虹のむこうのたからもの
短かった冬が過ぎ、庭に白木蓮の花がつき始める頃、ついにその日がやってきました。
ライナが遠い街へ引っ越すその日、ムジカは一人でトトの小屋に行きました。
トトは一人でチェス盤とにらめっこをしていましたが、ムジカが入ると、顔をあげて言いました。
「ムジカ、だいぶひどい顔をしているぞ」
ムジカははれた目をこすりながら言いました。
「ライナが今日引っ越すんだ」
トトは立ち上がり、炊事場へと向かいます。
「そうか、ずいぶんさみしくなるな」
不思議な香りのするお茶をムジカのために入れると、テーブルにそっと置きました。
そしてチェス盤を片づけ、向かいに座らせます。
ライナはその甘いお茶に口をつけると、ずっとトトに聞きたかったことを口にしました。
「トトは、ずっとこの森でひとりぼっちでさみしくないの?」
トトもそのお茶を一口飲んでこたえました。
「最初はさみしかったさ。だけど、たまにこうやって君たちがやってきて、ワシとおしゃべりしてくれる。何百年と生きていると、時間がたつのがおそろしく早い。たぶん、ムジカが感じている一日と、ワシが感じている一カ月は同じくらいだよ」
ムジカは目を丸くしました。
「そんなにおどろいたかい。ほんとうにそうなんだよ。ムジカはまだ子供だけど、大人になると、今よりもっと時間がたつのがはやくなるのさ。さみしさなんて感じることなく、めまぐるしく日々が過ぎ去り、あっというまに歳をとっていく。よっぽどたいくつな人生でなければね。
ワシはむかし、ムジカ達の住んでいるあたりで、大きな罪を犯してしまった。そのあと、この森にひとり追いやられ、こうやって森から出ることも許されず、死ぬことも許されず、ずっとひとりぼっちだけどもね。
ワシはいろんな研究をしているから、むしろこうなってよかったと思ってるよ」
トトはそう言うけれど、ムジカはその瞳の中に、少しさみしさがにじんでいるような、そんな気がしました。
「ぼくも、またライナに会えるその時まで、時間がはやく進む方法ってないのかな」
「最初はとってもおそいよ。ずっと一緒にいたふたりだもの。さみしくてたまらなくなるだろう。だけど、次に会う日のことを考えて、そう、大きなたからものに出会う日を夢見て、毎日を過ごしてごらん。素敵に成長したお互いであるために、充実した毎日をおくるのさ。すばらしい再会の日を夢見て!
ワシはそれが一番いいと思う。
虹の向こうには素敵なたからものが待ってるからな」
ムジカはおどろきました。あの日の夢を、まるでトトは知っているかのように言ったからです。
トトとはいったい何者なのか、ムジカはその質問がのど元まで来ましたが、ぐっと飲み込みました。
もうすぐライナが行ってしまうのです。しかし、きっとまた会えるでしょう。だって、ポケットにはお母さんたちには内緒の小ビン。
何者なのかはまたいつか聞くことにしました。
「この骨のこと、トトに教えてもらってよかった」
「そうだな。それは本当にめったとないものだからな。世の中には大人だって知らないことがたくさんあるんだぞ。どうだ、一緒に世の中の不思議を研究しないか」
トトはふざけて言ったのでしたが、ムジカはまじめな顔で「それはいいかも」と言いました。
「いやいやいや、じょうだんだよ、ムジカ。ほんとはこの森だって入っちゃいけないことになってるだろ。さあさ、もうお帰り。ライナはいつ出るんだ」
立ち上がり、ドアの方へと向かいました。
「トト、ぼく、前よりもっとここへ来るよ。そして手伝う。トトと過ごすと、きっと時間がはやくすぎるから、はやくライナに会えるでしょ」
息せききって言うムジカに、トトは困惑しながら言いました。
「それはどうだろう。大人がきっと許してくれない。ここはなんてったって危険な森だからね。どうしたって…」
「だいじょうぶだよ、ぼくのお父さんがトトのこと知っていたよ。だからきっと許してくれる」
トトはたしかにムジカのお父さんのことは知っていました。それに、ムジカがここへきて、いろんなことを手伝ってくれるのも、そんなに悪くはないと思っていました。けれども、やはりここまでの道のりのことを考えると、そう簡単に首をたてにふるわけにはいきませんでした。
トトは少し考えてから、何かを思い出し、前に妖精のことが書かれていた本がしまわれてある棚から、別の本を取り出しました。そしてその本の間にはさまってあった、古い紙切れを取り出します。
「ワシはこの森から出ることがないからすっかり忘れていたよ。これはこの森の地図だよ。秘密の抜け道ものっている。もし本当にムジカがここに通うのならこれをあげよう。そうでなければ燃やしてくれ」
ムジカはその紙切れを広げましたが、何も書いていませんでした。
「これは月明かりに照らさないとうつらないようになってる。もしムジカが夜もふけたころ、この森にやってくることができるようになったら手伝っておくれ」
たしかに今のムジカでは、夜にこの森に来ることはできません。今ではない、いつか、ムジカはきっとこの小屋へ通うことになるでしょう。
「わかった。ありがとう、トト」
小屋を出ると、二羽のニワトリがこっちを見ていました。
ムジカはニワトリに向かって言いました。
「お前たちも知ってるだろ。今日ライナが遠くへ行っちゃうんだ。さみしいと思うけど、ぼくがライナの分も、お前たちをかわいがってやるからな」
ニワトリたちは、コッコと返事をするように鳴きました。
