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後編


2万字近くになりました…




そして慌ただしく迎えた2日後の午後、私は実家のリビングでスーツに身を包んだ蓮の隣に座り、目の前には両親と姉が座っている。父は相変わらず何を考えているか分からないが、母と姉は分かりやすく私を睨みつけている。予め大事な話があると伝え、スーツを着た蓮と私が一緒に帰ってきた時点で薄々察していたのだろう。特に母は私を射殺さんばかりの憎悪の籠った目を向けている。…()()整理がついた後では母のこの態度にも一応は理解は出来ている、受け入れられる気は毛頭ないけれど。


「蓮くんがわざわざうちに来るなんて珍しいな、大事な話があると言っていたが」


仕事で一条と付き合いがある父はその息子である蓮に対して、表向きは友好的な態度を取っている。内心どう思っているか分からないけど。蓮も完全に余所行きの、柔和な笑みを浮かべている。こんな時なのにスーツを着ている蓮をカッコいいと見惚れてる私も大概だと呆れてしまう。


「突然押しかけて申し訳ありません、単刀直入に申し上げますと茉莉さんとの結婚の許可を頂きに参りました。…とは言っても既に婚姻届けを役所に提出してしまいましたけど」


悪びれもせずにそう告げた蓮に対しいの一番に反応したのはやはり母だ。自分を抑えられなかったのかソファから勢いよく立ち上がる。


「なっ!親の許可も得ず結婚?いくら一条のご子息とはいえ非常識ですわ!それに茉莉!あなた新藤様との縁談がありながら何てはしたない、恥を知りなさい!!」


ヒステリックに叫び、自分の意見を押し通そうとする母を幼い頃は怖がり、成長してからは、いかに機嫌を損ねることなくやり過ごすかということばかり考えていた。が、今はそんな母に対し何の感情も湧いてこない。隣に蓮がいて安心出来るからか、もう自分の中で母の事はけりがついたからか。私はただ黙って母を見る。娘の態度がいつもの違うことに気づいたのか、微かに眉間に皺を寄せるが蓮は母の金切り声を涼しい顔で受け流す。


「茉莉さんは昨日誕生日を迎え18になりました。既に成人しておりご両親に承諾を得る必要はないんですよ、ご存知ですよね、まあ非常識という点は否定しませんけど」


はは、と小さく笑う蓮に母は少しばかり怯えた顔になる。分かる、目に光りが灯ってない邪悪な笑顔だから。


「そ、それはそうだけど。っし、新藤様との縁談はどうするつもり!あちらの奥様の実家は東金家、縁談をこんな形で台無しにしたと知られたら」


尚もまくしたてる母に対し、蓮は物凄い笑顔を向ける。私に向けるものとは全く異なる、目が全く笑ってないし背後には「ゴゴゴゴゴゴ」という効果音がピッタリな程真っ黒なオーラが滲み出ている。…こっわ。


「ああ、新藤さんの方は大丈夫ですよ、縁談どころではなくなったので。何でも息子さんの()()()()が写真週刊誌にリークされたとか。父親が急いで火消しに走っているそうですが、何故か凄い勢いで拡散されてます。警視総監の息子のスキャンダルということでネットも大騒ぎです、ここまで広がると流石にもみ消しも難しいんじゃないんですかね」


蓮が白々しい態度で説明すると母の顔はドンドン青ざめてくる。…吾妻さんやっぱり敵に回したらヤバい人だと改めて肝に銘じた。スキャンダルという単語に黙っていた父親の眉がピクリと動く。


「スキャンダルとは、どういうことだ?お前、そんな相手との縁談を持って来たのか」


「そ、それは知らなくて」


誤魔化そうとする母を父はギロリと睨みつける。


「素行調査は怠るなといつも言っているだろう、全くそんな人間と縁戚になっていたらどうなっていたか…後で詳しい話を聞かせなさい」


厳しい声で母を叱責する父。私の心配をしているわけではなく、新藤みたいな人間と親戚関係になっていたら長瀬の名に傷が付いていた可能性についてのことを言っているのだ。世間体を重んじる父なら当たり前の反応だった。それなら自分で調べればいいのに、私の事は全て母に丸投げしていたから仕方ないね。


父はこちらに向き直る。


「見苦しいところを見せて申し訳ない。…結婚についてだがもう婚姻届けを提出しているのなら私が言えることはない、好きにしなさい」


「は?お父さん何言ってるの!こんな我が儘通して言いわけないでしょ!」


父に叱責され、これから尋問されることに怯えている母に代わり今度は姉が立ち上がり、鋭い目つきで私の事を睨みつけてくる。


「茉莉は成人しているから今回の事に何の問題もない、何かあっても茉莉が自分の行動の責任を負うだけだ。それに、一条が承諾したことにこちらが異を唱えることは出来ない」


あっさり私の結婚を許可した父に姉は動揺を隠せないようで目を大きく見開いている。私も母と同じように勝手なことをしてと怒鳴られると予想していた。が、叱るだけの関心も私に持っていないということを暗に示され虚しくなった。


「やけにあっさりしていますね、少しは怒鳴られることを予想していたんですが」


真っ当な疑問を口にする蓮に父は一切表情を崩さず答える。


「今まで親としての責任を果たしていないのに、今更そんな父親のような真似は出来んよ。それに私が何を言っても聞かないだろう…茉莉」


急に話かけられ肩がピクリと震える。父に話しかけられるのも名前を呼ばれたことも酷く昔の感覚がしてくる。それほどまでに父との仲は希薄だったのだ。


「これからもここに住むのか」


「ううん、一応高校卒業するまではおじいちゃんの家に住むつもり」


「なら、こちらで業者を手配するから荷物を纏めておけ。…せいぜい一条の名に泥を塗らないよう努力しなさい。…蓮くん、済まないがこれから打ち合わせでね、ここで失礼するよ」


「いいえ、ありがとうございました」


そう言うと父はリビングを出て行った。…何だろう、母とは無理でも父とは多少は対話を試みれば今よりマシな関係になっていたかもしれない、と思ったがもしもの話をしても無駄だと頭を切り替え、姉に視線を向ける。父に珍しく相手にされなかったことを受け入れられない姉は今度は蓮にすり寄って来た。


「蓮!何で茉莉なんかと!どーせ茉莉が駄々こねて泣きついたんでしょ、昔っから蓮に迷惑かけて、いい加減辞めなさいよ!…ねぇ蓮、茉莉なんか辞めて私にしといた方がいいわよ、この子可愛くないし頭も良くないんだからあなたに相応しく」


