あるいはそれは、彼女のヤキモチ
大変遅くなりました。
これからも頑張ります。
玖音さんとの誤解も解け、お父さんからの警戒も弱まり、僕はとても過ごしやすい休日を送ることが出来ていた。
お母さんに台所へと入れてもらい、一緒に夕飯を作らせてもらった日もあった。
僕の家から持ち出された食材はそれまでにほとんど使ってもらっていたけど、代わりにそれに劣らぬすごい食材を調理させてもらった。
それをお父さんに内緒で出してみたんだけど、美味しいと言って食べてもらえた。お母さんにも褒めてもらった。
それはとても嬉しかったんだけど、その後でお母さんが「玖音、絶対に逃しちゃダメよ」と言ってたように聞こえたんだよね。僕の空耳だよね。
玖音さんと紗雪さんにつれられて、三人でお買い物に出かけた日もあった。
紗雪さん主導で二人に着せ替え人形にされちゃって、とっても恥ずかしかったっけ。
特別な映画館の特別な席につれて行かれて、二人に挟まれて映画も見た。
内容はほとんど頭に入ってこなかった。だって両方からずっと手を握られていたんだ。頭の中ぐちゃぐちゃになっちゃってたよ。
そんなこんなで色々あったけど、やはりお泊り最後はゆっくりしようという話に落ち着いた。
僕も玖音さんもゲーム大好きだからね。
その日も朝から勉強して、その後ゲームという流れで過ごしていた僕たち。
紗雪さんも用事の合間に部屋に来てダラダラしてたんだけど、ある時彼女がふと話し始めた。
「しかしこの一週間、お嬢様と坊ちゃまのそうして並んでいるお姿をずっと見てきたのですが……」
「え、いきなりどうしたのですか、紗雪さん」
紗雪さんはゲームが一段落したところを見計らって声をかけてきたみたい。
時間を忘れて熱中していた僕たちは、一旦中断して紗雪さんを見る。
「なんだか日に日に円熟した夫婦のようになってきてますね。いや、これが本当に」
結構本気で力説するかのように、紗雪さんはしっかりと言った。
僕も玖音さんも、この手のからかいには全然耐性が付いてこない。
揃って顔を赤くして、俯いてしまう。
「ほとんど喋らなくなってきてるのに、居心地悪そうでもなく、たまに視線を交わしあって微笑み合ってますし、私は同じ部屋にいるだけで甘ったるい気分にさせられてますよ」
「そ、それは、お兄さんが何も言わなくても私に合わせてくれますし、私もそんなお兄さんに合わせるようにしてますし……」
小さな声で反論する玖音さんだったけど、反対に紗雪さんはその言葉に語気を強めた。
「そうそれ、それですよお嬢様。それこそまさに、円熟した夫婦って感じの言葉ですよ」
「あぅ……」
「言葉がなくても分かり合える関係。コミュニケーションは優しい微笑みだけで十分。あ~、言ってて虚しくなってくるくらいの理想のカップルじゃないですか。私はそんな姿を見せられているんですよ?」
「あぅあぅ……」
玖音さんは恥ずかしそうに小さなうめき声を上げていたけど、軽く首を振って再び反論を始めた。
「い、今はレアを狙って同じダンジョンを繰り返しているから、特にそう見えるだけですよ。喋らなくても良いように効率化、洗練されていきますし」
「うーん、同じことを繰り返していたらそうなるってのは理解できますけど、でも、それだけですかねぇ」
「そ、それだけですっ」
「お互いのことを想い合うラブがあるからこそ、上手くいっているのではないですか?」
「ら、らぶ……」
玖音さん、そこで真っ赤な顔で僕を見ないでください。
紗雪さんの思う壺ですよ。
僕は危険な話の流れを断ち切るために口を挟んだ。
「でも、紗雪さんはゲーム内容を理解してきてるみたいですよね。片手間で見ているだけなのに」
その発言に、紗雪さんはどう答えようか迷ったみたい。
彼女としては玖音さんをもっとからかいたかったみたいだったけど、でも結局は僕を無視できずに答えてくれた。
「それなりに~、ですかね。お嬢様も言っていた通り、同じところを繰り返してたりしますし」
そう答える紗雪さんに、僕は気になったことを尋ねる。
「紗雪さんはゲームに拒絶反応を示してなさそうなんですけど、遊んだりはしないんですか? 一応は勤務中だから?」
その瞬間、場の雰囲気が変わった気がした。
困ったように笑う、玖音さんと紗雪さん。
僕はすぐに自分が失言したんだと思って、紗雪さんに謝った。
