第15話 賢者ケイローン
コンコン。フリードリヒの部屋がノックされる。
「お兄様。髪のお手入れをしてほしいです」
5つ下の妹のマルティナのようだ。
マルティナは側室ビルギッタの子だ。そういう意味では、フリードリヒと若干境遇が似ている。
「わかった。おまえの部屋へ行こう。」
部屋に着くと「自分で手入れするのは難しくて…」と言い訳された。
「侍女にやってもらえばいいだろう」とちょっといじわるを言ってみる。
「だって、お兄様の方が上手なんですもの」
「そうか…」
フリードリヒは櫛に椿油を少量付けると、ほつれた髪を傷めないように慎重に解しながら、やさしく髪をくしけずっていく。
「お兄様。今度またリュートで歌の伴奏をしてくださらない?」
「もちろんいいとも」
マルティナは音楽が得意で、暇があれば歌の練習をしている。
弾き語りはまだできないらしく、フリードリヒに歌の伴奏を度々頼んでいた。
アカペラでの練習はやはりつまらないらしい。
髪をとかし終わると、いつもどおりバレないようにそっと手の甲で触れて感触を確かめてみる。
柔らかくさらさらでとても心地よい。この年齢の娘の髪は最高だな。
「よし。終わったぞ」
「ありがとうございます。お兄様。伴奏の件、お願いしますね」
◆
ケンタウロス族との宴の際、フランツィスカからケンタウロス族も乱暴者ばかりではなく、賢者と呼ばれる者もいるという話を聞いた。
ケイローンという名で、現在はアルプスの山の洞穴に住み、薬草を栽培しながら病人を助けて暮らしているという。
ケイローンは、アポロンから音楽、医学、予言の技を、アルテミスから狩猟を学んだという伝承がある。また、請われてヘラクレスやカストールら英雄たちに武術や馬術を教えたともいう。
存命であれば、神話の時代から生きている神にも等しい存在ということになる。
フランツィスカの一族はもともとケイローンとともにアルプスで暮らしていたが、数百年前に豊かな土地を求めて黒の森に移り住んできたということだ。
アルプスといっても広いので、ケイローンが住むという場所の伝承をいちおう聞いておいた。
もともと学者肌のフリードリヒとしては、ぜひ会って知識の一端を披露してもらいたいところだ。
◆
フリードリヒは、賢者ケイローンの姿を求めてアルプスの山中を彷徨っていた。
おおよその場所は聞いてはきたが、アルプスといっても広大だ。そこからたった1人の賢者を探し出すのは骨が折れる。
山の気候は変わりやすく、そのうちに夏だというのに吹雪いてきた。
近くに山小屋を発見したので、逃げ込むとそこには先客がいた。
「失礼。ご一緒させてもらってもかまいませんか?」
「どうぞ。ここは避難用の山小屋ですから」
先客は30代くらいの男で、高山に生える薬草を採取した帰りに吹雪にあったということだった。
天候が回復しないまま夜を迎えたので、そのまま山小屋に泊まることにする。
深夜。妙な気配を感じ目が覚めると、先客の男のところに長い黒髪の女性が屈みこんで息を吹きかけていた。
男は全身が凍り付き、絶命しているようだ。
まるで日本の雪女のようだ。
女はフリードリヒに気づき振り返った。
「見ましたね。でもあなたは若くて美しいから見逃してあげる。その代わり、このことは誰にもいってはだめよ」
これもまるで伝承にある雪女の台詞だ。
フリードリヒは気配から感じたことを訪ねてみた。
「あなたは、雪の精霊ですね」
「人族のあなたが、なぜそれを?」
「とにかくわかるのです。しかし、なぜその男を殺したのですか?」
「この者には私の住処を見られたのです。人族は私を見つけるといつも集団で襲ってくる」
「だから予防のために殺したと?」
フリードリヒはいかにもありそうなことだと思った。ここは一概には責められない。
どこか人目のつかないところに移ってもらえるといいのだが、フリードリヒの説得を聞いてくれるだろうか。
フリードリヒは、そこで思いついた。
雪の精霊ならば水の精霊アクアの配下のはず、アクアに説得してもらおう。
アクアにテレパシーで話しかける。
『アクア。今すぐここに来られるか?』
『あら。主様。どうしたの?』
