貸し切りの喫茶店
凛子さんは友達が多い。
クラス委員だし面倒見がいいし、休み時間となれば、彼女の席はいつも誰かしらが遊びに来ている。
その大勢の友人の中でも、最近いつも凛子さんと一緒の女の子がいる。
その子は元々凛子さんと仲が良かった女の子なんだけど、席替えですぐ近くの席になったことで、より親密になったみたいだね。
そして、今日の僕はその友人の実家にお邪魔しに来ていた。
二日連続での放課後の寄り道になるけど、今回は遊びに来たわけじゃなく、お手伝いに来たんだ。
彼女の実家は喫茶店。
僕はお店の休業日である今日に、店内のお掃除を頼まれたわけなんだね。
「ダーリンってば、あんまりマジマジと見ないでよ。ちょっと古くさい店なんだからさ」
僕が彼女のその実家を見上げていると、彼女本人が恥ずかしそうに声をかけてくる。
たしかにお店の外見は少し時代を感じさせるデザインで、看板に書かれてある名前はCafe Holly。
「愛の家は昔ながらの喫茶店だからね。中は改装して綺麗になってるけど、メニューとか見るとカフェじゃなくて喫茶店だってわかると思うわ」
「ダーリン、ウチのメニューじゃナポリタンが人気よ。私はケチャップの味が強すぎてあんまり好きじゃないけど」
Hollyとは柊のことだ。そして、柊とは彼女の名字。
自分の家の看板メニューに否定的な意見を言う彼女こそ、僕をダーリンと呼ぶ凛子さんの友人、柊愛さんその人だ。
「……僕は思ったんだけど、その愛さんの発言って、お客さんに勧めるときの鉄板ネタだったりする?」
「うわ、天才キャラの相手やり辛ッ。あっさり裏側見抜かれちゃってるし」
「ご、ごめん」
凛子さんと愛さんはそのちょっと古くさいお店を素通りして、横の小道へと入っていく。
するとそこには、小さな従業員用の裏口があった。
「ささ、気楽に入っちゃって。今日は誰もいないし」
「お、お邪魔します」
僕はこういうアルバイトの経験がない。
裏口から店に中に入るのは非日常的で、とてもドキドキした。
「お邪魔しまーす」
しかし、凛子さんは勝手知ったる顔だ。
それもそのはず、彼女はこの夏、ここでウェイトレスとして働いていたみたい。
「適当に座ってていいよ。どうせ後で掃除するんだし」
店内は凛子さんの言っていた通り、とても綺麗で落ち着いた雰囲気になっていた。
愛さんは何やら奥に入っていったので、僕は凛子さんと二人っきりになってしまう。
「ええと、じゃあカウンター席に座っていようか?」
僕がそう言うと、凛子さんは無言で僕の手をガシッと掴む。
「り、凛子さん?」
凛子さんは戸惑う僕を引っ張っていくと、テーブル席に僕を押し込めた。
そして彼女は対面に座ると、テーブルに身を乗り出すようにしてニコリと微笑んだ。
「か、カウンターじゃダメだったのかな?」
「BARとかならわかるけど、こういうところじゃイヤ」
「そ、そうなんだ? でもどの道、僕たちはお客として来たわけじゃないような……」
「何よ、あなたは私とこういう風に座るのはイヤなの?」
目の前で微笑んでいた凛子さんから、黒いオーラが発せられる。
僕は脊髄反射のように、間を置かずに彼女に返事をした。
「と、とんでもない。僕は凛子さんと一緒に居られたらそれだけで満足だよ」
「あら、そこまで言ってくれるのね。ありがとう、空」
途端に、キラキラとした明るい効果音でも聞こえてきそうなくらいに瞬時に微笑む凛子さん。
ひかりちゃんもそうだけど、どうして女の子ってこんなに一瞬で機嫌が変わるんだろう。
「はい、ちょっとごめんなさいね。おじゃま虫が戻りましたよ」
そこに愛さんが帰ってくる。
彼女は凛子さんを奥に押しやると、同じく僕の前へと座り込んだ。
不満そうな顔を愛さんに向ける凛子さん。
だけど僕が気になったのは、彼女が持ってきた荷物だった。
これは、調理師とかが着る白い上着だろうか。
「ねえダーリン、これからお掃除するわけだけどさ」
「あ、うん。もしかして、この服を着て掃除すればいいの?」
「惜しい。でもその前に、掃除をしたら対価をもらいたいよね?」
「え、対価って謝礼のこと? そんなの要らないよ。ただのモップ掛けって聞いてるし、それくらいなら日頃のお礼ってことで僕は――」
「もらいたいよね?」
「は、はい。いただきたいです」
よくわからないけど愛さんに念押しされたので、僕は素直に同意した。
すると愛さんは、しめしめと言わんばかりにニヤリと笑う。
「じゃあ、先払いするよ」
「え?」
「お掃除した後にさ、食事とか作るのイヤでしょ?」
「あー、うん。僕は清潔にしたら気にならないけど」
「イヤでしょ?」
「は、はい。嫌です」
有無を言わさず意見を誘導されていく僕。
これ、もう最初から結論を言ってくれたら良いんじゃないかな?
