8話 ホトトギス
―――――――――――――――
それはとある少女の悲鳴から始まった。
「きゃあああああ」
「何事か!?」
それを聞きつけ、魏の面々が声の下へ向かう。
そこは厠であった。
そしてそこに居たのは…………。
「桂花?」
そう。荀イクであった。
「どうしたのかしら、貴女が大声を出すなんて………」
「か、華琳様~、それが今、そこに覗きが………」
と荀イクは厠を指差す。
「覗き?」
と曹操たちは厠の中を覗く。それ普通の汲み取り式の厠だ。四方は木板で囲まれており、換気用の小窓が取り付けてあるのだが…………。
「あの高さから覗くのは無理やと思いますけど………」
と李典に言われて、皆が見上げる。
それは人が背伸びをして届く高さではない。
「もしかしたら台座とかを使ったのでは?」
「確かにそれぐらいしか考えられないわね」
夏侯淵の意見に皆が頷く。
「もしかしたら犯人の手掛かりがあるかも知れないわ」
「では早速調べ―――」
と皆が厠の裏手に回ろうとすると…………。
「うぬ?なんの騒ぎであるか?」
裏手から出てきたのは塵塚怪王。
丁度、換気口ぐらいの背丈がある。
『…………』
「ん?なんであるか、人の顔を凝視するとは」
――――ガシッ。
と両側から夏侯姉妹が塵塚怪王の腕を取る。
「華琳様、犯人確保しました!」
「犯人?なんのことであるか、華琳?」
状況が上手く掴めていない塵塚怪王。
「惚けるんじゃないわよ!?アンタ、今さっき私が厠に入っているときに覗いたでしょ!」
ビシリッと指を指す荀イク。
「何を言っておるのだ、桂花は?人の生理現象などを見てなんとすると言うのだ?」
首を傾げる塵塚怪王。
「そ、そそ、そんなこと私の口から言えるわけないじゃない!?」
「怪王。貴方、裏から来たわよね?その時、怪しい人影を見なかったかしら?」
「いや、我輩は確かに裏を通ってきたが、何も見ておらぬぞ」
「ほら、やっぱりアンタしかいないじゃない!」
「うむ。それは厠の中で見たのであるか?」
「そ、そうよ。当たり前じゃない」
「ふむ。少し中を見ても構わぬか?」
と厠の中を顎でしゃくる塵塚怪王。
「何?アンタ、最中じゃなくて事後がいいわけ?どんな変態よ………」
侮蔑の視線を向ける荀イク。
「………よく分からぬ言葉を使うのだな、桂花よ。少し心当たりがあるのだ。それを確かめたい。それも駄目であるか?」
今度は曹操の方を見る塵塚怪王。
「構わないわ、春蘭、秋蘭。離してあげなさい」
「よ、よろしいのですか?こやつは女の敵ですよ、華琳様!?」
「まだ決まったわけではないでしょ?」
「は、はぁ。分かりました」
渋々ながらも腕の拘束を解く二人。
「うむ………」
塵塚怪王は厠の中を検分する。
「おぉ!これは………」
「何か見つかったの!?」
と魏の面々が駆け寄ると………。
「見よ、竈馬であるぞ!」
『きゃあああああ!!』
塵塚怪王は手のひらに乗せたその特大の竈馬を見せる。
「ハハハ、そんなに歓喜することはなかろう」
「ちょっ、何てもん持ってんのよ!さっさと捨てなさいよ」
「こっちに持ってこないでなの~~!」
「うむ?汝らはこの可愛さが分からぬのか………。勿体ない」
そう言って塵塚怪王は竈馬を懐に仕舞う。
「捨てなさいッ!!」
塵塚怪王は竈馬を草むらに返す。
「貴方、もっと真面目な性格だと思っていたのだけれど?」
「そうであるか。それはまぁ、認識の齟齬であろうな。というかもうそろそろ戻ってきてはくれないだろうか?そんな遠くては話すこともままならぬ」
とかなり離れたところに行ってしまった面々を呼び戻す。
武将や王と言えども、女の子。虫は苦手なのだ。それも手のひらからはみ出るような特大の竈馬だ。当然のリアクションである。
「それでもしかして、桂花はあの虫を見間違えたとでも?」
「それはなかろうよ。恐らくは………」
と換気口を見る。
「なによ。何もないじゃない」
釣られて全員が見るが普通の換気口である。
「まぁ、そうであろうな」
塵塚怪王はパンッと手を一回打つ。
「そう恥ずかしがらずに出てきてもらえぬであろうか、加牟波理入道よ」
と通気口に話しかける塵塚怪王。
「アンタ、苦しい言い訳は………」
「あのぉ~」
「何よ、邪魔しないでよね。今、女の敵の断罪、を………?」
塵塚怪王に詰め寄る荀イクに“上から”話しかけられる。
それは心情的にではなく、物理的に。
「すみません~。でもぉ~塵塚さんは悪くないんですぅ~」
声のする方、つまりは上。もっと言うなら換気口の方へ目を向けると、そこには………。
