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みちのくのヴァイオリン  作者: 北国いちか
3/5

平泉

 明朝6時半。

 私は、石巻いしのまき駅近くのビジネスホテルを出ると日和山公園へと向かった。タクシーを使っても良かったのだが、別に急ぐわけでもないので徒歩で行くことにした。


 昨晩、大学時代の夢を見た。

 私の二つ下の後輩の夢だ。

 そう、私の左腕と引き換えに九死に一生を得た子だ。

 夢で見たのは、私が長年愛用したヴァイオリンを彼女に譲る場面だった。かれこれ8年ほど前の話だ。

 プロの演奏家への夢をあきらめた私にとって、かつての相棒は苦痛を与える存在であった。ヴァイオリンを譲るにあたってそう言ったネガティブな理由があったのは事実だ。しかし、どちらかと言うとまともに弾くことすらままならない主人に使われるよりは、これから明るい未来のある後輩に弾いてもらった方がコイツも喜んでくれるだろうというポジティブな理由の方が大きかった。

 それに、ヴァイオリンを手放せば夢への未練も断ち切れると思ったのだ。

 その時、後輩は号泣していた。

 私のせいでごめんなさいと何度も何度も謝ってくるのだった。

 正直、恨みがないかと言われれば嘘になるかもしれないが、あんなにも必死な後輩を見ると責めることなどできなかった。


 後輩は正直、そこまで演奏の才能がある子ではなかった。

 努力は裏切らないという人がいるがそれは嘘だ。彼女と私との間にあった歴然たる差は、努力どうこうで埋められるほど生易しいものではなかったのだ。

 それでも、彼女にも才能があった。

 それは、努力を続けるという才能だった。


 「先輩!先輩!」


 と言いながらどこにでもついてきて、演奏の表現のことや疑問などを遠慮せずに尋ね自分の糧とするような子だった。

 まるで、実の妹のようなかわいい後輩だった。多分、私の今までの人生の中で好きになった唯一の人だったのだろう。

 今ならそれがはっきりと分かる。


 ただ、音大中退後は彼女とも疎遠になった。いや、正確に言うと私が蒸発したのだ。当時の同期や先輩後輩とも一切連絡を取っていない。やはり心のどこかで、音楽に溢れた生活を送る人を恨めしく思う気持ちを抱くことを強く恐れていたのだと思う。

 あの子は今、何をしているのだろうか。

 音楽教師にでもなって、結婚もして子供がいてもおかしくはない年頃のはずだ。

 どうして今頃になってこんな夢を見たのか不思議てたまらなかった。けれども、今でも目を閉じれば、あの黒くてまっすぐの綺麗な髪の後輩のことが昨日のように思い出される。


 そんなことに思いをはせていると、今日の目的地である日和山公園に到着してしまった。私は色々な意味で随分と遠いところまで来てしまったなと感じた。


 そして、私は日和山公園から見える景色を見て唖然とした。

 早朝ということもあり風の音くらいしかしないが、眼下には重機や工事関係の機材、新しい建築物がところどころに見受けられた。

 先の震災でここも流されてしまったのだ。

 私は石巻に来るのは初めてだが、かつてはこの公園のふもとに広がる街にも所狭しと人の営みがあったのであろうということは想像に難くなかった。一度はすべてを失ったかもしれないが、それでもまた立ち上がっている人と街の姿がここにはあった。

 思わず、ため息が出た。

 疲れたとか辛いとかではなく、自然にふと出てしまったのだ。


 そして、7時ちょうどに日和山公園の敷地内にある鹿島御児かしまみこ神社の境内へと入った。すると、そこにはすでに神主さんと思しき人が待ち構えていた。直感で、流石に彼がKであるということはないだろうと思った。


「おはようございます・・・あなたがKさんのご友人の方でしょうか?」


 やはりこういう展開かと思った。私もすっかりこういったやり取りに慣れてしまっていた。


「はい、そうです」


「あなたへのお手紙をKさんから預かっています」


 神主の方はそう言うと私に茶封筒を差し出した。私はすぐさま封筒を開けると中身を確認した。そこにはこう書かれていた。


「夏草や つわものどもが 夢の跡」

 本日正午に義経(ぎけい)堂で会いましょう。


 私は思わずその芭蕉ばしょうの句を詠みあげていた。

 すると、神主さんが少し興味深そうな顔をした。


松尾芭蕉まつおばしょうですか。なるほど、おくのほそ道を回ってらっしゃるんですね」


「はい・・・その、インターネットを通じて知り合った友人なのですが、いろんな人を巻き込んでこんなことをしているみたいで・・・巻き込んでしまって本当に申し訳ありません」