「というわけで、現物支給で悪いけど、掃除の報酬はまかないです。この家にある材料好きに使ってもらっても構いません」
「…………」
「ちょ、ちょっと、愛……」
僕は沈黙し、凛子さんはたしなめるような声を出す。
要するに、愛さんは僕に何か食べられるものを作れと言っているみたいだった。
僕は小さく息を吐くと、目の前の白い上着を手に取る。
「使ったものは、メモしておけばいいの?」
「わお、ダーリンってば話が早い! 愛してるわ!」
僕の発言は、彼女の望む答えだったようだ。
愛さんは飛び上がらんばかりに喜ぶ。
「ダーリン、メモは要らないわよ。私がカウンター席で見てるから。あかりんも一緒に見るよね?」
「し、仕方ないわね。お店の品を使うわけだし、メモは大切だからね」
僕が立ち上がり上着を着替えていると、女の子二人も立ち上がる。
掃除をするはずが、変な展開になり始めていた。
本当は知らない厨房を使うのは気が引けるけど、愛さんも最近僕にいつも話しかけてくれてるし、お礼をしておきたいという気持ちも強かった。
僕は心の中で「お邪魔します。なるべく綺麗に使います」とお辞儀をして、厨房に入っていく。
そんな僕の後ろで、凛子さんがなにやらつぶやく。
「ところで愛。あなたどさくさに紛れて、私の空に愛してるって言わなかった?」
◇
何でも使っていいと言われていたけど、僕は賞味期限が近付いているものばかりでおやつと軽食を作った。
コーヒーだけは普通に淹れさせてもらったけど、愛さんはこれでも十分安上がりだと言ってくれた。
「え、ダーリンって美代子ちゃんにそこまで気に入られちゃったの?」
「ああ、うん。お兄ちゃんに憧れでもあったのかな?」
「おませな子だとは思ってたけど、いやはやまあ……」
「素敵な女の子に成長しそうだよね。僕なんかと釣り合わないくらいの」
テーブルに色々なスイーツや飲み物を並べ、僕たち三人はお喋りを始める。
愛さんは凛子さんの友人らしく、凛子さんの妹のことも知ってたみたい。
「……あかりん、あんたのダーリンって危機感なさすぎじゃない?」
「まるで相手にしてないっていうことでもあるから、あまり気にしないことにしてるわ」
「なるほど」
時折内緒話をしているところも、なんだか微笑ましく思えた。
知らない人に目の前で内緒話をされちゃうと心配になるけど、凛子さんと愛さんなら僕の悪口を言っているわけじゃなさそうだし、気にならないんだよね。
「そういえばダーリンって、今回のテスト一夜漬けしたんでしょ?」
「うん。事情があってね」
「でも、たった一回の一夜漬けで、とうとうあの人を追い抜いちゃったのよね?」
「厳密に言えば二回あったんだ。最初は知人の付き添いで一夜漬けしたんだけど、それを聞いた妹のひかりちゃんが、自分も僕と勉強するって言い出しちゃってね……」
「それで妹さんと二回目の一夜漬けをしたってこと? 相変わらずのお兄ちゃんっ子なのねー」
愛さんはひかりちゃんと会ったことがないけど、お互いに存在は知っている。
僕の家の事情を知っているのは、僕のクラスに三人いるんだよね。
凛子さんと愛さんと、その二人の仲の良い友人の女の子。
ちなみにその彼女がこの場にいないのは、ハブられたわけじゃなくて彼女が部活動をやってるから。
「で、ダーリンってばその二人との一夜漬けで、とうとうあの一位の人を追い抜いちゃったのよね」
「申し訳ない気持ちでいっぱいだけどね。だって向こうの人は絶対に堅実に勉強してたと思うのに、僕は不意打ちみたいに一時的にブーストしただけだからね」
「……これを本心から言っているところが、ダーリンのすごいところよね」