『細かいことは来てから話す』
『わかったわ』
床に青い魔法印が浮かび上がると、美の女神よろしき美しい少女が現れた。
「あらお雪ちゃんじゃない。久しぶり」
「これはウンディーネ様。ご無沙汰しております」
「今の私はアクアっていうの。ここにいるフリードリヒ様に付けてもらったのよ」
「まさか、この人族の眷属になったのですか?」
「あなたも主様の魔力量と質をみればわかるでしょう」
「確かに、並みはずれたものを持っておりますね」
そこで雪の精は考え込むとこう言った。
「私もアクア様とともに眷属になりとうございます」
フリードリヒは、基本的に来るものは拒まない主義だ。まして、アクアにも引けを取らない美女となれば、なおさら断る理由がない。
「いいだろう。しかし、暖かい地上に降りてもだいじょうぶなのか?」
「高地の寒冷な気候が心地いいだけで、地上で暮らせないわけではありません」
「了解した。では、名前は『シュニーネ』でどうだ?」
「いい名前です。」
フリードリヒは、魔力を少し持っていかれる感覚を覚える。が、すぐに回復した。いつものパターンだ。
「ところで、賢者ケイローンの住処を知っているか?」
「存じております」
期せずして、探す手間が省けた。
さっそくシュニーネに案内を頼むことにする。
◆
シュニーネにケイローンの住処に案内してもらった。
「雪の精のお出ましとは珍しいの」
「今日は主様をお連れしました」
「主様?そこの者のことか?」
「お初にお目にかかります。賢者ケイローン様。私、フリードリヒ・エルデ・フォン・ツェーリンゲンと申す人族にございます。お噂はかねがね黒の森のケンタウロス族に伺っておりまして、そのお知恵の一端でもお伺いできればと思い罷り越しました」
「賢者とはこそばゆいのう。じゃが、ケンタウロス族の紹介とあらば、要望には応えねばなるまいて」
「ありがとうございます」
それからフリードリヒは、賢者ケイローンと1週間にわたり議論を交わした。
一番収穫のあったのは医学に関する知識である。
この世界の医療は内科と外科に分かれるが、内科が高貴で直接患者に施術する外科は下賎のものとされた。
内科医は占星術により病気の原因や治療日時を占うといったありさまであった。
外科医は傷口をワインで洗ったり、卵白で覆うといった技術くらいは持っていた。
薬種商は内科医から指定された薬物を処方したが、呪術的なまがいものを売りつけることも多かった。
瀉血という人体の血液を外部に排出させる行為も行われており、体内にたまった不要物や有害物を血液とともに外部に排出させることで、健康を回復できると信じられていた。これに医学的根拠がないことはいうまでもない。
瀉血は刃物を扱う床屋が主に行っていた。
病気で最も恐れられたのがペストであるが大流行するのは14世紀である。これにはし尿処理の方法など不衛生な環境も一役買っていた。
ハンセン病は感染力が弱いものの、その外見変容から恐れられ、患者が不当な差別を受けていた。
十字軍が持ち込んだ天然痘も流行した。
また、インフルエンザも栄養状態の悪い時代なので多くの人命を奪った。
ケイローンは病気の原因が病原菌という微生物が原因だと知っていた。さすがに賢者である。
フリードリヒは、最近自作した顕微鏡をアポートで取り寄せると、ケイローンに見せてあげた。
「このうじゃうじゃいる小さいものが全部病原菌なのか?」
「細菌ではありますが、全部が人体に有害という訳ではありません」
そこでフリードリヒは、細菌にも人体に有害なものと有用なものがいること、特にビフィズス菌などの腸内細菌は人体の健康にも重要な役割を果たしていることなどを説明した。
「なるほどのう。ヨーグルトが健康にいいことは昔から知られているが、そういうことであったか」
知識としては知っているが初めて目にした病原菌に感動している。
それから薬草に関する知識も得ることができた。中にはエルフ族から得た知識にないものも多数あり有用だった。
この時代は化学合成の技術が未熟なだけに、この知識はありがたかった。
しかし、これらは解熱、鎮痛などあくまでも症状を抑える薬だ。抗生物質などはないのだろうか?
