不安に思う気持ち
万全の準備をして臨んだ期末テストは、彼女らの飛躍の切っ掛けとなった。
いわゆるエスカレーター式の女学院に通っている彼女たち。
彼女らもテスト前は勉強に励んでいたみたいだけど、なんとなく流れに任せて勉強していた感覚も持っていたみたい。
それが今回、特にひかりちゃんとメグさんは、こんなに勉強したのは久しぶりだと言ってくれるほど頑張ってくれた。
それもそのはず、僕はテスト前でも普通にゲームをして遊んだりするんだけど、真面目な彼女たちはテスト前は勉強に専念すると言い出してたのだ。
「ただいま~、お兄ちゃん!」
「センパイただいまデース!」
「お、お兄さん、ただいまです」
そんなわけで、僕としては「やり過ぎだ。反動が怖い」と思えるほど勉強した三人。
よほど手応えを感じていたのか、テストが終わるたびに上機嫌で帰ってきていた。
「みんなおかえり。今日も上手く出来た? 緊張したりしなかった?」
「だいじょうぶだよ~お兄ちゃん。お兄ちゃんの注意してくれたことはちゃんと守って上手にできたよ~」
「そうデース。ヒカリの言ってた魔法の授業は本物デシタ。メグも生まれ変わってしまいマシター!」
「わ、私もいつも以上に出来ていると思います」
彼女たちの返事を聞いた僕は、大きく安堵の息を吐き、そして僕も最後まで頑張ろうと意気込みを新たにする。
学生の本分は勉強という言葉もあるように、テストの点数は僕たちの評価の大きな指標になると思う。
僕の家に遊びに来るようになった玖音さんとメグさん。
成績次第で、僕の家に来ることへの良し悪しが判断されてしまうかもしれない。
これからも玖音さんとメグさんが気持ちよく僕の家で遊べるように、彼女らにはいい点数を取ってほしいと思っていたんだよね。
なんだかおまけみたいになっちゃったけど、本人のためにもなるだろうしね。余計なお世話かな?
けど、反省させられることもあった。
僕はたまにブレーキを踏み忘れて暴走しちゃうことがある。
今回もそんな失敗をしてしまった。それはテストも残すところあと一日となった日。
その日、玖音さんとメグさんは久しぶりに自宅に直帰していた。
最終日は暗記系科目だけだったので、各自のペースでそれぞれ覚えてもらうことにしていたんだよね。
ひかりちゃんもリビングで、一人真面目にノートに書き取りをして勉強していた。
違う学校に通う僕はその日にテストが終わっていたので、ひかりちゃんの様子を見ながらスマホで料理について色々調べていた。
「(三人とも食べられないものがないのが嬉しいよね。いろんなものを試してあげられる)」
そんなことを考えながら調べていたら、ついついスマホのほうに夢中になってしまっていた。
僕が異変に気づいたのはそんなときだ。目を離してしまっていたひかりちゃんの方から、可愛らしい寝息が聞こえてきたんだ。
「(え、ひかりちゃん?)」
テストはまだ一日あるというのに、ひかりちゃんは机に突っ伏して眠っていた。
彼女の寝顔を見るのは初めてではなかったけど、その日の彼女も寝苦しそうな様子はなく、気持ちよさそうに眠っていた。
早寝早起きして、睡眠時間は十分に取って疲れは残さないようにとみんなに言っていた僕。
実際にひかりちゃんの睡眠時間もだいたい把握していたはずだったけど、それでも僕は女の子の、彼女らの頑張りがもたらす体への負担のことを甘く考えていたみたい。
「(もしかして……)」
僕は青ざめながら立ち上がる。
まずはひかりちゃんにタオルケットをかけてあげて、そしてすぐにスマホから一人の女性の番号を呼び出した。
先日教えてもらったばかりの彼女。何かあれば必要になるだろうと押し付けられた番号だったけど、それがこんなにも早く必要になるだなんて。
一応ひかりちゃんを起こさないように、リビングから離れながら電話をかけていた僕。
でも、そのコールは三秒も経たずに繋がった。
「もしもし坊ちゃま? どうされましたか~?」
ひかりちゃんが寝ているのに、僕はそれを聞いた瞬間派手に転びそうになってしまった。
僕が電話をかけた相手は玖音さんのお手伝いさん。
少し、いや結構お茶目なところがある彼女。それは電話でも変わらないらしい。
「ぼ、坊ちゃまって何ですか? 僕の名前はご存知ですよね?」
「だって玖音お嬢様もお兄さんって呼んでいるじゃないですか。ここは私も何か愛称で呼ばないと、と使命感に燃えてました。こんなにも早く使えて嬉しいです」
本当に嬉しそうにそう言ったお手伝いさん。
その様子から、ひょっとしたら彼女は休暇中、もしくは休憩中なのかもしれないと僕は思った。
しかし彼女はそこで声の調子を落とすと、真面目な声で言い始めた。
「でもすみません。坊ちゃまのようなお方からわざわざ連絡いただけたってことは、何か緊急の話なのですよね?」
彼女はお茶目なところもあるけど、やはり優秀な玖音さんのお手伝いさんだった。
ペースが狂わされていた僕も、その言葉で我に返る。
「玖音さんの様子を見ていただきたくて。どうやら僕はテスト勉強で無理をさせすぎてしまったみたいで、今ひかりちゃんが疲れて眠ってしまったんです。玖音さんも体調を崩していないかと心配になってしまって」
「畏まりました。そのまま電話を切らずにお待ちいただけますか? すぐにお嬢様の部屋に行ってみますね」
「お願いします」
