カステラとVRFPS
五辻玖音さんと知り合ってから、初めて迎える週末。
ひかりちゃんの誘いで、玖音さんは改めて僕の家にやってきていた。
人見知りをする玖音さん、学校ではまだ恥ずかしくてほとんど会話出来ていないみたい。
それならば、まずは自宅で練習を兼ねてお話しようという趣旨で誘ったようだった。
当日僕は早々に部屋に逃げ帰るつもりだったんだけど、玖音さんが手土産として高級カステラを持ってきてくれていた。
しかも焼き立てを買ってきましたと言われてしまうと、僕だけ食べずに部屋に戻るわけにはいかなくなっちゃった。
「そういえばお兄ちゃんに聞いたんだけど、漢字の書き取りなんてもう何年もやってないんだって」
「昨日出た課題のことですか? たしかに今では文字を自分で書く機会は少なくなりましたし、そんな課題が出ること自体珍しいことかもしれませんね」
女の子二人に混ざって、僕も静かにカステラを食べる。
そのカステラは今まで食べたカステラの中で一番美味しかった。卵の風味が段違いだった。
「くおんちゃんはもう終わらせたの?」
「はい」
「とっても綺麗な字で書いてそう」
「あ、ありがとうございます」
「ひかりもね~、意外って言われるけど字は綺麗なんだよ?」
「え? 意外だとは思いませんよ。ひかりさんも所作はしっかりとしていますし」
「わぁ~、くおんちゃんもそう言ってくれるの? 嬉しい!」
「きゃ、く、くすぐったいですよ」
女の子ってどうしてこんなに会話が続いていくのかな。
僕は毎晩夕食時にひかりちゃんの発言を聞くだけで精一杯なのに。
「ひかりさんも終わらせたんですか?」
「ううん、半分くらい。残りは今日明日で終わらせようかなって」
「……週末も、お兄さんと一緒に勉強してるんですか?」
「うんうん」
そして、どうして当たり前のように、玖音さんに僕とひかりちゃんの勉強話がバレちゃってるのかな?
カステラに夢中になってるふりをしてなかったら、顔が真っ赤になってるところだったよ。
「勉強が終わったらゲームしたりしてるんだけど、最近はね~、タマが育ってきたから、ひかり一人でも色々なところに行けるようになったんだよ~」
「エンシェントドラゴンのタマちゃんですか。全属性のブレスを使えるのが強いですよね」
「くおんちゃんのドラゴンちゃんはどうなってるの?」
「しっかり育ててますよ。ただまだ成体になってないですけど」
学校でスマホでこっそりとゲームを起動して、ドラゴンに餌を上げていたほどのくおんさん。
それほどの熱意があったのに、どうしてまだ成体じゃないのか。
ひかりちゃんはそれを疑問に思ったらしい。
「あれ? どうしてまだドラゴンちゃんを大人にしてないの?」
「あのときはどうしても見たくなって学校で起動させていましたけど、育てるのは出来るだけじっくりと時間をかけて育てようと思い直しまして。美味しいものをゆっくりと味わう感じでしょうか?」
その言葉を聞いたひかりちゃんは「ほへ~……」とよくわからない反応を見せていたけど、僕には玖音さんの気持ちがよく分かる。
せっかく追加されたゲームのコンテンツ。あっという間に消化したらなんだか勿体ないよね。
でも玖音さん、ひかりちゃんの表情を見て、慌てて言葉を続けた。
「ほ、他にも遊んでいるゲームがあるので」
「あ、そっか~。色々やってるんだね~」
「ひかりさんは、他には何かやってないんですか?」
「やってないよ~。ひかりの人生でやったことあるゲームって、あれだけなんだ~」
その言葉に驚く玖音さん。
そして彼女は、その後チラリと僕の方を窺い見た。
玖音さんの視線に、まったく気が付かないふりをしてお茶を飲む僕。
けど玖音さんがここで僕に視線を向けてくるのは正しい。ひかりちゃんがゲームを始めた理由は僕にあるんだから。
玖音さんは何かを察したようで、それ以上この話題に触れるのを止めたようだ。
しかし僕の妹ひかりちゃんは、そこで玖音さんの視線に気が付いたみたい。
僕と玖音さんが触れないでおこうとした話題に、真っ向から突撃していった。
「うん。くおんちゃんのお察しの通り、お兄ちゃんがやってたから、ひかりも遊んでみようって思ったんだ~」
嬉しそうに、誇らしげに、ひかりちゃんは堂々といった。
あまりの堂々とした態度に、聞いていた僕と玖音さんの方が顔が赤くなってしまった。
「う?」
俯く僕と玖音さんを見て、ひかりちゃんは可愛らしく首を傾げる。
「そんなに恥ずかしいことかなぁ?」
僕と玖音さんの心情は、ひかりちゃんには理解できなかったみたい。
頬を赤く染めていた玖音さん、場の流れを変えるように勢い良く新しい話題を切り出した。
「お、お兄さんの部屋には他にも色々と専用コントローラーがあるじゃないですか。他のゲームも遊んでみないんですか?」
玖音さんの発言が意外だったようで、ひかりちゃんはお目々をまんまるに見開いて驚いていた。
