自宅で見かける隣の彼女
6/28 誤字を直しました。ご指摘ありがとうございました。
『もう容赦しないわ』
そんな恐ろしい台詞を凛子さんに言われてしまった僕だったけど、意外なことにそれっきり彼女から何か連絡を受け取るようなことはなかった。
休みが明けた学校でも凛子さんは「おはよう」と挨拶してくるだけで、僕を問い詰めてきたりはしなかった。
だけど、その状況が動いたのは放課後。
ずっと凛子さんの顔色を窺ってヘトヘトになっていた僕は、ひとまずこれで家に帰れると安堵していた。
しかし僕がカバンに荷物を詰め込んでいると、ヌッと音もなく、僕の席の前に立ちふさがる人影が現れる。
「一緒に帰るわよ」
それは、どす黒いオーラを撒き散らかしながら僕を見下ろす凛子さんだった。
命令形で言い放たれた僕は「はい」と答えるしかなく、半ば連行されるような格好で僕たちは校舎を出ることとなる。
「あなたの家に向かいなさい」
「はい……」
校門前でそう言われ、僕はトボトボと凛子さんを連れて自宅へと帰り始める。
しかし帰り着く前に、彼女に伝えておかなくてはならないことがあった。
「あ、あの、凛子さん、でも今日はひかりちゃんはいませんよ?」
遊園地で別れた時に彼女たちは、また会おうと言っていたはずだった。
だから僕は凛子さんにそう伝えたんだけど……。
「あなた、あの子のことを普段はひかりちゃんって呼んでるのね?」
「は、はい」
返ってきた返事はまた震え上がるような言葉だった。
どこに地雷が埋まっているのかわからなくなった僕は、しばらく黙っていようかと考える。
しかし、次に凛子さんが言った言葉は、意外な一言だった。
「……いないのは知ってるわ。彼女、友だちと遊ぶ約束があったんでしょ?」
「え?」
凛子さんは、今日の放課後のひかりちゃんの予定を見事に言い当てた。
昨日SNSで登録しあった二人。もう早速メッセージのやり取りをしているらしい。
凛子さんが苦笑して、僕を見る。
「いきなり押しかけるわけにはいかないでしょ。あなただけの家じゃなくて、彼女の家でもあるんだから」
「う、うん……。そうなんだけど……」
僕と話し始めて凛子さんは気が紛れてきたのか、少し饒舌になって話し始める。
「なに? あなたに対してはいきなり押しかけてるじゃないか、って?」
「え、そ、そんなことは思わなかったけど……、でも、そういえばそうだね……」
彼女は少し上体を倒すと、下から覗き込むように僕の目を見る。
「イヤだった?」
実に女の子っぽいその仕草に、僕は顔を赤らめて首を振る。
「そ、そんなわけないよ。ちょっとは驚いちゃったけど、イヤじゃないよ」
僕のその反応を見て、凛子さんは優しく微笑む。
「……あなたの本質は、まだ、あなたのままなのね」
「え?」
その発言は、僕には少し意図が読めない発言だった。
僕の本質はたしかに変わってないと思うけど、それをそのままの意味で凛子さんは言ったのかな?
嬉しそうに、隣の席の女の子は言葉を続ける。
「そうよね、あなたは急に綺麗な妹さんが出来ても、立派にお兄ちゃんを頑張ろうとするだけだものね?」
「……立派かどうかは別として、嫌な思いはさせたくないかなとは思ってたかな。とりあえず、無我夢中だったよ」
凛子さんは、僕の返事にますます嬉しそうに笑った。
「そっか、うん。そうだよね。ごめんなさい、私、あなたのこと疑っちゃってた!」
「気にしないで。誤解は誰にでもあるだろうし。……でも、僕の何を疑ってたの?」
「ふふっ」
僕の問いかけには答えずに、彼女は笑う。
教室ではあんなにどす黒いオーラを纏っていた凛子さんなのに、今では別人のように楽しそうに僕の隣を歩いていた。
そこで彼女は再び前を向き、少し下を向いてつぶやき始める。
「あなたは相手が美人かどうかよりも、まずは自分の役割を全うしようとするわよね」
何か思うところあって、独り言が漏れ出ているのだろうか。
「でもそれは、私もまだクラスメイトとして対応されているだけってことでもあるのよね……」
でも、凛子さんの表情は別に暗く沈んでいるわけではなかった。
むしろ前向きな感じがして、僕はそれなら彼女が何を言っているのか気にしなくてもいいかなって思ったんだ。