 私はそう言うと頭を下げた。


「いえいえ、私はもうこの時間には朝のお勤めがありますから。むしろあなたたちの旅を手助けすることができてうれしい限りです。せっかくなので旅の無事を祈願していかれてはどうですか?」


「はい、ぜひ!」


 私はそう言うと本殿の方へと歩みだした。賽銭さいせん箱にお金を入れて、三つあるうちの真ん中の鈴を鳴らした。そして二礼二拍手一礼。

 今後の旅の無事とKに会えることを祈った。

 しかし、我ながら昨日死のうとしていたのに、Kに会えることを祈るなんて滑稽だなと思ったりもした。


 私は石巻駅に戻ると平泉を目指した。とりあえず岩手県の一ノ関へと向かうのだが、そのためには一旦小牛田(こごた)、という駅で乗り換えなくてはならない。石巻から小牛田の区間はJR石巻線。小牛田から一ノ関の区間はJR東北本線だ。昨日JR仙石(せんせき)線に乗って感じたことだが、たまにはゆっくりとした電車の旅もいいものだなと思った。

 仙石線や石巻線は首都圏の鉄道と比べると著しく電車の本数が少ない。ゆえに、乗り遅れると一時間ほど待たされるので、念入りに時刻表を確認した。

 ここから一ノ関までは一時間半ほどの電車旅だ。

 最初こそ市街地を走っていた電車は、あっという間に田園風景の中を駆け抜けるようになった。ところどころで小さな町を通過するが、基本的には田んぼの中を走る。

 東京に引きこもっていれば、一生目にすることのないような、ゆったりとした時間の流れる空間だった。


 30分と少しばかり走っただろうか。電車は終点の小牛田に到着した。私も乗り換えのためにいったん電車を降りる。

 小牛田駅は、東北本線、石巻線、陸羽東りくうとう線という3つの路線が乗り入れる、いわゆるハブ駅だ。東北新幹線が開業してからは、陸羽東線で3駅先の古川駅がこの地域一帯の玄関口という印象があるが、かつてはここ小牛田に特急電車や寝台特急が走っていた。当時は、山形方面や気仙沼けせんぬま大船渡おおふなとのある三陸地方から東京へと向かう人であふれかえっていたのだろう。

 しかし、今ではそんな雰囲気はなく静かな駅となっていた。ただ昔の名残なのだろうか、利用客の数に比べて駅が立派に感じられた。

 乗り換え時間には少し余裕があるが、私は線路を挟んで反対側の2番ホームへと急いだ。

 しばらくすると、ホームに電車が進入してきた。ドアが開くと、私は車内へ乗り込んで進行方向左手の窓際の席に座った。客はいるようだが、やはり少ない印象だった。


 その先もやはり米どころ。ほとんどは田んぼの中をひたすら走る。そして駅ごとに街になり、途中沼と沼に挟まれたところを走ったかと思うと今度は山に入り、と変化に富んだ景色を楽しむことができた。

 乗車時間は50分ほどだったが、体感ではもっと早く着いた。



 Kに指定された「高館義経堂たかだちぎけいどう」は平泉にある。

 平泉駅は先ほど乗っていた東北本線上の駅なのだが、一ノ関駅がターミナルとして機能しているので。一ノ関発盛岡行きの普通列車に乗り換えなくてはならない。少々面倒だが、これもまた電車旅ならではだ。

 だが、Kとの約束の時間にはまだ余裕があった。せっかくなので世界文化遺産にも登録された中尊寺を見に行くことにした。再び東北本線を北に行くことになるのだが、平泉は一ノ関から目と鼻の先にある。乗車時間はわずか7分だった。


 中尊寺へと続く道のりは平泉駅から徒歩25分程だ。歩けない距離ではなかったが、丁度良いバスがあったので、私はそれに飛び乗った。

 このバスの名前は「るんるん」と言い、平泉町内の名所を巡回している。料金は150円とかなりお得だ。どうせ、徒歩で行けば途中の自販機でジュースを一本買っていただろうから、プラマイゼロである。


 バス停を降りると目の前には月見坂という中尊寺へと続く長い坂がある。坂道の両側を樹齢300年を超える老杉に挟まれ、なんともマイナスイオンたっぷりな空間だった。休日にはたくさんの人であふれているであろうことは容易に想像できた。

 しばらく行くと、右手に東物見台(ひがしものみだい)というものが見えてきた。ここからは、衣川やその先には束稲(たばしね)山を望むことができる。かつて、この衣川より北は中央政府の支配が及ばない外地とされていたそうで、当時のフロンティアを肌で感じることができた。

 東物見台の向かいには弁慶堂があり、さらに月見坂を登っていくと薬師堂や本堂が立ち現れた。本堂には最澄さいちょう以来灯り続けているという「不滅の法灯」があった。

 さらに、不動堂や護衛蔵を横目に先へと進んでいくと、世にも名だたる金色堂がその姿を現した。その名の通り黄金に装飾されたこのお堂は、奥州藤原氏の息吹を現代に伝えるにふさわしい佇まいだった。