「…うるせぇ、早くその口閉じろ、お前の声キンキンして不快なんだよ」


「え…」


さっきの微笑みから一転して無表情に戻った蓮は、感情の読めない瞳で姉を見る。そしてゾッとする程冷たい声で辛辣な言葉を浴びせる。今まで蓮に無視されたことはあっても、拒絶する言葉を投げかけられた記憶のない(あったとしても都合よく忘れている可能性あり)姉は驚きと蓮の発する威圧感に怯えてしまっている。が、気が強い姉はそこでへこたれない。すぐに言い返す。


「な、何でそんなこと言うの…だって蓮は無視はしてもそんな酷いこと言ったこと」


「お前の性格上、そんなことしたら茉莉が何かしたって両親に吹き込んだだろう。それが嫌で何もしなかっただけだ、勘違いするな」


「…何で茉莉ばっかり!私だって蓮のことずっと」


「お前が好きなのは俺じゃなくて「一条の長男」の肩書だろ。人のこと見た目と肩書だけでしか見ていねぇの気づかれてないと思ってたのか。その嘘くさい笑顔に群がってくる他の男と一緒にするな」


図星だったのか目に見えて姉が狼狽する。ここまで言われっぱなしの姉は中々見られないが、流石にほんの少しばかり可哀そうになってくる、容赦がなさすぎて。蓮は改めて姉を見下ろす。


「俺が好きで結婚したかったのは茉莉だけだ、それに…子供の頃から嬉々として妹を虐める奴を好きになるわけないだろう」


そう最後に吐き捨て姉に止めを刺すと蓮はこちらを一瞥し、リビングを出て行った…ここから先は私のやるべきことを果たす。


ゆっくりとその場にへたり込み茫然自失としている姉、ソファで俯いている母に向かって口を開く。


「今までお世話になりました」


すると途端に母が顔を上げ、憎悪の籠った目で睨みつけてくる。…本当に娘に向ける目じゃないな、この人にとっては最初から私は要らなかったんだから、無理もないかと諦めにも似た感情が湧いてきた。私ははっきりと母を見据える。


「今まで育ててあげた恩を忘れて…っ!もうあなたなんて私の娘じゃないわ!二度とこの家に足を踏みいれることは許しません!」


「あなたにとって娘はお姉ちゃんだけでしょ、普段は居ないものとして扱って気が向いた時だけ話かけて、鬱憤を晴らすために使う。最初からこの家に私の居場所はなかった、縁を切りたいのならご勝手に。私もあなたたちの事は血の繋がっただけの他人だと思うことにするから」


もっと言いたいことが山ほどあったが、疎んでいた娘が、見下していた妹が幸せになることが何よりの復讐だろう。だから私は喚きたてる母に背を向けてリビングを出て行った。





********************



「…いきなり呼び出してなんのつもり」


長瀬夫人は警戒心を隠すこともせず訝しげな目線を蓮に向ける。あの後気が立っていた夫人を蓮は呼び止め予め話を通していた使用人にとある客室に案内されていた。このことは長瀬社長も知らない。


「いや、これからあまりお会いする機会も減ると思うので、最後に聞いておきたいことがありまして…井上」


呼びかけると後ろに控えていた眼鏡の男…蓮の父親の秘書がファイルを手渡す。中から書類を取り出しペラペラめくると


「前から疑問だったんですよ、何故杏梨さんばかり可愛がって茉莉さんを蔑ろにしているのか」


単刀直入に切り込んだ。意図していない質問だったのか「は?」と口を開けてキョトンとしている。その態度が蓮を苛立たせていることを夫人は知らない。


「理解しがたいですが世の中には兄弟間、姉妹間での接し方に差をつけ、片方だけ可愛がりもう片方を蔑ろにする親がいます。あなたもそう言う人種なんだと思っていましたが…新藤との縁談の件は流石に常軌を逸しています。あなたも調べたからご存じでしょうけど、新藤は徹頭徹尾屑です。そんな相手に疎んでいるとはいえ娘を嫁がせようとするなんて異常です。どうしてもそこまでする理由が気になったので、あなたのことを調べさせてもらいましたよ」


すると夫人の顔色が見る見るうちに青くなり、ガタガタと震え出した。全て知っている蓮からしたらこの程度で済ませてやるつもりはなかった。せいぜい怯えろと、心の中で吐き捨てた。


「あなたは26の時、交際している男性が居て結婚も視野に入れていた。しかしその男性の兄が駆け落ちしたことで大阪の実家に連れ戻され、兄の婚約者と結婚させられあなたとは別れさせられた。あなたは自棄になって見合いをしてその中で一番資産のあった長瀬社長と結婚している。その数年後あなたは大阪に度々出張に行ってますね、それ自体は本当ですがその際部下やホテルの従業員に口止めして、わざわざ偽名で別のホテルに宿泊してます。…ここからは俺の想像ですし、違ったら反論してください、もし嘘を吐いたらこのことを社長に報告してしまうかも…そんなに怯えないでください、正直に言ってくだされば何もしませんよ」


笑顔で語り掛けるが夫人の顔色は青白いを通り越して真っ白だ。「蓮様、あまり圧をかけては委縮して話せなくなりますよ」と秘書に窘められる。


「当時ホテルに勤めていた方が面白がって教えてくれました、あなたが男性と度々ホテル内で合流していたと。見るからに上流階級のあなたは逆に目立っていたんでしょう訳アリだと。20年近くも前なのに詳細に覚えていらっしゃいました。…もっとランクの高いホテルでも使うべきでしたね、退職したから言ってと客の事をペラペラ話すこの方もどうかと思いますけど。…それが数ヶ月ほど続き大阪での仕事が片付くとほぼ同時期に妊娠されてます…もしかして杏梨さんの父親は」


「…ええ、主人ではありません。ちゃんと調べたわけではありませんが杏梨の明るい髪色はあの人にそっくりです。私の母方の家系にはイギリスの血が入ってますので、疑われませんでしたわ」


観念したのか自嘲気味に呟く婦人。嘘を吐いて社長に知られるより正直に話した方が得策だと思ったのだろう、蓮の言葉を鵜呑みにして。


「会ったのは偶然、いえ未練がましく彼の実家に行ってしまってそこで。彼はお兄さんの婚約者だった奥さんとはうまくいってませんでした。無理やりあてがわれたのだから当然ですわ」