僕は機を見て部屋に逃げ帰ろうと思ってたんだけど、どうやら今日も女子高生二人が僕の部屋に押しかけてくる流れみたい。
「あ、あの、すみません、飾ってあるコントローラーのことを勝手に話題に出しちゃって……」
僕の部屋に向かう途中、玖音さんがそんな風に耳打ちをしてきた。
「いえ、大丈夫ですよ。ただの飾りってわけじゃないので」
僕はすぐにそう答える。
ちなみにひかりちゃんは、僕の部屋に向かっているはずなのに何故か一番先頭を機嫌良く歩いていた。
「おじゃましまーす!」
そして、僕より先に入るマイシスター。
別にいいんだけどね。
「お、お邪魔します……」
僕の後ろをどこか怯えながら入ってくる玖音さん。
彼女にとっては二回目の僕の部屋だけど、また今回も緊張しているみたいだ。
「ひかり、いつも見てたけどわかんなかった。これ、全部ゲームのコントローラーなの?」
「ゲーム関係の機材ばかりだけど、全部がコントローラーってわけじゃないよ」
VR用のゴーグルとか、プレミアが付いている古い家庭用ゲーム機とか、コントローラーじゃないものもある。
そんな風に僕とひかりちゃんが話していると、玖音さんが興味深そうに陳列している棚に視線を送っていた。
「どうぞ、玖音さん。近くで見てください」
「あ、す、すみません。では失礼して……」
僕が言うと、玖音さんは意外なほどすばやく陳列棚へと近付いた。
この人、やっぱりゲームのこととなるとちょっと人が変わっちゃうかも。
「お兄ちゃん、せっかくだから、みんなと一緒に遊べるゲームとかないの~?」
ひかりちゃんに言われ、僕は内心困ってしまった。
なにせ、彼女と出会う前はいつもボッチで遊んでいた僕。
誰かと協力するゲームは持っていても、機材は一人分しかない。
でも、僕は苦肉の策を思い付いた。
ひかりちゃんと玖音さんに向かって話しかける。
「二人はゾンビとか平気ですか? もし遊ぶとしても、一人は型落ちの機材になってしまいますけど……」
隣にいたひかりちゃん、すぐに反応して両手を上げて僕に襲いかかる真似をする。
「ゾンビ? がおー?」
それだとなんだか猛獣みたいだよ、ひかりちゃん。
とはいえ彼女は平気そうだ。僕は玖音さんへと視線を向ける。
「や、やります……!」
玖音さんは真剣そうな目で僕を見つめてそう言った。
平気かどうかを聞いたのに「やります」と答えてくれるなんて、やっぱり彼女はゲーマーだね。
◇
僕の部屋は狭くはないけど、さすがに二人同時にVRゲームをするのはもっと広い場所がいい。
そんなわけで、僕はリビングでゲームの準備をしていた。ちなみにリビングは三十畳ほどある。
「すみません。大げさなことになってしまって」
「ちょっとテーブルとかを移動させるだけですよ。元々ディスプレイはこっちにもありますから。母がここで映画を見るのが好きなんです」
準備をしている僕に、ひたすら恐縮している玖音さん。
ひかりちゃんは空いた場所を粘着式クリーナーで掃除してくれていた。
ほどなく準備が完了する。
部屋の中央に専用マットを二つ敷いて、その上にそれぞれひかりちゃんと玖音さんに乗ってもらう。
「あれ? お兄ちゃんの分は?」
「残念ながら二つまでしかないんだ。けど、あっちのディスプレイにひかりちゃんたちのゲーム画面が映し出されるから大丈夫」
ボッチだった僕は、最新式と型落ちの二つしか用意できなかった。
するとひかりちゃん、手に持ったVRゴーグルを見ながら、こともなげに言う。
「当日配達できるかな。ひかり、自分の分買うよ?」
ひかりちゃんは浪費家ではないけれどお金持ちだから、時々ビックリするようなお金の使い方をする。
僕は慌てて止めようとしたけど、その前に玖音さんが話し始める。
「いえ、それならば私が自分の分を用意しましょう。普段使っているのがあるので、実家から手伝いの者に持ってきてもらいます。そっちの方が確実ですし、三十分もかかりませんよ」
こっちはこっちでナチュラルにお嬢様だった。
僕は今度こそ口を挟む。
「だ、大丈夫ですって。元々二人で遊んでもらうつもりだったんです。ひかりちゃんは初めて遊ぶので、僕がつきっきりで説明しないとわからないと思いますので」
「なるほど。そういうことだったのですね」
「わーい! お兄ちゃんがつきっきり~!」
どうやら納得してもらえたみたい。
でもつきっきりだとは言っても、銃タイプのコントローラーをあちこち向けて遊ぶゲームだから、危なくて近付いたらダメなんだけどね。
「玖音さんはVRゲームで遊んだことがあるんですよね?」
「は、はい。あります」
「このゲームは?」
「やったことないです。銃コントローラーすら持ったことがないので……」
あれ、ひょっとして玖音さん、親御さんに銃のゲームは遊んじゃダメとか言われてたりしないよね?
