二人のお喋りを聞きながら
「でもよかったよ~。くおんちゃんもだんだんクラスの一員になれてきたね~」
「その節は本当にお世話になりました。ひかりさんがいなければ、私は長い間クラスの皆さんにお荷物だと思われていたでしょう」
平日の放課後、僕は自宅のリビングでのんびりと紅茶を楽しんでいた。
そんな僕の隣で話しているのは、妹のひかりちゃんと、その友だちの五辻玖音さん。
二人はクラスメイトらしく、お互いの家にお邪魔したりお邪魔されたりという間柄だ。
「そこまで考えてた子はいないと思うけどなぁ。ゆいちゃんも言ってたけど、このクラスは良いクラスだと思うよ~」
「だと良いのですが……。それでも急に輪に入っていくと、内心では面白くないと感じる人もいるかも知れませんよね?」
「あ~、だからお誕生日に集まったときも、あさかちゃんと楽しそうに盛り上がってたのに短時間で身を引いちゃったんだね。それってそういうことでしょ?」
「はい。あさかさんの集まりでしたのでご挨拶は出来るだけさせていただこうと思っていたのですが、かといって新参者の私がいきなりあさかさんを長い間捕まえてしまってはいけませんよね」
僕たちは皆この春高校に入学したばかりの高校生だけど、僕は彼女らと同じ学校に通っているわけではない。
二人は僕が通えないお嬢様学校の生徒たちだ。制服である年代物の白と黒のセーラー服は、彼女らが着ている他では映像の中でしか見たことがない。
「くおんちゃんは真面目だな~。でも、ひかりでもそうするかな~。ひかりは真面目ってわけじゃないけどね」
「通過儀礼のようなものですよね。でもその代わり、後であさかさんには連絡先を交換してもらいました」
他校の生徒同士なのに、しかも性別も違うのに、彼女らはリラックスした様子で僕の前でお喋りに花を咲かせている。
別に聞き耳を立てたいわけじゃないけど、同じ空間にいても許されているのは嬉しいし、僕も彼女らといても変に気構えることがなくなってきていた。
「うんうん、聞いてるよ~! あ、でも聞きたいことがあったんだ。あの時くおんちゃんは、あさかちゃんと何の話題で盛り上がってたの?」
「……日本家屋の話題です。気密性に欠けてますよね、とか、部屋の中からでも自然を感じられる開放感がありますよね、とか……」
「なるほど~、日本家屋あるある話だったんだね~。あさかちゃんもくおんちゃんも、大和撫子系のお嬢様だもんね!」
「や、大和撫子かどうかはわかりませんが、同じ様式の家に住んではいますね」
「大和撫子でいいと思うけどな~。この前くおんちゃんのお母さんを見たけど、着物がすごく似合ってたよ? くおんちゃんも着物を着たら、完璧な美人大和撫子の完成だよ!」
「は、恥ずかしいですよひかりさん」
玖音さんが、顔を赤らめながら俯くのがわかった。
彼女は恥ずかしがり屋で、性格も少し引っ込み思案みたい。
そんな性格が仇になり、高校に上がるときのクラス替えで(彼女らが通う女学院は中高一貫教育)親しい人と離れ離れになってしまった彼女は、クラスで孤立してしまっていたらしい。
そんな彼女に突撃していったのが、僕の妹ひかりちゃん。
最初玖音さんはひかりちゃんに戸惑っていたようだけど、ある日彼女は自分の趣味がゲームであることをひかりちゃんに知られてしまった。
ところがなんと、ひかりちゃんもゲームで遊んでいると聞かされて玖音さんはとても驚いたみたい。
ひかりちゃんの玖音さんへの突撃は、ゲームが切っ掛けになり功を奏した。引っ込み思案な玖音さんだけどひかりちゃんに心を開き、今ではこうして普通に家に遊びに来るくらいの仲になっている。
「お兄ちゃんだってそう思うよね!? くおんちゃんは着物を着ると純和風美少女になるよね!?」
「えっ?」
と、のんびりとティータイムを楽しんでいただけの僕に、突如とんでもない話題が振られてきた。
彼女らとお茶を楽しむのは恥ずかしくなくなってきている僕だけど、こんな風に話題に巻き込まれたときは別だ。
しかも、今回はとても答えにくい質問。戸惑った僕は、どうしようかと彼女たちに視線を向ける。
「え、ええと……?」
僕がなんて答えるかを聞き逃すまいとするように、女の子二人が僕に注目している。片方は勢い良く、片方は縮こまりながら。
ますます緊張してくる僕だったけど、そもそも僕に与えられた選択肢は少なかった。この場から逃げるか、肯定するかのどちらかだけだ。