「ご、ごめんなさい。一応だなんて言葉を使ってしまって」
「あー、いや、どう見ても勤務中の態度じゃないので、それはいいんですが……」
後頭部を手で押さえて言い淀む紗雪さん。
クイクイ、と僕の袖が引かれたのはその時だった。
「お兄さん、それ、私が原因ですよ」
目を向けてみると、玖音さんが恥ずかしそうに笑っていた。
彼女は言葉を続ける。
「お兄さんもご存知でしょうけど、私は高等部に上がってから、しばらく一人でしたから……」
僕は息を呑んだ。
五辻玖音さん。ひかりちゃんのクラスメイト。
彼女は高等部に上がった際のクラス分けで、それまでの友人と離れ離れになってしまい、知らない人ばかりのクラスに入れられてしまった。
玖音さんは内向的な性格みたいだし、さらには自身の趣味があの学校では特殊だと理解していた。
だから自分はクラスの異端者だと思い込んで、誰とも打ち解け合えずに孤立しちゃってた時期があったみたいなんだよね。
「紗雪さんは、私が学校で一人だったのを心配してくれました。元々仲良くしていただいていたのですが、今のように特に親しくし始めてくれたのもこの頃です。ですが、ゲームに関しては神経質になってしまい――」
その言葉を、紗雪さんが引き継ぐ。
「私がゲームを始めたらお嬢様は一時的には救われるかもしれませんが、身内だけの小さな世界に閉じ込められてしまうのではと思いました」
そういう考えから、紗雪さんは玖音さんのゲームから距離を取る立場を取っていたみたい。
でもそこで、紗雪さんは明るく笑った。
「まあ、そんな私たちの悩みは、一発で光様に解決してもらえたのですが」
玖音さんが苦笑する。
「ひかりさんはずっと私に手を差し伸べてくれていたのに、申し訳ないことをしてしまいました」
「そうですよ~、お嬢様~。……と言いたいところですが、私もお嬢様の件は反省すべき点が多かったです。光様には本当に心から感謝しています」
そんな孤独な玖音さんをレスキュー、というか強引に引っ張り出してきたのがひかりちゃん。
しかも玖音さんを切り崩す切っ掛けになったのが玖音さんが負い目に感じていた趣味のゲームだったんだから、世の中わからないものだよね。
でも、そこで僕は思い当たった。
「僕もひかりちゃんはすごい女の子だと思ってます。ですが、じゃあ今の紗雪さんはゲームを始めても大丈夫なのでは?」
玖音さんの悩みが解決したのなら、紗雪さんを縛っている枷もなくなったのかなと思ったのだけど。
しかし、紗雪さんは再び玖音さんと目を合わせ、苦笑し合った。
「あ、すみません。外部の人間がまた余計な口出ししちゃって」
謝る僕に、紗雪さんが言う。
「一応こう見えて、私はお嬢様の雇われなので。今この瞬間もなんと、お給料発生しているんですよ!」
仕えるべき主とのけじめをつけているのだろうか。
紗雪さんはまたもゲームには乗り気でない姿勢を見せた。
僕は少し寂しかったけど、すぐに仕方がないと切り替えた。
仕事のこともあるみたいだし、そもそもゲームを見るのは平気だけどやるのはあまり好きでないのかもしれないしね。
そしてその考えは、すぐに玖音さんによって肯定された。
「紗雪さんはゲームの中で綺麗な服を着るより、現実世界で着飾るほうが好きな方なんですよ。もちろんゲームが嫌いというわけではないみたいですけど、ご自身でやるのはちょっと性に合わないみたいですね」
紗雪さんは苦笑したまま、玖音さんの発言を補足した。
「お嬢様がお悩みだった頃は本気で始めようかと迷っていたんですけどね。でも、今は解決していますし、やっぱり私は使用人ですし」
今度は玖音さんが、改めて苦笑した。
「紗雪さんの使用人という言葉はよくわかりません。私から一歩引いているようで、かと言って先日のお見合い話のようなこともありますし」
「お嬢様~、それは忘れる約束でしょ~?」
「……そんな約束はしていませんよ。むしろずっと覚えているかもと答えたような……」
「おっと、そうでしたっけ?」
しれっとそう答える紗雪さん。
玖音さんは唖然とした表情を浮かべていたけど、やがてまたも苦笑した。
「紗雪さんには振り回されてしまいますね。それ以上に感謝もしているのですけど。――お兄さん、ゲームが中断したままでしたね。そろそろ再開しませんか?」