当時の事を思い出して懐かしんでいる様子の夫人を蓮は冷ややかな目で見る。どう言い募っても浮気を正当化しているようにしか聞こえないからだ。


「…その後もその男性と?」


「いえ、杏梨を身ごもってからは一度も…向こうは奥さんに怪しまれてましたから。奥さんの実家、大事な取引先でしたからバレたらどうなっていたか。それでも私には杏梨が居たから、彼との子供が居れば生きていけると思ったわ」


ちなみにその男性には杏梨と年の変わらない息子がいる。つまりそういうことだ、体よく利用されていたことを知らない夫人は美化された思い出を今でも大事にしている。…正直に言ってやっても良かったがそうしたら夫人の性格上今度は杏梨を虐げそうだ。愛情が憎しみに変わるのは一瞬である。蓮は杏梨の事は嫌いだが、この件に関しては被害者だ、これ以上死体蹴りのような真似をするほど蓮は冷徹な人間ではない。夫人は熱に浮かされた表情から一転、不愉快なことを思い出したとばかりに顔を歪めた。


「…本当はこれ以上子供を作るつもりはなかったわ、主人の事は結局好きになれなかったし杏梨に婿を取らせればと…なのにお義母様が息子を産めと…なのに結局産まれたのは女の子、全く何のためにこんな思いまでして…せめて息子なら可愛がれたのに、しかも主人に似ていたから見ているとどうしてもイライラして」


「は?」


「…ひっ!!」


突如として般若の形相と化した蓮を目にし、夫人は恐怖の余り上擦った声を上げる。「蓮様、落ち着く」とまた横から駄々っ子をあやすような声が掛けられる。


蓮は夫人に対し吐き気を催すほどを嫌悪感を感じずにはいられない。最初から最後まで自分勝手なことしか言っていないからだ。好きな相手と結婚できなくなったから、好きでもない資産のある男性と結婚した、杏梨を可愛がったのは好きな相手との子供だから、子供はもういらなかったのに強要されて仕方なく産んだけど望んでいた息子じゃなかったから杏梨と同じように愛せなかった、好きでもない相手との子供だから愛せなかった、愛せなかったから何をしても良かった、「要らない子」だからろくでなしに嫁がせても心が痛まなかった、嫁いだ先で「何かあっても」構わなかった。


夫人の表情、態度からそう考えていることが透けて見える。全部ぶちまけて破滅させてやりたいが、茉莉はそれを望んでいないので出来ない。茉莉は全てを知っても恨み言を言うこともなく、母と姉を「可哀そうな人達」だと言った。「好きな人の面影がある」というただ一点だけで母親に甘やかされ、20を超えても自分の感情がコントロール出来ずに周囲に当たり散らす姉、そして嘗ての思い出に浸り続け、思い出の中に必要ない「異物」たる娘を虐げる母親は客観的に見れば可哀想としか言いようがない、と。これから先2人の歪さはいつの日か表面化する日が来るだろう、その時2人がする苦労は計り知れないけど、もう自分にとっては他人だから、何もしないと茉莉は言った。蓮は理性を総動員して出来るだけ優しい声で話しかけた。


「…分かりました、聞きたいことは聞けたのでこれで失礼します」


ソファーから立ち上がった蓮に夫人があからさまに安堵したのが分かる。これでようやく解放される、と。


「正直に話したのだから主人には」


「ええ、黙ってますよ、()()()


夫人の顔は一瞬にして絶望に染まる。「は、話が違うじゃない!」と叫ぶ。


「茉莉が何もしなくていいと言うので今回は見逃しますが…俺自身はあなた達に対して腸が煮えくりかえっています、だからふとした拍子に今回の事誰かに話してしまうかも」


「や、止めて!そんなことしたら杏梨が!」


「浮気相手の子だと周囲から白い目で見られるかもしれませんね、それにあなたに対する風当たりも強くなるでしょう、優秀な姉ばかり可愛がる母親と、浮気相手の子だから姉を可愛がっていた母親、どっちの心証の方がマシなんでしょうね」


「な、何でもするから黙っていて」


「ならこれから一切茉莉に関わないでください、杏梨さんも含めて」


淡々と告げられた夫人はポカンと口を開ける、


「まあ実の家族で完全に縁を切ると言うのは現実的ではないでしょうし、そちらから関わらないと誓うのならば、俺はこのことを他言しないと誓いますよ」


「そ、そのくらい」


簡単と言おうとした夫人の言葉を遮る。


「あなたは出来ても杏梨さんは出来ますか、ただでさえ見下していた妹が一条の長男と結婚して機嫌が悪くなっているのに、その上妹に関わるなという頼みを聞けますか、あの我が儘な女が」


言い返す言葉が見つからなかったのか夫人は「っ…」と言葉を詰まらせる。人に命令されることを異常に嫌い思い通りにならないとすぐ声を荒げる。そしてやるな、と言われて素直に聞き入れる性格ではない、なんで自分に指図するんだと、逆に突進していく可能性が高い。そんな風に育てたのは自分なのだと今更気づいた夫人はがっくりと項垂れる。


「茉莉から杏梨さんが関わって来たという話を聞いた時点であなたが約束を破ったと見做し、社長に報告します。…せいぜいいつバレるのか怯えながら暮らせばいい」


用は済んだとばかりに冷たい声で吐き捨てると蓮と秘書は部屋を出て行った。






**************************




それからすぐに私は祖父の家に引っ越した。蓮と結婚したことを伝えると「あの小僧儂に断りもなく!ちょっとぶっ飛ばしてくる」と殴り込みに行きそうだったのを必死で止めた。その後結婚する原因だった縁談の事を漏らしたら今度は「あいつっ…もう許さん!」と今度は実家に殴り込みに行きそうで、その日はドッと疲れてしまった。それでも最終的には祝福してくれて良かった、「儂からのお祝いじゃ」と分厚い札束を渡された時は別の意味でため息が出たけれど。親馬鹿ならぬ爺馬鹿である。


色々バタバタしていたが私は一応受験生なので、残りの夏休みは勉強に勤しんでいた。塾にも通っていたが時々結衣と一緒に祖父の家や結衣の実家、そして例の如く蓮の部屋で受験勉強をしている。


「いやー茉莉が人妻なんて実感湧かないよ、これから時々お義姉ちゃんって呼んでいい?」


「恥ずかしいから辞めて」


私の抗議を受けても結衣はどこ吹く風だ、確かに結衣の誕生日私より遅いから「お義姉ちゃん」にはなるんだけれども(兄の妻は、たとえ年下であっても「義姉」となります。どう呼ぶかは別問題かもしれませんが)。シンプルに恥ずかしいから冗談抜きで辞めて欲しい。これから連呼しようものなら、ガチで喧嘩することも避けられない。



