輪は繋がっていく
紅茶を飲んでクッキーも食べて、凛子さんのテンションも徐々に地についてきた感じだった。
そうして彼女は、とうとう本題であろう話題を口にし始める。
「あなたはこの家で、あの人と実質二人暮らしをしているのね」
「……うん」
僕は一瞬、ヒヤッとして体を身構えてしまった。
凛子さんが言っているあの人とは、ひかりちゃんのことで間違いないよね。
でも今の凛子さんは、ひかりちゃんのことを話し始めたのに落ち着いている様子だった。
身構えた体から力が抜けていく。これなら普通に凛子さんとお話が出来そうだと感じ、僕は気が楽になった。
そして彼女は、まず予防線から張り始める。
「あの、これから少々立ち入った質問をしちゃうかもしれないけど、話せないなら遠慮なくそう言ってね。……それと、出来ればそんな質問をする私のことも嫌いにならないでほしいかな」
問い詰められると思っていなかった僕は、すぐに笑って彼女に答えた。
「ひかりちゃんのことに関してなら答えられないこともあるかもしれないけど、僕のことならもう、ひかりちゃん以上に隠さなくてはいけないことなんてないよ。だから気兼ねなく聞いてもらっても大丈夫だよ」
凛子さんは友だちが多くておしゃべり好きだけど、彼女はちゃんと分別のある女の子だ。
僕がひかりちゃんのことを話したとしても、面白おかしくクラス中にその話を広めたりはしないと思う。
それと、僕はもう一つのことを付け加えた。
「あと、僕が凛子さんのことを嫌いになるわけがないよ。僕は凛子さんに感謝してるんだ。色々お世話になってるし、ボッチの僕にも気をかけてくれてるしね」
僕がそう言い切ると、凛子さんは困ったように笑った。
やがて僕の様子を窺いながら、彼女は短く尋ねてくる。
「ホントにそう思ってるの?」
「もちろん」
「そう……。ありがとう」
僕が即答すると、凛子さんは嬉しそうに笑った。
そして、彼女の目に少しイタズラっぽい光が灯る。
「でも、あなたは少し変わった点もあるみたいね」
「え?」
「だって、出会った頃のあなたは私に話しかけられるのイヤだったんでしょ?」
「そ、それは……」
凛子さんにズバリ切り込まれ、僕は思わず視線を明後日の方向に逃してしまう。
たしかに僕は昔、凛子さんに苦手意識を持っていたことがある。
僕はそれを正直に答えた。
「イヤっていうか、苦手だったんだよ。僕の性格のことは知ってるでしょ?」
「ふふ。でも、今では結構普通に話せてるじゃない」
「あ、うん……、そうかも……」
凛子さんに言われ、僕は口をつむぐ。
言われてみれば、僕は変わっていた。
信じられないことに、今もあの凛子さんと自宅で向かい合って会話している。
「あの妹さんの影響なのかしらね」
その時凛子さんは、そうポツリと言った。
少し寂しそうな彼女の姿に、僕はドキリとさせられてしまった。
でも、そこで彼女は気合を入れ直すように「ふぅ」と息を吐くと、改めて笑って僕に話しかけてくる。
「それはそれとして、今はその妹さんとあなたの話だったわね」
「そ、そうだよ。その通りだよ」
僕はここ最近の凛子さんとの微妙な関係を打破するべく、その話に取っ掛かりを見出した。
「この際僕に何でも聞いてね! 僕とひかりちゃんの関係がはっきりと理解できたら、凛子さんもすっきりして普段通りに戻れるよね!」
明るい声でそう声をかけると、不思議なことに凛子さんはもう一度大きな息を――今度はため息のようなものを吐き出した。
「戻れるといいわね。――じゃあ、まずは何から聞かせてもらおうかしら」
やや含みのある表現を残して、凛子さんは質問を始める。
「んー、とりあえず念のために聞くけど、今日妹さんが遊びに行ってるのって、男友達と一緒じゃないよね?」
「え? ひかりちゃん?」
ひかりちゃんのことは答えづらいと言ってるのに、凛子さんはいきなりそのひかりちゃんのことを問いかけてくる。
「ひ、ひかりちゃんに男友達……、いないんじゃないかな?」
「聞いたこともないの?」
「う、うん。そもそもひかりちゃんって、僕と彼女のお父さん以外、男の人と喋ってるところ見たことないんだよね。あ、いや、玖音さんのお父さんに丁寧に挨拶してたかな」
僕がそう答えると、またまた凛子さんの瞳がギラリと光る。
「……玖音さん?」
周囲が凍りつくような冷たい声で、隣の席の女の子が言う。
僕は本当に肝が小さいから、その一言だけで本当に心臓が止まりそうになっちゃうよ。
「は、はい……。ひかりちゃんのお友だちの人です……」
「……後で詳しく聞かせてもらうわ」
「はい……」
凛子さん、落ち着いてたんじゃなかったの?
