当面の予定が決まった日
「アハハー! センパイ! これ、楽しいデスね!」
「気に入ってくれて何よりだけど、メグさん、少々突っ込みすぎじゃ……」
「ノープロブレムデース! やられたらやられたとき――オウ、シット!」
「ちょ、ちょっと無茶しすぎたみたいだね?」
「アハハハハ!」
ひかりちゃんが新しく連れてきたお友だち、メグさん。
彼女は今、僕と一緒にゾンビを倒すVRFPSを遊んでいた。
長年友だちをやってきたひかりちゃんの目に狂いはなく、彼女が薦めたゲームをメグさんは一発で気に入っていた。
とにかく前に出て敵を倒しまくるメグさん。やられちゃっても全然楽しそうに、あっけらかんと笑っている。
「すぐ救助に行くね。――はい、もう動けるよ」
「ありがとう、ございマース!」
「の、のーぷろぶれむですよ」
VRゴーグルを被り、銃の形をしたコントローラーを持って、そして専用のマットの上に立つ。僕たちはそうすることで、別世界に迷い込んだかのような体験をすることが出来る。
あとは、手に持った銃で迫り来るゾンビを撃ち倒していくだけだ。
「Fire! Fire! アハハ! メグ、夢が一つ叶いマシタ!」
「夢?」
「メグはテッポー撃ってみたかったデース。でも、日本から出ないと決めていたメグには叶わない夢デシタ!」
「な、なるほど。でも、この国でも資格を取ればクレー射撃とか出来るはずだけどね」
「ワッツ!? あ、でも面倒そうなので結構デース」
「う、うん。それでもいいと思うよ」
ちなみにひかりちゃんは喋ってないけど、ちゃんと近くでニコニコ笑いながら僕のゲーム画面を見ている、と思う。
僕もVRゴーグルを被ってゲーム画面を見ているから、今はひかりちゃんの姿を確認できないんだよね。でも、僕のゲーム画面は壁掛けディスプレイの方にも出力してあるから、そっちを見てくれてると思う。
「センパイ、ヘルプミー!」
「も、もうさっきからずっと撃ってるよ。囲まれすぎだよメグさん」
メグさんは運動神経はとても良さそうだった。
軽く操作を教えただけで、後はあっという間に自分で慣れてしまった。
彼女が危険な状況に陥ってるのは、操作技術が未熟なせいじゃなくて単純に無謀な突撃をしているからだね。
あと、メグさんはゲームをクリア出来るか出来ないかじゃなくて、今が楽しいか楽しくないかを重視する性格みたい。
もちろん、そういう楽しみ方もアリだよね。
と、そう考えていた僕は、意外な彼女の行動も目にすることが出来た。
「ワォ、Monster」
彼女が言っているのは、最初のステージのボス。体が筋肉やらで膨れ上がった大男だ。
僕はてっきり喜び勇んで突撃していくのかと思っていたけど、なんとメグさんはちゃんと距離をとって、慎重に射撃をし始めた。
「ムゥ、銃弾が弾かれてマース。アー、頭が弱点デスか」
ちゃんと自分の射撃がどうなっているかを認識しているメグさん。
僕は自分が倒してしまわないように銃撃を控えながら、彼女のサポートに回る。
「アン? 次は頭が硬くなりマシタ。どういうことデス? アア、そういうGimmickデスか」
さっき楽しそうに騒いでいた彼女とは別人のように、冷静に行動していくメグさん。
ゲームの仕掛けを見破っても、派手に喜んだりはしない。僕は彼女の集中力に感心していた。
そうしてボスがやられそうになったとき、ゲームは最後の試練を提示する。
突如大勢で襲いかかってくるゾンビの集団。ゲーマーではない彼女にとっては完全に不意打ちとなったことだろう。
一斉に彼女に迫るゾンビたち。
しかし、彼女は一瞬でその状況を確認すると、僕に向かって楽しそうに言ったんだ。
「センパイ、ヘルプミー!」
「任せて!」
僕は確信していた。