例のあの日から数週間後、私と結衣は蓮の部屋に居た。勉強させて欲しいと結衣主導で押しかけておいて、さっきから勉強しないで喋ってばかりいる。ここ涼しいし部屋綺麗だし、気が向いたら料理出てくるし、と言うのは結衣だ。完全に喫茶店代わりにしている。まあこのマンション完全防音だから勉強するには持ってこいだけど。


「お前ら勉強したいって言うから部屋入れたのに、遊ぶんなら帰れ、特に結衣」


別の部屋から出て来た蓮が私達を睨む。腹が立つほどいつも通りだ、こっちはあの時のことを思い出しそうになるのを必死に抑えているというのに。帰れと言われて気を悪くしたのか結衣は口を尖らせる。


「何言ってんの、兄貴滅茶苦茶浮かれて味噌汁の出汁間違えて捨てちゃったじゃん、部屋も念入りに掃除して芳香剤も変えて、なのに帰っちゃっていいのー?」


「へ?」


そういえば結衣は朝からこの部屋に来ていたんだった。…蓮が料理中ミスするなんて珍しいこともあるんだな、と蓮に視線を移すと素早くクッションを手に取り結衣に投げつける。が、結衣は持ち前の反射神経で避け、恨みがましい目で蓮を見る。


「何するのよクソ兄貴」


「おっと悪い手が滑った」


完全なる棒読み、絶対ワザとだと私でも分かった。


「信じらんない、誰のおかげで茉莉とうまくいったと思ってんの、放っておいたら何も出来ないクソヘタレのくせに!茉莉、今からでも遅くないから兄貴は辞めときなよ、妹にクッション投げつける暴力男だよ」


いやクッション投げつけるくらい暴力には入らないじゃ、と思ったけど口に出せる雰囲気ではなかった。


「は、無理に決まってんだろもう籍入れてるんだから」


鼻で笑い一蹴したのは蓮。その態度が更に火に油を注ぐ結果となった。


「うーわやっば、これアレじゃん、彼女を束縛監禁するヤバ男の気配を感じるんだけど!絶対茉莉のこと監禁するよこの兄貴!安心して茉莉、たとえ兄貴が監禁しても兄貴の行動思考パターンを読んで監禁場所割り出すから!」


ぎゅっと手を握り顔を近づける結衣。いや流石に飛躍しすぎでは?それに何気に結衣の言ったことが怖い、何行動思考パターンを読むって高度な技すぎる。結衣は私より頭良いから出来てもおかしくないのが尚更怖い。


「は?頭に花咲いてるのかてめぇ」


最早チンピラと遜色ないドスの効いた声で威圧されても結衣は全く動じない。てか口悪、蓮って結衣と喧嘩する時だけ異常に口調が荒くなるんだよな。馬鹿にされて頭に来たのか結衣の目が据わる。



「…いいやこの際だから言っちゃおう、ねえ茉莉、兄貴が頑なに茉莉が一人の時に部屋に入れないの分かる?」


意地の悪い笑みを浮かべて結衣が訊ねてくる。言われてみればずっと疑問ではあったけど、考えても答えに辿り着けない。だから首を横に振った。


「それは兄貴が部屋に2人っきりだと我慢できな」


「おっとまた手が滑ったーー!」


今度は結衣がユーフォーキャッチャーで取ったのをそのまま忘れていった、やや大きい熊のぬいぐるみを容赦なくぶん投げた。私と話していて注意が逸れていた結衣の顔面にぬいぐるみがヒットする。


「…何すんの欲求不満男」


「…辞書で品性って言葉の意味を調べてこいクソ妹」


このままガチの兄妹喧嘩に発展しそうだったのを必死で宥めたため、結局有耶無耶になった。…気になるけどそこまでじゃないからいいや。






「ったくあいつは」


「まあまあ」


その後ひとしきり言いたいことを言ってスッキリした結衣は「映画見るね」とシアタールームに引っ込んでしまった。「付き合いたてだし私は邪魔しないよ、完全防音で何も聞こえないからごゆっくり」とまた余計なことを言い残して蓮に怒られてたけど。あの、勉強。


そういうわけで私は蓮と並んでソファーに座っている。あの時と同じように。おかしい、勉強しに来たはずなのに、と当初の予定から狂いまくっている現状に頭を抱える。その上、蓮とちゃんと会うのはあの日以来だ。私の引っ越しや塾、蓮もバイトやサークルと忙しくしていたためだった。連絡は取りあっていたけど。というか恋人どころか籍を入れている「夫婦」でもあるのだが、実感が湧かない。本当に籍を入れただけで今までの日常とあまり変わらないのだから。


私は受験勉強、蓮はバイトとサークル、夏休みが終われば互いに高校と大学が始まる。私は推薦を狙っていてほぼ確実と言われているが油断はできないし、蓮も忙しい。会う時間は今よりグッと減るだろう。…うーん、折角付き合ってる(夫婦)んだからデートとかしてみたけど、蓮クソ真面目だから「遊んでる余裕があるんだな」とか言われそうだ。息抜きも大事でしょ、実際夏休みの前半は一緒に遊んだでしょ、と脳内の蓮に反論する。暫く考え言うだけタダだと蓮の方を向く。


「あのさ」


「会うの、久しぶりだな」


言い終わる前に遮られてしまい、先手を打たれて声にならなかった言葉が口に中に消えていく。


「う、うん、久しぶり」


「体調悪くないか、色々あったから」


「全く、寧ろ実家にいた時より快適」


力強く言い切った私を蓮は笑った。祖父が爺馬鹿を発揮し私を甘やかそうとするのを除けば祖父宅は滅茶苦茶居心地がいい。祖父と数人のお手伝いさんしかおらず静かだし。祖父は母の親とは思えないほどまともだ。何度も「儂の育て方が悪かったんじゃ…」と謝られたが、母の姉、現在海外在住であまり会った事のない伯母も話した感じまともだという印象を受けた。母のアレは生まれ持った性質だろう。


