お嬢様とお手伝いさんの決着
ゲームも佳境に入り、玖音さんと紗雪さんの仁義なき戦いは熾烈を極めていた。
反面僕とお父さんは震え上がり、その容赦のない戦いを眺めることしか出来なくなっていた。
「お、お父さん、そろそろ何か言ったほうがいいんじゃないですか? このまま放ってたら取り返しのつかないことになるかもしれませんよ?」
二人の戦いが激化し、僕は彼女たちの信頼関係に深刻な亀裂が入っているのではないかと心配する。
しかし、お父さんは僕の問いかけに、まともな返事を返してくれなかった。
「わ、儂が、儂が愚かだった……。なんと恐ろしい争いを引き起こしてしまったのか……。あんなに仲が良さそうだった玖音と紗雪が、ま、まさかこんなことに……」
ブツブツと小声でつぶやくお父さん。
これ、すでにお父さんが取り返しのつかないトラウマを植え付けられているんじゃないかな。
「お嬢様、ゲームですし、こんなことしてもいいですよね?」
玖音さんは紗雪さんに攻撃されるたびに僕のことが不安になるようで、離すまいとするかのように体を寄せてくる。
おかげでさっきからひかりちゃんと一緒にいるときのような密着具合になってしまっている。こんなの初めてだよ。
「お兄さん、私、負けませんから……!」
玖音さんが僕にだけ聞こえるように、そう言った。
それを聞いた僕は、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
さっさと玖音さんにお見合い話は冗談ですよと伝えていればこんなことにはならなかったんだけど、勇気が出なくて悪いことをしてしまった。
きっと紗雪さんは今この瞬間を楽しんだ方がいい、みたいに言うんだろうなあ。
僕にはそんなこと無理だよ。割り切れそうもない。
「お嬢様~、こっちのカードは耐えられますか~? いきますよ~?」
楽しそうに攻撃を繰り返す紗雪さん。
でも紗雪さん、ちょっと控えたほうがいいんじゃないですか? さっきから容赦ないですよ?
「私、絶対に負けませんから……!」
もう一度同じ決意を僕に宣言してくれる玖音さん。
なんだか今にも泣き出しそうな声だった。僕もとても悲しくなってきた。
ねえ紗雪さん、これからちゃんと話を丸く収めてくれるんですよね? 僕は心配で、さっきから胃がキリキリ痛んでいるんですけど、大丈夫ですよね?
しかし、それから一番先に大きなアクションを起こしたのは、お父さんだった。
泥沼の報復合戦を見ていたお父さんは、とあるアイテム入手を切っ掛けに、我に返る。
「そ、そうだ! 儂がトップに立てば、玖音も紗雪も争いを止めて儂に向かってくるはず。後は儂の力で二人を受け止めれば良い。これで争いも終わり、父の威厳も見せつけることが出来る。玖音もお父さん素敵と言ってくれるに違いない! ハッハッハ!」
突如復活した玖音さんのお父さん。
意気揚々に、その入手したばかりのアイテムを使った。
「玖音……! 儂に力をくれ……!」
それは大金山カード。
上手く行けば金山から金がザクザク出てくるし、失敗すれば山の購入代金と採掘代がそのまま赤字になるアイテムだ。
ここぞという時の運はすごいものを持っているお父さん。あるいは本当に玖音さんが幸運の女神になっているのか。
何とお父さんは一気に大金を手にして、トップに躍り出てしまった。
「ふ、ふはっ、ふはははは! やった、儂はやったぞおおお!!!」
モニターを見て大きく喜ぶお父さん。
僕はこの時素直に、お父さんってすごい人なんだなと驚いていた。
しかし、そんな大金持ちになったお父さんに、女性陣の鋭い視線が突き刺さる。
「攻撃、旦那様。急病カード」
「お父さんへ攻撃、Deathのカード」
三日天下ならぬ、一ターン天下。
お父さんは紗雪さんと玖音さんの集中砲火を受け止めることが出来ず、あっという間に舞台から退場させられてしまった。
「かはっ……」
血反吐を吐くお父さんに、女性陣の追撃が入る。
「旦那さまへ、ハゲタカカード」
「お父さんへ、遺産相続カード」
なんと恐ろしいことか。お父さんはあっという間に稼いだお金を奪われて、僕と同じ最下層グループに叩き落とされてきてしまった。
というか最愛の娘に遺産相続カードで攻撃されるお父さんって……。僕なら心折れちゃうんじゃないかな。
ちなみに遺産相続カードとは、キャラクターが死亡している際にちゃっかり遺産相続人になって資産を受け取るカード。ハゲタカも名前から想像できる効果です。合掌。