そうしてムジカが帰ろうとしたその時、トトが奥から何かを出してきました。
「これをライナに渡してくれ。ワシからのせんべつだ」
そう言ってトトはムジカに小包を渡しました。
「これは?」
「本さ。ライナはすごく小さな骨に興味を持っていたから、この本はきっと気に入ると思う」
「ありがとう。わたしておくよ」
新緑がまぶしい森を抜けると、ムジカはライナの家まで走りました。
ライナの家ではあわただしく車に荷物をつみこんでいました。もう最後の荷物をのせようとしていたそのときです。遠くからライナを呼ぶ声が聞こえてきました。
坂の下から手を振りながら駆けてきたのはムジカです。
「ライナ、よかった。ぼくトトの小屋に行ってたんだ。もう出るの?」
「もうすぐしたら」
自分の小さなカバンをトランクにつめ込むと、ライナはムジカのほうを向いて言いました。
「トトの小屋にひとりで行ってたの?」
「うん。ひとりで森の道を行くのはこわかったけど、行ってきてよかった」
家の中ではライナのお母さんと新しいお父さんが、窓にカギをかけているところでした。ネコはかごに入れられ、先に車に乗っています。
「ねえ、少しだけ話をしたい。うちの前のベンチに行ってはだめ?」
「お母さんに聞いてくる」
そう言ってライナは中にいる母親に声をかけると、「行っておいで」と言ってくれたので、ゆるい坂を二人で下りました。
二人はベンチにこしをかけると、少しのあいだ、今まであったいろいろな学校でのできごとや、一緒にやったいたずら話などをして笑いました。
そしてムジカは、先ほどトトと話したことを、ライナに話します。
何百年ものあいだ、トトはずっとひとりぼっちで生きてきたことに、ライナもやはりおどろきました。
「トトっていったい何ものなんだろうね。大きな罪ってなんだろう」
「ぼくはいつか聞いてみようと思う。本当に不思議なことってあるんだよ。トトの正体がわかったら、手紙を書いて送るね。それでなくても書くけれど」
「ぼくも書くよ」
しかしライナは下を向きます。こげ茶色の春の帽子のつばが、ライナの顔をかくしてしまいました。
「どうしたの?」
「ムジカはそうやってトトと一緒に過ごすことで、時間がはやく過ぎるだろうけど、ぼくはきっとおそいだろうな。街でのくらしなんか想像もできないし、ぼくはきっとひとりぼっちになってしまう」
この集落でずっと育ってきた二人は、そのくらしがどんなものなのか、ほんとうに想像もつきませんでした。
「知らない街で知らないことばかりだから、さみしさも忘れるくらい、あっという間に時間がたつんじゃないかな。
ライナ、ぼくだって学校ではひとりになっちゃうよ。
でも、いつかまた会うために、それまでの時間をむだにはしないでおこう。
トトが言ってた。毎日を充実させて、お互いが素敵に成長して出会うことが、ほんとうのたからものに出会うっていうことなんだって。
虹の向こうに、それが待っているんだって」
ライナは不思議そうにムジカをじっと見つめていました。その瞳には、あの日にみた、あの羽のはえた女の子を、きっと映しているのでしょう。
「ぼくはあの家を飛び出した日、夢をみたよ。
ぼくたち、虹をわたっていたんだ。
そしてたからものを見つけたよ」
羽のはえた女の子が教えてくれたのです。
「ほら、不思議なことってあるんだよ。ぼくも同じ夢を見た。妖精の女の子が出てきて、ぼくたちを案内してくれるんだ」
「妖精…」
二人は同時にポケットに手を入れました。
「そうだよ。これは妖精の骨だから」
ライナはそれをにぎりしめます。
「うん。なくさないで、大事にしよう。ぼくたちがもう一度出会うその日まで」
遠くでライナのお母さんとお父さんが息子の名を呼んでいました。
出発の時刻がきたのです。
「ライナのお父さん、優しそうだね」
「うん」
「そうだ。これはトトから。ライナにって」
ムジカは持っていた小包をライナにわたします。
「なに?」
「本だよ。ぼくがトトと一緒にすごす時間を、ライナはこれを読んですごすんだ。案外ライナはぼくたちより、ずっと知識をつけているかもしれないね」
そして二人は強く握手をすると、軽く抱き合いました。そして、「さようなら」と、どちらともなく言いました。
石畳のしかれた道路は、すぐに土ぼこりのたつ舗装されていない道にかわりました。
ライナ達をのせた車は、遠い街を目指していきおいよく走って行きます。
ムジカの心にはぽっかりと穴が空いてしまいました。
ライナが見つけた妖精の骨は、今日も少しの光を放ち、自分の存在を示しています。
ガラスのビンはひやりと冷たいのですが、もし、この骨のおかげで二人が再び出会うことができたなら、そんな素敵なことはありません。
夜ごともようされるパーティーも、耳をふさいでいなくても、それを眺めていると落ち着きました。
そして遠くの街で暮らしている友達のことを思い出します。
友達は、知らない街の知らない人たちとうまくやっているでしょうか。
暖炉のまきは、また冬になるまでお休みです。
お姉さんと少し話してみることも、できるようになりました。
森の地図には、もう少し待ってもらうことにします。いつか、いやというほど通わなくてはならなくなるでしょうから、それまでに、学校でうまくやっていく方法を見つけて、毎日を充実させて暮らさなくてはなりません。
二人は今、虹をわたっている途中です。
いくつかの冬を越して、オオカミと戦って、さあ、たからものはもうすぐそこです。
読んでいただきありがとうございました!