G*02-初恋理論③-
「……驚いたよね?」
小羽ちゃんの膝の上で目を覚ました僕は、その長い睫毛を下から眺めながら、ポツポツと語る声に耳を傾けていた。
「わたし、実は……、人間じゃないんだ……」
それは余りに酷薄な告白だった。
見ようによっては、荒唐無稽ですらあっただろう。それくらい陳腐で嘘くさい話だった。
でも、彼女の口振りは。そして、その痛烈な独白は、そんな邪推をことごとく否定させた。
彼女の正体は昆虫で。更に言うならばチャバネなアレで。いわゆる害虫で。彼女の一族は、人に変化する能力を得た特殊な進化形で。そうして人の世に交わるようにして暮らしていて。
だけど、その変化(人化と言うらしい)は、恒常的な変化ではなくて。だから酷く力を失ったり、動揺したりすることで、その変化が途切れてしまったりすることもあるらしくて。
大好きな人に告白しようと思ったら、緊張しすぎて人化が切れてしまったらしい。
「わたしは、みんなに嫌われてしまうような害虫だけど。……それでも、好きなの。あなたが好き」
大きな瞳に涙が浮かぶ。綺麗な雫が揺らめいている。
「黙っていなくちゃいけない。何度もそう思ったの。……でもムリ。我慢すればするほどに……痛くて、辛くて、苦しいんだもん」
声は細く、弱々しい。でも、その意思はどうだろうか。
その眼差しには、強い意志が感じられる。
「我慢なんてしたくない。大好きって言いたい。もっとずっと一緒にいたい。もっと仲良くなりたい。枝間くん、わたし……」
いい加減に、僕は膝枕から顔を上げた。
そんな痛々しい訴えを、座して(寝て?)聞くなんて僕には堪えられなかったのだ。
「茶山さん……」
いつまでも先手を取られ続けるわけにはいかない。さすがに下の名前で呼ぶのはちょっと気恥ずかしかったけど(もちろんさっきみたいに咄嗟の時はつい呼んじゃうんだけれど)、僕は割り込むように言葉を接いだ。
初めて逢ったときから、可愛らしい小羽ちゃんが好きだった。
いつだってほのぼのしていて。僕をほのぼのさせてくれて。いつだって魅力的な笑顔で僕の世界を照らしてくれて。僕の心に暖かい温もりを与えてくれて。僕が困ってるときにはいつだって優しく声を掛けてくれて。悲しんでるときだって心配掛けないようにいつも笑顔を見せてくれて。そのときばっかりは、嘘なんか吐いて欲しくないな、なんて思ったりしたものだけれど。それでも、嘘を吐かざるを得ない状況だったのは、その正体を知れば自明のことで。
僕が救われた分を――というには、その差はあまりに大きいものかもしれないけれど――、恩という形で返してあげたい。ううん、返さなきゃいけないと思うんだ。
……いや、返さずにはいられないんだ。僕は。
僕が救われた分、彼女を救いたい。
僕が癒やされた分、彼女を癒したい。
そのためなら、彼女の正体なんて、取るに足らない事実じゃないか。
だから、僕は小羽ちゃんの頬に触れる。
その頬は、柔らかく、そして暖かい。
赤く染まった顔で、小羽ちゃんは目を細めた。小さくて、今にも壊れてしまいそうだ。僕は両手で支えるようにして、その顔に触れていた。
緊張で胸がドクンドクンと跳ねる。口から飛び出してきそうなくらい高鳴っている。
僕だけじゃない。たぶん小羽ちゃんも、緊張している。頬越しとは言え、僅かに脈拍が伝わってくるような気がする。
「なんか、キンチョーする……」
僕がそう言うと、緊張という言葉に小羽ちゃんはやや身体を強ばらせながら(キンチョーという響きから某殺虫剤を思い浮かべたのではないと思うが)、くいと顎を浮かせる。眉間には皺が寄っていて、なんだか注射を待ち構える子供みたいだなと思って、僕は少し肩の力が抜けた。
……あれ? というか、何だ? なんかこのポーズ、あれみたいだぞ……?
顎を上げて、目を瞑り、おまけにちょっと背筋を伸ばしている小羽ちゃん。その顔色は真っ赤で、口元はなにやら、もにゅもにゅと蠢いている。
加えて、僕はというと、そんな小羽ちゃんの頬に両手を添え、ベンチに腰掛ける小羽ちゃんに対して向かい合うように立っている。その整った顔は存外に距離が近い。さっきまで膝枕体勢だったせいもあって至近距離だ。鼻息も当たりそうなくらいに。
眼前には小羽ちゃんの潤んだ瞳がある。目を細め、緊張に身体を震わせているが、そんな小さく縮こまった様子も実に可愛らしい。
……え、ひょっとして、キスしてもいいの……?
