5 : 愛称
目を覚まして、ぼーとサイドテーブルを見た。
テーブルライトの明かりを付けたまま寝たはずだが消えていた。父が夜中に消したのだろうか。
「…?なにこれ」
ふと、見慣れない物がそこにあることに気づいた。手に取れば、幼い私の両手に収まる白い紙箱。赤いリボンがそれを彩らせる。
枕元にプレゼントなんて、まるでサンタクロースだ。でもこの世界にサンタやクリスマスなんて文化はない。ましてや今は冬を過ぎて、温かな春だ。
こんなことを私の父はしない。となると、ハイライルさんだ。テーブルライトの明かりもかな?
しかし、プレゼントなら、美味しい肉料理を昨晩貰ったら。
…ではこれはいったい。
(………水やり行かないと…)
あまり頭の回らない寝起き。イレギュラーに対処するには時間がない。箱は元の場所に置いて、身支度を整えた。
お手伝いが終わったらハイレイルさんに聞こうと思いながら、私は水やりに植物園に向かった。
父と水やりを終えて、家に戻るといい匂いがした。
「わ!いい匂い」
「おはよう。朝からご苦労さん。腹が減って勝手に朝食作った。すまんな。どうぞ」
「おはようごさいます!いえいえ、ありがとうございます!!」
ハイレイルさんはそう言いながら食卓に朝食を並べる。
一仕事終えて空腹の私にそれは堪らなく、彼が聖母に見えた。
「おはよう。ありがとう、ハイレイル。助かるよ昨日の今日で、またあなたの手料理を食べられるなんて」
「勝手にした事だ、感謝なんて。それに料理は好きだ。気にしないでくれ。」
父とハイレイルさんを横目に、私は一目散に手洗いうがいをし、上着を脱いで、椅子にる座った。
父の着席はまだかと、顔を伺うと微笑まれる。
「ルカ、先に食べてなさい。私は少し汗をかいてね、水浴びしてくるよ。ハイレイルもすまない。少ししたら戻るよ」
そう言って、父はその場を後にした。
ハイレイルさんは父を見送って、私の向かいに座った。
その場に二人きりになる。
(…ご飯食べていいかな?)
目の前にご飯を置かれて、待てを受けているようないペットの気分を味わう。空腹状態にこのいい匂いは罪だ。
…だが、食事に手を付けず、じっと見つめてくるハイレイルさんが気になる。さすがに作った本人が目の前に座っているのに、先に食べ出すのは私でも憚られる。
(な、なんだこの沈黙、視線…。食べていいのか??お、お腹すいた!)
ぐー
空腹は音になって、室内に響き渡った。
「ふっ…はははは!」
ハイレイルさんが吹き出すよう笑った。私の顔面は見る見るうちに熱を帯び出す。「だって」「あの、その…」と声に出すが恥ずかしさで言葉の続きが出てこない。
(だって、お腹すいてたんだもん!)
涙目になりながら、目線で彼に訴えかける。彼は今も笑いっぱなしだ。
「くっ、ふふ…いや、悪い。そう睨むな。かわいい顔が台無しだ。」
(だったら笑うんじゃない!おだてたって、許さない!)
「悪い、いや本当にすまない。腹も空くよな、朝から仕事したら、そりゃ…。ああそうだな。意地が悪かった。食べよう。」
そう言ってハイレイルさんは食べ始めた。
私も無言で、おずおずと目の前のフォークを持ってサラダに手を伸ばした。
うちのサラダはいつも塩だけなのだが、今日はドレッシングがかかっている。野菜の美味しさが引き立つ。うちにドレッシングは置いていない。調味料で、彼が作ったのだろう。さすが料理上手。
「…でも君も君で、意地が悪いと思うのだが」
黙々と食べていたら、ふとハイレイルさんがそんなことを言う。
「…意地が悪い??え、私なにかハイレイルさんに嫌な事しましたか…?」
まさか、無言で食事しているからか?始めは恥ずかしかっただけだが、今はただ朝食が美味しくて黙々を食べてしまっただけ。別に嫌われたいわけではない。
そわそわと彼の顔色を伺う。
「…ほら、今だって。」
「…今?…???ちゃ、ちゃんと言って下さい!ハイレイルさんが嫌がる事、私がしているのなら、できる限り直します」
「本当か?」
「はい!」
少し表情が明るくなった。
「…ハルさん…昔みたいにハルさんと呼んでくれないか?」
(何を言っているんだこのおっさん。)
手に持っていたパンが皿に落ちる。
目の前のおっさんは乙女のように恥じらったご様子。イケオジでもなかなかに、厳しい絵面だ。
「わ、私はもう、ハイレイルさんって言えるようになったので、その愛称はもう卒業しようかと」
今より幼い頃から、薬や植物を買いにくる彼とは交流があった。もちろん、捨て子だった私を見つけてくれた、命の恩人でもあるから、その存在は昔から大きい。
そんな彼の名前を、幼い私はうまく言えなかったそうだ。
ハイレイル。呂律が回らず、いつからか私は彼を『ハルさん』と呼んでいた。
つい3カ月前まで。つまり前に彼が来た時は、普通に『ハルさん』と呼んでいた。
「なぜだ?愛称に卒業なんていらないだろう」
「うっ」
ど正論にぐうの音も出ない。
だがしかし、こちらにも正当な理由はある。
「『ハル』って女性によく付けられる名前だと聞きました。…それをハイレイルさんに使うのは、なんだかこう…」
これを約3カ月前に知った。この世界で、『ハル』は女性によく付けられる名前だ。前世でも比較的そうだったが、それの比じゃないと思う。『ハル』という名を出すと「どんな女性のだい?」と100%の確率で聞かれる。
なんでも、ハルと呼ばれる綺麗な赤い花がありそれが、冬が明ける頃咲き出す。その花になぞらえて、『新しい女性』『美しく咲き誇る人』的な意味でその名が付けられる。また守護神・ハルバティアの『ハル』にあやかってその守護を受けるとかなんとか。宗教にまつわる本に書かれていたのだ。
屈強なイケオジを女性的な名前で呼ぶのは私がきつかった。
「そんなこと、些細な事だ、お前に『ハル』と呼ばれるのが嬉しかった。俺は」
切なそうな顔が良心に刺さる。嬉しいも、悲しいも全部顔に出る彼は、見た目の割に純粋で分かりやすい人なのだ。
どうしようかと考えあぐねていた時、父は戻って来た。
何も知らない父は、「遅れてすまない。ああ美味しそうだ!」と私の隣に座った。
私とハイレイルさんは微妙な空気のまま、父に悟られぬよう普通に過ごした。