逃げる王子と追う王女
世界にある四つの大陸。元はいくつもの大陸が繋がり存在していたのだが、ある理由から今に至る。
そんな四つの大陸のひとつ――火の大陸の国で今日も追いかけられている者がいた。
「はぁ……はぁ……!!」
火の大陸の国のひとつ――ファルス。首都はベルリス。ベルリスには王城があり、街の中は警備を任された近衛騎士がいる。
王と民を守るため目を光らせている近衛騎士の視界にその者は入るが近衛騎士に危機感はない。警戒の様子もない。
「逃げて悪いのかよ。あんな息苦しいとこなんか勘弁だ」
物陰に隠れて辺りを窺うその者は少年だ。
後ろで一本に束ねた白い髪と金色の瞳が印象的。寒暖問わず着れる革製の茶色いロングコートの胸ポケットから小型の望遠鏡を取り出すと街の中をきょろきょろ見る。
「冗談じゃない。城に閉じ込められっぱなしは趣味じゃないんだ。今日こそは自由にさせてもらう」
余程必死なのだろう。額には汗が出ている。手の甲で汗を拭った少年は望遠鏡をしまうと息を吐く。ゆっくりゆっくり呼吸を整えて空に顔を上げて冷静を取り戻そうとしていた。
「まったく。王子も楽じゃないなぁ」
「それは我々も同じです。王子が護衛も付けずに出歩くなんて危険です」
「げっ! 近衛騎士」
少年は顔をひきつらせる。近衛騎士に見つかったということは、つまりは王城に連れ戻されるということ。それだけは勘弁願いたいのである。
「城に戻りましょう。みんな心配されているはずです」
「いーやーだーね! 毎日毎日、勉強と稽古。俺は誰にも頼んでないっての」
「勉強も稽古も大事です。知識を得られ体を鍛えられていいじゃないですか」
「良かない。紙と筆を見るだけで動悸が激しくなる。このままだとトラウマになっちゃうよ。一国の王子がそうなってもいいわけ!」
「そんなことではこの先、生きていけませんよ。王子は本当の苦労を知らないのです。世間は王子が思っているよりずっとずっと厳しいものなのです」
近衛騎士は少年の肩をとんとんと優しく叩くと、自分たちに近付いてくる者の方へ体を向けた。
少年の顔色がみるみる青ざめる。体をガクガク震わせる。少年の目に映るのは一人の女性。
「探したよぉ。そんなに私とお風呂に入るのが嫌なのぉ?」
黒髪のロングストレートを靡かせ、黒い瞳を輝かせている美女。ゆったりしたワンピースでも隠せないほどの双丘が動くたびに揺れる。それだけで一種の凶器だ。少年を追いかけている間に何人もの男性が振り向いたことか。
「ごほぉ……ごほん! これは王女」
思わず見惚れていた近衛騎士は誤魔化すように咳払いをすると、少年の背中をとんと押した。
「なにするんだよ!?」
少年は背中を押されたことで体勢を崩す。そのまま顔を意図せず女性の柔らかな双丘に埋める。視界が真っ暗になり息苦しくなる。
「あらあらぁ。そんなに私の胸が好きなのぉ? それならそうと言ってくれればいいのにぃ。うふふ」
「ほぐぅ……ほぐぅ……!?」
女性はとびきりの笑みを浮かべ少年の顔を双丘に押し込む。少年が喜んでいると思っている――悪気は全くない。
目の前で見せつけられている近衛騎士は理性を抑えている。本当は少年が羨ましくてしょうがない。
「えい! えーい!」
「……ぷはぁー! 俺を殺すつもりかよ!」
なんとか地獄(天国?)から脱出した少年の顔は真っ赤になっていた。
「ごめーん。そんなに苦しかったぁ?」
「恥ずか死ぬわ!!」
この街ではもはや見慣れた光景。いつものやり取り。
ファルスの王子である少年――シロ、王女――ルリ。二人の姉弟はすっかり名物となっていた。
王城に連れ戻されたシロは不満げに朝食を取る。向かい合って座るルリを時折ちらりと見ながら。
対してルリはいつも通りに朝食を取っている。姉という立場からくる余裕だろうか。ただ鈍感なだけだからだろうか。
「お父様ぁ。この頃シロが冷たいのぉ」
「……冷たい、と。そんなことはないぞ? 仲良しに見える」
ファルスの王――つまり二人の父は正直に答えた。姉弟仲がいいことは実に微笑ましく嬉しい。しかしシロに同情していたりする。
(むぅ。少々ルリは度がすぎる)
シロは十六歳、ルリは二十歳。シロが姉離れをしたくてしょうがないことは手に取るようにわかる。いつまでも一緒にというわけにはいかない。
「一緒にお風呂に入ってくれないのぉ。私、寂しくて寂しくて」
(ルリの気持ちがわからんでもないが……)
四つ下の弟が可愛くてしょうがないのもわかる。ましてや二人姉弟。そうそう離れたくないことは想像に容易い。
(むーぅ)
父は悩む。どちらの肩を持つべきか。まだまだ娘には嫌われたくないが、同じ男として息子を救いたい。
「ルリ諦めなさい。シロは小さな胸が好きなの。あなたは巨乳でしょう。その誰もが羨む胸が敗因なの」
横から妻の援護――もとい爆弾。子どもたちにとっては母。超身内からの口撃がルリの心をズキズキ痛める。
「ち、ちっぱい……なのぉ……!?」
ルリはナイフとフォークを置くと悔しそうに胸を揉み始める。時々肩が凝る原因でもある胸を。その光景はとても朝食中とは思えない。
(ま、マジかよ……!?)
姉の行動と母の言動に言葉を失うシロ。せっかくの朝食の味が一気に吹き飛んでしまった。
食卓から逃げるように自分の部屋に閉じこもる。勉強と稽古も嫌だが、十六歳のシロにとって束縛されるのはもっと嫌なのだ。
「……勘弁してくれ……」
束ねていた髪を解いてベッドに横になる。いつもよりも早く起きたせいですぐに意識は落ちていく。