最近の妹さんの朝事情
僕は朝が強いほうだ。
ネットゲームの一種、MMOにハマっていた時期は朝の人が居ない時間帯を狙って狩りに行ってたこともあるし、
毎朝自分の弁当を作ったりしているうちに早起きが平気になってきちゃった。
そして、ひかりちゃんは朝が弱いほうだ。
たまに寝ぼけながら洗顔している姿を見ることがある。
それでも僕の家に来た当初は気が張っていたからか、ちゃんと一人で起きてきていたんだけど、ここ数日はちょっとお寝坊さんになってきているんだよね。
「ひ、ひかりちゃん、そろそろ起きてこない……?」
彼女の部屋から薄っすらと起床時間を知らせるアラームが鳴り響いている。
僕の住んでいるマンションは防音がしっかりしてるから近所迷惑にはなっていないはずだけど、かといってこのまま放置してるわけにはいかない。
「昨日より遅い時間になっちゃうよ。朝ごはん食べようよ」
何度かノックを繰り返しても、反応なし。
僕は大きく長く息を吐くと、ゆっくりとドアのノブを回した。
「入るよー……?」
中を窺いながら静かに部屋に入る僕。ひかりちゃんを起こす意味では、静かにする必要はないんだけどね。
「……幸せそうに寝てる……」
ひかりちゃんは部屋の中央でぐっすりと眠っていた。
彼女の部屋にはベッドがない。毎日お布団を敷いて眠っている。
ベッドがない理由は、ひかりちゃんにとって僕の家が仮住まいだった頃の名残だ。
寮に引っ越すかもしれなかったひかりちゃん。だから二度手間になることを恐れてか、家具や小物はあまり持ってきてなかったんだよね。
もう寮の話は断ったみたいだから、これから家具を増やすのかな。
実家から持ってくるのか、あるいは買うのか。ひかりちゃんはお金持ちだから、買おうと思えばすぐに買えるはず。
「と、時間がないんだった。起こさないと……」
ひかりちゃんは普通に仰向けになって眠っていた。
彼女は寝相が悪いなんていうことはないみたい。ここ二、三日起こしに来てるけど、毎日ほぼ同じ位置で眠っている。
「ひかりちゃん、朝だよ。起きてよ」
彼女の布団の側に両膝をついて話しかける。
でも、まったく起きる気配がなかった。
「……たぬき寝入りとかしてないよね?」
僕がそう言ってもピクリとも反応しない。
彼女の性格上、こういう演技はできないと思うから、本当に寝てるみたいだ。
「うう……、ひかりちゃん、肩に触るよ……?」
ここ数日のパターンはこれだ。
ひかりちゃんは結局起きなくて、僕が体を揺り動かして起こすことになる。
「ひかりちゃん起きて、朝だよ。ご飯食べようよ」
さっきまでより小さめの声で、そして軽く彼女を揺らしてみる。
すると、本当にぐっすりと眠っていたはずのひかりちゃんが、ぼんやりと目を開けた。
「……おはよう、お兄ちゃん」
夢から覚めたばかりのような、トロンとした目で柔らかく微笑むひかりちゃん。
穏やかで幸せそうな微笑だった。なんだかグッと大人びて見えてドキッとした。
「お、おはよう。昨日は眠れなかったの?」
そんなひかりちゃんの笑顔を見ていると、顔が真っ赤になってしまった僕。
視線をそらしながら、寝坊の理由を聞いてみた。
「ううん……、そんなことない……」
まだ半分夢の中にいるのか、ひかりちゃんの返答はのんびりふわふわしている。
「じゃ、じゃあ起こしたからね? 僕は朝食を仕上げるから、起きて準備してリビングに来てね?」
逃げるように立ち上がろうとする僕。
そこへひかりちゃんが、布団の中から片手を出してきた。
「手、握って……」
ますますドキッとさせられるようなことを言ってくるひかりちゃん。
でも僕は「子どもっぽいことを言ってないでさっさと起きなさい」だなんて言えやしない。
「こ、これでいい?」
僕がひかりちゃんの手を取ると、すぐに彼女からしっかりと指を絡めてきた。
細くてしっとりとした彼女の指に、僕は手汗をかきそうで気が気じゃなかった。
「んんん~……」
ひかりちゃんは僕の手を握りながら、目をつぶって唸り声をあげ始める。
何事かと僕が見ていると、突如彼女はガバっと布団から上半身を起き上がらせた。
「よーし、起きた~!」
いつもの彼女の口調で、元気よく話すひかりちゃん。
僕は顔を赤らめながらも、苦笑した。
「おはようひかりちゃん。今日も良い天気だよ」
それを聞いたひかりちゃん、元気な笑顔ですぐに返事をした。
「ひかり、晴れの日も雨の日も曇りの日も好き!」
いつもポジティブなひかりちゃん。彼女のその性格は、天気ぐらいじゃ変えられないのかもしれない。
「うん、じゃあ顔を洗ってらっしゃい。その前に、いつものジュース作っておいたからね」
いつものジュースとは、石臼式のミキサーで作った野菜とフルーツのジュースのこと。