やがて凛子さんは、改めて僕を見て微笑む。
「念のために聞くけど、私が芸能人みたいな格好いい男性と仲良く歩いてたらどう思う?」
そして凛子さんは、そんなことを不意に尋ねてきた。
ひかりちゃんを芸能人みたいに例えて、逆の話をしているのだろうか。
僕は少し考えると、彼女に相応しいと思う言葉を返す。
「やっぱり凛子さんは素敵な人なんだな。そんなに格好いい彼氏を持てるなんてすごいなって思う――イテッ、なんで叩いたの?」
「ちょっと叩いただけよ。痛くはなかったでしょ?」
「う、うん。それはそうなんだけど……」
僕の考え抜いた言葉は気に入られなかったようだけど、でも、それでも凛子さんは機嫌良さそうにしていた。
もう一度軽く肩をぶつけてくると、彼女は言う。
「ねえねえ、こうしてじゃれ合ってると、放課後デートしているように見えない?」
「そうかな? 不出来な弟が、お姉ちゃんに遊んでもらっているように見えるんじゃ――ごめんなさい。放課後デートに見えます」
「ふふ、よろしい。……っていうか、本当にそう思えてきたかも。私たち仲良く放課後デートしてない? そう思えるの私だけ?」
「僕は放課後デートがどういうものかよくわからないから……、ただ、仲は良いんじゃないかな。僕は凛子さんに仲が悪いだなんて絶対に言われたくないし」
「あら。ありがとう」
たまに気に入らないことがあると僕を睨んでくる凛子さんだったけど、やっぱり彼女は楽しそうだった。
同じ学校の生徒たちに混じりながら、そうやって僕たちは通学路を帰っていく。
「うん……。思い悩む心配なんてなかったみたい。まだまだこれからが勝負だったのね」
「え? 何を勝負するの?」
「こっちの話よ。それはそうと、あなたの家って私の帰り道と同じ方角にあるのね」
「あ、うん……。そうなんだ?」
僕はずっと、何だか落ち着かない気分だった。
見慣れた通学路を凛子さんと帰っているのも不思議だったし、その凛子さんに終始振り回されている感じもしてて、なんだかずっとフワフワした感覚だった。
◇
「お、お邪魔します……」
ひかりちゃんやその友だちで慣れてきたかなと思っていたけど、凛子さんが僕の家に来るのは別物の違和感があった。
もちろん不快だったわけではないけれど、なんというか、現実味がなかった。
とはいえ、意外なことに僕よりも凛子さんのほうが混乱しているようで、彼女はさっきから忙しなくあちこちを見ていた。
「……あなたってさ、結構良いところのお坊ちゃまだったりするの?」
「え? そんなことないよ。お母さんがたまたまこのマンションを相続したってだけで、本来僕の家庭はこんな立派なマンションに住めるような収入じゃないと思うよ」
「……このマンションって、あなたのお母さんの持ち物なの?」
「そうだね。賃貸マンションだよ。でも空き部屋もあるし、順調な経営ってわけでもないんだよね。改修とかお金かかったし」
僕の話を聞いて、目をパチパチと瞬いて驚く凛子さん。
この調子だと、リビングを見たらもっと驚くんだろうなと思った。
「あ、そこが洗面所だから、でも申し訳ないけど先に僕が手を洗ってもいいかな?」
「もちろんいいけど、あなたって潔癖症?」
「うん? どうなんだろうね。今回先に手を洗うのは、お茶の準備をするつもりだからなんだけど」
「な、なるほど……」
僕は自宅に戻ってだんだんと落ち着いてきたけど、凛子さんは逆にますます落ち着かなくなって来たみたい。
もじもじと僕が手を洗うのを待っている凛子さんは、普段の彼女の姿とかけ離れていて可愛いなと思ってしまった。
「リビングは廊下の突き当りだから。申し訳ないけど僕は先に行って準備を始めててもいいかな?」
「あ、う、うん。後で向かうね」
凛子さんを置いてすぐにキッチンへと入る。
最近は買い置きのお菓子を用意していなかったから、急いで何か作らないとお茶請けがないんだよね。
そうして手早く僕がオーブンに生地を入れていると、そこへやはりおっかなびっくりといった感じで凛子さんがやってくる。
「失礼します……。す、素敵なリビングね……」
「どこでも座ってて。今お茶の準備してるから。その間に、僕は着替えてきても良い?」
「あ、ど、どうぞ。いってらっしゃい」