彼女も成績は悪いのかもしれないけど、それはきっと能力を発揮できていないだけだ。
伸び悩んでいる彼女を上手に手助けできれば、成績もひかりちゃんのように改善されていくはず。
こうして僕とメグさんのコンビは、なんだんだであっさりと最初のステージをクリアしていた。
そこで、またメグさんが意外なことを言い始める。
「アア、楽しかったデース。満足しマシタ」
「あれ、メグちゃんもういいの? まだ続きあるよ~?」
ゴーグルをいじり現実世界の景色を見ることが出来るように変更すると、ひかりちゃんが不思議そうに首を傾げ、メグさんはゴーグルを脱ごうとしている姿が目に入った。
「もういいデース。とっても楽しかったデース」
メグさんのその言葉には、飽きたとかそういうネガティブな感情は読み取れなかった。
彼女はきっと本当に楽しめて、そして満足してしまったのだろう。
僕はある決心をすると、大きく息を吸い込んだ。
「次はヒカリが――」
「勉強を始めよう!」
メグさんの発言を遮って大きめの声を上げた僕に、二人の驚いた視線が集まる。
その視線で、僕は改めて自分の状況を思い返した。
「(よく考えたら、メグさんもかなりの美少女でしかも初対面なんだけど、なんか緊張する間もなく彼女のペースに巻き込まれちゃった気がするなあ)」
それも悪くないかな。僕はそう感じながら、ひかりちゃんに向かって声をかける。
「ひかりちゃん、ひかりちゃんは遊べずにお勉強タイムになっちゃうけど、いいかな? 今がメグさんが勉強を始めるのに一番適したタイミングだと思うんだ」
その言葉を聞いたひかりちゃん。
最初は驚いて固まっていたけど、徐々に口元が綻び始め、やがて満面の笑みに変わったんだ。
「ひかり、勉強する!」
「いいんデスか? ヒカリ?」
「うん、メグちゃんには頑張ってもらいたいし、ひかり、お兄ちゃんの勉強するの嫌いじゃないからね~」
「……メグも少しやる気が出てきマシタ。見る見る成績が上がるお兄さんの魔法の授業、受けてみたいデース!」
そこには勉強はしたくないと言っていたメグさんはいなくなっていた。
今や彼女は、やる気に満ち溢れた目で僕を見ている。これならバッチリ勉強は捗りそうだ。
「じゃあ早速始めよう。まず、次にメグさんが受けるテストはどんなものか教えてもらえるかな?」
僕は頭の中でこれからの計画を考えながら、メグさんに尋ねた。
◇
勉強が嫌いだからテストでいい点数が取れない。テストでいい点数が取れないから、ますます勉強に興味がなくなっていく。
この悪循環を断ち切ってあげたいと思った僕は、次のテストで好成績を残し、やれば出来るという気持ちを持ってほしいと考えた。
しかし、間の悪いことにメグさんが次に受けるテストは中学校時代のおさらいテストみたい。
中学校のおさらいと言われてしまうと、ヤマを張って付け焼き刃でいい点数を取らせてあげることも難しい。
しかもメグさんが大の苦手とするテストは、暗記が必要とされるテストらしい。
暗記はどうしても地道な作業が必要になる。魔法の授業と言ってもらえた僕だけど、魔法使いのように彼女の頭に知識を詰め込めるわけじゃない。
「かんむてんのー、へいあんきょー。げんじものがたーり、むらさきしきぶー。まくらのそーし、せいしょーなごーん」
というわけで仕方がないことだと割り切り、メグさんには暗記を始めてもらうことにした。
だけど何の手も打たなかったわけじゃない。彼女は文字を書いているとあっという間に飽きそうだから、声に出して暗記してもらう。
そして、ただ読んでもらうだけじゃなく、合間合間に僕が口を挟んで情報と情報を連結させていく記憶法を取る。
「メグさん、平安時代って言うとどんなイメージがある?」
「アー、何重にも重ね着してるキモノ?」
