上げた顔
ドストエフスキーの『白夜』の表紙には、うつくしい女性が描かれていた。彼女は物憂げに自分の身体を抱いている。目線はなにかを考えるように、下を向いていた。もし彼女が僕の目の前にいれば、僕は卒中してしまうだろう。それくらい、彼女の可憐さは目をひいた。
しかし、彼女は彫刻のようだった。もちろん彫刻ではないだろう。これほどまでリアルなのだから、絵画でもないだろう。だが、その身体には、生きているものが持っているような躍動感はなく、彼女は彫刻にふさわしかった。髪は霜が降りたように潤いをなくし、唇は死人のように青かった。僕は彼女の頬をなでる。もちろん、表紙を触っているだけなので、なにかを感じることはない。けれども、僕はそのつめたさにぎょっとした。
なにが彼女をこんなに苦しめているんだろう。
僕はあてもなく、そんなことを考え始めた。孤独が彼女を苦しめているのか、それとも彼女が孤独を苦しめているのか。しかしそれ以上、僕はなにかを考えることはなかった。それより先を夢想するには、僕はあまりにも若すぎた。それに電話がかかってきたからだ。僕は電話におそるおそる出た。電話は女の声だった。
「もしもし、○○中学校3-1担任の加藤ですけれども。雄太君はいらっしゃいますでしょうか?」
「僕です」
「ああよかった雄太君。最近はどうしているの?」
「まあ、ぼちぼちです」
「勉強はしている? 今年は受験よ」加藤先生は明るく言った。
「ぼちぼちです」
「そう、実はね今日電話させてもらったのはね、お願いがあるのよ」
僕はため息をした。「なんですか?」
「これから夏休みじゃない」
僕はそうですね、と答える。
「よかったら私とどこかに行かないかなって?」
「え」
「別に変な意味はないのよ。だってもう一学期も終わるのに、雄太君のこと、私なんにもしらないんだもん。顔だって性格だって成績だって、なんにも知らない。せっかく雄太君の担任になったのに、そんなのもったいないと思ったのね」
僕は唖然として聞いていた。
「でも教師がそんなことをしていいのでしょうか?」
「いいの、いいの。そんなの誰にも言わなきゃばれはしないわ。私の電話番号教えとくね」
加藤先生は早口で電話番号を言うと、愛想よく電話を切った。僕は未だ、虚につかれたような感じだった。僕はなんとなく、鏡の前に立った。鏡に映る僕は、まるで浮浪者のような風采をしていた。
「髪を切らなきゃな。それに服も買わないといけない」僕は小さく呟いた。僕の身体はけだるさに包まれていた。嫌なけだるさだった。僕はもう一度、大きな声で言った。
「髪を切る。服も買う」
彼女の顔は相変わらず曇っていた。それでも、彼女は顔を上げた。