プロローグ 死の間際
信号が青に変わる。
歩き出した瞬間、私は宙に舞う。気付いた時には、再び身体は地に落ちていた。叫び声か、呼び声か、曇ったノイズと耳鳴りが反響する。視界もうまく焦点が合わない。身体は全く動こうとしない。
だが不思議なことに、痛みはあまりない。
私はなんとなく悟る。私は死ぬのだと。
焦点は合わなくても、空の青さはよくわかる。綺麗だと思った。
朝の澄んだ青。
(今日の朝練の準備、あいつ一人にさせてしまうな。申し訳ない。)
死ぬ間際なのに、そんな心配をしてしまう自分に笑ってしまう。
部活の仲間を筆頭にどんどん両親、兄弟、友達、親戚、近所の人、学校の先生、…いろんな人との思い出が蘇る。走馬灯というやつだろう。そう思うと、視界が余計に歪む。最後の空も見納めのようだ。
私は引きづられるような睡魔に目を閉じる。
(ああ、いよいよ、私は…)
「なんで、こんな所に人の子がいるんだ」
すっとよく通る男の声が、耳に入る。その声で再び意識が浮上した。
相変わらず耳の調子は悪いが、先程のノイズのように複数人の声が入り混じって聞こえていたのはなくなった。今は男の心地のいい声だけが聞こえる。
どんな人だろうか。私は重たい瞼をゆっくり開ける。
(うっわ…眩しい)
先程とは違って、光が強く目に刺さる。目を怪我したのだろうか。ではなぜ今頃。…死に際に考えても意味はないか。私は目の前の人を見たいのだ。散乱する焦点を凝らしてみる。
(赤色だ…!)
そこには光が美しく通る赤色が揺らいでいた。
あれは髪の毛なのか、触れてみたい。
私は動かないはずの手をゆっくり上げていた。
だが、男は遠い。
ふと浮遊感を覚える。男が私を抱いたようで、赤色がそこにあった。
触れるとそれは柔らかくふわふわとしていた。
「…俺の髪が好きか?……そうか」
私は髪から、その声で男の顔面に目線を移した。距離が近くなってよく見える。
褐色肌に、長くうねった赤い髪、そして、光を集めたような透き通る黄色目。
相変わらず焦点は散乱するが、その目の美しさは、やたらとよく見えた。
外国人なのだろうか。だが言葉は聞きとれる。
「大丈夫だ。お前は必ず幸せになる。この国に、この山に生まれたのだから」
男は、ぎゅっと私を抱き込んだ。太陽に干した布団のような暖かい匂いがする。
「ルカ。そう、ルカ。お前は必ず幸せになる。このハルバティアの名に懸けて誓おう」
(あなたは誰?なんで私の名前を…)
その問いが声にならないまま、私は再び目を閉じた。