「うん、素晴らしいね。それはさっき声に出した内容と一致してるよ」
「ンー?」
人は情報を個別で覚えていくより、まとめて覚えていくほうが思い出しやすいという。
一つのことを思い出したら、芋づる式に他の情報も思い出してしまおうというやり方だ。
「その重ね着は十二単といって、当時の貴族の女性の服装だね。そして源氏物語も枕草子も、それぞれ女性が書いたとされる作品なんだ」
「オゥ」
「源氏物語の作者は誰だっけ?」
「む、むらさきしきぶー」
「枕草子は?」
「せいしょーなごーん!」
「正解だよ。じゃあ少し長くして覚えてみようか」
「長くは無理デース」
「平安時代、重ね着、十二単、女の人、紫式部と清少納言。紫の源氏と清い枕。源氏物語、枕草子」
「ムムム……」
「平安時代のイメージ、重ね着、それは十二単。着物だから着ている人は女の人。当時の有名な女の人に紫式部と清少納言。紫は源氏で、清いほうは枕。紫式部は源氏物語。清少納言は枕草子」
「な、長いデース」
「大丈夫、続けて言ってみよう。さあ、メグさん言ってみて?」
「平安時代、重ね着、十二単、女性、紫式部と清少納言。紫の源氏と清い枕。源氏物語、枕草子……」
「ほらメグさん、長いはずの文章、間違えずに言えたでしょ?」
「オーゥ、不思議デース」
「さあ、もう一度声に出して覚えてみよう」
「へいあーんじだーい! じゅーにひとえ! むらさきしきぶ、せいしょなごーん! おんなのひと! むらさきしきぶはげんじものがたーり、せいしょなごーんはまくらのそーし!」
どうでもいいことかもしれないけど、日本生まれの日本育ちなのに、メグさんはどうしてこんなイントネーションになったんだろう。
さっきみたいに、ゆっくり小さく喋るとそこまで違和感なく喋れるっぽいけどなあ。
「バッチリだねメグさん。出来れば寝る前にでも、また声に出して復唱してみてよ。ご家族の人には気を付けてね?」
「わかりマシター!」
「……それで、ちょっと話は横道にそれるけど、メグさんって英語は出来るの?」
「家では英語で話してマスよ?」
「そっか、それなら安心――」
「一切書けませんケドね!」
「…………」
「一切、書けませんケドね!」
なぜわざわざ二回も言ったの?
しかもちょっと自慢そうなんだけど。
「英語はめんどーデース。聞き取ることは出来ても、スペルがわからないと書けマセーン。日本語はその点便利デース。ひらがな、素晴らしいデース」
一瞬、答案用紙に平仮名ばかりで答えを埋めていくメグさんの姿が思い浮かび、僕はサーッと青ざめた。
まさか不正解にはしないよね? 半分くらいは点数くれますよね? 先生?
とはいえ、漢字まで正しく覚えてもらうのは今日は無理だ。
僕は知識を増やしてもらうことに専念することにした。
「その、平仮名も平安時代に出来たものだよ。平安時代は四百年くらい続いた時代だからね。今の日本に影響を与えてるものも多いんだって」
「ホホー?」
「枕草子は随筆と言ってね、千年以上前のエッセイみたいなものだよ」
「オゥ! そうだったのデスか!」
「この枕草子は日本三大随筆にも数えられていて、その中でも一番古い作品なんだ」
「ホー? 源氏物語はどういう作品なんデスか?」
「げ、源氏物語?」
メグさんの何気ない質問に、順調に動いていたはずの僕の思考が停止する。
源氏物語は主人公が複数の女性と関係を持ちつつ、成り上がったり苦悩したりする話だ。
特に幼い女の子を引き取って、自分好みの女性に育て上げて嫁にするというエピソードはよく知られていると思う。
しかし、今はそんな源氏物語をメグさんにどう説明するか、だ。
と思っていたら、メグさんだけじゃなくひかりちゃんも不思議そうにこちらを見始めていた。これって僕ピンチなのでは?
