出会った僕たち
それは、疑似シークレットサービス役のお手伝いさんが、険しい表情で動き出したことで気が付いた。
ひかりちゃんの容姿に惹かれて、誰か近付いてきたのかも。
そう思って振り向いた僕は、一生忘れられないことになるかもしれない恐怖を味わった。
「こんにちは、一条空さん。こんなところで奇遇ですね?」
元々僕は気が小さく出来ているんだけど、その時の衝撃は本当にショック死しちゃうかと思えるほど恐ろしかった。
そこにいたのは僕のよく知る――でもその場にいるはずがないクラスメイト、暁凛子さんその人だった。
「……あ、り、凛子さん?」
滝のように冷や汗が吹き出る中、僕の口はなんとかそれだけを吐き出した。
ゲームでは石化攻撃を何度も食らったことがある僕だけど、まさか実際に誰かの視線でかなしばりに合うなんて、思いもよらなかったよ。
そして僕と凛子さんがお互いの名前を言い合ったことで、僕たちの間に体を割り込ませていたお手伝いさんが、スッと身を引いていく。
遮るものがなくなった凛子さんは、僕へとゆっくりと歩み寄った。
「お楽しみのところをごめんなさい。でも、珍しいところで会ったのでぜひご挨拶をさせていただこうかなと思いまして」
「あ、う、うん。こちらこそ、こんにちは。というか、僕へ向けての凛子さんのですます口調って初めてだよね? ど、どうしてなのかな?」
そこで凛子さんは僕の言葉を完全に無視して、ひかりちゃんへと向き直る。
「初めまして。私、一条空さんのクラスメイト、暁凛子と申します。つきましては、ちょっと彼とお話したいことがありまして。少しの間空さんをお借りしてもよろしいでしょうか?」
彼女はいつものように優しげな笑顔を浮かべていたけど、目だけは少しも笑っていなかった。
それどころか、額に怒りマークすら幻視できるほどだったんだけど……。
僕が口を挟む前に、ひかりちゃんが返事をする。
「ごゆっくりとどうぞ~!」
ニコニコと笑いながらそう言ったひかりちゃんに、僕と凛子さんの驚いた視線が集まる。
僕は唖然として固まってしまったんだけど、凛子さんは圧倒されつつもすぐに我を取り戻したみたいだった。
「ありがとうございます。では、少しお借りしますね」
「あ、あのね凛子さん、別に話はここでも出来るような気がする――」
凛子さんにガシッ腕を掴まれた僕は、遅ればせながらも彼女に反論を試みた。
すると彼女の彼女の口元から優しげな微笑が消え、底冷えするくらい冷たい声が聞こえてきた。
「来なさい?」
「はい……」
有無を言わせない命令形の一言だった。
僕は彼女にグイグイと手を引かれ、お店の隅の方へと移動させられる。
ふと見ると、さっき僕と男の子と女の子が、男の子は不安そうに、女の子は呆気にとられてこちらを見ていた。
そうして周囲に人がいない場所に連れて行かれると、僕は凛子さんに短く尋ねられた。
「あの女、誰?」
めっちゃくちゃ怖かった。
なんだか腕も離してくれないし、握りしめてくる力も強くなってきてて、本当にガクガクと震えが来てた。
「あ、あのね凛子さん、もうちょっと落ち着いて、いつも通りに話してくれると嬉しいかなって……」
「言えないような関係なの?」
ジロリと凛子さんに睨まれる。
僕はまたも心臓が止まっちゃうかと思うくらいビビっちゃって、全身の震えの延長線上にあるような否定の首振りをした後、彼女に言ったんだ。
「い、妹です」
僕は学校で身の上話とかをするほうじゃないけど、ひかりちゃんのことは意図的に隠していた。
だってひかりちゃんは、僕はもう妹だと心から思ってるけど、まだ書類の上では赤の他人なんだ。
そんな女の子を妹だと紹介するのは問題があるかなとずっと思っていたんだけど、今の僕は恐怖に駆られそう答える他なかったんだ。
ところが、僕がそう答えた瞬間、周囲に漂っていた緊迫した空気は霧散した。
「え、妹さんなの!? 嘘じゃなくて本当に?」
凛子さんはぱぁっと花咲くように、怖い顔を止めて笑顔で僕のことを覗き込んできた。
僕は彼女に対し、何度も頷く。
「ぼ、僕は凛子さんに嘘なんて言わないよ。本当だよ」
「そ、そうよね! あなたは私に嘘なんてつかないものね!」
一転して上機嫌になる凛子さん。
両手で僕の腕を掴んだまま、下を向きながら「はぁー」と大きな息を吐いた。
「あー、びっくりしたー。妹さんなのね。兄妹なら仲が良くてもおかしくないし、あなたならいいお兄さんになると思うし。うん、イメージ通り。問題ないわ。そっかぁ、妹さんかぁ」