 私は、その荘厳さに思わず息をのんだ。


 一通り中尊寺を見て回った後は、月見坂を再び下り、ふもとにあった平泉文化史館を訪れた。外見は少し古びた感じだが、中の展示物がそれはそれは興味のそそられるものだった。そこには、全盛期の復元模型や遺物などが展示されており、当時の平泉に思いをはせながら見て回った。

 そうこうしているうちに、Kとの約束の時間が近づいてきた。


 高館義経たかだちぎけい堂は平泉文化史館から程近くにある。

 今度こそ、Kに会えるだろうか。

 そんなことを考えながら私は中尊寺通りを北上川の方へと歩みを進めた。

 東北本線の踏切を渡り、少し小高くなっている森の方へと入っていき、義経堂へと続く石段に足をかける。

 この先が義経堂なのだがまだその先がよく見えない。それがかえって私をどきどきさせた。

 そして石段を登り切ると、私は義経堂の横にあるベンチに腰かけている人を見つけた。

 その人は袈裟けさ姿だった。


「あの・・・私、東京から来た―――というものなんですが・・・」


「Kさんのご友人の方ですか?」


「はい」


 そう言うと坊主は懐から例にももれず、茶封筒を取り出した。ゆっくりと私の方へと歩み寄ると、その封筒を差し出した。


「自己紹介が遅れました。私、毛越寺(もうつうじ)の住職であります―――と申します」


 そう言うと彼は丁寧にお辞儀をした。

 私は、封筒を開けると中から便箋を取り出した。そこにはこれまでと同じく俳句が書かれていた。


「浄土浜 づる三月みつきは 愛子いとこかな            」

 私はその先にいます。


 しかし、私はその文章を見た瞬間に違和感を覚えた。なぜなら、これまでの手紙にはおくのほそ道にちなんだ俳句や短歌が書かれていたので今回もそうだと思っていたからだ。

 ところが、ここにかかれている句はおくのほそ道どころか、過去のどの文献にも存在しないように感じた。

 すると坊主がふと口を開いた。


「浄土浜・・・それは宮古みやこ浄土ヶ浜(じょうどがはま)のことかもしれないですね」


 わたしは「みやこ」という単語を聞いて驚きを隠せなかった。


「都ってことは、京都ですか!?」


 私は、おくのほそ道に京都が出てきたことがあったかを必死に思い出した。京都までは、新幹線で行くよりも仙台空港から関西国際空港まで行って、そこから在来線で向かうのいいだろうか。

 そんな風に真剣な面持ちで考えをめぐらす私に、坊主は思わず笑い声をあげた。


「はっはっは!みやこというのは三陸の宮古のことですよ」


 私はすぐさま「浄土浜 三陸」でググった。

 すると、岩手県宮古市に浄土ヶ浜という景勝地があることが分かったのだ。確証は持てないが、確かに平泉まで来させておいて次は京都というのもあまり考えられなかった。宮古へは盛岡から山田線という在来線に乗っていくのが良さそうだった。

 ところが、坊主はどこかに落ちないというような顔をしていた。


「しかし、三月みつきという季語が気になりますね。浄土ヶ浜を歌にするのであれば夏の方が見栄えは良いですし、冬の厳しさを詠うのであれば冬の季語を使うべきだと思うのですが・・・」


 坊主の言う通り、そこは私も引っかかっていた。

「三月」という季語を使うのはあまりにも中途半端な気がした。

 それに「愛子」というのは「いとこ」と読み「愛しい人」という意味なのだが、月が愛しい人というのは竹取物語かなにかだろうか。

 それらに加えて、妙にかぎかっこが広くとられている。これではまるで、下の句を入れて完成させろと言っているようにも思えた。

 色々考えてはみるものの、謎は深まるばかりだった。


「それでは、あなたの次の目的地は宮古ということですね」


 坊主はそう言うと穏やかな笑顔を私に向けた。


「そうですね・・・とりあえず盛岡まで新幹線で行くので」


 私は一ノ関から出る新幹線の時刻表を調べた。今から行っても12:28の新幹線には微妙に間に合わなさそうだった。次は13:14分の新幹線だ、だが、これに乗るためには平泉駅を12:27分に出る電車に乗る必要があった。

 これはタクシーかなと思っていた時だった。


「私はこれから毛越寺まで車で戻りますが、駅まで―――さんも一緒に乗っていきますか?」


「え、いいんですか?」


 私は図々しくもお言葉に甘えることにした。

 石段を下りていくと、そこにはピンク色の軽自動車が止まっていた。


「ささ、どうぞ」


 坊主はそう言うと助手席のドアを開けてくれた。私は席に座りシートベルトを締めると、思わずダッシュボードに視線を釘づけにされた。そこには、可愛らしいマスコットキャラの人形が置いてあったのだ。すると、坊主はそんな私の思考を読み取ったのか苦笑いをしながら話し始めた。