いやいやいや、ダメだろう。何考えてんの、僕。動揺に動揺を重ねて自分の欲求を正当化しようとしてるんじゃないの? ダメダメダメ絶対にダメ。ダメ、絶対。許されないよ、さすがにそれは。
小羽ちゃんだって、きっとそんなつもりじゃないに決まってるよ。いきなりチューしようとしたら怒るに決まっている。
……いや、確かに好きって言われたよ。パニクってていまだに実感ゼロだけど、嘘ではないと思うよ。
けど、だからってして良いことと悪いことってものがあるわけだよ。そしてこれは明らかに後者なわけだよ。それはつまり、『好き→からの→大嫌い』だってありえるわけだよ。なんなら『好き→からの→死ね、便所虫』くらいだってありえるだろう。
よくよく考えれば『害虫』からの『害虫呼ばわり』ってことになるわけだけど、それ以前にそんなことしたら僕は『女の敵』になっちゃうんだから、害虫呼ばわりくらいはむしろ当然の呼び名とも言えるかもしれない。むしろ推奨されるかもしれない。誠に遺憾ながら。
とはいえ、じゃあ、この体勢はなんなのだろう。
傍から見れば、どう考えたってキスシーンだ。テレビの中で流れていたら、両手で顔を覆うふりして指の間からガッツリ覗いちゃう系のワンシーンだ。
勘違いとしか思えないシチュエーションなんだけど、勘違いとは思いがたいシチュエーションでもあるわけだ。
困った。これは実に困った。八方塞がりというやつだ。押せども引けども着地どころが分からない。
……素直に聞くしかないだろうな。
「……えっと、その……。そんな顔されたら、僕も男の子としては、止まれなくなっちゃったりするんだけど、……えと、だいじょぶ?」
結構控えめに、それでいて大胆なことを訊いたもんだと思ったけれど、それでも小羽ちゃんはこくりと、頷いた。
……マジかよ。マジなのかよ。
ついに来ちゃったのかよ。こんなシーンが。甘酸っぱくてホロ苦い青春模様というやつが、ついに僕のところにもやってきたのかよ。
ラブコメの神様は僕を放置プレイなんかしなかったんだ。今まで憎んで済まなかったよ、神様。父さん、母さん。僕を生んでくれてありがとう。僕、ようやく分かったよ。僕の生まれてきた意味が。……このためだったんだね。
今日この日のために僕は生まれてきた。この日のために今まで生きてきた。
さよなら、十五年間共に過ごした喪男時代よ。僕は今、ファーストキスを捧げます。
――行って参ります。
心の中で両親に、そして僕を育んできた全ての存在に感謝しながら、僕は少女の身体を引き寄せて……。
そのまま……。
ポンッ!
気のせいか、変な音が聞こえた気がしたけど、僕は止まれなかった。そしてその刹那。僕は止まれなかったことを一生後悔することになる。
ん……? なんだこれ?
口の中に広がる堅い感触。明らかに想定していた感触と違う。人の身体ではない何か。
ところどころ尖った何かがブスブスと口内に突き刺さっているんだが……。
目を開ければ、そこには着物姿の少女はいない。着物だけが残されている。
少女の頭に付いていたリボンだけが眼前に垣間見える。僕の口元から伸びている……?
いや、口内に侵入しているものの胴体にリボンが巻き付いているだけだ。
それは……。その物体は……。
「ぎにゃぁぁぁああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!」
寂れた公園に一人の少年の絶叫が響き渡った。
――
「……あ、頭ごと食べられちゃうかと思いました……」
なんて言いながら僕のよだれで濡れたであろう髪をハンカチで拭いながら、小羽ちゃんは真っ赤な顔で俯いていた。
なにはともあれ。
――そうして、僕らは付き合うことになった。
結局、ファーストキスもできなかったし、それどころかトラウマばかり植え付けられた今日だったけれど。
僕と小羽ちゃんの恋人生活は、この日を境に始まったのだった。
◆【恋愛理論】
分かりやすい話として作成しましたが……。
どうにも読みにくい構成になっちゃったような気がしています。
後半は良く書けたと思っているのですが、中盤までは説明とあらすじでしかない……。
序盤をきっちり描写すると、お話のインセクト……じゃなかったコンセプト(しつこい)がズレるということで飛ばし気味でとにかく目的のシーンまで駆け抜けてみたのですが……。
もう少し良い構成はなかったものだろうか。なんて思って、一瞬、後悔しつつ公開をためらったお話です。
◆今後
気に入っているのでシリーズ化したいです。
とりあえず、二人の嬉し恥ずかし(?)なハプニングをもうちょっと書き増したい。
それと新キャラとかいろいろ。
乞うご期待。
◆予告
めくるめく、小羽ちゃんとの恋人生活の始まりだぜ!
けど、その正体は実は害虫!? やはり、ハプニングは避けられないのか……!?
――次回、超進化論(予定)!