彼女は何度も妹という単語を繰り返して、胸を撫で下ろすような様子を見せていた。
そして凛子さんは小さな声でブツブツと何かをつぶやく。
「そもそも私にあっさりと彼を渡してくれた時点でおかしいと思ったのよね。恋人なら見ず知らずの女に渡したくはないだろうし。うん、大丈夫よ凛子。彼はまだ奪われてない」
そこで凛子さんは、改めて安堵の息を吐く。
そうして普段の落ち着きを取り戻した凛子さんは、すぐに僕への気遣いも回復させた。
「ごめんね? あなたも驚いちゃったでしょ?」
「う、うん。死ぬかと思っちゃったよ」
「大げさね。でも、それだけ驚かせちゃったってことよね。本当にごめんなさいね?」
僕のよく知る優しい凛子さんが帰ってきた。
彼女は僕の腕を何度かポンポンと叩き、小首を傾げて謝罪の言葉を口にする。
「き、気にしないで。僕もこんな場所で凛子さんと会うことになるなんて思わなかったし、偶然過ぎてびっくりしちゃうよね」
だけど、どうしたことか、僕の冷や汗はまだ止まらなかった。
ドキドキしながら、まるで特大の不発弾が目の前にあるかのような緊張感を持って、凛子さんと話す。
「ありがとう、そう言ってもらえると助かるわ。だって妹さん、すごく綺麗な人でしょ? 私、とても妹には見えなくてね。驚いちゃった」
「あ、あはは……」
彼女のその発言で、ますます僕の心音は激しく音を立て始めた。
だって、凛子さんが妹に見えないのも当然だよね。僕とひかりちゃんは血縁関係はないんだから。
でも、ひかりちゃんが妹なのは間違いない。僕は絶対に嘘を言ってないと断言できる。
まだ僕とひかりちゃんは書類上では赤の他人だとしても、もう僕にとっては大切な妹なんだ。
そこまで考えた瞬間、僕はハッとなった。
「(そうか、僕は凛子さんに堂々とひかりちゃんを妹だと紹介すればよかったんだね)」
変に冷や汗を掻く必要なんてなかったんだ。
凛子さんなら僕の複雑な家庭環境を知っても言いふらしたりはしないだろうし、最初から堂々としてればよかったんだね。
僕はそう思い直し、気合を入れて背筋を伸ばした。
しかし次の瞬間、凛子さんは再び答えにくい質問を投げかけてくる。
「おいくつなの? 中学生なのよね?」
「え? と、年?」
僕はまたもキョドってしまう。
どうしてなのかな? 正直の答えたらいいだけだと思うのに、真っ正直に答えたら危険だぞと本能が告げてくるんだけど。
でも、僕は凛子さんに嘘なんて言わないと答えたばかりだった。
目を泳がせながらも、僕はなんとか彼女に答える。
「と、年は十五歳で……、高校生です……」
そう答えた瞬間、僕の腕は間違いなくギリッと強く握りしめられた。
「ちょっと待って、一条空」
「はい……」
なんでフルネームで呼ばれてるのかな。
そして、なんでそれがこんなにも恐ろしいのかな。
「あの子、私たちと同学年なの?」
「はい……」
「あなたって八月生まれよね?」
「はい……」
「それって年子でも有り得なくない?」
彼女ならもう気付いていると思うけど、凛子さんはそれを僕に言わせたいのか、あるいは認めたくないのか。
しかし彼女の意図はどうあれ、僕は正しい情報を言うしかなかった。
「妹は妹でも、義理の妹なので……」
「…………」
僕がそう告げた瞬間、凛子さんは歯ぎしりをしたような、言葉にならない発言を行った。
「いくつか質問があるんだけど……」
「ど、どうぞ」
やがて凛子さんが、僕の腕をガッシリと掴んだまま話し始める。
「義理の妹ってことは、血の繋がりはないのかしら?」
「な、ないです……」
「ってことは、あの子とあなたは結婚できるのね?」
「ほ、法律上は、可能です……」
なんだか敏腕刑事に問い詰められているような錯覚を覚える。
でも、どうして凛子さんが僕の結婚の話を聞いてくるんだろう。
そこで凛子さんは、頭を垂れてブツブツと小声で囁いた。
「なんてこと……。こんな伏兵が潜んでいるなんて、完ッ全に想定外だったわ」
次に凛子さんが顔を上げた時、彼女は微笑もうとしていたようだけど、目元がピクピクと不機嫌そうに痙攣し始めていた。
「そんな血の繋がらない女の子と、ずいぶんと仲が良さそうね?」
「う、うん。でも僕たちは兄妹だから、仲が良くてもいいんじゃないかな……?」
その言葉に凛子さんは、ハッとなったようだった。
慌てて目を背け(でも僕の腕からは手を離してくれなかった)、その後、申し訳なさそうに僕を見る。