「あ、そう言えばお腹が痛いんだった。部屋に帰って休むことにするね?」
「お兄ちゃん!?」
「はい……。答えます……」
元々望みの薄い選択ではあったけど、やはり僕は逃げ出すことは出来なかった。
なんだか本当にお腹が痛くなってきた気がするよ、ひかりちゃん。
「く、玖音さんは、美少女だと思います……」
僕はさっき玖音さんがやっていたように、顔を真っ赤にして俯きながらそう答えた。
絞り出すようにやっとの思いで答えた言葉。でもその言葉が与えた影響は大きかった。
「ほら~! お兄ちゃんもくおんちゃんが美少女だって言ってるよ!」
「うぅ……」
自分と僕が同じ意見だったことを喜ぶひかりちゃんと、耳まで顔を赤くして縮こまる玖音さん。
なんだか大和撫子の話から、いつの間にか玖音さんが美少女だって話に変わってしまった。
これって僕が言葉足らずだったからだよね。ごめんね玖音さん、恥ずかしくて間違えちゃったんだよ。許してください。
「良かったね~、くおんちゃん」
「ひ、ひかりさん、本当に恥ずかしいですって」
ひかりちゃんは玖音さんに「良かったね」と言ってあげている。
玖音さんが本当に良かったと思っているのかは別として、僕は彼女のことを綺麗な人だと思っているし、勝手にこっそりと共感している部分もある。
玖音さんは恥ずかしがり屋で、引っ込み思案な性格で、ゲームが趣味。しかもただのゲーム好きってわけでもない。彼女は結構なゲーマーだ。
普段の僕なら玖音さんみたいな綺麗な人は視界に入れるのも躊躇うレベルなんだけど、彼女はちょっと例外だ。
なんとなく似通ってる部分があるような気がしていたから、僕は彼女と同じ空間にいても平気になってきたんだよね。
間にひかりちゃんが居てくれるっていうのも大きいんだけど。
「ほ、ほらひかりさん、手が止まってますよ。洋菓子もお嫌いではないのですよね?」
赤くなっていた玖音さんは、テーブルの上に並べられたお菓子に逃げ場を求めた。
それは玖音さんが買ってきてくれた、様々な種類の一口サイズのケーキ。……実際には放課後になって、玖音さんの家のお手伝いさんが持ってきてくれたんだけどね。
先日玖音さんのお父さんが少し暴走してしまう事件があって、今日はそれのお詫びということらしい。
お嬢様の家のお詫び、それは明らかに値の張る豪華なお詫びだった。
「う~……」
ひかりちゃんはそれを見て、苦悶の表情を浮かべ始める。
「み、見ないようにしてたのに~! せっかく忘れてきてたのに~!」
「す、すみません……」
「ううん……、くおんちゃんは悪くないの、謝らないで。だって玖音ちゃんが持ってきてくれたケーキ、すごく美味しいんだよ!?」
どうやらひかりちゃん、これ以上ケーキを食べないように我慢していたみたい。
お菓子は幸せ。だけど幸せの正体は、カロリーの塊。
美味しいものを食べるのが大好きなひかりちゃん。
だけど同時に彼女は、スタイルも気になっちゃう年頃の女の子でもある。
何度も思ってることだけど、ひかりちゃんは全然太ってるように見えないんだけどね。
「くおんちゃんも、ダイエットとかしてるよね?」
「いえ……」
「た、食べても太らない体質とか言い出すの!? めぐちゃんみたいに!?」
「そ、そういうわけでは……。ただ、普段からあまり食べ過ぎないので……」
逃げ場を求めていた玖音さんだけど、逃げた先でひかりちゃんの別の攻撃を受けていた。
玖音さんには申し訳ないけど、僕は紅茶に夢中になっている体で嵐が過ぎ去るのを待つ。
でも幸い、今回は僕に被害はなさそうだ。
ひかりちゃんは僕に美味しいご飯を出さないでとは言わないし、僕も彼女のカロリー摂取には気を遣っている。
「うぅぅ……! くおんちゃんもひかりの仲間じゃない。ひかりはこのお話、誰とも仲良く話せない~!」
「ひ、ひどいですよひかりさん。仲間じゃないだなんて」
「だって、だって~! くおんちゃんは大切なお友だちだけど~!」
彼女らのやり取りを聞きながら、玖音さんに少し同情してしまう。
こんな風になったひかりちゃんは大変だ。僕なら絶対に手を焼いちゃう。
しかしそこで安全だと思っていた僕に、またも流れ弾が飛んでくる。
「ひかりさんはダイエットなんて必要ない、素敵なスタイルの持ち主ですって。お兄さんもそう思いますよね?」
「えっ!?」
玖音さんも僕を巻き込むの!?
