仲直り
先ほどメグさんから、アイリさんは罠を張っていたという話が出ていた。
自身はゲームの特訓をして、いきなり僕をそのゲームに誘い、ほとんど練習もさせずに勝負を挑む。
僕たちのゲーム歴を考慮に入れても、それはたしかにフェアではなかったのかもしれない。
でも僕に言わせれば、今の状況のほうがよっぽどアンフェア――ズルい状況だと思う。
「アイリさんはとっさに無敵技で切り返す癖があるんです。もちろん常時そのような選択肢を選んでいるわけではありませんが、想定外の状況に陥れば陥るほどその癖が顔を出しています。だから僕は少々リスクを冒しても、貴女の思考を止めるだけで良くなります。その後のリターンが大きいとわかっているからですね。さっきの僕の選択はそういうことです。決して無謀な一撃ではないんです」
僕はずっと接待プレイをしながら、アイリさんの操作技術、性格、癖……、つまりどういう風にキャラクターを動かすのか研究してたんだ。
だってそうしたほうが、相手の大技に違和感を与えることなく被弾してあげられるからね。僕って性格悪いのかな。
それはアイリさんからしてみれば、実力を隠してこっそり研究されて、万全の状態で襲われているようなものだ。
これって絶対フェアじゃないと思う。
「そして――、そうですね、やはり実戦経験の少なさと言いますか、練習不足が露見してきていますね。勝負に押されて後手に回り始めると、今まではなかったミスが見受けられるようになってきています。まあ、人間誰しも焦ってくるとそうなりますよね。辛いとは思いますが、訓練と経験で埋めていくのが一番の早道だと思います」
言われる側にしてみれば厳しい発言を、僕はさっきからずっと続けていた。でも止めるわけにはいかない。お願いしてきているのはアイリさんのほうなんだから。
僕は彼女に上手くなってほしいと願いを込めながら、心を鬼にしてアイリさんに言葉をかけ続ける。
「それと、それに関連したことですけど、少し負けが込んできて集中力が乱れていますね。ああ、ほら。またすぐに安易な行動に逃げる。良くない傾向ですね。次の試合はその辺りの再確認をしましょうか。大丈夫、惚れ惚れするほど筋はいいと思いますよ。きっと大成できます。自分を信じて努力してください、アイリさん」
僕はそう言って躊躇いなく次の試合開始のボタンを押す。
すると、部屋がしんと静まり返っていたことに気付いた。
慌てて周囲を見回すと、ひかりちゃんとアイリさん以外のみんなが(お手伝いさんの三人も含め)、引き気味に僕を見つめていた。
「あ、ご、ごめん。止めろと言われなかったから、ずっと続けちゃってた。そろそろ終わったほうがいいかな? 僕は止めても続けてもいいんだけど」
そう言った僕だけど、それに返事をしてくれる人はいなかった。
やがて少し間をおいて、ゆっくりとメグさんが口を開く。
「センパイって結構スパルタだったのデスね。メグは成績が下がった時のことを考えると夜も眠れなくなりそうデース」
「え? そ、そうかな。アイリさんがすごく上手だったから、思わず僕も熱が入っちゃったのかも」
あれから僕は、アイリさんと何度も格闘ゲームで対戦を行っていた。
最初は一回だけの仲直りの対戦だったはずなんだけど、アイリさんが再戦を挑んできたのでそれに応じている内にこんな事になっちゃったんだよね。
それに、対戦の最初にひかりちゃんが僕に言った言葉も大きく関係していた。
「お兄ちゃん、ひかりにいつもやってくれてるように、このゲームのこともわかりやすく教えて~」
そう言われた僕が解説をしながらアイリさんと戦っていたら、アイリさんがもう一度、もう一度と挑んでくるようになったんだ。
後は現在のような展開になってきちゃった。一試合ごとに「そろそろ試合止めますか? 解説も止めたほうがいいですか?」と聞いていたんだけど、アイリさんは続けてくれとしか言わない。
いつしか僕も止めるかとは聞かなくなり、彼女に解説というかアドバイスを送り続ける形になったんだよね。
困ったように笑いながら「夜も眠れなくなりそう」と言っていたメグさんだったけど、彼女は不意に笑うと僕に言った。
「――なんて、冗談デスよ。センパイの教え方には、愛がたくさん詰まっていますからネ」
愛と言われてドキリとしたけど、真剣に教えていたことには間違いないから、そういう意味での愛情ってことだよね?
