彼女は憎まれ役になろうとも
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その日は予報通り、朝から雨が降っていた。
天候と僕の性格を踏まえてくれて、予定はすべてキャンセル。
家の中でのんびり過ごそうという話になった。
女の子たちは時間もあるし、ちょっと凝った料理でも作ろうかなどと言って盛り上がっていた。
僕としては変なフラグが立ったような気もしたけど、まあアイリさんたちお手伝いさんもいるかと思い適当に聞き流していた。
しかし、事態はある時一変する。
思い返してみれば、これがアイリさんの決意表明だったのかもしれない。
「皆様、紅茶はいかがでしょうか?」
会話をしていた僕たちに、アイリさんはそう言って近付いてきた。
視線を向けた僕は盛大に驚く。
彼女が着ていたのは、いわゆるメイド服だった。
アイリさんたちお手伝いさんは、別荘では毎日黒服を着て僕たちのサポートをしてくれていた。
その日も朝からその黒服姿だったはずなのに、いつの間に着替えたのか、見事な着こなしで洋風使用人に様変わりしていた。
「(何かサプライズイベントでもしてくれるのかな?)」
とっさに僕はそう思った。
主であるメグさんも驚いていて、不思議そうにアイリさんに声をかけていた。
「アイリ、どうしたのデスか? 今回その服は着ないのではなかったのデスか?」
「申し訳ありませんメグ様。唐突ではありますが、皆様にぜひお楽しみいただきたいことがありまして」
「オゥ、そうなのデスか? それは楽しみデース!」
それはやはりサプライズイベントのようだった。
得心がいった僕は、ゆったりと椅子に座り直す。
しかしおかしなことに、ひかりちゃんと玖音さんはそこまで驚いているようには見えなかった。
疑問に思った僕は、小声でひかりちゃんに話しかける。
「ひかりちゃんは随分落ち着いているけど、驚かなかったの?」
その質問の方がひかりちゃんには驚きの内容だったみたい。
目を丸くしていたひかりちゃんだったけど、すぐに笑って僕に教えてくれた。
「そっか~。お兄ちゃんはメイド服のアイリさん、初めて見るんだね~。でも、ひかりは今のアイリさんのほうが見慣れているんだ~。だってメグちゃんの家ではアイリさん、いつもメイド服なんだよ~」
今度は僕が驚く番だった。
アイリさんもメグさんと同じく海外の血を引く美人さんだ。
メイド服が板についていると思っていたけど、まさか日常的に着ていただなんて。
そしてその時、お手伝いさんの一人がメイド服に着替えて出てくるのが目に入った。
入れ替わりに黒服のお手伝いさんが消えていく。どうやらお手伝いさん全員が、メイド服に着替えるみたいだった。
「それでアイリ、早速デスが、何をしてくれるのデスか?」
「はい。しかしメグ様、今日の主役は空様になっていただこうかと考えておりまして」
「ワォ、センパイデスか! それはグッドアイディアデース!」
指名された僕は一瞬頭の中が真っ白になってしまった。
僕が主役になる日は明日だと思っていたけど、まさか今日も僕のためになにかしてくれるなんて。
でも、よく考えたらこの別荘行き自体が僕を主役にして考えてくれているんだっけ。
「では空様、こちらをどうぞ」
アイリさんが僕に、ピカピカのゲームの専用コントローラーを渡してくれた。
他のお手伝いさんたちも忙しなく動き、あっという間に僕たちの前に大きなディスプレイが用意される。
「アハハ、たしかにこれはセンパイが主役デスね」
そうやってメグさんは楽しそうに言ったけど、僕は楽しみより緊張のほうが勝っていた。
僕はゲームは大好きだけど、女の子の前で何かをすることには慣れていない。
さて、どんなゲームをやらされることになるのかな。
そう思ってドキドキと――でもやっぱりちょっとワクワクしながら、僕は自分の手の中のコントローラーとディスプレイを交互に見ていた。
しかしアイリさんが持ち出してきたゲームソフトは、思いも寄らなかった意外なソフトだった。
「(格ゲー?)」
僕は心の中で盛大に首を傾げた。
それは、この場に最も似つかわしくないゲームジャンルだと思った。
格ゲー。対戦型格闘ゲーム。
それはプレイヤー同士がそれぞれキャラクターを操作して、ゲーム上で殴る、蹴るといった戦闘をして勝敗を決めるアクションゲームの一種だ。