「な、中身にはちょっと詳しくないかな。ほら、テストには内容までは出てこないからね?」
僕は逃げ出すことにした。今はテストの点数が一番重要なんだし、話の脱線はほどほどにしないとダメだからね。仕方ないよね。
しかし僕の反応を見たメグさんとひかりちゃん。
お互い何かを感じるものがあったのか、二人は無言で顔を見合わせる。
「「……うん」」
頷きあった二人は、スマホを取り出してくる。
メグさんのスマホはネクタイピンのようなものらしく、制服のスカーフに付けてあった。
「「検索、源氏物語、内容」」
「ちょっと!?」
二人の声が重なる。
それに対して僕が悲鳴のような声を上げたけど、二人は気にせずスマホを見続ける。
「メグちゃん、ここ良さそうだよ~。あらすじが書いてあるんだって~」
「メグも同じところ見てマシタ。イケメンだけどマザコンで浮気症の主人公が、複数の女性と関係を持ちつつ貴族の位を上げていく長編小説みたいデース」
僕はがっくりと肩を落とした。
当時の物語に現代の価値観を当てはめるのはどうかと思うけど、女の子からしてみれば複雑な感情を抱く物語かも。
「センパーイ、あらすじ、知ってたんデスね?」
「……はい」
僕は俯いたまま返事をした。
メグさんは僕のその返事を聞いて、ますます楽しそうに言葉を続ける。
「センパイ、メグたちと源氏物語したいデスか?」
「え!?」
メグさんはとんでもない話をし始めた。
僕はすぐに両手を振りながら彼女に答える。
「そ、そんなわけないよ。僕はマザコンじゃないと思うし浮気なんて恐れ多いことも出来ないしするつもりもないし、ましてやイケメンなんかじゃないから源氏物語なんて別世界の話だよ!」
そこまで言い切ると、笑っていたメグさんが突然驚いたように変わる。
そして何度も首を左右に傾げながら僕のことを観察し始めた。
「ンー」
「ど、どうしたの?」
僕がそう問いかけても、彼女はそれには答えてくれない。
しかも唐突に身を乗り出してきたかと思うと、僕の頬に手を添えてきた。
「センパイなら源氏物語、イケると思いますケドね」
「あ、あ、あ……」
洋風美少女に頬を撫でられてガチガチに固まる僕。
思わずひかりちゃんに助けを求めて視線を送ってみたけど、そこには……。
「うーん……」
僕がメグさんに触られているのを見ていたはずなのに、再びスマホに視線を落として何かを読み続けるひかりちゃん。
そういえば彼女、僕と玖音さんが恋仲かと疑われたときも平然としてた。ヤキモチを妬いてくれだなんて贅沢は言わないけど、無関心ってわけでもないよね?
「め、メグさん、恥ずかしいからそろそろ止めてもらえませんか?」
「オウ、ごめんなサーイ。やり過ぎマシタね」
すぐに身を引いてくれるメグさん。
僕は顔が真っ赤になっていたけど、やっと一息つけて肩の力を抜いた。
「センパイ、怒っちゃいマシタ?」
「そんなことないよ、ビックリしただけ。気にしないで、メグさん」
「ありがと、センパーイ!」
「ただ、さっきのやり取りで学んだことを忘れてないかの確認はさせてもらうよ。平安時代の貴族の女性の服装は?」
「じゅーにひとえ!」
「平安京に遷都した天皇の名前は?」
「ワッツ? アー、アー、か、かんむてんのー!」
「うん、大正解だよメグさん。ちょっと意地悪な問題だったけど、さすがだね」
「アハ、……センパイいい人デスねー」
「えええ? どうしてそういう話になるの?」
「フフ、どんどん行きマショー! メグ、今日は頑張るデース!」
「わ、わかった。でも無理はしないでね?」
「ハイ!」
結局その日、メグさんは会話をしながらの暗記法を続けてもらった。
彼女はそのやり方を気に入ったらしく、最後まで楽しそうに声を出し続けていた。
そして、一時間ほどで勉強はすっぱり止めにする。
二人は驚いていたけど、僕としては長すぎたかなと思うくらいだった。
勉強は辛くない。メグさんには、まずはそれを感じてもらわないとね。
「さて、これからテストまでこの勉強法を続けてもらえたら、必ずいい点数を取れると思うよ。保証する」
最後の締めに、僕はそうメグさんに伝えた。
しかし、僕はこの時まだ、自分の犯しているミスに気付いていなかった。
「明日も、デスか?」
「うんうん。明日もお願い――、あ、しまった!」
首を傾げて僕に尋ねてくるメグさんを見て、僕は背筋が冷たくなった。
ついつい毎日家にいるひかりちゃんと混同してしまい、メグさんにもこんな勉強方法を勧めてしまった。