「おじいちゃんも優しいし」


「あ、爺さんからあの後電話かかって来たわ」


「え」


疲れた蓮の様子からあの祖父は何をやらかしたんだと不安になった。


「茉莉を悲しませたら社会的に抹殺した上で来世まで祟る、って」


うわぁ、と私はドン引きした。本当に何してくれているんだ。というか母の実家の若槻家もそれなりの名家だが、やはり一条家には及ばない。だから蓮を社会的に抹消するのは不可能に近いのだが…。


「ごめん私からきつく言っておく」


平謝りする私に蓮はふっと微笑みかける。わあ、久しぶりの生の蓮の笑顔の破壊力凄いな。


「良いよ、爺さんからしたら当然だろ、孫がいつの間にか知り合いの孫と籍入れてたなんてもっと怒ってもいいくらいだ」


「それもそうだね、改めて聞くと私達結構凄いことしてるよね…」


「後悔してる?」


え、と横を向くと寂しげに私を見つめている蓮が。あ、誤解されていると慌てて首を振る。


「全く!寧ろ初恋相手と結婚なんてロマンティックだなって」


「え」


「え」


蓮を見上げると口元を手で覆い目を逸らしている。そしてじわじわと赤くなる耳。…私今言ったっけ。


「…茉莉の初恋相手って俺?」


心底驚いた様子の蓮に、照れるところそこ?というツッコミを飲み込んだ私を褒めて欲しい。何気なく言った言葉なのにそんな反応をされると、こっちまで恥ずかしくなってくる。いきなりキスしたり抱きしめたり、可愛いとかは平気で口にするくせに蓮の照れるポイントが分からない。本当に。


「いや、小学生からって言ったでしょ、ほぼ初恋って分かりそうなものだけど。…蓮は?当ててあげるよ、…幼稚園の先生とか?もしくは」


「お前」


「へ」


真剣な眼差しで私を見据える蓮。


「俺の初恋も茉莉」


「…ふ、ふーん」


今度は私が照れる番だった。何なのだろうこのこっぱずかしさは。背中がムズムズしてくるし落ち着かない。私は体の向きを変え、親友が籠っている部屋の方向へと視線を向ける、空気の読めない親友よこのむず痒い雰囲気をどうにかしてくれと念を送り出す。が、急に私が体の向きを変えたためか蓮が私の身体を引き寄せる。私と蓮の身体が密着する。


「え」


「…もう結衣のところ戻る気か?」


不貞腐れた声に驚き顔を見上げると、不満げな表情の蓮。え、急にどうしたんだろう、と思った瞬間ギュッと抱きしめられた。あ、既視感。心なしかこの間よりも力強く抱きしめられている気が…絶対離さないぞと言われているみたいだ。


「本当にどうしたの、少し痛い」


「俺は久しぶりに茉莉に会えるから朝から浮かれてたし、2人きりになれて嬉しかった。けど茉莉はやっぱり結衣と居る方が楽しそうだし、今も結衣のところ戻ろうとしてただろ。茉莉は俺より結衣と居た方が楽しい?」


耳元で囁かれゾクリとした感覚が背中を伝う。吐息もかかってドンドン体温が上がってくる。急に雰囲気の変わった蓮に静かに混乱し、思考が停止しかける。が、蓮の言葉を反芻し一つの可能性に気づく。口に出そうとすると「んっ」と急に唇を塞がれ、反射的に目を瞑ってしまう。いや、結衣が居るのに何考えてるの!いくら防音とはいえいつ出てくるか分からないのに。しかも触れるだけだった前回と違い、噛みつくようにキスをされてるため息が出来ず「んぅ…」と自分のものとは思えない甘ったるい声が漏れ出てカッと全身が熱くなる。


やっと唇が解放され、「はぁ…はぁ」と息を整える。何考えてるんだと恨みがましい目で蓮を見上げると、言葉を失う。蓮の瞳は仄暗さを纏い、表情も抜け落ちている。さっきとは違う意味で背筋がゾクリとした。え、何、蓮のこんな表情見たことがない。呆然とする私を見下ろし蓮は口を開く。


「…そうだ、この際だから教えてやるよ、何で頑なに茉莉が一人の時に部屋に入れなかったか」


さっき結衣にぬいぐるみを投げつけてまで遮った話題だ、急にどうしたんだ。


「薄々察してると思うけど、俺も男だからさ、好きな奴が1人で部屋に来たら、色々抑えられなくなるんだよ。正直前回キスした時も手出しそうになってヤバかったけど、ここで手を出したら茉莉は絶対離れていく、って理性でどうにか抑え込んだ。一時の感情に身を任せて茉莉を失う方が耐えられないから。だから1人で部屋に呼ぶのは本気で口説き落として段階を踏んでからって決めたんだけど…本当に予定が狂ったわ」


どこか投げやりに語る蓮に私はどう言葉をかけていいか分からなくなった。…確かに付き合うをすっとばして結婚までしてしまったから。取敢えずごめん、と心の中で謝った。


蓮は自嘲気味に笑った。


「…さっき結衣が言ったことあながち間違ってないよ。あいつは俺の事家族の中でも一番理解してるんじゃないかって思う。…流石に監禁とかはないけど茉莉と両思いだって分かった日からどす黒い感情が湧き出て止まらないんだ、茉莉の事を独り占めしたい、俺の事だけ見て欲しいって。…いつか茉莉が俺の事嫌いになっても、絶対離してやれない。茉莉は俺の事純粋に好きになってくれたんだろうけど、俺はそんな綺麗な感情ばかりじゃない、醜くてお前がドン引きするようなことも考えてる、だから」


「蓮!」


ずっと自らの傷を広げるようなことばかり話し続ける蓮をこれ以上見ていられなくて大声で遮った。再び口を開こうとした蓮を右手を前に出し制する。


「ずっと一方的に話してたんだから、私の話も聞いて?」


私の有無を言わせぬ言い方に押されたのか、素直に首を縦に振った。



「まず…結衣に嫉妬してたの?」


図星だったのか気まずそうに目を逸らす。うわ当たった、確かに結衣結衣連呼してたし。


「妹に嫉妬って、確かに結衣の事は好きだけど蓮への好きとは別だよ、結衣とキスしたいとは思わないし。あーでも、私が結衣と居る方が楽しそうに見えたんだっけ、それはただ単に久しぶりに蓮に会うし緊張していたから結衣に話しかけて緊張誤魔化してただけだよ。それにどっちと居る方が楽しいとか、優劣付けられるものじゃないよ、私は2人とも大好きだよ」


噓偽りない本心を告げてもまだ不安げだ、また捨てられた子犬みたい顔をしている。えー、これ以上どうしろって言うんだろう。…今何となく蓮が安心する方法が頭に浮かんだ、浮かびはしたが…恥ずかしさの方が勝る。恋愛初心者にはハードルが高い。けど、多分私の気持ちを行動で示さないと蓮は安心できないんだろうな、というのは分かる。


そういえば、私蓮にちゃんと好きって言ってない気がする。一度言ってはいるけどあれは勢いに任せた部分が大きいし、蓮のようにちゃんと向き会った状態で伝えていない。それが原因の一つだろうか、思い返せば蓮は告白後は割とストレートに思っていることを口にしてくれる、自分が醜いと感じているところも今さっき正直に話してくれた。だから自分と同じくらい私に胸の内をさらけ出して欲しいんだろうか。うーん、合ってる?


