セイイチ Part1
突然だが、あなたはご存じだろうか。
1998年を最後に、それから一度もリーグ優勝を達成していない、横浜に本拠地を置く弱小プロ野球球団を。
2005年のAクラスを最後に最下位を繰り返し、目標はシーズン90敗回避と半分冗談半分本気で野次られ、野球世界最強を競う国際大会には選手を招集されず。
一部の心無いファンからは「甲子園の優勝チームの方が強いんじゃないか」などと言われる始末。
俺、新沼セイイチはそんな球団のファンだ。
今日もテレビの前で、愛しのハマブルーを応援したのだが、試合は中継ぎの炎上で、打線も終盤に連打が続くのだが、追いつくまでにはいかず結果は惨敗。
一緒に試合を観ていた友人――高須ギンジは自分の贔屓の球団が勝ったのもあって俺の顔を見ながら爆笑。一発腹にぶち込んでおいた。カッとなってやった。後悔はしていないし反省もしていない。つーか俺悪くないよね?
ちなみに俺は、試合がある日はギンジの部屋にお邪魔している。ギンジは家が開業医をやっているとかで、かなり大きなマンションに一人暮らしでテレビを二台も三台も持っている。金持ちめ。
無理な一人暮らしから苦しい生活を送っている俺は、テレビのスポーツチャンネルとの契約なんてできないので(そもそも仕組みがイマイチわからんのだが)、全球団の試合が観られるテレビ持ちのギンジ宅で応援させてもらっているのだ。
ギンジと試合後に、今日の試合結果について小一時間ほど語り合って、俺はギンジの家を後にした。
食事を勧められたが、ギンジにはたびたびご馳走になっているので、俺はそれを断ってアパートに続く道を今歩いている。
真夏特有の蒸し暑さに汗を流しながら十分ほど歩いていると、俺が住んでいるアパートの50m程手前にある交差点に着いた。この時間帯だと車の通りは全くないのだが、赤のランプに俺は足を止めた。
……どうでもいいけど、こうやって車が来ないのがわかってるのに生真面目に信号を守っていると、自分はやっぱり日本人なんだなと変に納得してしまう。
「三連敗かぁ……」
俺は今日の試合を思い出して呟いた。最後の方はため息になっていたが。
「そもそもなんであそこでTTYなんだよ……TTYは先発で調整してるんじゃなかったのか。左ならOHRだっていたのに」
六回表ワンナウト。ランナー二塁。先発は失点2にまで抑えて左打者が出てきたところで交代。この後が地獄だった。安打安打適時打に駄目押しのツーランホームラン。
ここ三試合は全てがこのパターンでの敗北だ。
「辞めたくなるぜ……☆ファン」
まぁこんなこと言っちゃうけど結局辞められないんだよな。不思議だよね。
そんなことを考えている間に、信号は青に変わっていた。
「まっ、明日勝てばいいさ!」
今日はもうさっさと風呂に入って寝るのだ。今日の負けを明日に持ち込むのは精神衛生上よろしくない。
それに明日は高校の登校日だ。夏休みだからとダラダラ生活していたおかげで体内時計はめちゃくちゃで、早いところ眠らないと寝過ごしてしまう。
車が来ていないことを確認し(この交差点は通りが少ないせいか平気で信号を無視する車が多いので)、俺はアパートに向かって走り出した。
気合を入れて床に就いたのが功を成し、朝礼の三十分前の登校に成功した俺。自分のクラスの教室を入り口から覗くとまだ誰もいない。一番乗りやで。
「早く来すぎたかな?」
「かもね」
突然後ろから声がかかる。
不意打ちな声に驚き、ちょっと自慢げに呟いた独り言が恥ずかしくなって声の方に振り向いてみると――
「ニーサンが遅刻ギリギリに登校しないなんて……雨でも降るんじゃない?」
「ひでぇーこと言うなぁ。俺だってたまには早起きくらいするぜ」
俺の数少ない友人ギンジが立っていた……パジャマで。
「つーかギンちゃん、お前なんでパジャマなのよ」
「まぁまぁまぁ、説明するから早いとこ教室の中に入りなよ」
ギンジは俺を教室に押し込み、自分のバックから制服を取り出し机の上に置くと、自宅感覚でパジャマを脱ぎ始めた。
「これだけ暑いとさ、学校に着くまでに制服が汗でビショビショになっちゃうじゃない? だからこうしてパジャマで登校して、教室に着いたら制服に着替えるの。合理的でしょ?」
「俺は汗でベタベタする不快感よりもパジャマで登校することへの羞恥心のが強いぞ」
「そう? 僕は恥ずかしいなんて思わないけどなぁ」
パジャマを脱ぎ終わったギンジは、制服に手を伸ばす。
「まぁ僕に言わせれば某弱小球団を応援する方が恥ずか」
腹パン。
「……冗談だよ冗談」
「言っていいことと悪いことがあるからな」
「ごめんごめん」
こんな調子で冗談を言い合っているうちにギンジは着替え終わり、教室に他の生徒たちも増えてきた。
クラスメイトたちは久しぶりに会う級友と楽しそうにお喋りしているのだが、友達作りに失敗しまともに話せる相手が一人しかいない俺は、朝礼が始まるまで球友と楽しくプロ野球トークに勤しむ。悲しいなぁ。
「ねぇねぇ」
元猫軍の火武霊羅選手はステロイドをやっているかいないかで盛り上がっていた俺たちに声がかかる。
「今話して選手って、ちょっと前までwktk軍団にいた火武霊羅選手?」
声の主はあまり話したことのないクラスメイトの山崎ハルカさんだった。
「う、うん」