プレイヤーは多くの場合一対一で戦う。そして飛び道具も存在するけど肉弾戦が基礎となっていることがほとんどのゲームだ。
というか、射撃メインなら『格闘』ゲームとは呼べなくなると思うし。
「空様は、こちらをご存知ですか?」
アイリさんが持ち出してきたゲームは、先月発売されたばかりの有名な格ゲーだった。
ジャンル最大手とも言えるタイトルの一つで、根強い人気を誇り、毎年世界大会も開催されている。
今回のゲームは、そのシリーズの最新作だった。
「は、はい。そのシリーズは遊んだことがあります。最新作のそれは初めて見ますけど」
僕は最近ひかりちゃんたちと一緒だったから、どんなゲームが発売されているかはだいたい知っていたけど、実際に購入したソフトは一本もないんだよね。
アイリさんは僕の答えに微笑むと、手のひらをディスプレイへと向けた。
「では、ちょうど良かったではありませんか。最新作を存分にお楽しみください」
「え、で、でも……」
僕は口淀む。
格ゲーは文字通り、殴る蹴る、ゲームによっては斬る、叩く等のバイオレンスな表現が盛り込まれている。
今回の最新作はドット絵――実在の人物には思えない絵が採用されているので少しはマシだろうけど、それでも女学院の女の子の前で見せても良いものだろうか。
そして何より、なんだかアイリさんが少しいつもと違う雰囲気のように思えていた。
妙に強く勧めてきているというか、もう逃さないぞ的なオーラを出しているというか。
「光様、玖音様、このゲームは少々暴力的で過激な表現が含まれております。もしそれが苦手なようでしたら、あちらで間もなく自慢のビスキュイが焼き上がりますので――」
いつから仕組まれていたのだろう。アイリさんがその発言を始めた頃に、絶妙のタイミングで美味しそうな匂いが漂ってくる。
しかし、アイリさんが喋り終わる前に、ひかりちゃんが笑いながら口を挟んだ。
「だいじょうぶだよアイリさん。ひかりは平気だよ~」
「わ、私もこのゲームがどのようなゲームなのかは理解していますので……」
ひかりちゃんがそう言ったのに続いて、やや慌てて玖音さんも言葉を続ける。
外堀は埋められてしまった。
言葉を失う僕に、アイリさんは改めて微笑む。
「空様、皆様も空様のご雄姿を待ち望んでいらっしゃるようです。さあ、ぜひ」
「わ、わかりました」
アイリさんに言われた僕は、観念してコントローラーのボタンに触れた。
すでにゲームは準備されていたみたいで、ディスプレイにはすぐにタイトル画面が表示された。
「アイリ……」
メグさんが悲しそうにアイリーンさんの名前をつぶやいたのが、僕の心に残った。
◇
少し細かく説明すると、今回の格ゲーは2D格闘ゲームに分類される。
2D格闘ゲームでは必殺技コマンド――プレイヤーが決められた複雑な操作を入力することでキャラクターは必殺技と呼ばれる強力な技を繰り出すことが出来るんだ。
僕は格ゲーも遊んだことがあるので、必殺技の入力は慣れたものだ。
別に持ちキャラってわけでもないけど、なんとなく主人公に設定されているキャラクターを選択してゲームを始める。
格闘ゲームはプレイヤー同士の対戦が主流だと思うけど、CPU――コンピューターを相手にして遊ぶことも出来る。
僕はそのCPUを相手にするストーリーモードでキャラクターのストーリーをひかりちゃんたちに見てもらいながら、合間に挟まれるCPUとの対戦を楽しんでいた。
「(変わらないなあ。定番のお菓子を食べたときのような安心感と満足感。やっぱりゲームっていいよね)」
細かく変わったところはあるけれど、大幅なシステム変更はなさそうだった。
そのおかげで、シリーズの経験者である僕はCPUに圧勝しながらゲームを進めていた。
まあ、設定弄ってないから難易度がノーマルのままだからね。余計に余裕だったよ。
そして、ラストバトル。
さすがにちょっと被ダメージが増えてしまったけど、そこまでステージを進めてくる中で見つけ出したコンボを叩き込み、無事無敗のまま勝利。
この手のゲームでは定番となった隠しのEXステージも危なげなくクリアして、ゲームエンド。
「お~? あれ、もう終わっちゃったの? たしかにお話は綺麗にまとまったけど~」
スタッフロールが流れ始めると、ひかりちゃんが驚いた声を上げる。
僕は苦笑して彼女に言った。