僕たち兄妹は起きてすぐに、そのジュースを飲んでいる。
「ありがと~!」
「だからもう手は離してね」
「ぶ~」
不満そうだったけど、ひかりちゃんはすぐに立ち上がり「いってきまーす」と言って僕より先に部屋を出て行っちゃった。
彼女の部屋に、一人取り残される僕。
「……お布団ぐらいは畳んであげるべきなのかな。いや、すぐに部屋から出よう……」
僕は軽く首を振ると、キッチンへと向かった。
◇
ひかりちゃんは朝の準備が長い。
それは彼女が朝から洗顔してスキンケアしてと、色々やってるからなんだよね。
「お兄ちゃ~ん、今日のパンなぁに~? すごくいい匂いがする~!」
朝食の準備をしていると、姿は見えないけどひかりちゃんの声が聞こえてくる。
彼女が聞いてきているのは、市販のパンじゃなくて僕の家の自家製パンのことだ。
「メープル入れてみたんだー。今日はパンが甘いからサラダとお砂糖なしのミルクティでいいかなー? ヨーグルト付けるー?」
実はヨーグルトも自家製だったりする。
だから最初はひかりちゃんに食べてもらうのは止めたほうがいいかなと思ってたんだけど、今じゃすっかりひかりちゃんのお気に入りの一つになっている。
「メニューはそれでお願い~! ヨーグルトはパン見て決める~!」
「りょうかーい」
ひかりちゃんが欲しいと言ったらすぐに食べられるように、ヨーグルトも準備を始める。
彼女が要らなければ後で僕が食べればいいしね。
「お兄ちゃ~ん、もしかしてもう食べられるの~?」
再びひかりちゃんの声。
僕はテーブルを見回して、現状を答えた。
「うんー。だいたい出来てるよー」
「わわわ、急がないと。あーん、今日は寝すぎちゃった。お兄ちゃんの焼き立てパンが食べられなくなる~。でも、お兄ちゃんに起こしてもらうのも捨てがたいし。ひかりはどっちを選べばいいのー!?」
返答に困るセリフが聞こえてきた。
というかひかりちゃん、あなたは僕に起こしてもらいたいがために、最近寝坊しているの?
「いっただっきまーす!」
今日も食卓にひかりちゃんの元気な声が響く。
彼女が来てくれて、僕も一日の始まりが楽しく思えるようになってきたんだよね。
「もうさっきからこの匂いがひかりを苦しめてたよ~。いつもと違う匂いがすると思ってたんだけど、メープルシロップの香りだったんだね~」
そう言いながらパンを一口かじり、表情をほころばせるひかりちゃん。
「甘くてサクサクしてて、それに中はふわっふわだ~!」
ひかりちゃんの笑顔を見て、僕も一口かじる。
実はこのアレンジは初めて試してみたんだけど、存外に上手く出来ていた。
「もうちょっと冒険して、ナッツとか入れても良かったかもね」
「わー、それも美味しいそう……。でも、このパンもすごく美味しいよ。メープルってバターの香りに負けないんだね~」
メープルシロップはちゃんとサトウカエデから作った色の濃いものを使っている。
実は人工香料の方がメープル風味を手っ取り早く出せるんだけど、本物は口に入れてからが違う。
「お兄ちゃんって、ホント料理上手だよね~。ひかりと同い年なのに、すごいねお兄ちゃん」
その言葉に、僕は軽く首を振って答えた。
「前にも言ったけど、素材がいいんだよ。素材がいいから料理も美味しく仕上がるんだ。僕の料理は素材の味に助けられてる部分が大きいよ」
メープル、バター、小麦粉などなど。
今回のパンは、特に素材の味が仕上がりに直結してきている。
でもひかりちゃん、その発言を聞くと、食べ物を口に含んでいないのに頬を膨らませちゃった。
「もー、お兄ちゃんはいつもそうやって自分を小さく評価するー」
僕としては事実を言ったつもりだったけど、ちょっと自分を卑下しているようにもなっちゃったかな。
「ごめんなさい……」
しょんぼりと頭を下げる僕。
するとひかりちゃん、僕と目を合わせたまま、ニコッと笑って言ったんだ。
「でも、そういう慎み深いところもお兄ちゃんの良いところだよね。ひかり、知ってるよ」
真正面から言ってくるひかりちゃんに、僕は一発で顔が赤くなってしまった。
「あ、ありがとう……」
下を向きながら、僕はなんとかそう答える。
ひかりちゃんは笑顔のまま、話を続けていく。
「他にもお兄ちゃんの良いところはいっぱいあるよ。ひかり、お兄ちゃんと出会ってから、お兄ちゃんの良いところを探していくのが大好きになったんだ~」
ますます恥ずかしいことを言って、僕をノックアウトさせるひかりちゃん。
でも彼女は恥ずかしいとは思ってないみたい。再び食事に戻り「美味し」と言っていた。
そこで会話は途切れ、静かに食事だけが進んでいく。
僕は気恥ずかしくて部屋に逃げ帰りたいような気分でもあったけど、ひかりちゃんは会話が途切れても平気そうだ。