「しかし、ちょっとやり過ぎではないデスか? アイリ、真っ白になっちゃってマスよ?」
そう言われた僕は、アイリさんの今の姿を確認する。
彼女は椅子に深く座り、まるで魂が抜け落ちたようにボーッとディスプレイ画面のほうを見ていた。
「私は……、五歳も年下の少年に筋がいいと褒められ……、頑張れと優しく諭され……」
彼女は小さな声でブツブツと喋っていた。辛うじてわたし、と聞こえたのでまだ軍人さんモード(?)みたいだね。
「あ、アイリさん、そろそろお疲れのようですし、この辺りで終わりにしましょうか?」
アイリさんにそう声をかけると、彼女はビクッと体を震わして僕を見た。
「貴様……、本当に人間か?」
とってもひどいことを言われてしまった。
さすがに人類を止めてボッチの新種族になったつもりはないのだけれど。
「実はこのゲームをやったことがあったんだよな? そうだよな?」
悲痛な面持ちで、僕に問いかけてくるアイリさん。
困った僕は、すぐに笑って答えた。
「ごめんなさい、本当は興味があったので少し前から隠れてやり込んでました」
「ハハハ! やはりそうだったのか!」
アイリさんは表情を輝かせ、活力が戻った声で僕に笑いかけてきた。
僕も彼女の微笑みに笑顔を返す。
でも、彼女はすぐに大きな声で叫んだ。
「そんなわけがあるか!!!」
なんだかノリツッコミみたいな流れだったけど、彼女の迫力に僕は悲鳴を上げてしまいそうになった。
だけど、彼女は大きな声を出したことで少し冷静さが戻ったのか、頭痛を堪えるような仕草を見せた後、喋り始めた。
「私は八百長かと思って激昂してしまいました。しかし、それは間違いでした。この勝負は、もはやそのような次元ではありませんでした」
それは彼女の元の口調だった。
アイリさんは感情を押え込むように、淡々と丁寧な口調で話し続ける。
「大人が幼稚園児に全力を出すことがないように、空様も私に見合う水準まで下りてきてくださっていた。それだけのことでした。私はそれに気付かずに、正しく子どものように癇癪を起こしていたのですね」
その言葉には僕も何か言おうと思ったんだけど、すぐにメグさんが反応した。
「仕方ないデスよ。メグだってセンパイじゃなければ何かしらのトリックを疑うような事態デース」
アイリさんはメグさんの言葉に大きなため息をついた。
「センパイじゃなければ、か……。そうですよね、空様は嘘を言っているわけじゃなく、本当に今日触れたばかりのゲームで練習を積んできた私を返り討ちにしたのですよね」
「アハハ、アイリの完敗デスね」
「はい、私の完敗です」
アイリさんは口に出して負けを認めると、憑き物が落ちたような清々しい笑顔を見せてくれた。
椅子から立ち上がり、ひかりちゃんたちに向けて改めて謝罪を始める。
何度も見苦しい点があったこと、大声を出してしまったこと、またも自分の都合でひかりちゃんたちの時間を奪ってしまったことなどなど。
でも、そんな謝罪を笑顔で聞いていたひかりちゃん。
彼女はアイリさんに、先ほど聞いた質問をもう一度問いかけた。
「ねぇアイリさん、今度はお兄ちゃんとのゲーム、楽しかった~?」
アイリさんはその問いに、前と同じように驚かされていた。
でも、今度はすぐに微笑むと、ひかりちゃんに返事を返した。
「申し訳ありません、光様。私は楽しくありませんでした。只々、悔しかったです。もっとも、最後には何も考えられないくらいに叩きのめされてしまいましたけど」
それを聞いたひかりちゃん、次は僕に向かって口を開く。
でも、その前にアイリさんが、言葉を付け加えた。
「ですが、私の気持ちを伝えることが許されるのであれば、またいつか空様とゲームで勝負してみたいです」
ひかりちゃんは彼女の発言がとても嬉しかったみたい。
笑顔で僕に振り向くと、楽しそうに言った。
「やったねお兄ちゃん! 一歩前進だよ~! アイリさんはまたゲームでお兄ちゃんと遊びたいんだって~!」