僕は明日もメグさんの面倒を見るつもりになっていたけど、そんな話は彼女には一切伝えていなかった。
明日メグさんに予定があったらどうしよう。彼女は一人でもこの勉強法を実践できるのだろうか。
他にも色々な不安が浮かんでくる。
しかし僕がそれらを思い悩む前に、メグさんはあっさりと僕に答えた。
「明日も、来ていいのデスか?」
「え、も、もちろん。ひかりちゃんもいいかな?」
「うん、反対するわけがないよー。というか、ひかりはしばらくずっと来るんだと思ってた~」
「そうなの?」
「だってお兄ちゃん、メグちゃんの面倒見てあげる気満々だったでしょ? やっぱり優しい人だなぁってうっとりしながら見てたんだ~」
メグさんは明日も来てくれるらしいし、ひかりちゃんもそんな僕たちを見守ってくれていたらしい。優しいのはひかりちゃんの方だよね。
そうして僕が彼女らの対応に赤くなり始めていると、メグさんが小悪魔っぽい笑みを浮かべながら追い打ちを仕掛けてきた。
「センパイ、メグのこと面倒見てくれるのデスかー?」
「……僕なんかで良ければ、テストまでは、頑張ってみるよ」
「明後日も来ていいのデスかー?」
「……うん。僕はテストまでに予定は一日しか入っていないよ。その予定もどうなるかわからないしね。だから、ひかりちゃんとメグさんの都合で決めてもらっていいよ」
そこでメグさん、今度は純粋に楽しそうに笑うと、僕に問いかけてきた。
「ご褒美、ありマスか?」
僕も笑って、それに答えた。
「おやつならもちろん出せるよ。ひかりちゃんと二人で決めて伝えてきてね。二人別々のものでも大丈夫だよ」
それを聞いた彼女は、とうとう喜びを爆発させた。
「メグ、センパイに一生ついてイキマース!」
僕は苦笑しながら、彼女が全身で喜びを表現している姿を見ていた。
そして心の中でありがとうを付け加える。変なことかもしれないけど、僕は自分のご飯を美味しく食べてくれる人には感謝したくなるんだ。
◇
こうしてメグさんは上機嫌で帰っていき(彼女も当たり前のように迎えの車が来た)、彼女を見送った僕たちは家の中へと戻ってくる。
「今日はごめんねひかりちゃん。なんだかメグさんにばかり構ってて」
僕は靴を脱ぎながら、彼女にそう話しかける。
すでに靴を脱いで家に上がっていたひかりちゃんは、僕に向かって振り返ってきた。
その顔は、何かの想いを秘めたような真剣な顔付きだった。
「(え……!? まさかひかりちゃん、内心怒ってたの!?)」
全身に緊張が走り、僕はそのままの格好で固まってしまう。
「お兄ちゃん」
「は、はい!」
彼女の言葉に僕は背筋を伸ばして答える。
「ひかり、源氏物語のあらすじ読んだんだ」
「は、はい……」
源氏物語と言われ、ツーと冷や汗が一筋流れ落ちる。
これから「浮気は許さないよ」とでも言われるのだろうか。なんだか体が震えてきたんですけど。
しかしそこで僕の妹ひかりちゃん。
真剣な表情を一切崩さず、大真面目な声で言ってきたんだ。
「ひかりのこと、好みに育て上げていいからね……! むしろ育て上げてね!」
ああ、そっちを読んだんだね、ひかりちゃん。
僕は今日一番の疲労感を覚え、がっくりと大きく肩を落とした。
「むー! 何その反応~! ひかりは真面目に言ってるのに~!」
「真面目に言ってるからこその反応なんだよ、ひかりちゃん……」
僕はフラフラと靴を脱ぎ、手を洗うために洗面所へと歩き始めた。
すぐにその後ろを、ひかりちゃんがプンプン怒りながら付いてくる。
「お兄ちゃん、ひどいよ~! ひかりのこと、どうでもいいの~?」
文句を言ってくるひかりちゃんに、僕はため息をつきながら振り返った。
彼女がぴったり付いてきたからか、そこには存外近くで膨れているひかりちゃんの顔。
だけど疲れで頭が麻痺しかけていた僕は、近いかなと思いつつも彼女に向かって本音を言った。
「僕はひかりちゃんを好みに育て上げる必要なんてないんだよ。今でも不満なんてないし、僕には勿体ないくらいの女の子なんだし。あとねひかりちゃん、僕の好みとか気にしなくてもいいんだよ。だってひかりちゃんは大切な妹なんだから、どんなひかりちゃんでも大切にするに決まってるよ」
そう言うと、僕は再び洗面所へと歩き始める。
ピタリと文句は止まったけど、僕が手を洗い終える頃に再び大きな声が聞こえてきた。
「ひかり、やっぱりお兄ちゃんの好みになる! ひかりのこと育てて~!」
「だから、どうしてそうなるの……?」
僕は再び、洗面台に手をついて項垂れた。