玖音さんは雑談を止めて、再び僕にゲームに戻らないかと提案してくる。
たしかにこれ以上紗雪さんにゲームを勧めても申し訳ないだけみたいだし、僕も頷いてゲームに戻ろうと思った。
しかしその時、紗雪さんの寂しそうな声が部屋に響く。
「あっ」
何かを呼び止めるようなその声。
玖音さんが驚いて紗雪さんに言った。
「あ、ごめんなさい紗雪さん。どうぞ仰ってください」
でも、先に声を上げた紗雪さんのほうが驚いているようだった。
やがて彼女は頬を朱に染め、どう答えるべきか迷い始める。
「あ~、いや、えーっと……、参りましたね、これは」
僕と玖音さんは顔を見合わせて、お互い首を傾げた。
紗雪さんのこんな姿は珍しい。
しかしそこは付き合いの深さなのか、すぐに玖音さんがハッとなって尋ねていた。
「もしかして紗雪さん、ゲーム始めてみたいのですか?」
その言葉で、紗雪さんは朱色を一層濃くして後頭部を撫でる。
でも愛想笑いのような表情を浮かべるだけで、彼女が何かを答えることはなかった。
「さ、紗雪さん、答えてください。ゲームを始めてみたくなったのですか?」
そして二度目の玖音さんの問いかけで、紗雪さんは俯いて観念したように返事をした。
「……はい」
僕は本当に驚いた。紗雪さんがゲームを始めたいと言ってくれた喜びよりも、驚きのほうが勝っていた。
玖音さんも同じような気持ちだったみたいで、紗雪さんに質問を始める。
「も、もちろん歓迎しますが、で、でも、どうしてなのか聞かせてください。昨日まではそのような素振りありませんでしたよね?」
紗雪さんは一つ頷いて――、しかし直後に恥ずかしそうに首を振った。
「やっぱなしで。なしでお願いします! うわ~、私恥ずかしいですね~。どうかしちゃってました。ああ恥ずかしい~」
そこで紗雪さんはニッコリと笑うと(ただし耳の先まで真っ赤だった)、僕たちに言った。
「さ、お嬢様、坊ちゃま、どうぞゲームを再開させてくださいな。私はお茶でも入れてきますね」
それは露骨な誤魔化し。
紗雪さんは立ち上がってそのまま逃げ出そうとしたけど、でも、その前に飛んできた玖音さんの言葉に動きを止めた。
「イヤです、話してください。私は紗雪さんがゲームを始めたいと思った理由を聞きたいです」
それは玖音さんの心から出た本音だと思った。
まっすぐなその言葉は、だからこそ紗雪さんの動きを止め、逆に渋々とではあったけど彼女の腰を下ろさせる。
紗雪さんはしばらくそのまま黙っていたけど、やがて小さな声でつぶやくように言った。
「……寂しくなっちゃったんですよ」
それはやや要領を得ない発言だったけど、紗雪さんは一度口を開いたことで吹っ切れたのか、いつのように明るく笑うと(ただしやっぱり耳の先まで真っ赤だったけど)、僕たちに話し始めた。
「お嬢様と坊ちゃまがゲームを再開すると聞いて、私は置いていかれちゃうと思ったんですよ。そう思った瞬間に、気付いたら声が出てました。いや~、二十超えてるのに恥ずかしいですね~」
次に彼女は僕を見ると、困ったように笑う。
「だいたい坊ちゃまが悪いんですよ。私にゲームやってみないか、だなんて。お嬢様の言う通り、私は坊ちゃまに言われるまでは自分は見てる側だという認識しかなかったのに」
それを聞いた僕は、とても不思議な気持ちになった。
嬉しいような申し訳ないような、相反する気持ちが浮かんでくる不思議な気持ち。
「お二人が仲睦まじそうに楽しんでいるゲームを、私はどうぞと差し出されてしまいました。見ているだけだったものが、手の届くところまで来てしまいます。そりゃ、興味惹かれてしまいますよ。私もやってみたいと思ってしまいますよ」
彼女の独白のような発言は、なおも続く。
「でも私はご学友の坊ちゃまと違い、お嬢様の使用人です。誘われたからと言ってバカ正直に受けることは出来ません。だから私は、この気持ちは心の奥に片付けて黙っていようと思っていたんですけど……」
そこで紗雪さんは真っ赤な顔で改めて笑うと、僕たちにいつもの元気さで言った。
「無理でした! 隠すことなんて出来ずに、全部言っちゃいました!」
壮絶な告白だった。
部屋には顔が真っ赤になった人しかいなくて、多分誰も彼もの心臓がドキドキ言っていたと思う。
このまま長い間気恥ずかしい時間が過ぎていくかと思っていた僕。