裏切られたような思いで驚いて玖音さんを見た僕だけど、そんな気持ちはすぐになくなった。
僕と目があった玖音さん、申し訳なさそうに、でもお願いするように、僕のことを見つめてきていたんだ。
僕は悟った。玖音さんの質問からは逃げちゃダメだ。彼女は僕に助けてくださいと言ってきている。
だいたい玖音さんを見捨てて嵐が過ぎようと隠れていたんだし、裏切られたなんて思っちゃダメだったよね。
「ひ、ひかりちゃんもすごく可愛い女の子だよ? ダイエットなんて必要ないんじゃないかな?」
僕は再び顔が真っ赤になりながらも、頑張ってひかりちゃんにそう告げる。
だけどひかりちゃんは、玖音さんのようにすぐに頬を染めたりはしない。
今回の彼女の反応は、怒ったような笑ったような不思議な唸り声を上げることだった。
「む~! む~!」
そんな風に悶えていた彼女だけど、やがて徐々に怒りより嬉しさのほうが勝ってきたのか、ある瞬間に唐突にニコリと笑うと言ったんだ。
「――ひかり、食べる~! くおんちゃんがせっかく持ってきてくれたんだしね!」
「……はい! 食べてください!」
微笑み合う女の子二人。
そしてすぐに、玖音さんの方から新しい話題が紡ぎ出される。
「そうだひかりさん、今度また私の家に遊びに来ませんか? 母がルームランナーと一体型のVRお散歩ソフトを持ってるんです。いい運動になりますし意外に楽しいですよ?」
「わぁ~、面白そう」
「それが結構良く出来てるんですよ。気分転換にもなりますし、好きな曲をヘッドホンで流しながら歩いていると時間を忘れて――」
そうして彼女たちは、ケーキをつまみつつ会話を続けていく。
玖音さんは引っ込み思案な性格みたいだけど、彼女もやっぱり女の子。お喋りは得意なんだね。
「お兄さんも食べてくださいね? 遠慮しないでくださいね」
「ありがとうございます。いただいてます」
ちなみに玖音さんも、僕のことをお兄さんと呼ぶ。
これは、ひかりさんのお兄さん、という呼び方を省略しているんだと僕は解釈している。本当のところは聞いたことないからわからないけど。
と、そこで僕と玖音さんを見ていたひかりちゃん。
何かいいことを思い付いたようで、心弾ませるように表情を変えた。
「そうだ、玖音ちゃんも仲間にする方法思い付いたよ!」
「え……? どの話でしょうか?」
心当たりなく首を傾げる玖音さんだけど、僕は嫌な予感がし始めていた。
果たして、その予感はすぐに的中する。
「玖音ちゃんもお兄ちゃんのご飯を食べてみたらいいんだよ~。そしたら美味しくて、ついつい食べ過ぎちゃうと思うよ~!」
軽い目眩を覚える僕。
ひかりちゃんはまた無茶なことを言い出した。
ひかりちゃん、それって僕に和風美少女の玖音さんを料理で太らせろって言ってるんだよ?
そんなこと出来っこないし、もし実際に玖音さんを太らせちゃったら僕は罪悪感で押し潰されちゃうよ?