僕は義妹の女の子に苦笑を返した。
アイリさんは勝負がしたいと言っているだけで、遊びたいとは言ってないと思うけどなあ。
「空様……」
苦笑していると、メイド服のアイリさんが僕の前に立ち、静かに深くお辞儀をした。
僕はコントローラーを置いて、急いで立ち上がる。
「重ね重ね、この度は本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、僕は楽しかったです。たくさん遊べましたし」
間を置かずにそう答えると、アイリさんは少し意地悪っぽく笑った。
「私を徹底的に叩き潰すことが出来ましたしね?」
「ま、まさか。そんなこと欠片も思っていませんよ。アイリさんと遊べたことが一番楽しかったです」
アイリさんはその言葉に「はぁ……」と感心したような息を吐いた。
メグさんが楽しそうに口を挟む。
「そういうことをサラリと言ってしまうところが、センパイのすごいところデスね」
メグさんはそう言ってくれたけど、僕は本当の気持ちを言ったまでだった。
アイリさんを徹底的に叩き潰したという言葉は、見方によっては事実かもしれないけど、それを嬉しいとは思っていなかったし、むしろ頭から忘れていたほどだった。
「空様は嘘はつかない……。なるほど、貴方の器の大きさは少し触れただけではわからないほど、大きかったのですね」
「え、僕の器は大きくないですよね? 小心者ですし、恥ずかしがり屋ですし。いつもビクビクしてますよ」
しかし、口に出してから気付いてしまった。
僕は自己評価が低いと叱られたばかりのアイリさん相手に、また同じような失敗を繰り返してしまったんだ。
青ざめる僕に、だけどアイリさんは小さく笑う。
「ふふ」
クールなアイリさんだったけど、なんだか今日はたくさんの人間味あふれる姿を見せてくれるなと、その笑顔を見て僕は思った。
でも、今日の僕とアイリさんの時間は、そこで終わりのようだった。
メグさんが楽しそうに大きな声を出し始める。
「ヘイアイリ、メグはそろそろ飽きてきたデース! いい加減別のことを始めるデース!」
「畏まりました。車を用意いたしますか? ジムの一室を貸し切ることも出来ますし、ガレリアを見て回るのもよろしいかと」
ガレリアは、この場合屋根付きの商店街のことだろうか。それとも美術館のことだろうか。
しかし、メグさんは窓の外を見ると微妙そうな顔で言った。
「ムゥ、結構本格的に降ってマスね。クオンはいかがするデスか? 外に出るデスか? 他に何かアイディアありマスか?」
「私ですか? そうですね……、外に出るのもいいのですが……、他に何か……、あ! ここでもラゼル出来るのですよね? こんな場所に来てまでラゼルかと思われてしまうかもしれませんが、私、ずっと前から初日に見つけた洞窟が気になっていて」
「オゥ、RAZEALデスか。たしかにこんな場所で、とは思いますが、センパイの旅行ならアリかもしれないデスね! ヒカリもそれでいいデスか?」
「うん、もちろんいいよ~!」
ひかりちゃんの返事を聞いたお手伝いさんたちが、何も言われていないのに素早く動き始める。
メグさんも気分が乗ってきたのか、声色が機嫌が良さそうなそれへと変わっていく。
「あの洞窟デスか。懐かしいデース! オオカミ、怖かったデスね!」
「はい、みんなでもう一度潜ってみましょう」
「いいデスね! ワクワクしてきたデース!」
部屋が一気に活気づいてきた。
僕がその様子を嬉しく眺めていると、ふとアイリさんが僕の名前を呼んだ。
「空様」
彼女はまっすぐ僕を見つめてきていた。
今日、突然僕に対戦を申し込んできた人。僕を叱ってくれた人。
「私は皆様にお詫びをしなくてはなりませんが、まずは一番に空様にお詫びをさせてください。そうでなければ、私の気が収まりません」
アイリさんはそう言った。