でも、意外にも玖音さんがまっさきに立ち直り、紗雪さんへと静かに話し始める。
「話してくれてありがとうございます。そして、紗雪さんが一緒にゲームを始めてくれることを歓迎します」
それを聞いた僕はこれで話はまとまったかと思ったんだけど、しかし玖音さんの発言には続きがあった。
「ですが、私も紗雪さんの話を聞いて不安に思ったことがあります。隠したくない気持ちがあります」
「どうぞお嬢様、何なりと仰ってください」
即座に返した紗雪さんに、玖音さんは頷きを返して話し始めた。
「私の中では紗雪さんはゲームをしてくれない方でした。親しくしてくれているけど、一緒にゲームはしてくれない人。それが、今変わろうとしています」
玖音さんは紗雪さんをまっすぐに見る。
「紗雪さん、私はあなたと一緒に遊んでしまったら、もう元には戻りたくなくなると思います。私は歓迎しますと言いましたけど、紗雪さんがゲームを辞めてしまうことが怖くなってもいます」
息を呑むほどの、玖音さんと紗雪さんの本音のぶつけ合いが行われていた。
僕は瞬きも忘れて、彼女たちの話に聞き入る。
「ですから紗雪さん、身勝手なことを言っている自覚はありますが、もし一時の気の迷いでゲームを始めるなら――」
玖音さんは話の途中で驚いて目を見開いた。
その際キラリとしたものが見えた気がするけど、見間違いだったかどうかはわからない。
首を振って玖音さんの発言を中断させた紗雪さんは、そこでいたずらっぽく笑った。
「それはお嬢様、大丈夫です」
「では、ずっと続けてくれるのですか?」
「いいえ、それはわかりません。私はゲームをやってみて、思っていたものと違うと感じてしまうかもしれません」
「だ、だったらどうして大丈夫だと言えるのですか?」
玖音さんも、そして僕も疑問に思ったその部分。
すると紗雪さんは、溢れんばかりの笑顔を浮かべると、言ったんだ。
「私たちには、私をゲームに誘ってくれた坊ちゃまが付いています。きっとどう転んでも、誘った坊ちゃまが責任を持ってなんとかしてくれるはずです!」
ズシンと、心臓に大きなダメージを負ったような気がした。
紗雪さんはこんな状況で、僕に話を振ってきたんだ。
玖音さんも小さく口を開けて僕を見ていたけど、やがて軽く目元を押さえると笑って言った。
「……そうでしたね。私たちにはお兄さんが付いているのでした」
「でしょ~。お兄さんが誘ってくださったのですから、きっとお兄さんが責任を取ってくれますよ~」
僕は彼女たちの言葉で心臓がドキドキしてくる。
とてつもない重大な任務を背負わされた気がした。不安でそのまま心臓が押し潰されちゃうかと思ってしまう。
でも、僕は気が付いた。
玖音さんも紗雪さんも、僕に優しい微笑みを向けてくれていた。
彼女たちは僕を頼りにしてくれているけど、僕にだけ責任を押し付けたりはしないみたい。
僕は少し気持ちが落ち着いてくる。
そもそもたしかに紗雪さんを誘ったのは僕だ。
それは軽い気持ちではあったけど、だけど無責任に言ったわけじゃない。
仲が良い玖音さんと紗雪さんが一緒にゲームをしていたら、それは今より楽しくなると思ったのは本当なんだから。
僕は軽く頭を下げると、彼女たちに返事を返した。
「僕に出来ることなら何でもします。みんなで楽しく出来るように頑張ります」
玖音さんは安心したように息を吐き、紗雪さんは頬を赤く染めたまま楽しそうに僕に言う。
「坊ちゃま~、何でもする、なんて気安く言っちゃダメですよ~」
「え、いや、僕の出来ることを、ですよ?」
「そうですよ~。坊ちゃまの出来ることを、何でも、してもらいますよ~?」
「……やっぱりなしでお願いします」
「ダメです。もう手遅れでーす」
自分も「やっぱなし」と言ってたのに、僕の同じ発言はすぐに否定する紗雪さん。
ズルいよね。
そして紗雪さんは、身を乗り出して玖音さんの肩を抱く。
彼女はそのまま玖音さんを強く抱き寄せると僕に向かって明るい声で言った。
「私たちをこんな気持ちにした責任、取ってくださいね~!」
紗雪さんは責任を取れという言葉が気に入ったのかな、と思った。
その日、僕たちに新しいゲーム仲間が加わった。
明日の朝には自宅に帰るという間が悪い日ではあったけど、その日だからこそ説得に成功したと考えたら、全然気にならなかった。




