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みちのくのヴァイオリン  作者: 北国いちか
4/5

Kの正体

 一ノ関を発ってから30分。私は盛岡駅に来ていた。

 宮古市へは山田線というローカル線に乗り換えて二時間ほどの道のりなのだが、その乗り換えに少々時間があった。

 そこで、私は駅からほど近いとある喫茶店へと入った。外見は小さいが、店内は昔ながらの純喫茶といった感じだった。地元でも人気なのか、結構お客さんが入っていた。

 そこそこおなかが空いていたので、そこでランチセットを頼んだ。

「照り焼きチキンサンド」がどうしても気になったのだ。

 私は、水を飲みながらここまでの旅路に思いをはせていた。

 本当にKという存在がなければ、盛岡の喫茶店に一人で来ることなどなかったように思える。

 もうとっくにこの旅行を楽しんでいる自分に気がついた。

 するとほどなくして、コーヒーと照り焼きチキンサンドのセットがやってきた。

 朝ごはんも、コンビニで買った物を電車の中で軽く食べただけなので、今日まともに何かを摂取するのはこれが初めてかもしれない。

 私はそのサンドを頬張った。

 うん、おいしい。

 どこか、懐かしさのある。優しい味だった。そして、コーヒーもいただく。これまた、絶妙な苦みと酸味がよいバランスで共存していた。とてもおいしかったので、もう一杯いただいてしまった。


 腹ごしらえも済んだところで、私は盛岡駅へと戻った。

 そして、13:51発の宮古行き快速リアスに乗車した。

 乗車予定時間は二時間ほど。快速ということもあって、停車駅は終点の宮古駅を含めて6駅だ。

 電車は北上川を渡り、隣駅の上盛岡へと到着した。盛岡は秋田新幹線の分岐駅ということもあってかなり大きい都市であった。

 そういえば、昔の友人の一人が岩手出身だったような・・・

 しかし、もうだいぶ昔のこと過ぎてよく思い出せなかった。


 上盛岡を出ると、私は照り焼きチキンサンドのせいか猛烈な睡魔に襲われた。









 ピーーーーー


 病室には無機質な電子音が鳴り響いていた。

 すると、目の前にいる医者が母の目にライトを当てた。そして、その医者は一呼吸置くと高価そうな腕時計に目を落とした。


「20時32分・・・ご臨終です」


 彼はそう言うと深々と私にお辞儀をした。隣にいる看護師も医師同様にお辞儀をしていた。

 

 母が死んだのだ。

 

 そこからの展開は早かった。

 両親ともに一人っ子で、祖父母もすでに他界していた私にとって、親族と呼べる人は誰もいなかった。葬式と言えるようなたいそうな規模のものはやらなかったが、訃報を聞きつけた母の旧友たちが家へと線香をあげに来た。

 そして、3日後には母は骨壺の中に入っていた。

 私は、ここまでの流れが急すぎて思考が追いつかなかった。


 晩年の母は半年前に患ったクモ膜下出血の後遺症でほとんど寝たきりだった。彼女の意識は不明瞭で、物もほとんど食べられないようだった。

 それでも、私は仕事の合間を縫って、母に極力会いに行くようにしていた。最初は、クモ膜下出血になって後遺症まで患ってしまった母が可哀そうでならなかった。

 しかし、人間とは慣れていく生き物。

 そのうち後遺症を患うことが当たり前となり、そしてその介護が当たり前となる。

 そしてある日、私は母の介護に疲れている現実に気がついた。

 最初のうちはこんなことを思ってはいけない、私はなんてひどい人間なんだ、と自己嫌悪に陥った。

 ところが人の適応能力は恐ろしく、私はそのことにすら慣れつつあった。

 そして、これから秋も深まろうかというとき。

 

 母は死んだ。


 母の死は、私にとって悲しくはあった。

 しかし、それ以上に先行きの見えなかった介護に終止符が打たれたこと。そのことに安堵している自分がいた。

 私はこれまで以上に自分自身が嫌になった。

 私の家は母子家庭だったから、私がここまで生きてこられたのもすべて母のおかげと言っても過言ではない。それに、親孝行も道半ばという所で死んでしまったのだ。それなのに、私は母の介護から解放されたことを喜んでいたのだ。