「お嬢様、ついでに最下位を確定させておきましょうか」
「……そうですね。私もお父さんに言って止めさせたいことがありますので」
女性陣の取引により、死亡しているお父さんへ押し売り、借金の押し付け等の非人道的な攻撃がなされ、さらには念入りに埋葬、封印されてしまった。
これによりお父さんの試合終了までの行動不能が確定し(誰かの助けがあれば復活できるけど)、ほぼ最下位は決まってしまった。
「お父さん、心中お察し申し上げます。素晴らしい挑戦だったと思います」
「…………」
お父さんは真っ白に燃え尽き、口から魂が漏れ出てるような状態になってしまった。
少し前まで僕をいじめてきてたお父さんだったけど、玖音さんと紗雪さんの争いを止めようとした行為は立派だと思ったので、僕は片手で敬礼してお父さんを見送った(死んではいない)。
「さて、坊ちゃまも少し釘を刺しておきますか?」
「そうですね。お兄さんには申し訳ないのですが、ここは私も譲れないお願いがありますので……」
でも、そこで僕の体がビクリと震える。
女性陣は次のターゲットに僕を選んだみたい。
僕もお父さんのように手酷い攻撃を受ける――かのように思えた。
「では坊ちゃまへ攻撃……、おおっと手が滑ってうっかりお嬢様へ~!」
「ッ! 見え透いた攻撃ですよ紗雪さん、そんな攻撃では私は倒せませんよ!」
僕への攻撃は行われなかった。
紗雪さんと玖音さんは戦闘を再開、二人はまたも恐ろしい友情破壊ゲームへと身を投じる。
「まあまあお嬢様、ちょっとお休みになってくださいな」
「それは紗雪さんの方ですよ。いつも働いてもらっていますし」
「でしたら少し、私のボーナスのために協力していただけませんかね~?」
「私、紗雪は甘やかしたらダメになる、と御本人から聞いたことがありますので」
言葉の応酬と、えげつないアイテムの攻防。
それが再び目の前で繰り広げられる。
でも。
お父さんの意識が散漫になっている今なら、僕も少しだけアグレッシブに動けると思った。
僕はもう二人の争いを見たくはなかった。
しかし、紗雪さんにはお見合い話の真相をまだ話しちゃダメという風なことを言われてるし、下手に動いてお父さんに勘付かれても話がややこしくなる。
でも、しかし。
僕はやっぱり、もう二人が争っている姿を見たくなかった。
このまま紗雪さんに任せていても丸く収まるのかもしれないけど、お父さんも争いを止めようと行動を起こしたんだ。
僕だって少しくらいは頑張らないと。
そこへ、折良く僕へチャンスが訪れる。
玖音さんには大きな痛手。でも、僕にとっては取っ掛かりとなる状況が生まれた。
「……おっと、このカードは……」
紗雪さんがとあるアイテムを入手した。
それはこのゲーム屈指の極悪なアイテム。その名も人間不信カード。
そのカードを使われてしまったプレイヤーはゲーム内で誰からも信用されなくなり、部下や同僚から裏切り見捨てられたり、理不尽な風評被害にもさらされてしまう。
しかも売買、取引、仕事等のコマンドが一定確率で失敗になってしまうという、まさに悪魔のアイテムだ。
このゲームのユーザーからも、まさに友情が破壊されて人間不信になるこのゲームを象徴するアイテムだと言われている。
それほどのアイテムを、紗雪さんが手に入れてしまった。
「……おやおや、ちょうどお嬢様、防御が手薄になっているようで……」
紗雪さんがニヤリと笑い、玖音さんの顔色が真っ青になる。
絶体絶命のピンチ。玖音さんは恐怖に震えるように体を縮め、そして僕に身を寄せてくる。
僕は恥ずかしかったけど、そんな玖音さんが伸ばしてきた手を、握り返した。
「えっ?」
まさか僕がそんな行動に出るとは思っていなかった玖音さん、驚きの声を上げて僕を見て、その後着火したように一瞬で顔が赤くなった。
元々玖音さんは恥ずかしがり屋だ。ほぼ密着している今の状況がおかしな状況なんだ。
玖音さんは僕に手を握られ、その異常な事態に気が付いたみたい。
「ん?」
紗雪さんも節穴ではない。
すぐに僕たちの異変に気付き、こちらを見る。
彼女の目には、顔を赤くした僕と玖音さんが映ったことだろう。
「おやおや~? 坊ちゃま、お嬢様の応援ですか~?」
紗雪さんが嬉しそうに僕たちを見る。
次に彼女は寂しそうに、でも演技してるように言った。
「坊ちゃまはお嬢様の味方ですか。私は悲しいです」
それは違う。
僕は出来るなら紗雪さんの腕も取ってあげたかった。