「こういうゲームはね、ストーリーはあくまでおまけなんだ。でも、さっきいっぱい登場人物がいたでしょ? あの人たち全員に個別のお話が用意されてるよ」
「お~、そうなんだ~」
僕は改めて笑い、ひかりちゃんに「誰か気になった人はいた? その人の話を見てみようか?」と問いかけようと思った。
しかし僕が口を開いた瞬間、クールな声がそれを制してきたんだ。
「そうです、光様。ストーリーはあくまでおまけなのです」
それはアイリさんの声だった。
彼女が声を出すと同時に、部屋で再び小さな動きが起こる。
メイド服のお手伝いさんたちが椅子を持って現れ、メグさんの隣に席を設けたのだ。
その椅子に、すぐにアイリさんが腰を下ろす。主であるはずのメグさんはそんなアイリさんに対し、ただ見つめるだけで何かを言うことはなかった。
「このゲームの真価はプレイヤー同士の競い合いです。先ほどはAIが相手をしていましたが、これからは空様のお相手を私が務めさせていただきます」
そう言うアイリさんの手には、いつから握られていたのかゲームのコントローラー。
ゲーム画面に、挑戦者が現れたこと知らせる英文字が表示される。
スタッフロール終了直前に現れた挑戦者。
彼女こそが、今回の別荘でのお泊まり会のラスボス――アイリーンさんだった。
2D格闘ゲームはゲームの性質上、プレイヤーの技術やセンスが大きく問われる。
必殺技コマンドの入力が覚束ないとスタート地点にも立てないし、そこから先でもダメージソースであるコンボ入力の正確さを求められ、さらには自分と相手のキャラの得手不得手、果てにはすべての技の細かな性質まで覚えなくてはいけなくなる。
とにかく敷居が高いゲームなのだ。
そして、白熱した試合とは、両者の実力が互角に近ければ近いほど起こりやすくなる。
実力差がありすぎると、試合という名の一方的な処刑が始まるだけだよね。
そんなわけで、僕は格ゲーで面白く対戦するのは難しいと思っていた。
しかし、いざ始まってみると、その対戦内容は驚くべきものとなった。
「……あれ? お兄ちゃん負けちゃった?」
僕の操作するキャラクターが動かなくなり、ひかりちゃんが可愛らしく首を傾げる。
そしてその僕自身は、さっきから驚きの連続だった。
「いいえ光様、柔道で言うところの、技あり、と言ったところでしょうか」
柔道の技ありとは、二回で一本と同じ効果。つまり僕は後がなくなった形になっている。
「お~、でもひかり、柔道ってよくわかんない」
クールなはずのアイリさんだけど、その言葉で軽くメガネがズレちゃった。
だけど、彼女の操作がブレることはなかった。冷静で正確に、僕のキャラクターを追い詰めてくる。
「わ、またお兄ちゃんやられちゃった。今度こそお兄ちゃんの負けなの?」
今度はアイリさんが発言するよりも早く、僕がひかりちゃんに返事をする。
「うん、負けちゃった。アイリさんはすごいよ。難しい操作をきっちり正確に行ってる」
「お~」
ひかりちゃんが感服したようにアイリさんを見る。
そんなひかりちゃんに、アイリさんは軽く目をつぶって頭を下げた。
僕は喜びの気持ちを隠しながら、そのアイリさんに話しかける。
「驚きました。アイリさんはゲームが得意だったんですね」
その発言は最初の取っ掛かりのつもりだった。
僕はそこから、他にどのようなゲームをしているのか等を聞こうと思っていた。
しかし、アイリさんはすぐに短く否定した。
「いいえ」
「……え?」
戸惑う僕に、アイリさんは発言を続ける。
「空様がゲームがお得意だと聞いて、それから勉強を始めました。私自身はゲームが得意だとは思っていません」
「……では、アイリさんはゲーム歴一ヶ月ぐらいなんですか?」
「はい」
「ほ~……」
信じられないような話だった。
アイリさんはゲームを始めて一ヶ月で、格ゲー上級者と言っていいほどの実力を身に着けていた。
普段のお仕事も忙しいはずなのに、彼女はゲームを頑張ってくれたみたい。
嫌々やったわけじゃなくて、ゲームの良さに気付いて練習してくれたのなら、同じゲーム好きとしては喜ばしいかぎりだよね。
「さあ空様、お話はこれくらいにしてどんどん行きましょう。まだ始まったばかりですよ」
「はい、よろしくお願いします」
僕は思わずニヤけてしまいそうになる顔を引き締めながら、コントローラーを握り直した。