 何て薄情な娘なのか。

 私は心底自分が嫌になった。


 ちょうどこの頃から私は「どうして生きているのだろう」と考えるようになった。だが、こんなにも薄情で空虚な人間に生きる意味など見つけられるはずもなかった。生きる意味が分からなくなっていた私は、自殺についていろいろ考えるようになったのは当然のことだったのだ。

 そして、自殺掲示板でKと出会ったのもちょうどその頃だった。

 自殺は宗教によっては罪とされることもあるのかもしれない。しかし、自分の命を自分でどうこうするのは自分の勝手だろうというのが私の考えだった。ゆえに他人に文句を言われる筋合いはないのだが、自殺に対してどこか後ろめたさがあったのか、Kとは共犯者のような関係であると認識していた。

 子供のころに友人といたずらをした時のような、なにかちょっぴり反社会的な要素を含む秘密を二人で共有する。そんな感覚だった。

 私はKと話しているとどこか気が楽になった。

 死のう死のうと思っていても、別に今じゃなくてもいいかな、とそんな風に思わせてくれる不思議な人だった。

 彼女はどこか私に似ていて、でも決定的に私とは違う。

 そんなミステリアスな感覚がたまらなかった。


 ゆえに、Kからの連絡が途絶えた時は少し寂しかった。

 逆にKから手紙が来たときは嬉しかった。

 そして、私は手紙を手にしてから自分の本当の気持ちに気がついたのだ。

 私はKに会いたい、と思っていたのだ。


 そして、その願いは今叶おうとしている。

 もうすぐだ。

 もうすぐあなたの元へ行くから待っていて。







「ん・・・」


 私は声にならない音を出すと重いまぶたを上げた。どうやらまた眠ってしまっていたようだ。

 電車はどの辺まで来たのか。手がかりとなるようなものは右手を流れる川しかない。

 すると、車内にアナウンスが響いた。


「まもなく千徳せんとく千徳せんとくです」


 千徳。確かここは終点宮古の一つ前の駅だ。

 そして電車は減速を開始すると、千徳駅に停車した。

 住宅街に囲まれたこの駅はもうほとんど宮古市の中心街からほど近い場所だ。

 ほどなく電車は発車すると、次は終点宮古というアナウンスをし始めた。私は上着をきちんと着なおし、忘れ物がないかを確認した。


 しばらくして、電車は終点の宮古駅へと到着した。私はリュックを背負うと電車を降りた。改札を抜け、駅前広場に出るとそこには立派なロータリーがあった。タイルがきれいに敷き詰められていて、すごく綺麗な駅という印象だ。

 とりあえず、私は手紙にあった「浄土ヶ浜(じょうどがはま)」へと行くことにした。

 アクセスがイマイチ分からないので、駅前にある観光案内所へと入った。しかし、時刻が16:00ということもあって駅前から浄土ヶ浜へと向かうバスはもうないらしい。どうしても今日行くのであれば、徒歩かタクシーを使うしかないとのことだった。

 確かにKの手紙に日時は書いていなかったし急ぐ必要はないのかもしれない。しかし、心が先走っていた私は今日行かなければならい、とそんな気がしていたのだ。

 私は、観光案内所の人にお礼を言い、ついでにちょっと気になっていた本州最東端証明書というものを購入すると、ロータリーに止まっていたタクシーに飛び乗った。


「すみません、浄土ヶ浜までお願いします」


「はいよ~」


 タクシーの運転手はそう返事をすると車を走らせた。

 この時期に東北を一人で旅をしていることが珍しいのか、運転手は色々話しかけてくれた。どうやら彼曰く、三月はまだシーズンではないらしい。初夏の木々が青々とした季節が一応売りなんだそうだ。