女の子と喋るのに慣れてなく、人見知りなところがある俺は小声で返事を返した。
「やっぱり!? 聞き間違えじゃなくてよかったー」
ワザとらしくホッとするジェスチャーの山崎さん。あざとい仕草だが正直可愛い。
「もしかして山崎さんって鷹ファン?」
「え!? なんでわかったの!?」
「今時野球選手の名前、それも引退した選手に反応する女子高生なんてその選手の在籍したチームのファンしかいないよ~」
「名探偵だね、高須君!」
「ま、多少はね。しかし山崎さんが鷹ファンだったとはね。全然気づかなかったよ」
「別に隠してわけじゃないんだけどね。やっぱりクラスの女の子はプロ野球に興味なんてない子ばっかりだから」
「だろうね~」
「だから毎日野球の話をしてる新沼君と高須君が羨ましくて、今日は声をかけちゃいました」
「どんどん声かけてよ。僕もニーサンも野球仲間は大歓迎さ」
「ありがとっ……ニーサン?」
「新沼君のことだよ。“にいぬま”の“に”でニーサン」
「へぇ~。新沼君って変なあだ名で呼ばれてるんだね。私もニーサンって呼んでいい?」
「あ、あぁ。いいんじゃないかな……」
空気と化した俺は山崎さんに適当な返事で返す。
「ニーサンニーサン!!」と俺の手を取りぐるぐると振り回す山崎さん。
どうやらこのクラスメイトは少しばかり頭のネジが緩いようだ。
「ねぇねぇニーサン、高須君。アドレス交換しようよ!」
俺は山崎さんが気付かないように小さくため息をついた。
『山崎さんって小さくて可愛いよね~天然さんだしニーサンにお似合いなんじゃないかな~?』
いつものようにギンジの部屋に向かった俺だが、今日は移動日で試合がないことを忘れていた。特にやることもなかったのでゲームをしている途中、ギンジが突然呟いたのがその言葉だった。
ゲームが山場に入り、流れが変わってその呟きは特に話として膨らむことはなかったのだが、今こうしてアパートに続く道を歩いているとどうしても意識してしまう。
あの朝、会話に加わることは出来なかったが、二人の会話を隣で聞いている間、俺はちょっと……いやかなり楽しい気分になっていた。
特にぐるぐると表情の変わる山崎さんは見ているだけで楽しくなった。
「別に惚れたってわけじゃないんだけどさ」
俺は携帯電話の電話帳を眺めながらスキップを踏む。電話帳には昨日までは登録されていなかった『山崎ハルカ』の名前がある。
喋り慣れてない女子でも、友達が増えるのは嬉しい。俺は鼻歌まで歌い始めていた。
しばらくするとゴツンと何かにぶつかり、俺はアスファルトに尻をついた。
浮かれていて気付かなかったが、俺はアパート前の交差点まで歩いていて、フラフラと信号機に自分から突っ込んでしまったようだ。
「……浮かれすぎだバカ」
俺は信号機に手をかけながら立ち上がろうとした。しかし、何か違和感を感じる。
地に向かっていた視線を戻すと、そこには信じられない光景が広がっていた。
四本立っている信号機は、全て先端がY字に引き裂かれ斜めに折れ曲がっていた。一目見ただけで明らかに壊れているとわかるその信号機たちは、不気味なことに赤い止まれのランプに明りを灯している。
「なんだよこれ……」
信号機から目を離し、交差点の中央を見るとそこには半径5mくらいの穴が開いていた。元々道幅が6、7mの道路だったので、交差点が丸ごと抉り取られたような感覚を覚えさせてくれる。
あまりにも唐突に現れたその歪んだ光景に、俺は呆然と立ち尽くしてしまった。
何時間かして……いや実際はもっと短かったかもしれない。目の前の非日常に変化が表れた。
穴の中から光が零れだしたのだ。その光はこの場所に似つかわしくない銀の光だった。
光は時間が経つにつれ、徐々にその強さを増していく。
いよいよ光の強さに目を開けていられなくなりそうになったその瞬間、何かが穴から出ていくのが見えた……気がした。目を閉じてしまったからね、しょうがないね。
瞼の裏で光が徐々に弱まっていくのを感じた俺は、恐る恐る目を開いた。さっきの光でチカチカしてはっきりとは見えないが、穴から何かが浮かびあがっているようだ。
もう一度目を閉じて、暗闇に目を慣らしから確認する。すると今度は何が浮かび上がっているのかはっきりと見えた。しかしアレは――
「女の子じゃねーか……!?」
俺は穴に、少女に近づいてみる。穴の淵ギリギリに立つと少女は目の前だった。
しばらく眺めていると、少女はどんどん浮かび上がっていく。最初に目に入った時は俺の腰くらいの高さだったのに今じゃ頭の上だ。
俺は思わず手を伸ばした。
なぜかはわからない。ただ自然と手が伸びていた。不思議だね。
俺の手が少女に触れた瞬間、ふわふわと浮かんでいた体が突然重力を思い出したかのように俺の方に落ちてきた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
とっさに両手で受け止めたのだが、ここは穴の淵。バランスを崩して穴に落ちちゃいそう!!
「おぉぉぉぉぉぉ!!! おっおっおっ!?」
マズイマズイマズイ! 重心が穴側に傾いている!
「ふんっ! ……うわわわあわ!」
駄目だ落ちる! あと少しでリカバリー出来そうだったんだがあと一歩及ばず!
……さらば何か今一つ足りなかった人生よ――
「くしゅん」