189 学校問題
「ちょっと三智子ちゃん!?」
沢井が泡を食っている。
「学校はどうするの? 三智子ちゃんをいじめていた子たちも転校することになったし安心して通えるのよ」
そういうことになっているのか。
思った以上に対応が早い。
これは学校側ではなく教育委員会が動いたな。
「必要ない」
ボソッと女児が呟いた。
義務教育の完全否定とはなかなか大胆な発言である。
まあ、勉学の意味も理解する前に酷くイジメられていたのでは不要だと思うのも無理からぬことなのかもしれない。
「ダメよ。ちゃんと学校に行って勉強しておかないと職人になれても困ることになるのよ」
女児は首をかしげている。
ただ、表情はほとんど変わらないので感情の動きが読みづらい。
学校を拒否する気持ちと職人になりたいと欲する気持ちがどの程度のものなのかは今のところ不明である。
ジェイドは本気だと思ったみたいだけど……
「職人は品物だけを作っていればいい訳じゃない」
女児の気持ちが何処にあるのか本気がどれほどのものか少しばかり探りを入れさせてもらうとしよう。
「作ったものを売るのに適正な価格を決めなきゃならないが、そのためには色々な知識がいることを君は知っているか」
フルフルと頭が振られた。
「作っただけで商品は売れない。それはわかるな?」
今度はコクリとうなずいた。
「何もかも自分でする必要はないが、全体のことを理解しているのとしていないのでは大きな差ができてしまう」
女児は俺が何を言いたいのかを探るように耳を傾けている。
実年齢以上に聡い子のようだ。
それは虐待やイジメがあったからなんだろう。
どうすれば苦痛を受けずにすむか避けられるかを必死で考えた末の成長であるとするなら悲しいものだ。
あまりにも子供らしさが感じられない。
憤りすら感じるが、今はその気持ちにフタをしておこう。
「色んな知識を蓄え計算がきちんとできるかどうかで将来が大きく変わってしまうんだ」
俺の話に納得できていないようで、まだ探るような気配を感じる。
当然だろう。
漠然とした話で「はい、そうですか」となるなら学校が必要ないなどとは言うまい。
「例えば作った品物の販売を誰かに任せたとしよう」
女児の表情がわずかにキョトンとしたものになった。
「その誰かが品物を実際の価値以上に高く売って利益の大半を自分のものにしていたらどうする?」
女児は答えない。
いや、答えられないと言うべきだろう。
「まず君が品物の値段が高すぎると気付けるかどうかだが何も知らないなら、そんなものかと思うだけで気付かないと思うよ」
わずかにハッとした表情をのぞかせたような気がした。
俺の話から多少なりと気づきはあったのだろう。
「学校で勉強していなければ必要な本や書類が読めない。どう計算すれば品物の値段を決められるかもわからない」
考える時間が必要だろうと思い少し間を置くことにした。
ここで警戒心を緩めないなら、この先は話しても無駄なような気がする。
沈黙の間が続く。
女児はずっと黙ったままだ。
考え続けているのか、結論は出たものの葛藤があるのかはわからない。
それでもギブアップした様子は見られないので待ち続ける。
向こうが本気であるなら俺もいい加減な真似はできない。
こちらから投げ出してしまうのは女児の主張をどうこう言う前に信頼を損なうことになるだろう。
現時点で信頼されているとは思わないけど、ゼロがマイナスになるのは避けたいところだ。
どれほど時間が経過しただろうか。
実際は数分だとは思うが体感的にはその数倍は軽く待ったような気がする。
「行く」
女児は唐突にそれだけを言った。
沢井が安堵したことからもわかるが学校に通うという意味なのだろう。
ただ、当人は苦渋の決断をしたかのように重苦しい空気をまとっていた。
両者ともに学校に通うなら弟子になるのは先送りになると考えたみたいだね。
こちらの事情を知らないのだから無理もない。
「遠藤大尉」
「どうした?」
「前から進めている話ですが、まだ見つかっていませんか?」
「あー、アレかぁ」
大尉は憂鬱そうに嘆息する。
「信用できる人材って条件が厳しいんだよなぁ」
「前にもらった報告書の通りということでいいですか」
「ああ、本当に申し訳ない」
顔の前で手を合わせて拝むように謝る遠藤大尉。
別に謝ってほしくて今その話をした訳ではないんですがね。
「少なくとも保健の先生は確保できそうですよ」
俺がそう言うと、憂鬱そうだった遠藤大尉の顔がパッと明るく切り替わった。
「おおっ、それは盲点だったぜ。ひとつ解決だな」
「ひとつの案としてはわからなくもないですが、話を振る前から喜んでいると糠喜びにすることになりかねませんよ、大尉」
大川曹長は俺の発案を理解し認めつつも思い通りにならないことも考慮しているようだ。
慎重派だねえ。
ダメならその時はその時でいいじゃないかと思うのだが。
一方で保健の先生という単語に沢井が反応していた。
自分のことだと気付いたのは間違いない。
ただ、何の話なのかが見えてこないせいで不安そうに困惑の色を見せている。
「あの、一体なんの話でしょうか?」
戸惑いつつも声をかけてくる沢井。
「簡単に言うと君をスカウトしようという話だ」
ドヤ顔で遠藤大尉が返事をした。
それを見た大川曹長が渋面で静かに溜め息をついている。
「話を端折りすぎです、大尉」
「えっ、そうか?」
「そうです」
不思議そうに聞いてくる遠藤大尉に対して大川曹長はピシャリと言い切った。
「背景事情を何も説明していないじゃないですか。沢井さんが呆気にとられていますよ」
まあ、そうだよなぁ。
いきなりスカウトと言われてもプロのアスリートじゃあるまいしピンとこないだろう。
「何か勘違いなさっていませんか?」
どうにか復帰してきて、このように聞いてくるのが精一杯である。
「勘違いではないね」
このまま遠藤大尉に説明を続けさせると、どうなるかわかったものではないので俺が先に話しかけた。
「地元で新設校を開校しようという計画があるんだが人材を集めるのが難航しているんですよ」
「はあ」
「それで沢井先生を養護教諭として新設校に招聘したいという話です」
「ええっ!?」
驚きに目を見張る沢井だったが次の瞬間にはブンブンと首を横に振った。
「ダメです。無理です。できません」
畳みかけてくるような物言いだな。
「話はちゃんと聞いた方がいいですよ。あなたが大事に思っている三智子ちゃんと離ればなれになってもいいんですか?」
「えっ?」
「うちのジェイドが住み込みでなら弟子入りを認めると言ったじゃないですか。ということは転校することになりますよね」
沢井がギョッとした顔で俺の方を見てくる。
この様子からもわかるように弟子入りの話が先送りになったものとばかり思っていたのは明らかだ。
「そんな訳で開講予定の学校に転校してもらうことになります」
そう言うと沢井の表情が強張る一方で女児の方は瞳が輝きだしていた。
「ただ、特殊な事情がありましてね」
顔の向きは沢井の方を向いたまま視線をジェイドたちの方へと移す。
「教職員を集めるのが難航しています」
俺の視線に釣られるように沢井がジェイドたちの方を見てハッとした表情を浮かべた。
「保健室の先生もまだ空席なんですが……」
「やります。やらせてくださいっ」
沢井が目の前まで迫ってきてスカウトを受けた。
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