 なんやかんやとやり取りをしているうちに、10分ほどで浄土ヶ浜についてしまった。頑張れば歩いて来られる距離だったなぁ・・・と思わなくもなかった。


 私は運転手にお礼を言いタクシーを降りると、浄土ヶ浜の方へと歩き出した。

 浄土ヶ浜と検索して出てくるのは、やはりあの白い流紋岩の石の浜。

 目下の目的地はそことなった。

 時刻は16:30になり日が大分傾いてきた。

 辺りは少しずつ薄暗くなっていく。正直、日が完全に落ちてしまってからもここにいたいとは思わなかった。

 出来るだけ早く行き、Kに会いたい気持ちが募り自然と足取りも早くなった。

 しばらく歩いていくと白い石の浜が見えてきた。

 その浜の先には、岩の島が海からにょきっといくつか生えている。

 間違いない。こここそKが「浄土浜」と詠った場所だと確信した。

 夕暮れ時ということもあってほとんど人気ひとけがなかった。

 だが、とりあえず待てるだけ待ってみようと思った。

 そして、浜を北の方へと歩いていく。

 しかし、その空間には私と波の音とウミネコの声しか存在しなかった。

 波の音はまるで炭酸水がはじけるような独特な音だった。

 もしかすると、Kの詠った「浄土浜」というのはここではなかったのか。

 そろそろ、バスで宮古市中心街へと戻って宿でも探した方がよいかと肩を落としていた時だった。


「あの、すみません」


 突然何者かに後ろから話しかけられた驚きのあまりに私は肩を震わせた。そして、ゆっくりと声のする方を振り向いた。


「佐々木(めぐみ)さん・・・ですよね?」


 その時、私の全身を電撃が走った。私はそう声をかけてきた目の前の中年の女性を知っていたのだ。


「ご無沙汰しております。あの事故以来でしょうか・・・」


 そう言う彼女はどこか申し訳なさそうな、浮かない表情だった。

 彼女は、私の左腕の後遺症の原因となった事故で九死に一生を得た後輩の母親だった。


けいから、今日のこの時間にここへ行ってほしいと頼まれて」


 私は理解が追いつかなかった。

 つまり、私が文通していたKとは音大時代の後輩だった「けい」ということなのか。


「長旅でお疲れでしょうし、立ち話も何ですから。それに、あなたに渡したいものもあって・・・なので、家にいらしてください」


 彼女はうつむき加減のままそう私に告げた。

 私は彼女の提案に黙って頷いた。なぜだか分からないがこの先に答えがあるような気がしたのだ。

 道中、私はけいの母に尋ねた。


「あの、けいちゃんは・・・いま、どうされているんですか?」


 けいちゃんというのは大学時代の彼女の呼び名だ。


けいは・・・」


 けいの母はそこまで言うと、言葉に詰まってしまった様子だった。

 私は余計なことを聞いたな、と思わず顔を伏せた。

 その後、私は自分の話を一方的にすることで何とか間を持たせた。

 すると間もなく目的地へと到着した。けいちゃんの実家は浄土ヶ浜からそう遠くない、ちょっとした高台に建っていた。


「さぁ、上がってください」


 けいの母はそう言うとスリッパを出してくれた。私は案内されるがまま、居間のソファーに腰を掛けた。


「今、お茶を入れるからちょっと待っててくださいね」


「い、いえ!お構いなく!」


 恐縮しきっていた私は思わずそう返した。

 すると、居間の向こう側にある和室に仏壇があるのが見えた。仏壇の横にあったテーブルには、若い男の人と小さい子供の写真が飾られていた。じっとその写真を眺めていると、けいの母が横にやって来てお茶とお菓子を出してくれた。


