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みちのくのヴァイオリン  作者: 北国いちか
2/5

旅の始まり

 私はほぼ毎日仕事帰りに、目黒川にかかる「なかめ公園橋」という橋から川を眺めることを日課としている。理由は自分でもよく分からないのだが、なぜかここからゆっくりと流れる川の水を眺めているとどこか気持ちが落ち着く気がするのだ。そしてここは、もうあとひと月もしないうちに満開の桜であふれる日本屈指の桜の名所だ。

 私は橋の欄干から顔を出すと暗い川を覗き込んだ。このまま前回りの要領で橋から落ちれば死ねるのかな。いや、少しばかり高さが足りないかもしれない。だが、今年の桜も少し気になるな。

 そんなとりとめもないことを考えていた。夜もだいぶ更けて肌寒くなってきたしそろそろ家に帰ろうか、と思っていた時だった。ふと後ろから見知らぬ女性に声をかけられたのだ。


「あの、少しお尋ねしたいのですが・・・中目黒の駅まではどう行けばいいでしょうか?」


 その女はニット帽に分厚いコートを着ていた。今日は三月の上旬にしては暖かい方だったので、彼女の重装備には違和感を覚えた。ものすごく病的と言っていいほどに痩せている女だった。そして、彼女は右手に楽器ケースのようなものを持っていた。


「中目黒の駅ならそこの道を右に曲がってまっすぐ行くと大きな通りに出ますから、その交差点にありますよ」


 私はそう返した。


「ご親切にありがとうございます。しかし、この辺も少し来ないうちに様変わりしましたね」


 確かに、新しいコンビニができたり多少街の形は変わっているのかもしれない。


「ただ、ここの風景だけは変わりませんね・・・きっと、あとひと月もしないうちに綺麗な桜が咲くんだろうなぁ・・・大学時代と何も変わらない」


 そうつぶやく彼女の目は遠くを見つめていた。それはまるで、ここではない、どこか遠くの世界を見ているようだった。


「私も好きなんです・・・ここの桜」


 私は無意識にそう口走っていた。初対面の人に何を言っているのだろうかと少し恥ずかしくなる。すると、その女性はベンチにケースを置くと中からヴァイオリンを取り出した。かつて、プロの演奏家を目指して私は思わず興味を抱いた。しかし、辺りが暗くどんなヴァイオリンなのかまではよく見えなかった。

 まっすぐと川を見つめながら、彼女は突然演奏を始めた。この曲は・・・


 ショパンの「別れの曲」だ。


 一心不乱に演奏をする彼女に、私はいつのまにか引き込まれていた。音の一つ一つが粒だっていて、まるで桜の花びらが一枚一枚目が前の目黒川に散っていくさまが見えるようだった。

 そのヴァイオリンは確かに泣いていた。

 そして、少しの余韻を残しながら彼女の演奏は終わった。


 私は思わず拍手をした。なぜかは分からないが、目頭が熱くなる感覚に襲われた。しばらくの静寂のあと、彼女はこうつぶやいた。


「花びらを 集めて早し 目黒川 わが命も わだつみに消ゆ」


 すると、彼女はそそくさとヴァイオリンをケースにしまった。


「ヴァイオリンお上手ですね・・・聞きほれてしまいました。それとその歌、芭蕉ばしょうの・・・」


 私は気がつくとそう口走っていた。


「ありがとうございます。歌に関してはパクリですね」


 彼女はそう言うとふふふっと笑ってみせた。


「では、お元気で」


 彼女はヴァイオリンケースをひょいと持つと軽く会釈をして中目黒の駅の方へと歩みだした。しかし、私は何かが引っ掛かっていた。


「あの!」


 私の呼びかけに彼女は歩みを止めた。


「私たちどこかで・・・」


 すると彼女はくるりとこちらを向いてニコッと笑った。


「いえ、今日が初めてですよ」


「そうですよね・・・」


 彼女は私のちょっと落胆した姿を見ると、再び頭をぺこりと下げ、川沿いの道を歩いて行ってしまった。









「ん・・・・」


 私はしばしの惰眠だみんから目覚めた。ここはどこだろうか。宇都宮うつのみやまでの記憶はあるのだが、知らないうちに眠ってしまったようだった。すると、新幹線車内のスピーカーからあのチャイムが流れた。