けどゆっくり考えていたら、結衣が出てきてしまう。何故か実の妹に嫉妬し不安定になっている今、張本人と顔を合わせたらどうなるか分からない、さっきの兄妹喧嘩擬きとは別のベクトルでヤバい何かが起こる気がしてならない。私のせいで何だかんだ仲のいい兄妹の間に亀裂を入れるわけにはいかない。


よし、と私は覚悟を決めて蓮に向き直った。真剣な様子の私に何か話しかけようとするがその前に…蓮の唇に自分のを重ねた。私には数秒が限界ですぐ離してしまったが、効果は抜群だったようだ。蓮は口を覆い、顔がみるみる赤くなる、トマトを彷彿とさせるレベルで。私からキスするとは思っておらず、現実を受け止めるのに時間がかかっているのか切れ長の目を何度も瞬かせた。


「おまっ…何してっ…」


「何ってキス」


首まで真っ赤な蓮に釣られ私の頬も熱を持ち始める。…薄々察していたけれどやはり蓮は予期せぬ事態に弱いっぽい。前回も同じくらい狼狽えていたし。キスの衝撃のおかげか蓮の瞳からは仄暗さが消え、張り詰めていた空気が緩んだ気がした。良かった、と一先ず胸を撫でおろす。…けど、だんだん恥ずかしくなってきたから勢いに任せてしまおうと口を開く。


「私がキスしたいのは蓮だけだよ、小学生の頃からずっと好きだった相手と両思いだって分かったんだからもうね、死んでもいいってくらい…いや物の例えだからそんな顔しないで。…要するに物凄く嬉しいってこと、私の態度が分かりづらかったのなら謝る、ごめんね。…あとさっき蓮が色々言ってたけどつまり私の事滅茶苦茶好きってことでしょ?」


闇堕ちする寸前で私に聞かせた数々の言葉を一言で纏められるとは思わなかったのか、「へ」と口をポカンと開ける。え、要するにそういうことだよね?


「今だから言うけど、私蓮が綺麗な女子に囲まれたり声かけられている時一丁前に嫉妬してたからね、蓮に近づくなって。ただの幼馴染で片思い相手にヤバいでしょ。…受験に失敗して家族から滅茶苦茶言われて本当にきつかった時に蓮と結衣に会って、私本当に救われたんだよ。蓮が言ってた通りあのままだったら「どこかに飛んでいった」かも…だから例え!そんな死にそうな顔しない!…だから蓮に対する気持ちには確実に依存も入ってるよ、勿論それだけじゃないけど。私の蓮に対する気持ちも中々重いよ、その内嫌になるのは蓮のほうかも。蓮は自分の気持ちが醜い?って言うけどさ、私は蓮がそれだけ自分のこと好きなんだって分かって凄く嬉しかったから。…どうすれば蓮が安心してくれるかは分からないけど、これが私の本心だよ」


よし、言ったやり切ったぞと謎の達成感を感じる。絶対蓮に明かすつもりの無かった嫉妬していたことまでバラしてしまったので、顔から火が出るほど恥ずかしいし、今すぐ結衣を召喚してしまいたい。けどここで結衣を頼ったら今までの苦労が水の泡だ。だから、耐えろ私、とプルプルと体を震わせ羞恥に耐える。そろそろ大丈夫かと顔を伏せたまま上目遣いで蓮の様子を確認すると、愛おしげな表情で私を見てる。おお、これは満足してくれたのかと顔をバッと上げる。と、また抱き寄せられた、今度は痛みを感じるほど強くなく、まるで壊れ物を扱うかのような優しい抱擁だった。


「れ、蓮?」


「…ありがとう、凄く嬉しい」


言葉の通り嬉しさの溢れた声で囁かれると、こっちまで嬉しくなってしまう。恥ずかしい気持ちを抑え勇気を出して良かったと心の底から思う。


「そ、そう良かった。けどビックリさせないでよ急に雰囲気変わるから、別人かと思ったよ」


照れくささを隠すために慌てて口を開く。蓮は心底反省しているようで形のいい眉を下げる。


「…本当に悪かった、あんなことして、嫌だっただろ」


あんなこと…と頭の中でさっきのキスがヒットして、反射的に口元を抑えてしまう。確かに強引だったし驚きはしたけれど好きな相手にキスされて嫌だとは思わなかった。と正直に言うのは憚られるのだが、ここで変に嫌だった、と受け取られ兼ねない行動は出来ない。したらまた不安にさせてしまう。だからせめてもの勇気を振り絞り、「そんなこと思ってない」という意味を込めて首を横に振った、朱に染まった顔で。蓮も私の意図を汲み取ってくれたのか「そうか」と短く呟くと優しく微笑み返してくれた。


ほっと一息つくと、蓮に聞こうと思ってたことを思い出し「あ」と声を上げる。急に声を上げた私に驚いた蓮は体を離し「どうした?」と心配そうに訊ねて来る。…別に具合が悪いわけではないのでそんな顔しないで欲しい。何だか過保護が加速している気がする。


「あ、うん。さっき聞こうと思ってたんだけど、私達さ付き合ってるよね、まあすっ飛ばして籍入れちゃったけど。…要するに2人きりでどこか行きたいなーって。勿論蓮色々忙しいの分かってるから無理にとは」


「良いぞ、どこ行きたい?」


前のめりに承諾され、私の方が驚いた。蓮はクソ真面目かつ自分にも他人にも厳しいところがあるため、恋人関係になったからといって受験生を遊びに連れて行くことに難色を示すと思っていたのだが。