「すみません・・・急に押しかけてしまったのに」


「いいの、気にしないで。あ、そうだ・・・あなたに渡したいものがあるんだったわ」


 そう言うとけいの母は再び席を立った。

 その時、玄関の戸が開く音がした。直後に居間へと入ってきたのは恰幅かっぷくのいい男性だった。


「あら、おかえりなさいあなた。いまけいの大学時代の先輩が来てくださってるの」


「・・・どうも」


 どうやら彼はけいの父親のようだった。

 人見知りなのか、挨拶もどこかぎこちなく寡黙そうな人というのが第一印象だった。


 一方の母親は和室に入ると中で何かごそごそとやっているようだった。

 そして父親が着替えて居間に戻ってくるのと同時に母親も例の物を持って居間へと戻って来ると、二人は私と向かい合うように座った。


「あの事故の時は、本当にご迷惑おかけしました」


 父親はそう言うと深く頭を下げた。


「いや、あ、あの!その、もう全然平気ですから!そんなにかしこまらないでください・・・」


 私のその言葉に父親はゆっくりと頭を上げた。

 すると、今度は母親が机の上にあるものを置いた。

 それは、茶封筒とヴァイオリンケースだった。


「この手紙・・・あなた宛てなんです」


 私はけいの母のその言葉に驚いた。

 というのもけいとは音大を中退した8年ほど前から一度も会っていないからだ。


 私は手紙を開けるのが怖くなった。

 Kとけいが同一人物であったこと。これが何を意味するのか。

 気になりはするが、開けてはいけないパンドラの箱のようにも思えた。

 しかし、ここまで来て引き返すわけにもいかなかった。

 意を決して、封筒を破いた。

 そこには、今までとは違いきちんとした文章が書かれていた。






 拝啓

 佐々木恵様


 先輩、ご無沙汰しております。

 まずは、この手紙を読んでいるということは無事宮古までたどり着けたということですね。

 散々、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。


 私は大学卒業後、地元宮古に戻って音楽教師として働いていました。しかし、こちらに来てから色々あって。そう、色々ありすぎたんです。そして、今は病気も患ってしまって、少々辛い日々が続いていました。


 そんな時、自殺掲示板であなたに会いました。

 事故をきっかけにヴァイオリンを弾けなくなったことと文学がお好きだという記述ですぐに先輩だと分かりました。

 先輩を見つけた時、本当に天にも昇るほど嬉しかったです。

 あの事故以来、あの手この手で探しても見つけられなかったのに、こんなところで会えるなんて夢にも思いませんでした。


 掲示板で先輩に会えた。

 それだけでも十分嬉しかったのですが、最期の最期で少し欲が出てしまいました。

 どうしても、先輩に会いたかったのです。

 先輩は掲示板で、仕事帰りは必ず目黒川を眺めるとおっしゃっていたので、一か八かで病院を抜け出して会いに行くことにしました。

 あの日はすごく暖かかったのですが、病気のせいで寒がりになってしまった私はすごい厚着をしていきました。それに、薬の副作用で髪の毛も抜けてしまっていたので、それを隠すために季節外れのニット帽も被りました。


 そして、目黒川で待っていると先輩がいらっしゃったんです。本当に、神様が最後に私に微笑んでくれたと思いました。ですが、いざ先輩を目の前にすると話しかけることができませんでした。私に話しかける権利なんてそもそもないのだと分かっていたからです。しかし、今にも川へ落ちそうなほど先輩が前のめりになっていましたから、思わず声をかけてしまいました。我ながら「中目黒の駅はどこですか?」なんて会話の切り出しはおかしかったな、と今でも笑ってしまいます。でも、そんな変な質問にも先輩は昔と変わらず答えてくださいましたね。


 私は感情を抑えきれなくなって、気がつくとヴァイオリンを弾いていました。最近はヴァイオリンを弾く元気すらなかったのですが、あの日は不思議といつまでも弾いていられるようでした。