でもそれは恥ずかしかったからやらなかったわけじゃなくて、僕と紗雪さんの間にはお父さんが座っていたから手が届かなかったんだ。だから玖音さんの手しか握り返せなかったんだよ。
そして玖音さんが、紗雪さんの言葉に反応する。
「……お兄さん、私、頑張ります。頑張って紗雪さんに勝ちます……! 見ててくださいね……!」
玖音さんが静かな声で、でもハッキリとそう言った。
それを聞いた紗雪さんも微笑みを返す。
僕はこの展開を予想していた。
仮に二人の手を取っていても、応援されていると勘違いする可能性が高いよね。
あるいは僕が悲しそうに首を振りでもしたら、もう止めてという意思は伝わるかもしれないけど、でもここまで来た彼女たちが止まってくれるかどうかはわからない。
「でもお嬢様、坊ちゃまに味方についてもらったのなら、このカードを使われても恨んだりしませんよね?」
紗雪さんが改めてそう言い、玖音さんが息を呑む。
「では玖音お嬢様、私のボーナスのため、失礼します!」
紗雪さんは楽しそうな仕草で、そのアイテムを使用した。
ゲーム内で玖音さんに黒い悪魔が取り付いたような演出が流れ、その効果が発揮される。
部下の裏切り、突然の取引中止、謎の売上減。
その効果を受け、とうとう玖音さんは首位から陥落してしまった。
ゲーム終了を目の前にして、初めて紗雪さんがトップに立った。
「お、お兄さん……」
玖音さんが僕の手を強く握る。
彼女の胸中には、今、どんな気持ちが渦巻いているのだろうか。
でも、そんな玖音さんに、僕は一つだけ伝えたいことがあった。
たとえお父さんの命令で紗雪さんとお見合いしても、僕はこれを大事にしてます。
「えっ?」
再び玖音さんの顔色が変わる。
それは、僕がこっそり彼女に見せた『ある物』が原因。
玖音さんがそれを忘れているはずがなかった。
きっと彼女は一生懸命、時間をかけて作ってくれたはずなのだから。
「お兄さん……」
玖音さんが驚きの表情で僕を見、僕は照れくさくて軽く頭をかいた。
そして玖音さんは僕の手を握ったまま、何か考え込むように俯いてしまう。
「さあお嬢様、次はお嬢様のターンですよ。それとも諦めて、私にボーナスをくださいますか?」
紗雪さんがそう言って玖音さんを急かす。
しかし玖音さんは動じなかった。
俯いたままずっと長考し続け、ターンの持ち時間限界まで動き出すことはなかった。
そうして僕の『ある物』を見た玖音さんが出した答えは、僕にとっても信じられないものだった。
「私は最後のDeathのカードを、お兄さんに使います!」
◇
事態は大きく様変わりしていた。
さっきまでは紗雪さんが楽しそうにしていたのに、今では玖音さんのほうが生き生きとプレイしている。
そんな生き生きとした玖音さんのプレイの結果、僕は死亡させられて、さらにその上でボロボロにされてしまっていた。
不可解とも取れる玖音さんの行動。
しかしその時、圧倒されていた紗雪さんがハッとなって口を開いた。
「ま、まさかお嬢様、坊ちゃまを最下位にして、私のボーナスを阻止する作戦に……?」
このゲームに付け加えられたルールは、最下位になった人は一位の人の言うことを聞く、というルールだった。
紗雪さんのボーナスは、紗雪さんが一位であると同時に、お父さんが最下位でないと発生しない。
つまり一位になることを諦めた玖音さんが、ならばボーナスだけは阻止しようと動き出した形だというのだろうか。
「ふふっ」
紗雪さんの発言に、玖音さんは楽しそうに笑った。
今までになかった反応に、またも紗雪さんが驚かされる。
「さ、させませんよー。旦那様へさらなる追撃です」
紗雪さんの攻撃により、お父さんの負債がさらに膨れ上がった。
ゲームが終了するまで残りわずか。現状の玖音さんと紗雪さんの手持ちアイテムでは、お父さんの最下位を変えることは不可能になってしまった。
玖音さんは残り少ないチャンスでレアなカードを強引に引き当てて、僕を最下位に叩き落とすつもりなのかな。それは少し無謀な賭けだと思うけど……。
誰もが混乱する中、再び玖音さんへとターンが回ってくる。
「半分当たりで、半分は外れです」
玖音さんが楽しそうにそう話し始める。
なんだか場の雰囲気が玖音さんに支配されてきているようだった。
僕は不思議な気持ちで、そんな玖音さんを眺める。
「紗雪さんのボーナスを阻止しようとしている部分は正解です」
「や、やっぱりそうなんですね。く~、お嬢様も往生際が悪い~」