「ケイローン様は有害な微生物を殺す薬などはご存じではありませんか?」
「ああ。アオカビから作る薬のことかの?」
──それだ。ペニシリンで間違いない。
「手間がかかるので、儂は作ったことはないが、だいたいの方法ならば知っておる」
フリードリヒは、ペニシリンの大まかなレシピを教えてもらった。手間はかかるが、成功すれば病気の治療に大いに役に立つはずだ。
「染料から作るものはご存じではありませんか?」
これはサルファ剤といわれる抗菌薬のことだ。
「そっちは残念ながら知らないのう」
ならば、幸いにして神聖帝国は染料の産地だから、かたっぱしから当たってみるか。
さすがの天才フリードリヒといえども、医学は専門外だったから、サルファ剤の化学式までは覚えていなかった。
その後、音楽についても教えてもらった。
ケイローンが活躍したギリシャ時代には音楽や劇が盛んだったことは記録に残っているが、楽譜が存在しなかったため、曲は失伝している。
メジャーな曲を何曲か教えてもらう。音階の理論研究なども盛んだっただけあって、意外に現代的な感じの曲だった。
後でマルティナに教えてあげたら喜ぶだろう。
予言についても教えてもらったが、感覚を研ぎ澄ますための沐浴・斎戒の話が中心で、フリードリヒが実践するには少しハードルが高かった。
なかなか予言ためだけに時間を費やすのは難しい。
最後に、また再開することを約束して別れた。
賢者ケイローンも久しぶりに有意義な議論ができて満足だったようだ。
◆
ホーエンバーデン城へ帰ると、早速マルティナがフリードリヒの部屋にやってきた。
「お兄様。約束したのに1週間もどこに行っていらしたの?」
「悪い。ちょっとした野暮用でね。今日はちゃんと付き合うから許してくれ」
だが、歌の練習を始めるとすぐに機嫌が直った。よほど歌が好きなのだ。
それにしても、この年齢にして、この才能はたいしたものだ。この時代、劇場でコンサートを開くような文化がないことが悔やまれる。
早速、ケイローンに教えてもらった歌を教えると、マルティナは気に入ったようだった。
「聞いたことがない感じの曲ですけど、私は好きです。お兄様。ありがとう」
フリードリヒも何かの機会があればギリシャの曲を披露してみようかと思うのであった。
◆
私は、フィリーネ・ショーペンハウアー。
バーデン=バーデンのアカデミーに通って物質の生成や合成の勉強を治め、錬金術工房への就職も決まっていたが、就職する矢先に流行り病で死んでしまった。
次に意識が戻った時、私は故郷の墓地に埋葬された棺桶の中で、必死に外へ抜け出した。
最初は生き返ったのかと喜んだが、冷静になってみると、心臓も動いていないし、呼吸もしていない。
私はゾンビになってしまったのだ。
ときたま現れる他のゾンビたちは理性を失っていて襲いかかってくる。
人族に助けを求めようにも、私を見るなり、ゾンビだといって襲い掛かってきた。
もう何もかも恐ろしく途方に暮れていた時、フリードリヒ様に助けていただいた。
フリードリヒ様は私を怖がることもなく、「物質の生成や合成の勉強をしていたと言ったな。では、人族にひっそりと混じって、私の商会の開発部門で働いてみないか」と誘ってくれた。
迷っていた私に「化粧で顔色をごまかせば大丈夫」と言って、フリードリヒ様は私に化粧をしてくれた。
とっても上手で確かにゾンビには見えない。これなら大丈夫と自信が湧いてきた。
──でも、この人何でお化粧なんてできるの?
後で尋ねてみたら「私は女の家族が多いから女子力が高いのだ」と言っていたけど、それって普通じゃないと思う。
その後、私が魔力切れの話をしたら、闇の魔石を使ったペンダントをプレゼントしてくれた。
カットしてあって、見た目を黒水晶のように見せかけているが、すてきなデザインでうっとりしてしまった。
闇の魔石の加工なんて一般の職人に頼めるはずはないから、自作のようだ。事実「作ってあげる」って言っていたし…。
それにしても、なんと器用な人なんだろう。
タンバヤ商会の開発部門で働き始めてからはたいへんだった。
これまで、フリードリヒ様は新しい商品のレシピは自分で書いていたらしいのだが、開発のアイデアだけ私に伝えると、「後の仕上げはよろしく」と言って私に丸投げしてくるのだ。
試行錯誤の連続で、わからないことだらけ。
フリードリヒ様が店に顔を出すタイミングを見計らっては、質問攻めにした。
フリードリヒ様は、嫌な顔一つせず丁寧に教えてくれた。どうも生来の学者気質で議論をするのが好きなようだ。
興が乗ってくると、質問していないことまで教えてくれる。
電池を使った電気分解の話を聞き、実際に実験で見せてもらった時は感動した。
「これは本当に魔法ではないのですか?」
「れっきとした化学反応だ。魔法ではないよ」
聞くと、この技術は何百年も前に開発され、一度失伝したものをフリードリヒ様が復活させたらしい。
──本当に何なのだこの人は!
一度、冗談半分で聞いてみた。
「フリードリヒ様は未来人なのではないですか?」
「いちおう違うが…」
だから、その「いちおう」って何よ!何か秘密があるってことね。いつか探ってやる。
最近も鉄工所を立ち上げるという大きなプロジェクトをやったばかり。
ただ、課題は山積みだ、親方のタンクレートさんと一緒に工作機械の制作を宿題に出されているからだ。
それがまだめどがついていないというのに、今度はペニシリンやサルファ剤とかいう医薬品の開発ですって。勘弁して!
ついに頭に来てフリードリヒ様に苦情を言いに行った。
「人手がたりないなら雇えばいい。金は出すから後は君の裁量にまかせる」
と軽くあしらわれてしまった。信頼されているのか、それともいい加減なだけなのか。
でも、あのフリードリヒ様に限って後者はあり得ないと思う。そうすると前者ということだが、あまり高評価なのも腰が引けてしまう。
とにかく、今は仕事が、人生(ゾンビ生?)が楽しくてしようがない。
こんな刺激的な仕事をくれるフリードリヒ様には感謝しかない。




