生命
「御姫さん!!」
滅多にないゼクスの本気の絶叫を聞いてレオンハルトは顔を青ざめさせる。アルシアが小さく息を呑んだ。
ーー目の前には、ナイフを振り上げる男と、それを見て固まり、青を通り越して顔を白くさせているアイリーンの姿だった。
咄嗟に時間停止魔法を発動させる。刃は、姉の額、ギリギリで止まった。それを好機と見て、アルシアがアイリーンを引きずり出す。
顔を覗くと、アイリーンは、姉はボンヤリと宙を見つめており、その顔は恐怖で歪んでいた。
それを見て、理解した。理解せざるを得なかった。
姉が、“あの時”のことを思い出してしまったということに。
『‥‥え? 姉さん? なんで、姉さんがここに‥‥?』
あの時、病弱だった自分の入院していた病院に、血だらけで運ばれてきた姉。
“その時”の恐怖と、痛みの苦しみで固まった顔は、誰は見ても、それが手遅れだということは明らかで、
その時の恐怖を、今、姉は追体験している。
「‥‥この体に宿る魔力よ‥‥」
怒りが、収まらない。こいつら、全員、コロシテヤル。
なんで、姉が、こんな目に遭うんだ。確かに、自分たちに目を向けるために派手に動いて、決定的な証拠を集めるために今回の計画を立てて、こうなるように仕向けたけど、
‥‥予測は、していた。
だから、色々対策を立てて、すぐに駆けつけるようにした、それなのに
ーーこれじゃあ、姉さんが傷ついてしまうなら、姉さんが、あの時のことを思い出してしまったら、何の意味も無い。
‥‥何のために、俺達家族が、姉さんを守っていた。
「混沌にうごめく、闇の精霊よ、」
「‥‥若様。」
詠唱をしていると、聞き慣れた声にそれを阻まれる。
邪魔をするな、そう目配せするとそいつは、ゼクスは見たこともないような無表情でこちらを見返す。
「‥‥すんません。今回は、俺に、殺らせてください。
‥‥若様には、御姫さんを頼みたいんですが。」
いつもの飄々としたなりは潜め、ただ、静かに殺気を迸らせながら、ゼクスは囁くように語りかける。
それに気圧され、頷くと、まるで獰猛な肉食動物のような笑みを、奴は浮かべた。
「‥‥ありがとう、ございます。」
その笑顔が、まるで知らない人間のように見えて、思わず顔を下に背け、息を呑む。
ーーゼクスの拳からは、握り過ぎたせいで、赤い血が手を伝い、地面に滴り落ちていた。
「姉さん!! 姉さん!!」
「!?」
何度も何度も体を揺すって姉を現実に呼び戻す。
最初は焦点の合っていなかった瞳も徐々にピントが合ってきたらしく、生気が戻ってきた。
「アイリーン! 大丈夫か!?」
「ある、しあ‥‥?」
まだどことなくボンヤリとしているだが、どうやらちゃんと“戻って”これたようだった。
ーーごくまれに、強すぎる嫌な記憶を思い出してしまった人間は、自らの人格を放棄することがある。
前世の死因を思い出す、なんていうことは、十分それに当たった。
「姉さんが、戻ってこられて、本当に良かった。」
脱力しそう言うと、アイリーンはハッとしてレオンハルトに詰め寄った。
「レオン、私、いきてるの?」
「姉さん、ストップ。」
まだどこか混乱しているらしいアイリーンに目配せしてアルシアがいることを確認させるとアイリーンはどうにか平静を取り戻す。
しかし、やはり思い出してしまったことは相当なショックだったらしく、その顔は酷く強張っていた。
「‥‥ふざけるな。」
突然、そんな声が聞こえた。驚いて声の方向に振り向く。ーーそこには、瞳から涙を零す、アルシアがいた。
「いきてる? だと!? 何を言っているんだ! アイリーンは生きているだろう!! 生きて、ここにいるだろう!! 縁起でも無いことを言うな!!」
どこか咎めるように、半ば絶叫しながら訴えるその声にアイリーンは目を見開いた。そして、レオンハルトも。
アルシアの、こんな姿を見たのは初めてで、どうすれば良いのか分からなかった。
「‥‥心配、したんだからな‥‥!!」
涙を流しながら訴えるアルシアに、思わず息を呑む。
‥‥ハッキリ言って、レオンハルトはアルシアを連れてくるのに反対だった。今回の彼女の行動は、感情に任せた物であり、王女(本人がそう認識していないとしても)がするのには軽率で、己の身を考えない無責任とも取れるものだったから。
ーーだけど、連れてきて良かった。