「まもなく終点。仙台、仙台です」


 ということは今渡っている大きな川は名取(なとり)川だろうと思った。そういえば、芭蕉ばしょうは名取川でも一句読んでいたな・・・などと思い出した。

 そうこうしているうちに新幹線は仙台駅へと着いた。三月も中旬だというのに、やはり東京に比べると仙台の風は少し冷たかった。仙台駅と言えば西口のペデストリアンデッキが有名だが、今回の目的地はあくまで陸奥国分寺むつこくぶんじだ。

 市営地下鉄東西線へと潜ると、私は東を目指した。陸奥国分寺薬師堂むつこくぶんじやくしどうは仙台駅から3駅先の薬師堂という駅が最寄りだ。東西線は開業してからそれほど年月が経っておらず、東京の地下鉄と比較するととても綺麗な線路と車両であった。


 薬師堂は駅から程近くにある。芭蕉句碑ばしょうくひは木ノ下公園という公園の敷地内にあるようだった。そのため、目的地へは5分もかからずに到着してしまった。

 ほどなくして「草 足にむすばん 屮鞋わらじの緒」という芭蕉の俳句が記された石碑の前までやって来たのだが、そこにKらしき人の姿はなかった。

 もしかして、場所を間違ったのか。そう思い今一度手紙を読みなおそうと、カバンから封筒を取り出した時だった。


「こんにちは。突然で申し訳ありませんが、あなたはKさんの友人の方ですか?」


 突然中年の坊主に話しかけられたのだ。私は驚きのあまり少し返答に詰まった。


「は、はい!そうですけど・・・」


「数日前、寺にこのような手紙が届きましてね。今日のこの時間のこの場所に来る友人へ渡してほしい、とのことでした・・・」


 坊主はそう言うと私に封筒を差し出した。


「それでは、確かにお渡ししましたので。私はこれにて」


「あ、ありがとうございました・・・」


 私は、そう言いながら頭を下げた。そして、渡された茶封筒を開けてみた。するとそこには、また便箋が一枚だけ入っていた。


「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」

 雄島の渡月橋とげつきょうにて午後4時に会いましょう。


 今度は松島か・・・と思った。私はすぐに松島までの公共交通機関を調べた。どうやら、地下鉄で仙台駅に戻ってJR仙石(せんせき)線に乗り「松島海岸駅」という駅で降りるのがよさそうだった。ちょうど良い時間の電車があったので私は足早に仙台駅を目指した。


 仙石線の車窓からの景色は仙台市内を走る間は街中という印象があるが、多賀城(たがじょう)駅のあたりから先は郊外といった雰囲気が強くなってくる。私は車窓から外を眺めながら、そう言えば芭蕉も多賀城や塩釜(しおがま)に来ていたな・・・と昔に思いをはせた。昔は仙台からここまで来るのにすら多大な時間がかかったのだろうが、今は電車で30分足らずだ。みちのくの旅も随分と楽になったといえる。

 電車は塩釜を過ぎると一気に田舎といった雰囲気に変わった。右手には海が見える。海にはちらほらと島が浮かんでくるようになり、風景がだんだんと私が想像する松島のそれに近づいていった。

 実はKの手紙に書いてあった歌は松尾芭蕉が詠んだものではないらしい。松尾芭蕉は雄島を訪れた際、その景色のあまりの素晴らしさに何も言葉を残すことができなかったのだとか。


「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」


 という歌は芭蕉に同行していた曽良そらという弟子が詠んだものだといわれている。しかし、まぁ。ほととぎすからしたら大きなお世話だといいたくなるような歌である。

 そんなことを考えながら電車に揺られること、仙台駅から約40分。私は松島海岸駅に降り立った。

 駅を出て正面にある交番の横をすり抜けて真っすぐ歩いていくと、左手に広がる森へと続く側道がある。その側道を歩いてゆくと松島屈指の景勝地である圧巻の石壁が現れた。そして霊界につながっているが如く荘厳な石壁の道をしばらく歩いていくと、赤い欄干の渡月橋とげつきょうが見えてきた。この渡月橋は別名「別れ橋」とも呼ばれているらしく、過去の悪縁を断ち切ってくれるという言い伝えがあるようだ。