「三分以内に戻るから。そこにリモコンあるし、なんでも好きにしてていいから。かなり大音量で音楽流しても大丈夫だよ」
「お、おかまいなく。スマホでも見てるね?」
「わかった。じゃあすぐ行ってくるね」
これがホームとアウェーの違いなのかな。
凛子さんはスマホを見るでもなく、ちょこんとソファに座り両手を膝の上に置いて、まるで借りてきた猫のように大人しくしていたんだ。
「ええと……、あなたは私と一緒に帰ってきたのよね?」
「え? もちろんそうだけど……」
凛子さんに紅茶とクッキーを出すと、彼女は今まで以上に驚き目を丸くしていた。
「おかしくない? 私、何の予告もなくいきなり押しかけて来たのよ? しかも来てから二十分も経ってないのに、もう焼き立てのクッキーが出てきてるんだけど」
「そ、そう言われても……。生地は作ってあったし、焼くのは十分くらいで出来るから……」
呆れたようにあんぐりとお口を開けていた凛子さんだったけど、焼き立てを逃すのは失礼かと思ってくれたのか「いただきます」と小さく頭を下げてクッキーを頬張る。
「……何このクッキー……」
「お口に合わなかった? 少し甘すぎたかな?」
「そ、そんなことない、びっくりするくらい美味しいわよ!」
彼女が急に大声を出したので、僕のほうが驚いてしまった。
「あ、ありがとう。そんなに気に入ってもらえるなんて光栄だよ」
「ね、ねえ、もしかして私が急にお邪魔して、何か予定狂わせちゃったんじゃない? 妹さんはそんなこと言ってなかったけど、こんなに美味しいクッキーを仕込んでいるだなんて……、ああ、お仕事で忙しい親御さんが帰ってくる予定だとか!」
凛子さんが僕に対してそんな発言を行ってくる。
でも、僕は首を傾げることしか出来ない。
「予定なんて何もなかったし、お母さんも帰って来ないと思うよ」
僕は正直にそう答えたんだけど、凛子さんは納得いかないみたい。
「で、でもじゃあなんでクッキーの生地が仕込まれてあるの?」
「うーん……、正直に答えるとさ、凛子さんには悪いけど、そのクッキーは試作用のクッキーなんだ」
「へ?」
驚く凛子さんに、僕は事情を説明する。
「ほら、僕たちが遊園地で出会った時、男の子がクッキーのお土産を買って行ってたでしょ?」
「あ、うん。たしかに弟が買ってたけど……」
「あの時、ひかりちゃんとドラゴンの絵はクッキーに描かれてないねって話をしてたんだよね」
「……まさか」
「だから僕は自作してみようと思ってね。それはその試作用のクッキーなんだ。ごめんね?」
「……し、試作レベルでこれ?」
「う、うん。だから少し甘すぎたかなって。本当はその上にビターチョコで絵を描くつもりだったんだ。甘い生地とほろ苦いチョコ。本来はその二つが合わさって完成するはずだったんだ。だからこれは試作用の未完成のクッキーなんだよ」
「…………」
凛子さんはクッキーを口にしてないのに、金魚のように口をパクパクとし始める。
「ご、ごめんね、こんな話しちゃって。やっぱり気分を悪くさせちゃったかな?」
彼女は僕の言葉が耳に入っていないようで、かすれた声で僕へと言った。
「私ってあなたを評価してたつもりだったけど……、それでもまだ過小評価だったのかもしれないわね……」
それを聞いた僕は、すぐに感じたことを彼女に返した。
「僕はもう凛子さんに全部知られちゃってるよ。ゲームと勉強、そして料理の知識があるくらいなんだ。他に隠し玉があるなんて期待されても困るよ」
今度は凛子さんが、その発言に対してすぐに苦笑を浮かべる。
「そうね。あなたをこれ以上大きく見せる必要なんてなかったわね。私が困っちゃうし」
「うん。むしろ僕は小心者の小さな人間だしね。……でも、なんで凛子さんが困っちゃうの?」
「ふふっ」
僕の問いかけには答えずに、彼女は笑う。
こんな場面、さっきもあったような。そう思っていた僕の前で、凛子さんは次に紅茶に口をつける。
「お、美味し。何この香り。私の知ってる紅茶と違うんだけど」
僕はその紅茶についても何か説明をしようかなと思ったんだけど。
でも、口を開く前に止めて、僕も苦笑しながら紅茶を飲んだ。
だって、凛子さんもさっきから僕の問いかけに答えてくれてないしね。




