ある晴れた日に
自分なりにそこそこ書けたと思います。 投稿するまで時間がかかってしまいましたが…
心地よく晴れた6月の日に私はいる。
現実としてここにいるのだが事実としてもここにいる。
ただ、… 。
在るのは私で、私の感じる世界が晴れであり、あとは何もない。
日差しが強く、うだるような暑さ。
在るものすべてに等しいという。
風が吹けば人は幸福を知り、風が止めば人は地獄を知る。
ただ人はそれを感じるには豊かになりすぎた。
常時空調の効いた室内で冷たい飲み物を飲む。
そして、それが普通という認識が定着している。
ああ、この世には水もまともに飲めない人がいるというのに…
しかし、こういう私もだからと言って何か活動しているわけでもない。
ただ、知っていることは重要だと思う。
それすらも忘れてしまったなら、人は感謝の心を失ってしまう。
ただ、当たり前にそこにあるということが、いかに大切であるか?
その、問いの答えは各々が各々の心の内に求めるしかない。
ある晴れた日のこの感情や匂いや感覚も、いずれは記憶として堆積するか、それとも何事もなかったかのように、蜃気楼のように消えてしまうのだろうか?
暑いのは当たり前だが、その暑さにも人は学ぶことができるという証明を私はしたかったのかもしれない。
度重なる、跳躍により、読者の方々に何を伝えたいのか?という本質が見えにくくなっているのは重々承知しています。
それでも私はこうして書き。
そして、あなたは読んだ。
それが大きな意味で。
これからをつくるもので。
私は文も文字も生物だと思う。
だから今がとても。 重要だ。
いつでも人は出会いと別れでできている