ゲームが好きな僕は、知ってる人とゲームで遊べるのは純粋に嬉しい。
でも、ひかりちゃんたちにも楽しんでもらいたいけど、彼女らへの対応はどうすればいいのかな。
僕は負けてる側だけど、試合の合間に解説を入れるしかないのかな。
色々なことを考えながら、僕もアイリさんとの試合も真剣に取り組む。
だけど結局僕には格ゲーでひかりちゃんたちを盛り上げることは出来ず、そしてそれから一時間ほど、僕はアイリさんに負け続けたのだった。
◇
失敗したかなと思いつつ食卓に着いた。
昼食は玖音さんとメグさんお手製のパスタ。だけどせっかく彼女らの美味しい食事が並べられても、食卓は若干重苦しい雰囲気に包まれていた。
「アハハ、センパイ、一度も勝てなかったんデスか?」
「うん、アイリさんはすごいよ。全然ミスしないんだよ」
「……そうデスか」
ゲームの後半、玖音さんとメグさんは料理を作りに離席した。
ひかりちゃんは隣でずっと見てくれていたけど、それが却って仇になったみたい。
これなら僕は、別の部屋でこっそりとアイリさんと対戦したかったなあ。
僕はゲームで負けることに特別な感情を持っていない。
もちろん好きなゲームで一回戦敗退とかなったら悲しいけど、普段のゲームでは守るべきプライドに固執するタイプではないと思う。
でも、ひかりちゃんたちは僕に幻想を持ってくれていたみたい。
特にゲーム後半のひかりちゃんは、僕がいくら明るく話しかけてもあまり返事を返してくれなくなっていた。
「いただきます」
食卓にみんなの挨拶が響き渡る。
だけど、それはどこか元気がない声だった。
僕は努めて明るく振る舞い、食事の感想やここ数日間の感謝や明日への期待を口にしたりした。
それでも僕のコミュ力では食卓はなかなか明るくならなかった。
困った僕は、ある話題を口にする。
「じゃあ、午後からはみんな何をする? せっかくコントローラーと画面を用意してくれているんだから、みんなでパーティゲームでも――」
しかし、僕の発言はそこまでだった。
その僕の発言に、しっかりと芯の通った声が被さってくる。
「空様は、私のお相手をしてもらいます」
本当に、ビックリさせられる発言だった。
僕は対人能力が低いから、そこでやっと気付くことが出来た。
僕はアイリーンさんに試されていた。
ひょっとしたら、いや、ひょっとしなくても彼女は、僕のことを否定的に捉えているのかもしれない。
これは僕への試練だと思った。
アイリさんは僕のことを観察して、僕の何かが気に入らなかったのだろう。
僕はメグさんのお手伝いさんが悪い人だなんて思わない。
きっと彼女は彼女なりに僕のことを考えてくれているんだと思う。
だからアイリさんは心を鬼にして、部屋の空気が悪いのを承知の上で僕に言ってきてくれているに違いないと思った。
「……どうします、センパイ? メグが止めろと言えばそこでおしまいデスよ?」
メグさんが苦笑しながら僕に問いかけてきた。
でも、その表情には今までにはなかった『楽しさ』のようなものが含まれている気がした。
僕は少し考えて、そしてメグさんとアイリさんに返事をした。
「ごめんメグさん、僕はもう少しだけアイリさんと対戦したい。そしてアイリさん、僕はずっと貴女と一緒に対戦してもいいのですが、やっぱりひかりちゃんたちには格ゲーはよくわからないと思うんです。だから後三回、後三試合で許してもらませんか?」
その言葉で、皆の視線がアイリさんに集まる。
彼女はそれでも怯むことなく、僕をまっすぐ見て言った。
「では、最後の三試合、全力で来ていただけますね?」
「はい。最後の三試合も、全力で行きます」
僕とアイリさんはそう言葉を交わした。
彼女は僕を見て、不敵に笑った。
それは僕が初めて見た、アイリさんの人間らしい表情だったのかもしれない。
「それでは、楽しみにしております」
僕はその言葉には返事をしなかった。
代わりに小さく会釈を返す。
そうして僕は、食事を再開させた。
そして、アイリさんも改めてメグさんの隣に立った。
彼女はメグさんに、そして他の女の子二人に頭を下げながら、言う。
「すみませんメグ様、そして光様、玖音様。この罰は後で、如何様にも」
深々と頭を下げるアイリさんに、メグさんは再び苦笑して言った。
「アイリに罰を与えても、センパイが余計に苦しむだけだと思いますケドね」