「あ、そ、そうよね。血の繋がらなくても家族愛って存在するものね。家族愛って」
「う、うん。……うん? どうして家族愛ってわざわざ二回言ったの?」
凛子さんは僕の質問には答えず、恐る恐る別の問いを尋ねてくる。
「妹さんとは、いつから一緒なの? きっと複雑な事情があって、幼い頃から本当の兄妹のように仲良く育ってきたのよね……?」
何故か凛子さんは幼い頃から一緒だった説を押してきたけど、僕は首を振って返事をする。
「出会ってまだ三ヶ月ぐらいかな」
僕は何度か腕を握られてきたけど、その発言を聞いた時の凛子さんの握り方が一番強かったと思う。
「う、嘘よね? 私より後に出会ってるってこと……?」
「う、うん……」
「それでもうあんなに親しくなってるの?」
「うん……」
「どうして? なんで?」
「ど、どうしてと聞かれても……。毎日一緒にいるからかな……?」
またもや凛子さんは、声にならない悲鳴を上げる。
「あ、あなた、あんなに美人の女の子と、毎日一緒に暮らしてるの!?」
「う、うん。他の人には秘密にしてね?」
「それであなたがお弁当作ってあげたりして?」
「う、うん。彼女は料理できないから……。でも秘密にしてね?」
「親御さんは? あなたばかりが作ってるわけじゃないんでしょ?」
「ぼ、僕たちの親は仕事が忙しくて、ほとんど帰ってこないんだよ」
それを聞いた凛子さん、もう何度目になるかわからない悲鳴を上げる。
「ま、まさかとは思うけど、二人っきりで寝泊まりすることも……?」
「と、というか、ほとんど二人だけで暮らしてる……」
「…………」
「あ、あの、凛子さん? よかったら秘密にしてもらえると嬉しいかなって……」
僕がそう声をかけるも、凛子さんは魂が抜けたように真っ白になってしまった。
口を半開きにしたまま、「嘘よ、嘘……、こんなのありえない……」と小さくつぶやいていた。
そんな凛子さんの姿を見て、僕はどうすればいいのか途方に暮れてしまう。
しかし、その時凛子さんは視界に何かを捉えたようだった。
彼女は首を振って立ち直る。
僕も凛子さんが何を見たのかと確認すると、そこにはさっきの男の子と女の子の側に、ご両親だろうか、二人の大人が近寄っていく姿が確認できた。
「ねえ、スマホ用意して」
「え?」
「スマホ、用意、SNS、登録、今すぐ」
「は、はい」
なんでカタコト?
そう思いつつも、僕は凛子さんに言われた通り、彼女のIDを登録する。
僕のスマホはメガネ型で、凛子さんのスマホはネクタイピンのような形をしている。
「よし、今日はもう時間がないから、また今度詳しく聞かせてもらうわ」
「あ、う、うん。お手柔らかにね?」
「いいえ。もう容赦しないわ」
「……そ、そうなんだ? 僕は容赦なく何をされちゃうのかな?」
僕は今回も凛子さんにグイグイと手を引かれ、ひかりちゃんの前へと戻ってくる。
そうして再びひかりちゃんと対面した凛子さんは、さっきとは別人のようにニコニコとひかりちゃんに笑いかけていた。
「どうもすみません、少し長くなってしまったみたいで。お兄さん、お返ししますね」
「あ、お兄ちゃんから聞いたんですね~。ご挨拶が遅くなりました。妹のひかりです。いつもお兄ちゃんがお世話になってます」
ペコリと笑顔で頭を下げるひかりちゃん。
それを見た凛子さんは、隣の僕にだけ聞こえるくらいの声でつぶやいた。
「こ、この子、めちゃくちゃ手強そう……。で、でも私だって負けないからね……!」
ひかりちゃんが顔を上げると、凛子さんも再びにこやかに笑っていた。
「こちらこそ、空さんには私のほうこそお世話になってます。今日はもう時間がありませんが、今度また改めてお話させてください」
「楽しみにしてますね。お兄ちゃんの学校での様子とか聞かせてください」
ひかりちゃんはそう言って、スマホを操作する仕草を見せた。
どうやらSNSか何かの招待を送ったらしく、凛子さんもわずかに驚いた後、すぐにそれを受け入れたようだった。
そうして二人改めては目を合わせ、微笑み合う。
その時彼女たちが何を考えていたのかは僕にはわからなかったけど、ひかりちゃんも凛子さんも心優しい女の人だし、きっとすぐに仲良くなれるよね、と僕は思っていた。
「それでは、また」
「また会える日を楽しみにしてます~!」
こうしてひかりちゃんと凛子さんは出会いを果たし、僕の周りにまた一人女の子が深く関わってくるストーリーが始まった。