「(頑張って、玖音さん……!)」
僕は玖音さんに視線でエールを送った。
玖音さんなら上手く切り抜けてくれるはず。早くこの話題を終わらせてくれるはず。
だけど玖音さんは、少し悩んだ素振りの後、キッと真剣な表情で顔を上げて僕に言ったんだ。
「お兄さんの料理、食べてみたいです……!」
僕はガクリと項垂れた。
まさか玖音さんもそんなことを言い出すなんて。全然予想もしてなかったよ。
「味に保証は出来ませんが……、それでもよろしければ……」
「ありがとうございます……!」
「やったね、くおんちゃん!」
項垂れたまま答えると、ひかりちゃんと玖音さんが喜び合い始める。
疲れを感じ肩も落としていた僕だけど、彼女らの笑顔を見ていると、少し口元がニヤけてしまった気がした。
ま、いっか。二人分作るのも三人分作るのも、僕にとっては気にならない程度の手間だ。
それに、僕だって食べられない食事を出してるわけじゃない。万が一にでも、玖音さんにも美味しいと言ってもらえたなら、それはとても嬉しいことだと思うしね。それぐらいの夢は見てもいいよね。
「じゃあ早速今度食べにおいでよ~。お休みの日にする? 学校のある日はダメだよね?」
「あ、そうそう、それなんですよ。どうしたことか、ひかりさんの家に遊びに行くのなら帰りが遅くなってもいいと言ってもらえたんです……!」
「え? そうなの? ひかりたち、信用してもらえたのかな?」
「そうみたいですよ。暗くなっても迎えに来てもらえますしね。まあ、学生らしい節度ある行動を心がけるようにとは言われましたけど」
玖音さんのお父さん、大切な娘さんになんて許可を出しちゃったんですか?
別に玖音さんに羽目を外させたいわけじゃありませんけど、それでもひかりちゃんの家には僕もいるってご存知ですよね?
しかしなんだか外堀まで埋まっちゃった気がして、腹を括ったわけではないけれど、僕は諦めて口を開く。
スケジュールがびっしり詰まっている生活をしているわけでもないしね。
「僕はいつでも良いので、日時等はひかりちゃんと一緒になって決めてください。メニューもお願いしますね」
それを聞いた二人は一瞬だけくるっと僕の方を見てきたけど、すぐに黄色い声を出して話に戻っていった。
「ほらね~、お兄ちゃんって頼りになるしカッコいいんだよ~!」
「わ、私もそう思いました……! それに、メニューもおまかせしてもらえるのですね?」
彼女らは、たまに僕のことをアイドルか何かのように勘違いしている節がある。
ゲームと料理はそれなりには出来るかもしれないけど、それでも僕のことを頼りになるし格好いいだなんて。
でも、その時僕は思ったんだ。
彼女らは共学の学校より男性に会う機会が少ない。手近なところで身近なアイドルを欲しているだけなのかもしれないね。
それにしたって、僕という選択肢は止めたほうがいいと思うけど。
「お兄ちゃんに言えば何でも作ってもらえると思うよ! 豚の丸焼きって言ったら困った顔されちゃったけど!」
「な、なんでも……? ひ、ひかりさんの一番のオススメは何ですか?」
「むー、くおんちゃん、それは難しい質問だよ。ひかりに一番だなんて決められないよ~。あ、ひかりがオススメを挙げていくから、くおんちゃんに決めてもらうってのは?」
「わわ……、ドキドキしてきました。私に決められるかな……?」
僕はひかりちゃんと玖音さんが話す姿を見ながら、こっそりと小さく笑った。
急遽決まったお食事会。
どうなることやらと不安になってきてるけど、優しい彼女ら相手ならどう転んでも大丈夫かという不思議な安心感もあった。
「(うん。たまには大勢で食べる日があってもいいよね)」
三人という人数は大勢というより少人数だと思うけど、過去いつも一人で食べていた経験を持つ僕からしてみれば、大勢で食べると言ってもいいくらいの人数だ。
さすがに当日は色々と緊張しちゃうだろうけど、彼女らと一緒なら、一人で食べるより何倍も何倍も楽しいはずだ。
「(いつになるんだろ。とりあえずメニューは無難なところで収めてくれないかなあ)」
僕は不安と希望が入り乱れた気持ちで、二人の会話を見守った。
そして、二人が帰った後。
ひかりちゃんからは直接、玖音さんからはSNSで連絡された。ワガママを聞き入れてくれて本当にありがとう、というようなことを。