‥‥きっと、自分では、アイリーンを救うことはできなかった。“昔”の彼女を知らない、アルシアだからこそ、彼女の心を救うことが出来たのだ。
家族だけで固まって、姉を傷つけないためにあの時の事を必死で皆そろって思い出させないようにしていた。思い出した事で、姉が変わってしまうのが、怖かったから。
一度失ったことで、自分達は必要以上に、また家族が欠けるのを、家族が変わってしまうことを恐れていた。
“今”のアイリーンを見ず、“昔”の、“水嶋愛”のことしか、自分達は見ていなかった。それは、今の姉を認めない行為だと、初めて気がついた。
「‥‥ごめんなさい、アルシア。そう、よね。今、私は、生きてるわ‥‥。」
涙を流しながら、アイリーンは微笑んだ。
そう、“アイリーン”と“レオンハルト”は生きている。
この世界で、生きている。
あの時とは、違う。
自分の姉は、生きている。
今回は、助けることができた。
それだだけで、いい。
思い出しても、変わってしまっても、“アイリーン”は、僕の、大切な家族だ。
ようやく気づくことが出来たその事実に、レオンハルトはこの世界に生まれ落ちて始めてーー心の底から微笑んだ。
「‥‥いや、わかったなら、いいんだ。」
へにゃりと、アルシアは涙を拭きながら微笑んだ。その笑顔は、いつもと違い、純粋なもので、
「‥‥?」
その笑顔に、アイリーンは違和感を覚えた。
なんとなく、知っている“誰か”に似ているような気がしたのだ。
「ねえ、レオ、ン‥‥?」
そのことを尋ねようと後ろを振り向くと、当のレオンハルトは顔を真っ赤にして必死でアルシアから背けていた。
‥‥これは、触れない方がいいのか?
「‥‥ねえ、レオン。私を襲った奴らって、どうなってるの?」
姉としてはからかいたいところだが、事情が事情なため今回は後回しにしようとアイリーンは優しくスルーしてあげることにした。
後で両親に報告はするが。
「‥‥!? あ、ゼクスが‥‥。」
何か顔を青ざめさせて言葉を紡ごうとした、その瞬間。
突如としてパリンッと音を立てて何かが崩れ落ちた。そして、アイリーン達に襲いかかる悪寒。
崩れ落ちたのは、結界だった。
「若様-。もういいっすよ。」
その言葉と共に、ゼクスが姿を現した。‥‥白い髪が、所々赤く染まめて爽やかに笑っている様は、軽くホラーだ。
その笑顔を見て、アイリーンは全てを察した。
‥‥ゼクスは、ものすごく、キレている。
「え‥‥? あんた、帰ったはずじゃ?」
確かに帰したはずなのに、何で? と若干目の前にある現実から逃避しつつアイリーンは尋ねた。
「護衛が護衛対象おいて帰りますか? あ、レティシア様はきちんとお返ししときましたよー。」
なんだろう。この、すごいニコニコしているゼクス。
後ろにヒューズが社交笑顔で待機している。それぐらい威圧感がある。
目を逸らし、そして気絶しかけた。
ーーゼクスの後ろには、男達が積み上げられていた。
腕や足が変な風に折れ曲がり、所々赤黒い肉が見えている。元々隠されていた顔は見るも無惨にボコされ、元の顔が分からない。焦げた後やら凍った部分やらで色々悲惨すぎる。
「だ、大丈夫なの!? 貴重な証言者殺したの!?」
「返事がない、ただの屍のようだ。」
思わず叫ぶアイリーンに淡々と男達を睥睨しながら呟くレオンハルト。一応ピクピクと動いていることから生きていると結論づける。
「あ、と。殿下。悪いけどこの水晶使って旦那様達に連絡とってくんない? 色々あって暗殺者を俺がボコボコにして捕まえたって言ってくれりゃあ旦那様達にも伝わるから。‥‥俺は、若様達に、話が、ある。」
そういってゼクスはポンっと一つの水晶をアルシアに投げつける。慌ててアルシアはキャッチした。
「わ、分かった。‥‥存分に、叱ってやってくれ。」
笑顔でサムズアップするアルシアにアイリーンは雷に打たれたようなショックを受ける。
(‥‥申し訳ありません。姉さん。計画、バレました。)
テレパシーで伝えてくる弟にアイリーンは呆然としてレオンハルトを凝視する。
彼は、無言で視線をそらした。
「さーーーて? 若様? 御姫さん? なにか、言うことは?」
アルシアが去って行くのを見送って、にっこりと微笑むゼクスを見て、悟る。現実からは、逃げられない、ということを。
次回お説教ターイム!!