またも黒いオーラが背中から漏れ出てるように見えるんだけど。
「でも、男と喋ってないってそんなのありえるの? 学校はどうするのよ? ……ってまさか!」
凛子さんはひかりちゃんの学校について、何か思い当たったみたい。
まあ、あの女学院って百五十年続いてる有名校だしね。
「い、妹さんって、あのお嬢様学校の生徒なの?」
「う、うん。ここから目と鼻の先にあるんだよ」
見事正解を言い当てた凛子さんは、なおも食い下がるように僕に質問を繰り返す。
「に、日常生活はどうするの? 極度の男嫌いで男の店員には行かないとか?」
「ぼ、僕がほとんどやってあげてるんだ。彼女の私物の買い物は通販が多いし、食料品とか買い物に行っても僕が応対するしね」
「…………」
顔を青ざめさせながら、凛子さんは絶句する。
「そもそもひかりちゃんって、すごい美人さんなんだよ。だから目立っちゃうから、あまり外に出ないようにしてるんだ。彼女は僕と買い物に行きたがるんだけどね」
言葉が出てこなくなっていた凛子さんだったけど、ある時突然爆発するように僕に勢いよく問いかけてきた。
「じゃ、じゃああの妹さんは、あなたにほとんど守られているようなものなの?」
「守っているというか……、僕は元々一人暮らしだったし、やることがほんの少し増えただけだよ」
「なんて羨まし――、コホン。……ずいぶんと特殊な家庭なのね」
凛子さんに特殊な家庭と言われ、僕は苦笑しながら「一般的ではないよね……」と答えた。
「でも……、まあ納得できるところもあるわね。あの妹さん、たしかにちょっと信じられないくらい美人だし」
「凛子さんも美人さんだと思うけどね」
「…………」
ひかりちゃんばかり上げていたから、僕は凛子さんも素敵な女性だよと言ってあげるつもりでそう答えた。
ところが、凛子さんにしてみれば予想外の攻撃だったのか、彼女はまたも言葉を失ってしまう。
「い、今は妹さんの話でしょ! ……というか、じゃあまさに今はどうなのよ? 妹さん普通に外に遊びに出ていってるけど大丈夫なの? しかも女だけなんでしょ?」
不意を突かれて固まってしまったことが恥ずかしかったのか、凛子さんは頬を赤らめて話を変えてきた。
僕は凛子さんに言ったことは嘘じゃないのになと思いつつ、彼女の質問に答える。
「今日ひかりちゃんがどこに行ってるかは詳しく知らないけど、なんだかんだ言ってあそこの学校の生徒はみんなお嬢様だからね。変なところには行かないし、下手したらシークレットサービスみたいなボディガードの人が見守っているんじゃないかな。だから心配要らないと思う。帰りは普通に女性ドライバーもしくは無人運転のタクシーとかで帰ってくるしね。あるいは友だちの家の車で送迎されたり」
もう何度目かわからないほどに、凛子さんはそれを聞いて黙り込んでしまった。
でも、今の彼女の気持ちはよくわかる。僕も最初はひかりちゃんたちの別世界の感覚に驚いたものだった。
しかし、そこで凛子さんは再び目を細めて僕を見る。
「……それで、その玖音さんというお友だちの方も、あの学校の生徒さんなの?」
「う、うん」
「ってことは、玖音さんもお嬢様なの?」
「うん……」
「美人?」
「はい……」
美人のお嬢様と聞いて、凛子さんが纏う黒いオーラが一層どす黒くなったような気がした。
別に、僕は不誠実に女の子と遊んでるわけじゃないんだから、そんなに怒らないでほしいなあ。
「ただ妹さんの友人ってことで知っているだけなのよね?」
少し前の僕ならそれに「はい」と答えられていたんだろうけど、今の僕は玖音さんをただの知り合いと答えることは出来なかった。
代わりに聞こえないふりをして、キッチンの方へ視線を向ける。
「紅茶のおかわり入れようか?」
「私より親しい友人なの……?」
「い、家に遊びに行ったこともあります」
凛子さんからギリッと奥歯を噛み締めたような音が聞こえた気がした。
これで彼女の泊まりに行ったこともあるだなんて答えたら、僕はどうなってしまうのかな。
「ずいぶんと、仲がよろしいようで……?」
何でも答えるよと言った自分が申し訳なくなる。
僕はちゃんとしゃべれないことがまだまだたくさんあるみたいだね。
「く、玖音さんはあの学校の生徒さんだけど、珍しく趣味がゲームの女の人なんだよ。だから僕とも話すようになったんだよ」
でも、僕がそう答えると凛子さんはハッと息を呑んだ。
「ゲームが切っ掛けなのね……。私の弟がやっているような本格的なゲームなのよね?」
「遊園地で会った男の子だよね? たぶんそうだと思う。あの男の子がやってるゲームは、ひかりちゃんも遊んでるんだ。だから僕たちはあのお土産屋さんに――」
僕は凛子さんと会話をしていたんだけど、その凛子さんは突如興奮したように発言を被せてくる。
「ちょ、ちょっと待って。あの妹さんもゲームやってるの?」
「あ、うん。やってるよ。だから僕たちはあのゲームのコラボのお土産屋さんに居たんだよ」
「……意外だわ。人は見かけによらないものね」
凛子さんはひかりちゃんがゲームをやっているのが意外だと思ったらしい。
僕は苦笑して、その凛子さんに教えてあげる。
「凛子さんの感覚は正しいと思うよ。ひかりちゃんは僕と会うまでは、ゲームなんて触ったこともない女の子だったんだから」
「え、それって……」
隣の席の、彼女の目が光る。
それは、今までとは違う前向きな煌きだった気がした。
「うん。ひかりちゃんは僕がゲームをしてたから、僕と同じものを遊ぶためにゲームを始めてくれたんだよ」
ありがたい話だよね。
僕はそう凛子さんに告げた。
それは事実を説明しただけで他意はなかったんだけど、結果としてまた一つ僕の世界が大きく変わる発言になった。
凛子さんはこの発言に影響されただなんて、絶対に認めてくれなかったけどね。