 演奏後に頂いた、先輩からの熱いまなざしと拍手は手紙を書いている今でも忘れられません。

 本当に嬉しかったです。


 私が先輩と掲示板で最期にやりとりをした日に、先輩は有給を三日とるとおっしゃってましたよね。

 私はそこが今回の旅のチャンスだと思いました。

 私はもう東京で先輩に会えただけで本当に十分だったのですが、もし神様が最期の最期にまた私の味方になってくれるなら、先輩は私に会いに来てくれるのではと思いました。

 半分以上賭けだったのですが、この手紙の封が切られたということは、先輩はこの手紙の前にいらっしゃるということですね。


 本当に辛いことだらけの人生でしたが、最期に報われることができて良かったです。

 本当に、本当に幸せでした。


 先輩もどうか幸せになって下さい。約束ですよ。

 いつまでもお慕い申し上げております。

 それでは、またいつか。



 恵より



 追伸

 私の歌、ぜひ完成させてくださいね。








 手紙を読み終えた私は震えていた。

 なんだこれは。

 なんなのだ。

 全く理解が追いつかず、言葉が出てこなかった。


 けいの父母もそんな様子の私を見てか、ただ黙って座っているだけだった。

 そして、いくばくか時間が経った頃。

 けいの母がその重い空気を打ち破った。


「あの子・・・ガンを患っていて」


 私は彼女のその言葉にまた言葉を失った。

 何も考えられない。周りの音が遠のいていく感覚に陥った。


「それと・・・あの子はこれをあなたにと」


 けいの母はそう言うと机の上に置いてあったヴァイオリンのケースを開いた。

 その中にいたのは、私のかつての相棒だった。

 まるで心臓を直接握られたような気がして全身に鳥肌がたった。

 念のために取り出して確認するが、やはりそれは紛れもなく私がけいに託したものだった。


 チェックメイトだった。


 認めたくない現実だけが目の前に横たわっていた。

 私は虚しさとも悔しさとも違う、なんとも形容しがたい負の感情に襲われた。てのひらに爪が思い切り食い込むほど強く拳を握った。


「2週間くらい前だったかしら・・・あの子がその手紙とヴァイオリンを置いて病室から姿を消したの。私もどこか受け入れたくなかったのだけれど、あなたのその様子だとやっぱりそういうことなのね・・・」


 けいの母は目に涙を浮かべながらそうつぶやいた。

 隣にいる父親も複雑そうな顔をしていた。



 けいは大学卒業後、地元であった宮古市へと戻り、高校で音楽教師として過ごしていたようだ。

 そして、それから数年後に幼馴染でもあった地元の漁師の男性と結婚したのだ。子宝にも恵まれ、家族三人で順風満帆な生活をしていたそんな時。


 東北を大震災が襲った。


 結果から言えば、けいの夫は船を沖に出しに行ったまま行方不明。最愛の一人息子も避難の最中に津波にさらわれ行方不明となったらしい。

 悲しい話だが、あの当時はよく聞いた話だった。

 しかし、その夫も息子もけいにとってはかけがえのない存在だったのだ。震災以降の彼女は、父母から見てもみるみる元気がなくなり、自殺未遂を何度も繰り返したそうだ。

 なぜ私だけ生き残ったのか。早く二人に会いに行きたい。

 そんなことを言う毎日だったそうだ。

 しかし、そんな彼女の心の傷も時間が経つにつれてほんの少しだけ癒えたのか、震災から三年後に教員として復帰した。

 いや、本当は心の傷なんかまったく癒えておらず、責任感から、いつまでも親に甘えるのを良しとしなかっただけなのかもしれない、とけいの母は語った。

 その証拠に仕事に復帰した後の彼女も口数は少なく、仕事以外で楽器を弾くこともなくなり、今まで好きだったものにも全く興味を示さず、まるで色が無くなったような透明な世界を生きていたようだったそうだ。それでも生徒たちからはかなり慕われていたようだった。


 そんな彼女がガンの宣告を受けたのは半年ほど前のことだった。

 膵臓ガンだった。

 医者曰く、すでにかなり進行しており完治は望めないということだった。

 けいの父母は激しい絶望感に襲われたそうだ。

 なぜ、けいだけがこんなにも辛く苦しい思いをしなければならないのか。神様という存在がいるのだとしたら、その神を殺してやりたいくらい激しい感情を抱いたらしい。

 しかし、当の本人は「そうですか・・・」とだけ言い、病気をすんなりと受け入れてしまったそうだ。

 そして、逆にガンを患ってからのけいは笑顔を見せることが多くなったのだとか。愛する夫と子供の写真を撫でながら「もうすぐ会えるね」と微笑みかける彼女の姿に、父母は何も言葉をかけることができなかった。