「すみません~」
換気口からにょきっと顔を出した女がいた。
念のために言っておくが、換気口はあくまでも換気の為の穴であり、それほど大きくない。……つまりは、覗けはしてもそこから顔を出すなど不可能である。
「え、えぇとぉ~。…………こんにちは?」
女性はペコリと頭を下げた、通気口から生えたまま。
「な、なな………。誰よ、コイツ!?って言うか、どこから顔出してるのよ!?」
「うむ?聞いておらなかったのか?加牟波理入道だ。それとどこからとは見て分からぬか?あの通気口であろう」
「そんなの見れば分かるわよ!!」
「華琳様、厠の後ろには誰も居ませんでした」
楽進が後ろから確認したが、厠の後ろには誰も居なかった。
正真正銘、通気口から生えていた。
「あれはそういう者だと思え。それで話を戻すが……。桂花、汝が見たのはこの加牟波理入道である」
「……は?」
「すみません~」
桂花が加牟波理入道を見上げると頭を下げる。
「伝えたいことがあったんですぅ~」
と加牟波理入道がにょきっと身を乗り出す。
「最近、ここの掃除がされてないのですぅ~。お願いしますぅ~」
『は?』
皆の頭に疑問符が浮かぶ。
「もしかしてそれだけを言うために?」
曹操が皆の代わりに加牟波理入道にそう聞く。
「それだけ、というわけではないのだ、華琳よ。この厠という場はこの者にとって大切な場なのだ」
曹操の問いに塵塚怪王が答える。
「加牟波理入道というのは厠に憑くものだ。それ故にこの厠という場が力場となるのだ。それが汚れるというのはその者自身が穢れることとなる」
分かるか、と塵塚怪王は曹操たちを見る。
「汝らにとっては“ただのこと”でもその者にとっては“ただならぬこと”なのだ。我輩からも頼む。この者の申し出、聞いてはくれぬか?」
と頭を下げる塵塚怪王。
まさか塵塚怪王が頭を下げるなんて、楽進たちですら思いもしなかった。
「桂花?」
と曹操は荀イクを見る。
「分かったわよ。すぐに人を遣るわよ」
「ありがとうございますぅ~。このご恩は忘れません~」
「我輩からも礼を言うぞ、桂花」
「別にアンタから礼を言われる筋合いはないわよ」
ふん、とそっぽを向く荀イク。
その数日後。
「ちょっとこれはどういうことなのよ!?」
バンッと扉を開けて、塵塚怪王の部屋を訪れたのは荀イクだった。
「何なのであるか、桂花よ」
それに対して怪訝そうな顔をする塵塚怪王。
その膝の上では古戦場火が座っていた。
「これよ、これ!」
と荀イクは一つの紙を見せる。
「これは…………恋文であるな」
そこには愛や恋だの綴られていた。
一応、言っておくが別に荀イクから塵塚怪王へのものではない。
他の男の文官からのものである。
「ふむ。これが何だと言うのだ?」
塵塚怪王は恋文から荀イクへ目を移す。
「これで七通目よ!」
と荀イクが激昂する。
「なんでいきなり男たちが言い寄ってくるのよ!?」
「……あぁ。なんだ、そのことであるか。加牟波理入道が言っていただろう?」
――――恩は忘れぬ、と。
「はぁ、これがその恩返しなわけ?」
「そうである。あの者に“出来うる限り”の、な」
「出来る限りって何よ?」
「我輩たちは万能でも全能でもないのだ。その者にはその者に釣り合った力しかない」
と古戦場火の頭を撫でる塵塚怪王。
「………ん」
それにくすぐったそうにする古戦場火。
「そして加牟波理入道の力はこれである」
と塵塚怪王は恋文に目を向ける。
「……ぼくはあなたのことがす―――」
「ちょっと読まないでよ!?」
恋文はいつの間にか塵塚怪王の手から古戦場火の元へ渡り、それを読み上げる古戦場火。
「ふむ。加牟波理入道は厠神の派生なのだ」
「厠、神?」
「うむ。その名が示す通り、厠の神である」
「それとこの恋文の何の関係があるのよ?」
「そう焦るでない、桂花よ。厠神はな女性への神なのだ。そして………」
――――安産の神である。
「出産は血を伴い、血は穢れとなる。故に神々はそれを嫌う。だが、厠神だけは違うのだ。それで安産の神と成ったのだ。その派生たる加牟波理入道ならば縁結びくらい雑作もなかろう」
と塵塚怪王は言う。
「良かったではないか、桂花。これで男に困ることはなかろう。種の保存は生物として…………」
「冗談じゃないわよぉぉぉぉぉ!!」
塵塚怪王はまだ何かを言っているが、荀イクの絶叫でかき消される。
後日、塵塚怪王を通して、加牟波理入道のお礼は止まるがそれまで荀イクにとって最悪な日は続くのだった。