 時刻は午後4時ということもあって、人の気配があまりしなかった。しかし、渡月橋の先に作業服のようなものを着た高齢の男性が立っているのが見えた。


「あらぁ、本当に来た」


 少しだけ訛りのある感じでそうつぶやいた男性は、私が姿を現したことに驚いていたようだった。


「あなたがKさん?って人の友達かい?」


「そうです・・・今日の夕方の4時にここに来るように言われていました」


「へぇ~俺はてっきりいたずらかなんかだと思って、ダメでもともとで来てみたんだけど。いやぁ、まさか本当に手紙の通りに会えるとはね」


 そう言いながら彼はポケットから例の茶封筒を取り出した。


「あ、俺は松島公園の管理事務で働いてるんだけど、昨日この手紙が来たんでよ~」


 Kは松島公園の管理事務所に手紙を出していたのだ。しかし、公園事務所の人が来てくれなければ、私のみちのくの旅もここで終わっていた。


「昨日この封筒が入った手紙が来て、最初はいたずらか何かだと思ったんだけども。私はそこに行けないから代わりに手渡してくれって丁寧な字でお願いされたもんだから来ない訳にもいかなかったべ・・・いやぁ、でも渡せて本当に良かったよ~」


 先ほどの陸奥国分寺の坊主に加えてこの男性の様子からKは他人を巻き込んで壮大なことをしているようだった。これは、もしこの旅が終わってKに出会った時にはお叱りが必要かもしれない。とりあえず、私はその茶封筒の封を切ってみた。すると例のごとく、そこには便箋が一枚入っていた。


「すめらぎの 御代栄みよさかえむと あづまなる みちのくの山に こがね花咲く」

 明朝午前7時 鹿島御児(かしまみこ)の鳥居にて会いましょう。


「すめらぎの」で始まるこの和歌は大伴家持(おおとものやかもち)が詠んだ歌だ。芭蕉が石巻(いしのまき)の日和山公園を訪れた際にこの歌を引用したと言われている。この歌は宮城県は涌谷わくや町にある黄金山神社(こがねやまじんじゃ)付近のことを詠んだ歌であるとされているが、芭蕉は牡鹿半島(おじかはんとう)の南東沖に浮かぶ金華島(きんかとう)に重ねて大伴の和歌を引用したらしい。

 しかし、残念なことに金華島は牡鹿半島に遮られ日和山からは見えない。芭蕉が日和山から見たのは、牡鹿半島の南西に浮かぶ田代島と網地(あじ)島だったのだ。ちょっと何から何まで外れているのはご愛嬌と言ったところだろう。


「日和山か・・・」


 何はともあれ、次の目的地は石巻市の日和山公園で間違いないはずだ。私は手紙をたたむと封筒の中に戻した。


「わざわざ、ありがとうございました。これで次の目的地が分かりました」


「気にしないでいいよ。それはそうとあなた、おくのほそ道の旅をしてるのかい?いやぁ~若いのに粋だねぇ」


 男性はそう言うとあっはっはと笑ってみせた。


「本当にありがとうございました」


「おう!気つけてな!」


 私はそう言ってお辞儀をすると雄島を後にした。すぐに石巻に向かおうかとも思ったのだが、約束は明日の早朝だ。別に急ぐ必要もないと思い直し、もう少し松島を観光していくことにした。

 とりあえず、雄島から見て東側にある福浦ふくうら島という所に行くことにした。ここにかかる福浦橋という橋は、先ほどの渡月橋とは逆に「出会い橋」と呼ばれているらしい。

 福浦島は結構大きく、島を一回りするのに一時間ほどかかった。中でも見晴台からの松島の景色は絶景そのものだった。島の南側には弁天堂というお堂があり、ここにカップルで来ると弁天様が嫉妬して、カップルを破局させるという言い伝えがある。出会いだと言ったり、縁切りだと言ったり、全く松島は忙しい場所である。

 そうこうしているうちに辺りはだんだん暗くなってきたので、そろそろ石巻へと向かうことにした。松島海岸駅から石巻駅までは50分ほどの電車旅だった。とりあえず今日の宿泊先を確保するために、駅から程近くのビジネスホテルに向かった。

 私はフロントで手早くチェックインの手続きを済ませると、部屋に入るなりベッドに倒れこんだ。普段ろくに運動もしないのに色々と見て回ったのだ。足がパンパンだった。

 しかし、今朝自殺しようとしていた私が、一人でみちのくを旅をして石巻まで来てしまったというのは何とも滑稽な話であった。

 私は今までKに散々振り回されている。明日こそ、Kに会って文句の一つでも言ってやりたいと思った。

 気がつくと私は深い深い眠りに落ちていた。

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