 皮肉にも死に近づけば近づくほど、彼女は生き生きとした様子だった。

 だが、そんな娘の姿を見るのは、父母にとっても複雑だった。

 しかし、そんなけいにも一つ心残りがあったらしい。

 それは音大時代の先輩のことだった。

 けいの命と引き換えにプロヴァイオリニストの夢を断たれた先輩が気がかりだと言うのだ。父母は自分がそんな状態なのにどうして他人の心配をするのか訳が分からなかったそうだ。


 そして、今日から三週間ほど前の三月上旬のある日。

 けいは突如として病院からいなくなったらしい。

 父母や病院関係者は彼女の失踪に慌てふためいたそうだ。まさか自身の境遇を悲観して自ら命を絶ったのかと大騒ぎになった。皆で一日中彼女のことを捜索をしていたのだが、意外にも彼女はその日の深夜に宮古の病院へとその足で戻って来たのだとか。


 けいの母はその時、思わず娘の頬をぶったらしい。

 人さまにも散々迷惑をかけてどこに行っていたのか、などと叱責した。

 けいはその時、ひどく申し訳なさそうな表情で


「心配かけて、ごめんなさい・・・」

 

 とだけ返したそうだ。

 そして、その日から一週間もしないうちにけいは再び姿を消した。









「あの子は、あの日あなたに会いに行っていたのね・・・それなのに私ったらあの子をぶってしまって・・・」


 けいの母はそう言うと涙を流し始めた。

 私はいまだに信じられなかった。いや、信じたくなかったのだ。

 あの日、目黒川にかかる「なかめ公園橋」の上で私に声をかけてきたあの女性が、けいだとは信じたくなかったのだ。


「どうして、気づかなかったの・・・どうして、言ってくれなかったの・・・」


 私は手紙にそう問いかけた。

 しかし、当然返事など来るはずがなかった。

 私はてっきり彼女が私のことなどとうに忘れて、幸せに今もどこかで元気に暮らしているものだと思っていた。しかし、実際の彼女は最期の最期まで私などという存在を気にしていたのだ。


「なんで、こんな手紙よこしたのよ!!」


 私は気がつくとけいの手紙に向かってそう絶叫していた。

 なぜ、なぜ、なぜ。

 今までの私の人生のあらゆることに疑問を投げかけずにはいられなかった。


 なぜ、私はけいを庇ったのか。

 なぜ、私は大学中退後(けい)を遠ざけたのか。

 なぜ、私はあの時(けい)に気が付けなかったのか。

 なぜ、けいは私を佐々木(めぐみ)と知りながら自身の素性を明かさなかったのか。

 なぜ、けいはこんな手紙を私によこしたのか。


 気がつくと私は頭を掻きむしり、うめき声のようなものをあげていた。

 大好きだったけいが死んだのだ。後悔してもしきれない。

 自分自身を殺してしまいたい衝動にかられた。

 なぜ?ってそんなのは簡単なことだ。

 私は自分が傷つくのが嫌だったのだ。

 唯一の取り柄を失くしたあげく、大好きなけいを憎むようになってしまうことが怖かったのだ。

 私はただの臆病者なのだ。

 そんな臆病な性格のせいで、私はけいが死ぬ寸前まで彼女にこんな苦しみを与えていたのだ。


 ほとんど半狂乱となった私は訳が分からなくなった。

 気がつくと、けいの母が寄り添って背中を撫でてくれた。本当につらいのは私なんかよりも目の前にいる父母の方なのに、私はそんな二人にすら気を使わせてしまっていた。

 そしてしばらくして、私はどうにか落ち着きを取り戻し始めた。


「取り乱してしまって・・・すみませんでした」


 私は無気力な声でそう謝罪した。

 二人は何も気になくてもいい、むしろこうしてわざわざ宮古まで足を運んでくれて有難いと言ってくれた。

 その言葉はあまりにももったいなかった。


 その後は宿を探すためにお暇しようかと思ったのだが、二人がぜひ泊って行ってくれと言うのでその言葉に甘えさせてもらうことにした。

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