言葉とは裏腹に、まだまだ余裕がありそうな紗雪さん。
でも次の瞬間、初めて彼女の表情に焦りのようなものが浮かんだんだ。
「ですが、最下位のくだりは不正解です。私が最下位にしようとしているのは、紗雪さん、あなたのことですよ」
「え……?」
それは、あまりに堂々とした宣言だった。
さすがの紗雪さんにも、戸惑いの表情が浮かぶ。
しかし、真にダメージを受けていたのは紗雪さんではなく、僕だった。
僕は顔面蒼白にして、玖音さんを見る。
僕は玖音さんの狙いがわかり、ダメージを受けてしまっていた。
それは恐ろしい狙いで、僕の望む結末ではなかった。
「や、やだなー、お嬢様。せっかくのカードを坊ちゃまに使っておいて、今から私へ攻撃するんですか? 坊ちゃまへの攻撃は何かの験担ぎのようなものですか?」
「ふふっ」
やっとのことで絞り出したような紗雪さんの言葉に、玖音さんは再び楽しそうに笑う。
そうして彼女は、作戦を実行に移す。
「――私のターン、お兄さんにカード攻撃。カード名は、人生乗っ取り」
それは、ボロボロに弱ったプレイヤーの人生を乗っ取るアイテムだ。
そのプレイヤーのすべてを奪えるけど、相手を弱らせていないと成立しないアイテム。
「え、坊ちゃまの人生奪っちゃうんですか? たしかに私には通用しないアイテムでしょうけど、でも、だからと言って坊ちゃまの人生を吸収したところで今の私には追いつけませんよ」
紗雪さんの言う通り、僕はついさっきまで最下位だったくらいの資産しか持っていない。
そんな僕のすべてを奪ったところで、順位には変動がないかもしれない。
しかし玖音さんの真の狙いは、僕の資産ではなかった。
「紗雪さん、お兄さんって今まで何をしてきました?」
「え? 坊ちゃま、ですか?」
紗雪さんは玖音さんの問いかけに少し考えると、答えた。
「うーん、何もしてこなかったのではないですか?」
その答えに、玖音さんは満足げに大きく頷く。
「ええ、その通りですね。お兄さんは私たちと同じゲームをしていたはずなのに、どんなにいじめられても仕返ししてきませんでした」
「こんな時にも、坊ちゃまは優しいと言いますか……。ゲームですから、少々のことをしても根に持つ人はこの場にはいないと思いますけどね~」
紗雪さんが苦笑する。
彼女らの言う通り、僕はえげつないアイテムを使って誰かを攻撃することが出来ずに、やられっぱなしで自分の資産を高める行動しかしてこなかったのだ。
そこで玖音さんは、紗雪さんに種明かしをする。
「そうですね。ですがゲームは、お兄さんに反撃の機会を与えなかったわけではありません」
「ええ、このゲームは普通に遊んでいるだけでアイテムがランダムに入ってくる――」
紗雪さんも、そこで玖音さんの狙いに気付く。
「……まさか!」
「ふふっ、そのまさかですよ。優しいお兄さんは私たちに攻撃することが出来ず、ずっと強力なアイテムを塩漬けにして持っていたのですよ」
「お嬢様は、それを乗っ取って……」
紗雪さんが慌てて守りを固めようと行動を起こす。
しかし、もう手遅れだと思う。
僕が望まずとも手に入れてきた数々の攻撃アイテムは、ゲーマーの性として持てなくなったものは弱いものから捨てていって、今は自然と激選された非常にえげつないアイテムしか残ってないのだから。
「さあ紗雪さん、お仕置きの時間ですよ。残念ですが、ボーナスを出してあげることは出来ません」
「そ、そんな~!」
玖音さんはとても生き生きと楽しそうに、紗雪さんに言った。
僕は二人仲良くゲームを終えてほしかったのに、最後の最後まで恐ろしいアイテムが使われて決着する結末を迎えることになってしまった。
でも、僕も玖音さんの誤解をずっと訂正できずにいたし、これも必然の罰だったのかもしれない。
「うわ~ん! お嬢様、本当に私を最下位に叩き落とすおつもりですか~? 旦那様に言いたいお願いがあったのではなかったのですか~?」
「どうでしょう。忘れてしまいました。今は紗雪さんに一つ命令したい気分でいっぱいです。そうですね、逆に夏のボーナス全額返納、というのはいかがでしょうか?」
「……冗談ですよね、お嬢様?」
「ふふ。真相が聞きたくないのなら、せいぜい足掻いてくださいね、紗雪さん」
「お、お嬢様の鬼~! 悪魔~!」
「ふふふ」
せめてもの救いは、えげつないアイテムでボロボロにされながらも、紗雪さんがどこか嬉しそうにしていたことだろうか。
「お嬢様~、もう勘弁してくださいよ~!」