その発言から、僕に遠慮をしないでくれという彼女の意思を感じたような気がした。
僕は少し考えると彼女に伝えた。
「ではお言葉に甘えて一つだけいいですか?」
「なんなりと」
「これからもメグさんのサポートを通じて、ひかりちゃんたちが生涯の友だちとなれるよう手助けしてあげてください。お願いします」
そう言って頭を下げると、彼女は目を見開いて、口を閉じるのも忘れてしまった。
やっぱり今日の彼女はクールで無表情なアイリさんじゃないみたいだね。
やがて彼女は困ったように笑うと、僕に言った。
「随分と重い代償になってしまいましたが、これも主とお客様の前で暴れてしまった罰と考えれば当然のことでしょうか」
アイリさんはそう言ったけど、実際に重くて嫌だなんて考えていないと思う。
僕は彼女のその言葉に笑い、……そして、ふと心に浮かんだことを口にした。
「あ、それともう一つ願いが許されるのなら、これからも僕が失敗したときは、ぜひ今日のようにまた叱ってください。ひかりちゃんたちを巻き込むのは、少し勘弁してもらいたいところですけど」
それを聞いた彼女は、再び僕に驚いた表情を見せてくれた。
でも、今度は困ったようには笑わず、明確に、本当に嬉しそうに笑って言ったんだ。
「お断りです。一つだけというお話でしたし、私にはその一つで手一杯ですので」
彼女はそう言うと僕に頭を下げ、そしてそのまま他のお手伝いさんの中に混ざっていってしまった。
後に残された僕は、しばらく呆然と立ち尽くす。
でも、やがて頭の回転が戻ってくると、僕も嬉しい気持ちでいっぱいになってきた。
僕は一人、口元を隠して笑う。
アイリさんとの突然の格闘ゲームでの勝負。
着地点が見えずにグダグダしたような気もしたけど、終わってみれば決して悪くない、スッキリとした終わり方だった。
「お兄ちゃん、準備の邪魔になってるよ~。ひかりの側においでよ~」
その声でハッとなった僕は、近くで止まっていたお手伝いさんに謝罪し、すぐにひかりちゃんの隣へと移動した。
彼女はごく当たり前のように僕に一歩近付き、腕を絡めてきた。
「お兄ちゃん、よかったね。みんな笑顔に戻ったよ」
彼女の言葉に僕は思う。
根本的な問題は解決していない今回の出来事だけど、雨降って地固まる、というか、みんなの結束力は強まったような気がした。
「うん、一時はどうなることかと思ったよ。みんなが居てくれてよかった。僕とアイリさんだけで対戦してたら、もしかしたら違う結果になっていたかもしれないからね」
アイリさんは曲がったことが嫌いな性格みたいだ。
僕は手を抜いたつもりはなかったけど、彼女に誤解されていたかもしれない。
そして、随分と後になってそれに気付かされていたら、また彼女の受け取り方も違っていたかもしれない。
僕は一人じゃなく、みんながいたからこの結果を迎えることが出来たと思う。
僕はみんなを見回して、そして心から言った。
「僕は幸せ者だ」
叱ってくれる人がいて、助けてくれる人がいて、そして一緒に遊んでくれる人がいる。
ひかりちゃんはクスリと笑うと、さらに甘えるように体を寄せながら言った。
「ひかりも幸せ者だ~。でも、お兄ちゃんは明日もっと幸せになるんだよ。ひかりたちがたっくさん祝ってあげる~!」
僕は苦笑しながら、彼女に告げた。
「ありがとう。どうして祝われるのかわからないけど、楽しみにしておくよ」
「うん!」
「でも、さっきから恥ずかしすぎるから、そろそろ離れてね」
「ぶ~!」
僕が何もしなくても、ゲームの準備が整う。
アイリさんからVRゴーグルを受け取る。――と思ったら、笑顔の彼女に被せられてしまった。
「さあセンパイ、みんなでセンパイの大好きなゲームを遊びマショー!」
メグさんの掛け声で、僕たちはVRの世界に旅立った。
まだ明日を残しているのに、こんなに幸せでいいのかなと思った。
明日は八月一日。
僕は青く澄み渡った夏空の下、元気良く生まれてきたらしい。