そんなゲームを僕が勧めちゃったりしてないよね? 大丈夫だよね?
「そ、それでは先に始めてもらってて構いませんよ。銃の試射とかしてみてはいかがですか?」
「わかりました。それではお言葉に甘えて……!」
ちなみにVRゴーグルなんだけど、僕がいつも使っているものをそのまま渡すのは忍びなかったので、ちゃんと滅菌消毒して綺麗にしておいた。
玖音さんは「何もそこまでしなくても」というような表情をしていたような気がするけど、まあ綺麗にしておくことに越したことはないよね。
「それじゃ、ひかりちゃんはこれね。被ったら自分にピッタリ合うように調節出来るから、試してみてね」
「はーい」
「ゲームを始めると現実世界での周囲は見えなくなるから、敷いているマットの上から出ないようにね。もし出そうになったら警告が出るから、従ってね」
「わかった~!」
ひかりちゃんがゴーグルをいじるのを見て、僕は玖音さんに話しかける。
「玖音さん、調子はいかがですか?」
「む、難しいです。なかなか上手く狙えません」
こういうゲームは、手に持っている銃と連動してゲーム内にちゃんと照準用の十字線が表示される。
十字線は自由にカスタマイズ可能だけど、慣れないうちは――。
「玖音さん、レーザーサイトを付けてみませんか? 銃のカスタマイズ画面から装備できるはずです」
レーザーサイトとは、銃の狙っている場所を細い光で指し示す装置だ。
わざわざ弾を撃ち出さなくても、どの辺りに着弾するのか光が教えてくれるというわけ。
「……装備してみました。早速試してみますね」
「どうぞ」
玖音さんのすばやい対応に少し感動してしまう。
ひかりちゃんに同じことを言ってみた場合、まず銃のカスタマイズ画面へ行く方法から質問されると思うんだよね。いや「レーザーサイトって何?」が先かも。
まあ、そんなひかりちゃんが嫌ってわけじゃなく、むしろ可愛いんだけど。
「お兄ちゃ~ん、これでいいー?」
そのひかりちゃんに呼ばれる。
どうやらゴーグルの準備が終わったみたいで、ちょっと誇らしげに僕を見ていた。
「確認するね。……うん、ちゃんと上手に固定されてる」
「えへへ~」
「じゃあゲームを起動するよ。玖音さんと同じ方向を向いた方がやりやすいと思うよ」
「はーい!」
別にひかりちゃんだけでもゲームは起動できるけど、僕が操作してゲームを起動させる。
二十世紀の頃から存在する、伝統あるゾンビゲーの始まりだ。
「玖音さん、お待たせしました。ひかりちゃんの準備が出来ましたので、合流しますね」
僕がそう声をかけると玖音さんはゲームを一時止めて、驚いた表情で振り返った。
「え、でもひかりさんはチュートリアルがまだですよね?」
初めて遊ぶゲームなのに、しかもゲーム初心者のひかりちゃんがチュートリアルを受けないことに驚いた玖音さん。
僕は落ち着いて返事をする。
「ひかりちゃんがチュートリアルを始めちゃうと、ものすごーく時間がかかってしまうので、今回はパスして玖音さんと遊ぶことにしましょう」
「あ、あはは……」
玖音さんは乾いた笑いを浮かべた。
しかし当のひかりちゃんは、結構ひどいことを言われているのに平然とニコニコしている。
「基本銃をゾンビに向けてトリガーを引くだけなので、ひかりちゃんでも大丈夫だと思います。一番厄介なキャラクターの移動は、今回はサポート機能を使いますので」
「なるほど。わかりました」
仮想世界を歩き回れると言っても、実際の体の動きをトレースして移動していると大変なことになる。
近年のVRゲームのキャラクター移動は、コントローラーももちろんだけど、他にも足や声など、手以外で行うことも多い。
玖音さんは足でキャラクターを操作するみたい。そしてひかりちゃんは玖音さんの後ろを自動でAIが追尾する形になる。
「お兄ちゃんお兄ちゃん、ひかりのコントローラーはくおんちゃんのコントローラーよりも弱そうだけど、だいじょうぶ?」
ひかりちゃんが小声で僕に聞いてくる。
玖音さんにはアサルトライフル型のコントローラーを渡してある。
でも僕は同じコントローラーを複数個持っているわけじゃないので、ひかりちゃんに渡したのはハンドガンの形をしたコントローラーだ。
彼女はそれが心配になったみたい。
「大丈夫。あくまでコントローラーの形だから、そのコントローラーを使っていてもマシンガンとかロケットランチャーだって撃てるよ」
「なんだ。なら安心だね~」
ひかりちゃんのキャラクターと玖音さんのキャラクターがゲーム上で合流して、いよいよゲームスタートだ。