「え、そうかな? 本当に本心なんだけどね」
愛さんに返事を返しながら、でも僕はそこで、ふと今の状況を顧みてみる。
放課後に喫茶店で(休業中だけど)制服姿の女の子たちを会話している僕。
もしかしたら僕は今、青春の一ページとして素晴らしい経験を積んでいるのかもしれない。
いつの間にか愛さんとも普通に喋れるようになってきてるし、ダーリン呼びにも慣れてしまったし。
「……え? なんでダーリン、急に菩薩像みたいに悟ったような顔になってるの?」
「あ、い、いや、よく考えたら僕、ダーリンって呼ばれてるのに慣れてしまったなって思っちゃって」
「あれ、これ私にもフラグ立った――ふぐッ」
「はい、どいたどいた! ねえ空、あなたの作るパフェはどうしてこんなに美味しいの? 私も夏の間にアルバイトで結構作ってきたんだけど、あなたの作るパフェのほうが断然美味しいのよね。どうして?」
凛子さんが愛さんを押し退け、僕の正面に来る。
なんだかよくわからないけど、僕はそんな彼女たちを見て、思わず顔が綻んでしまった。
「ダーリンってば、また私たちを見て仏さまみたいな顔になってるわよ?」
「空はひかりたちを見るときも、時々あんな顔になるのよね。――ねえ空! パフェの違いを教えてってば!」
「あ、ああごめんごめん。たぶんクリームの泡立て方で違いが出てると思うよ」
僕は彼女たちとお喋りしながら、こっそりと心の中でありがとうを言った。
少し前から凛子さんには色々と連れ出されてばかりだけど、僕一人なら出来ない経験をさせてくれて、本当にありがたいと思った。
今は愛さんにも仲良くしてもらっているしね。
「うーん、やっぱり機械でガーッて泡立てるのはダメかぁ」
「機械も悪くないと思うよ。温度とか空気とか、他に重要なところがあると思う」
「料理って知識が重要なのね。――はい、どうぞ」
会話の途中で、凛子さんが前触れなくパフェ用のスプーンを僕の方へと突き出してくる。
「これは、何?」
「ちょっと自分のパフェを味見してみてよ。それでどういうところが上手に出来てるとか感想を言ってちょうだい」
「えーっと、じゃあこっちのスプーンで」
「ダメ」
「ダメって……、そんなひかりちゃんみたいな……」
僕はめちゃくちゃ恥ずかしかったけど、観念して凛子さんが差し出したスプーンを咥える。
すると不思議なことに、目の前の女の子二人のほうが僕よりも顔が真っ赤になってしまった。
「……ダーリンって、結構大胆なのね……」
「私ももうちょっと躊躇うかなって思ってたんだけど……、まさかこんなにあっさり食べてくれるなんて……」
頑張って食べたのに、そんなことを言われてしまった。
僕はなんと答えたらいいのかわからず、無言でコーヒーを飲む。
味なんて、さっぱりわからなかった。
そこで凛子さんはフッと笑うと、つぶやくように言う。
「やっぱり妹さんの影響かしらね。高校入学したての空とは別人のようだわ」
愛さんも曖昧な微笑を浮かべ、それに同意している感じだった。
でも、そこで僕は彼女たちに言う。
「僕に影響を与えてくれたのは、間違いなく凛子さんもそうだよ。僕は凛子さんが隣に居なかったら、今のような学校生活は絶対に送れていなかったよ」
それは、僕の心からの気持ちだった。
だけどそれを聞いた女の子たちは、またしても不思議なことに、目を丸くして頬を真っ赤に染め上げる。
「……これもダーリンの本心なのよね?」
「…………」
「……ダメだ。心撃ち抜かれちゃってる」
その後は妙に凛子さんたちが口数少なくなり、結局早めに掃除に取り掛かることになったんだよね。