ドキドキしながらお手伝いさんの続報を待つ。
しかし彼女、玖音さんの家の中であんな口調で喋っていたみたいだ。やっぱり休憩中のところへ電話しちゃったのかも。まさか普段の勤務中からあんな感じというわけでもないだろうし。
「あちゃー。坊ちゃまの予感、的中ですよ~」
「……すみません」
間もなく電話口から聞こえてきた声に、僕は肩を落とした。
「お返事がないので入らせてもらいましたけど、仮眠を取られているみたいですね。でも、体調を崩しているようには見えませんよ。そこは一安心ですね」
お手伝いさんはそう言ってくれたけど、僕の気持ちは沈んだままだった。
玖音さんが体調を崩していないのは嬉しかったけど、それでも彼女に無理をさせてしまったのは僕だ。
「もうちょっと気を回してあげるべきでした。申し訳ありません。それと、迷惑ついでに紗雪さん、一つ頼まれごとをしていただけませんか?」
電話番号を教えられたときに聞いた名前で、僕は彼女にお願いをする。
紗雪さんはそれだけで察してくれたみたい。
「あー、わかりました。後は適当にこちらで起こしますね。むしろ今から起こしちゃいます? 坊ちゃまからのモーニングコール?」
「……では、お願いします」
紗雪さんは冗談めかしてそう言ってくれたけど、その時の僕は彼女の冗談には付き合えなかった。
これからメグさんのお手伝いさんにも電話をしなくちゃいけないし、玖音さんも僕に起こされるよりは紗雪さんに起こされたほうが良いと思うし。
僕はそんな考えから、電話を終わりにしようと思っていた。
だけど紗雪さんは僕の口調から何かを感じ取ったのか、ポツリと言った。
「そんな生き方、辛くないですか?」
「え?」
唐突な、そしてドキリとするような発言だった。
彼女はどこまで僕のことを知っているのだろう。玖音さんから色々と聞いていたりするのだろうか。
紗雪さんはそこで声の調子を変え、明るく話し始める。
「私は自分が少し変わってるって自覚してますし、五辻家の品格とかを考えると巫山戯た態度は止めたほうがいいのかなって考えてしまうこともありますよ」
そこで彼女は一息入れると、さらに明るい声で言った。
「でも、私を雇っているのは家長のお父さんですし、まあいいかなって。品格を下げてるのは私のせいじゃない。私みたいなのを雇っているお父さんが悪いんだ―、ってね。坊ちゃまもそう考えてみてはいかがですか?」
五辻玖音さんの家のお手伝いさん。
彼女は僕に、責任を感じすぎるなと諭してくれたみたい。
たしかに僕がどこまでも責任を負おうとする態度はおこがましいのかもしれない。
でも、僕がひかりちゃんたちに自己責任だなんて言えるわけがないよね。
「ありがとうございます。考えておきます。玖音さんのこと、お願いしますね」
「うわっ、優等生の返事だ。坊ちゃまってテスト前に余裕ぶっててクラスメイトに怒られるタイプでしょ?」
紗雪さんの言葉に、僕はギクリと体を強ばらせた。
それはまさに先日僕が体験した話だ。
でも、そこで僕は考えた。
わざわざ自分を悪く言って僕に優しい言葉をかけてくれた彼女。
ここは僕も自分を悪者に言って、バランスを取ろうかなって。
それに、僕が暗いまま電話を終えたら彼女も気を遣っちゃうかもしれないよね。
「あー、僕ってここ数年テスト勉強なんてしたことないんですよ。それでも学年二位とか維持してますので。余裕ぶるのも仕方ないと思いませんか?」
「……オイオイ」
「おっと、このことは玖音さんには言わないでくださいね。僕のメッキが剥げちゃいます」
玖音さんには言わないで。
この言葉に僕は言外の意味を込めた。今回の紗雪さんの独白は、僕も誰にも言いませんよ、と。
しかし紗雪さんは、僕のその意図も汲み取った上で笑って言った。
「あのー、私、自分がお屋敷の品格を下げてるっていつも公言しているんですけど? 私の性格からすればそれもネタにするの、わかりますよね?」
「うっ……」
浅はかな僕の発言は、紗雪さんに笑われてしまった。
慣れないことはするべきじゃなかった。やっぱりコミュニケーションって難しいね。
「で、でも、品格を下げてるのはお父さんのせいだー、ってのはさすがに問題ですよね? そこまで言ってはいないのでは?」
「おぉ、坊ちゃまも痛いところを突いてきますね。たしかにそれを言い始めたら、私もクビまっしぐらですかね」
「だ、だからお互い今日のことは秘密にしましょう。それでお話は終わりにしましょう」
そう言って僕が電話を終えようとすると、紗雪さんも笑って受け入れてくれた。
引き止めないように、気を遣ってくれたのかもしれない。
「はい、そうですね。長話にお付き合いいただき、ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました。玖音さんのこと、よろしくお願いします。それでは失礼します」
通話を終えて、肩の力を抜いた。
こっそりとリビングを見て、ひかりちゃんがまだ寝ていることを確認する。
紗雪さんと話す前より、気持ちは少し楽になっていた。
でも、ひかりちゃんを見ていると、やっぱり自分が未熟だったかなと後悔する気持ちが湧き上がってきた。
「(……責任を持ちすぎるな、か……)」
僕はそう心の中でつぶやきながら、次はメグさんのお手伝いさんへと電話をかけた。