「受験生が遊ぶ暇あるんだな、とか言われると思ってた」


「俺のことなんだと…俺だってお前とどこか出かけたり恋人っぽいことしたいってずっと思ってたし、お前から言い出さなかったら俺から言うつもりだったぞ」


「そ、そう」


相変わらずストレートに包み隠さず思ってることを話してくれる。多分蓮の羞恥心のレバーはネジが外れているとしか思えない。


「勿論お前の受験勉強優先だけど」


「やっぱ真面目」


「当たり前だろ、受験舐めてたら痛い目見るぞ」


脅しを口にする蓮は割とあっさり志望の難関大学に合格している。嫌味かな、と少し睨む。本人には全く効いていない。けど、こう言う根っこがクソがつくほど真面目な所も好きだ。多分蓮の全部が好きなんだと思う。


「うーん、蓮と行きたいところか、たくさんありすぎて迷うな」


「…分かってると思うけどやっぱり結衣も誘って3人、てのはナシだからな」


不貞腐れた声でそう言われた瞬間思わず「はい?」と聞き返してしまった。何を当たり前のことをそんな真剣な顔で聞いているんだろう。2人で出かけたいと言っているのに、何処から結衣を誘うという案が生まれてきたのか本気で分からない。


「いやいや、誘わないよ、2人で行きたいって言ったじゃん。言い出しっぺがやっぱり3人で行こう、はあり得ないよ」


流石にデートに親友を誘わない。それをやったら、私は空気が読めないを通り越してサイコパスに片足突っ込んでいる奴ということになる。もしかしてまだ結衣と居る方が楽しい云々を引き摺っているのだろうか。どんだけ実の妹に嫉妬しているんだと少しばかり呆れてしまう。さっきちゃんと好きだと伝えたとはずだけど、まだ何か不安らしい。


「…やっぱり2人きりは緊張するから着いてきて、はあり得るだろ。茉莉は何かあった時真っ先に結衣に相談するから、俺じゃなくて。結衣の方が頼りにされてると思ってた」


「私そんなヘタレじゃないし心配しすぎ…まあいいや、確かに結衣にはすぐ相談持ちかけるけど、蓮のことを頼りにしていないとかじゃないよ、やっぱ結衣は同い年で普段も過ごす時間が多かったから、どうしても真っ先に頼っちゃうんだよ甘えちゃって、だから」


「なら、これからは俺と過ごす時間も増やして。何か合ったら真っ先に、結衣じゃなくて俺に相談して欲しいし、甘えて欲しい」


まるで縋るような目で乞われ、心臓の鼓動が早くなる。…そんな顔で言われたら「嫌だ」なんて言えるわけがない。いつの間にか蓮が私の手を握っていた。ぎゅーっと力強く、けど痛くはない。逃げないで、受け入れて、という蓮の切実な気持ちが触れ合っている手を通して伝わって来る感覚がする。だから自然と顔が綻んでしまう。


いつもは頼りになる年上の幼馴染だったのに、今は頭を撫でてあげたくなる程庇護欲をそそられた。だから空いている右手をスッと上げ、蓮の柔らかい髪にそっと手を置くとヨシヨシ、と撫でる。


「…何だよ急に」


不機嫌さが滲む声で返されるが、無理に払い除けたりしないあたりまんざらでもないのだろう。


「いや、撫でたくなっただけ」


「何だよそれ」


僅かに頬を赤らめながら蓮は笑った。私も釣られて冗談めかして言う。


「けど、今までも結構甘えてたのにこれ以上甘えるのも、何か悪いよ」


「良いんだよ、俺が甘えて欲しいんだから」


力強く言い切られ、優位に立っていたと思っていた私は「う、うん」と上擦った声で返すことしか出来なかった。


「…思い返すと私家族とは上手くいかなかったけど、周りの人には恵まれてたよね。蓮と結衣もだけどおじいちゃんやおばさん達、それに若山さん達も」


彼らが居なかったら、多分私は両親から可愛がられ期待される姉への劣等感に苛まれ、自分に無関心で疎んでいる両親への恨みを募らせ、歪んだ人間になっていただろう。


感傷に浸り、ポツリと呟いた私。蓮は自分の頭に置かれたままの私の右手をそっと外すと、力強い眼差しで私を見つめる。外された右手は当然の流れなのか、解放されることはなく左手同様、蓮の大きな手に包まれた。何だろう、手を繋ぐの好きなのだろうか。幼い頃は手を繋ぐことはあっても、成長するにつれ繋ぐことは無くなっていたから。けど、両親と手を繋いだ記憶も朧げな私にとって、この繋いだ手の温かさは今も昔も私を安心させるには十分すぎた。


「そうだよ、茉莉愛されてるんだからもっと自信持て」


「それは分かってるけど、私そんなに自信なさげに見える?卑屈じゃないと自分では思って」


「…けど、他の誰よりも茉莉のこと愛してるのは俺だから、それだけは絶対忘れるな」


「……」


「おい、目逸らすな」


「無理!本当にどうしたの、感情のブレーキ壊れた?…愛してるとか普通そんな簡単に言わないでしょ」


油断していたところに突如投下された特大の爆弾は、私の顔を一瞬にして赤く染め上げるだけに留まなかった。恥ずかしくて、少しでも蓮から距離を取るために身を引こうとしたが、そんな私の行動を読んでいた蓮は素早く、両手で私の顔を挟んだ。そのせいで私は身動きはおろか視線を逸らすことも出来なくなった。


私のぶつけた疑問に対し、やはり無表情のまま答える。


「俺達、両思いだったのに互いに可能性がないって決めつけて何も言わずにここまで来ただろ。…そういうのもう嫌だから思ったことは出来るだけ言葉にすることにした、だから何度でも言う、愛してる茉莉。俺とずっと一緒にいて欲しい」


無表情の癖に私を見つめる瞳が愛しさで溢れて、声も酷く甘いの、本当にどうにかして欲しいし自重して欲しい。心臓の鼓動が早くなりすぎて爆発したらどうしてくれるんだ、そんなことはあり得ないけれど、それくらい心臓の音が煩い。


けれど、親から愛されなかった私には蓮の重すぎるくらいのストレートな愛情表現が丁度いいのかもしれない。実際、恥ずしさよりも愛しさの方が余裕で上回っているから。


愛されている、と言う事実は私の心を幸福で満たしてくれる。


「ありがとう、私も蓮のこと愛してるよ。ずっと一緒に居てね」


私は初めて自分から蓮に抱き付き腕を彼の背中に回す。キスに続く私の大胆な行動に驚いたのか蓮の体が一瞬硬直する。が、すぐに抱き締め返してくれる。少しだけ顔の向きを変えると、蓮の恐ろしく整った顔が間近にあった。そのままゆっくりと唇が触れ合う距離まで互いの顔が近づいたその時、ふと我に帰った私は「ちょっと…」と静止の声をかける。拒否されたと思った蓮は不満げな顔で私を見つめる。いや、今の状況分かってないのか。流されてる私が言えることではないけれど。


