくボス部屋へ入っていった。
「あっ、荷物放置して中に入った!」
「きっとアクションカメラで撮影してたんだよ」
真利がそう推測する。
「たぶんDoProだよ」
「ドープロ?」
「アタッチメントへの装着が簡単な外国製のアクションカメラ」
「へー」
「あれなら三脚からハーネスに付け替えるのもすぐできるし」
そこまで言い切るからには、ほぼ間違いないのだろう。
「たった4年で便利になったものだな。あんな小さいので動画撮影ができるなんて思わなかった」
「DoProは昔からあるよ」
「おい、いつまで駄弁っているつもりだ!」
先行していた英花が振り向いて俺たちを叱咤する。
「おっと、そうだった」
「ごめんなさい」
我に返った俺たちは本腰を入れて走り始める。
「急げ、あの真っ赤男が死にかねん」
「了解」
「うんっ」
あの派手な男に死なれるのは寝覚めが悪くなりそうだ。
面識などは微塵もないが、しばらく様子を見ていたのが影響しているのだろう。
心の何処かで顔見知りのような感覚を抱いてしまったみたいだな。
「間に合ってくれよ」
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「さあ、いよいよオークキングでっせ」
フレイムマンこと堂島洋一は自分が素の喋り方に戻っていることに気付いていなかった。
それほどまでにオークキングから発せられている殺気とも違う何かに気押されていたのだ。
人によっては圧やプレッシャーと呼ぶだろうし、あるいは存在感と言うかもしれない。
「ホンマにデッカいわあ」
とにかく実際の大きさより一回りも二回りも大きく感じるのだ。
「キングやのうてエンペラーとちゃうか? こんなん反則やで」
ボス部屋に入っただけで気押された。
一歩進むごとに何か喋らないと呑まれそうになる。
もうひとつ気付いていないことがあった。
体が小刻みに震えているのだ。
使用しているアクションカメラは手ぶれ補正機能が優秀なので後で見返してもわからないだろう。
「それにしても全然おとなしなぁ。もしかしてスイッチ押さな動かんのか」
そんな風に洋一が軽口を叩いた次の瞬間、オークキングはニタリと醜悪な笑みを浮かべた。
「おっ? やんのか、コラ」
抜剣して腰を落とす。
それは絶妙なタイミングだったと言えるだろう。
オークキングが一瞬で距離を詰め横薙ぎに剣を振るったからだ。
重く鋭い風切り音がして洋一はヘルメットの頭頂部を何かがかすめていく感触を感じた。
「はっ、速えぇっ!」
仰天して思いっきり飛び退いた、つもりだった。
ほとんど動いていない。
だからといってオークキングが間合いを詰めたというわけではない。
奴は剣を振るった姿勢で止まったまま、ずっと洋一のことを見ていたのだ。
では、洋一が飛び損ねたのか。
体は震えていたが膝が泣くほどではなかった。
実際のところは洋一の精神状態がそう感じさせているだけなのだ。
「ウソやろ……」
ここに来てようやく洋一は己の軽率さに気付いた。
「オークとまるで違うやないか」
膂力は圧倒的に上だろうとは予想していた。
しかし、それでもボス部屋へ突入する前の洋一には勝算があったのだ。
仮面の赤い人も言っていた。
当たらなければどうということはない、と。
「うすのろの親玉も、うすのろやないんかい」
仮に速くても毛の生えた程度だと予想していた。
が、まるで違う。
「こんなん、マッドボアよりも突進力があるやないか」
剣の攻撃で助かった。
偶然とはいえ回避はできたのだから。
あの巨躯でそのまま突っ込まれていたら確実に吹っ飛ばされ、当たった部位の骨は粉砕骨折していたことだろう。
改めて恐怖を感じ嫌な汗が噴き出してくるのを感じた。
「撤退や。逃げんとヤバい」
言葉は正解を紡ぎ出すのに体が言うことを聞かない。
「動け動け動け動け動け」
どんなに命じようと膝が笑って力が入らない。
喋ることができているだけマシなのかもしれないが、これとて恐怖を紛らわせる行為でしかない。
それを理解しているのだろう。
オークの王は剣を振り切った姿勢からゆっくりと自然体の姿勢をとり、またしてもニタリと笑った。
そして手にした剣の切っ先を洋一に向けてくる。
アカン、死んでまう!
ついには声も出なくなってしまった。
そんな洋一がオークキングが殺気を放ってすらいないことに気付けるはずもない。
涼成たちがダンジョンコアを掌握した際に守護者には余裕のある行動を取らせるように設定したからなのだが。
言わば安全策だ。
ボス部屋がある時点で危険極まりないがダンジョンとはそういうものなので無くすことはできない。
ボス、すなわち守護者の完全消去はダンジョンを消滅させなければ不可能だ。
ならばダンジョンを消せばいいという声も聞こえてきそうだが、資源としてダンジョンを利用せざるを得ない人類の都合もある。
ダンジョンで生計を立てている者も多いことだし片っ端から滅していくことなどできない。
ただ、ダンジョンコアを掌握したとは言ってもポップした魔物を完全に制御できるわけではないのも事実。
せいぜいが、この守護者のように余裕ぶらせるくらいだ。
本能丸出しな魔物だと、それすらも難しい。
そういう意味では洋一は運が良かったと言える。
ブン!
オークキングの剣が空を切る。
それは、これから攻撃するぞと言う威嚇であり合図であった。
そうとわかっても洋一は逃げることができない。
震えが止まらず体に力が入らないままだ。
へたり込みそうになるのを踏ん張ってどうにか耐えるので精一杯。
後は後悔の念が浮かんでは消える。
なんでワイはこんなとこに来てしもたんや。
初心者ダンジョンやと思て舐めてしもとったのがアカンかった。
なんでオークと戦ったときに見切りをつけんかったんや。
あれでもギリギリやったやないか。
なんでオークキングのこと事前にもっと調べとかんかったんや。
最近、調子ええから上級へ昇級できるんちゃうかと勝手に思て浮かれてしもてたからや。
そういうことだけは次から次へと湧き出てくるのに助かるための案が微塵も出てこない。
我ながら情けなくなる。
何もできへん。
そう思った瞬間、洋一は自分が諦めてしまったのだと悟った。
オークキングが膝に力を込めるのが見えた。
やたらスローモーションに見えてしまうが思考も体も凍り付いたように動かない。
ただ眺めているだけだ。
2浪して大学進学を諦めた頃に世界中で天変地異が起こりダンジョンができた。
一念発起して冒険者となり約1年をかけて初級を卒業。
それに合わせてDunチューバーとしての活動も始めた。
3年近くフレイムマンとしてやってきたが、それももう終わる。
迫り来るオークキングが今度は剣を突いてきた。
狙いは自分の心臓だ。
刺されば終わる。
フレイムマンも自分の人生も何もかも。
「ボサッとしてんじゃねえ!」
不意に何かが右腕に当たる感触がして痛みを感じたかと思うと洋一は左方向へ弾き飛ばされた。
右腕をオークの剣がかすめていったが、そんなことを気にしている余裕はない。
飛ばされた勢いでボス部屋の床面に左肩が叩きつけられズルズルと音を立てて体が滑る。
革のスーツがブレーキとなってすぐに止まったが両腕が痛い。
痛いがそれどころではない。
心臓を貫かれると思っていたのに、なぜ胸ではなく腕が痛いのか。
どないなっとるねん!?
洋一は混乱の極みに達していた。
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