彼女がリラックスして沈黙も楽しんでいるようだから、僕も居心地の悪さは感じなかった。
「あ、ひかりちゃん、パンのおかわりあるよ」
「えっ!? ……朝だから、ちょっと多めに食べてもいいよね?」
「ど、どうなのかな……?」
実はひかりちゃん、最近こっそり不思議な体操を日課に追加したのを、僕は知っている。
でも彼女、全然太っているようには見えないんだけどね。
◇
「それじゃ、僕はそろそろ出るから」
僕とひかりちゃんは、通っている学校が違う。
そして始業時間は同じくらいだけど、学校までの距離の関係上、僕の方が家から早く出ることになる。
「はーい」
理解されにくいことかもしれないけど、ひかりちゃんは朝が弱いながらも、それでも時間に余裕を持って起きてきている。
彼女いわく、朝はしっかりと時間をかけて準備したいらしい。
そんなわけで、朝食後のひかりちゃんは比較的のんびりしている。
年代物の白と黒のセーラー服に着替えて(さすが伝統ある女学院の制服だ)、毎朝僕を見送ってくれるんだ。
「いってらっしゃーい。また放課後にね~」
わざわざ玄関まで来て、僕の側に立つひかりちゃん。
と、その時僕は、自分のカバンがいつもより重いかなと思った。
「うわ、危ないところだった」
滅多にないミスをしてしまっていた。
いつもならリビングに置いておくものを、今日は間違えて自分のカバンに入れてしまっていた。
「ごめんひかりちゃん、間違えて二人分持っていくところだったよ」
僕は鞄から四角い可愛らしい包みの物を取り出してきた。
「はい、お弁当。ギリギリ気付けてよかった。ごめんね、いつも楽しみだって言ってくれてるのに」
ひかりちゃんは驚いて目をパチパチと瞬いていたけど、すぐに笑ってお弁当を受け取った。
そして大事そうに、傾けないようにして胸に抱きしめる。
「ひかり、お兄ちゃんのお弁当は毎日楽しみだけど、なくてもお兄ちゃんを絶対に責めないよ」
僕は乾いた笑いを浮かべて、ひかりちゃんに返事をする。
「もしそんなことをしたら、僕の方が罪悪感で潰れちゃいそうだよ。と、それじゃ、いってきます」
なんとなく気恥ずかしくなって、僕はひかりちゃんに背を向けて靴を履き始める。
そんな僕に、ひかりちゃんが後ろから話しかけてきた。
「お兄ちゃんの良いところ、今日二つ目だね。やっぱりひかりのお兄ちゃんは、良いところをたくさん持ってる人だね」
彼女の顔は見えなかったけど、ひかりちゃんはとても嬉しそうな笑顔で言ってると思う。
「ひ、ひかりちゃんも良いところたくさんあるよ」
僕は恥ずかしくなって、ついついそう言っちゃった。
するとひかりちゃん、すぐにその言葉に食いついてくる。
「たとえば、どんなところ~?」
予想できていなかったひかりちゃんの返事に、僕はドキッと息を詰まらせた。
それでもなんとか頭をフル回転させて、三つほど思いついたところを答える。
「素直なところ、可愛らしいところ、なんだかんだで前向きなところ」
それを聞いたひかりちゃん、僕の後ろで黙り込んじゃった。
ますます恥ずかしくなった僕は、急いで靴を履き終える。
そうして背筋を伸ばしたところに、ひかりちゃんが声をかけてきた。
「ひかり、可愛らしい? それって性格?」
返答に困ったけど、僕は正直に答えることにした。
「容姿も性格も、両方」
そう答えた次の瞬間、背中にコツンと温かいものが触れてきた感触があった。
それは、ひかりちゃんの額だった。
そして彼女は、そのまま無言で僕の背中に頭を押し当て続ける。
「……どうしたの?」
何も言わなくなったひかりちゃんに、僕が控えめに声を掛ける。
するとひかりちゃん、珍しく小さめの声で返事をしてきた。
「ひかり、今顔が熱いの。お兄ちゃんに褒められるのって、こんなにドキドキするんだね……」
それは、聞いた僕のほうがドキッとさせられる発言だった。
頭の中が真っ白になって、しばらく固まってしまった僕。
そうすると、やがてひかりちゃんが不意に額を離した。
「よーし、なんだかやる気出てきた~。ひかり、今日も一日頑張る~!」
元気よく宣言をするひかりちゃん。
その言葉を聞いて、僕もフリーズ状態から回復した。
「僕も頑張ってくるよ。それじゃ、今度こそいってきます」
振り向いてそう言うと、ひかりちゃんが満面の笑みで返事をくれた。
「いってらっしゃ~い! お弁当ありがとー! ひかり、毎日感謝してます!」
僕は片手を上げると彼女に背を向け、玄関の扉に手をかけた。
ここから先は外に声が漏れるので、ひかりちゃんも声を出さなくなる。
外に出て玄関を閉めるときに振り返ると、ひかりちゃんが勢い良く手を降ってくれているのが目に入った。