「これは私の妻の趣味なんですよ。まぁ、でも可愛らしいし私もまんざらでもなんですけどね」


 坊主って普通に結婚とかするんだ・・・とちょっと失礼なことが頭をよぎったが、彼は特に気にするそぶりも見せずに車を南へと走らせた。

 平泉の駅までは10分とかからない。道中、毛越寺のことなどを少し尋ねた。


 私は、坊主がしきりに「もうつうじ」というので、どういう字を書くのか気になっていたのだ。

 彼曰く、本来「越」という漢字に「つう」という読みはないのだが、かつては「もうおつじ」と呼ばれていた時代があり、それが転じて「もうつうじ」と呼ぶようになった説が有力らしい。

 その起源は西暦850年にまでさかのぼるといい、由緒正しいお寺だ。

 境内にある浄土庭園には、平安時代に栄華を極めた臨池伽藍りんちがらんを偲ばせる遺跡が数多く残っているそうだ。


 坊主も、この手紙のことが気になっていたようで私に質問を投げかけてきた。そこで私は、Kがインターネットで知り合った友人であること。そして、今はそのKの道楽にお坊さんを巻き込んで付き合わされていることを説明した。


「最近はメールやSNSなどが普及していて、なかなか文通という機会も減っていると感じていましたが・・・素晴らしい旅をされているのですね」


 ハンドルを握る彼はにこやかな表情でそう言った。

 どうもこの坊主といい、石巻の日和山にあった鹿島御児かしまみこ神社の神主さんといい、私たちのはた迷惑な道楽に付き合わされていることを快く受け入れてくれているようだった。

 やはり、宗教に関わる人の懐は深いのか、はたまた東北の人は割とみな親切なのか。

 ただ、今はその親切心がとてもありがたかった。


 そうこうしているうちに、車は平泉駅へと到着した。一ノ関行きの電車は5分後に発車するようだった。

 私はシートベルトを外すと車を降りた。

 するとご丁寧なことに、坊主までもが車を降りたのだ。


「わざわざ駅まで送っていただいてありがとうございました!」


 私はそう言うと深く頭を下げた。


「いえいえ、こちらこそ良い話が聞けて嬉しい限りです。旅の無事を祈っております。今度また平泉にいらっしゃることがあれば、是非毛越寺へいらしてください」


 坊主はそう言うと合掌した。


「はい、必ず来ます!」


 私はそう返すとまた一礼し、駅舎へと駆け込んだ。そして、券売機で一ノ関行の切符を購入する。

 ホームに着いた頃には電車が北の方から迫って来ていた。

 結構ぎりぎりだったが、なんとか間に合った。私は電車に乗るとふぅっと息を整えた。相変わらず乗車率は低く、普段過ごす東京とは別世界だ。


 平泉駅を出発してから10分足らず。列車はまもなく一ノ関駅へと到着する。

 先ほど時刻表で調べた限りでは一ノ関駅への到着時刻は12:34なので、急ぎ目で走れば38分発のはやぶさ19号に乗れそうだった。私はこういうとき、なぜかチャレンジしてみたくなる人間だった。それに坊主に駅までわざわざ送っていただいたのだ。こういう機会は物にしなくてはという謎の使命感にかられた。

 私は電車の扉が開くのと同時に駆け出すと、階段を一気に駆け上り、長い跨線こせん橋を素早く抜け、券売機で盛岡行きの乗車券を購入した。

 ここまででわずか2分だ。

 ここからはゆっくり歩いても十分間に合うので、息を整えながら新幹線ホームへと向う。

 しかし、こんなに思い切り走ったのはいつ以来だろうか。社会人になってから、運動という運動をした記憶がないのでいまいちよく思い出せなかった。だが、そこには何とも言えない爽快感があった。

 私がホームに上がると同時に新幹線は停車した。そして、ちょうどいいタイミングで乗車する。

 乗り換えチャレンジは大成功だった。


 一ノ関から盛岡まではわずか23分の乗車だ。この二つの都市の距離が約90㎞だというのだから、新幹線は本当に便利だ。

 一ノ関を出ると左手には広大な水田地帯が広がり、その先の小高い山が見えた。方角的にあそこが平泉にのはずだ。つまり、あの小高くなったところに中尊寺や毛越寺があるということだ。

 私は先ほどまでいた場所に思いをはせた。

 しかし、しばらくすると新幹線は北上川を渡り、すぐトンネルへと入ってしまった。

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