「ねぇ、結衣が居るの忘れてない?こんなところ見られたら」


「あいつああ見えて気遣う奴だから、暫く篭って出てこないよ」


そう言う問題じゃない、という私の抗議の声は蓮のキスによって掻き消された。寸前で待ったをかけたことへの仕返しなのか、頬を両手で包まれる形になっているため、逃れることもできずされるがままだ。当然キスなんて蓮以外とはやったことのない私は、数回交わしたものより長いキスに全身が熱くなり息継ぎもままならない。鼻から息をしようとするが上手く出来ず、喉の奥から「んんっ…」と声が漏れてしまう。


…どうしよう、さっきより変な声出ちゃった…いやらしい奴だと思われたらどうしようと言う不安と恥ずかしさから目尻にうっすら涙が滲み出す。その涙に驚いたのか蓮は体をピクリ、と震わせると唇を離し、私の頬を包んでいた両手を腰に移動させた。完全とは言わないまでも、さっきよりは自由に動けるようになった。…私が苦しそうにしていたからするのを辞めてくれたんだろう。さっき強引にキスされても嫌じゃなかった、という意思表示をしていたからあのまま進めることも出来ていたのに、私の反応をいちいち確認してキツそうだったら辞めてくれる。


その気遣いを嬉しく思うと同時にもどかしく感じる私は、やはりいやらしいのかもしれない。もっと蓮に触って欲しい、触れたいという欲が体の内側から湧き上がってくる。さっきは結衣がいるから、と自分から静止させた癖に今は自分からもっとして欲しいと強請りそうになる。両思いになれただけでもこれ以上は望まないくらい幸せだったのに、あれから一ヶ月も経たないうちに「次」を望んでいる。そんな自分が心底浅ましい。


私は蓮の胸に顔を埋める。心臓の鼓動が早い、余裕そうだったけど私と同じくらい緊張していたんだ、と分かり一層心が温かくなった。…これから言おうとしていることは顔を見ながらなんて絶対言えないから蓮のシャツをぎゅっと握り、額をシャツに猫みたいに擦り付ける。


「おい、どうし」


「蓮、私蓮にもっと触れて欲しい、キスじゃ足りない」


見えていないけど、蓮が息を呑む気配がした。


「…自分が何言ってるか分かってるのか」


「私も18だよ、全部分かって言ってる」


硬い声で返す蓮に負けじと答える私。


「蓮が私のこと大事にしてくれてるのは伝わってくるよ、さっきも私が苦しそうにしてたら辞めてくれたし。けど、私はもっと触れて欲しい、蓮は…て、手出さないように我慢してたって言うけど、良いよ手出して」


声が緊張と不安で震える。女から誘うなんてはしたないと言われそうだけど、この場には蓮と私しか居ない。それに蓮は自分の思ったことを出来るだけ言葉にしてくれているから、私も同じ事をしようと思った。嘘偽りない私の本心を伝えたかった。


暫くすると頭上からはぁー、と大きな溜息が聞こえた。


「…次2人きりになったら、もう我慢出来ないから。後悔しても絶対辞めてやれない」


観念したように、自分を押さえ込んでいるのか苛立ち混じりの低く掠れた声でそう宣言され、私の体は歓喜に震えた。嬉さのあまり蓮の背中に腕を回してぎゅーと抱き締めた。


頭上から慌てる蓮の声が降ってくる。


「おい、離れろっ…今お前に触れられたら本当に」


と、その時何処かでドアの開く音がした。



「ごめーん2人とも、バイト先から人手足りないから来てくれって電話来てさ、これから行かないと…って何してんの?特に兄貴」


鞄とスマホを手にシアタールームから出てきた結衣は私たちのいるリビングまで駆け寄る。音が聞こえた瞬間、私は過去最高速度でテーブルの上に置かれていた雑誌を手に取り読んでいるフリを始めた。これなら顔を伏せてもおかしくないから、結衣に見せられないくらい緩んだ顔を隠し通せる、はず。


一方蓮は私を上回る反応速度でキッチンまで行き冷蔵庫の中のものをチェックし始めた。


「そろそろ3時だから何か作ろうかと思って」


「えー、私も食べたかったのにー」


蓮はいつもの無表情で淡々と結衣の相手をしている。凄い、さっきまでやっていたことを一切悟らせない完璧なフリ。私とはレベルが違った。


「いいから早く行け、人手足りないんだろ」


「ちぇーっ。茉莉ーまた今度ね」


「うん、またね」


今まで蓮とやっていたことを隠すことに対する罪悪感で胸が痛い。が、いくら親友とはいえ言えないことがある、ましてや妹相手には。悪いけれどこのまま真っ直ぐ部屋から出ていってくれることを願い…


「あれ、茉莉リップ少し取れてない?何か食べたり何処かで擦ったり……ごめんすぐ帰るね、なんなら茉莉うちに泊まったことにするよ、大丈夫私誤魔化すの得意だから。あー私が置いてった着替えどっかにしまってるからそれ使って」


異常な勘の鋭さを発揮し全てを察した結衣は早口で言いたいことを言い終えるとスマホを操作し始める。私が引き攣った声で「何処に電話するの…」と訊ねると、「茉莉のおじいちゃん」と答えた結衣を蓮と協力して止めにかかったのは言うまでもない。





本編に入り切らなかった小ネタ


結衣…恋愛対象は女子で兄と同じく茉莉のことが好きだった。女子が恋愛対象なことは家族と茉莉だけ知っていて、茉莉のことが好きなのを知っているのは蓮だけ。蓮が結衣のことを気にしていたのはこのためで、割と本気でライバルだと思ってた。今まで何もしなかったのは妹への遠慮1割ヘタレ9割。

兄、親友と違い色々鋭いので2人が両片思いなことには気づいていたが、兄とくっつくのも癪なのでアシストはしていない(邪魔もしてない)。ここ数年はあんまり焦ったいから少しはアシストしていた。


兄と違い諦めは悪くないので、2人がくっついた時点でキッパリ諦めている。大学で可愛い彼女を作りそう。


誕生日会の直前に「私のこと気にしなくて良いよー」と兄に直接言っている。

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