運転免許証(教習所編)
甥っ子が車の免許を取った。
現役大学生のくせに筆記試験に落ちて、二回目での合格らしい。勉強不足ですな。
私が免許を取ったのは高三の夏休みだった。
今の免許取得までの道のりがどうなっているのかは知らないが、当時は半年間で卒業検定に合格しなくてはならなかった……と思う。
何せ昔の事なので、細かいところまで思い出せない。ごめんなさい。『半年、半年』って切羽詰まってた事は覚えているんだけどな。
四月が誕生日の私は、三月も半ばから教習所に通えた。誕生日までは学科しか受けられなかったけど。
タイムリミットは九月半ば。実技の予約が込んでいて取りづらく、わりとギリギリまでかかってヒヤヒヤしたもんだ。それは今でも変わり無いみたい(甥っ子談)。
ちなみに私は進学希望であった。高三といえばまさに追い込みの時期。そんな貴重な夏休みを教習所通いで潰すとは、なんて呑気者だったんだろう。娘には絶対聞かせられない。
学校が終わると、一目散に教習所へ通う毎日。
西新井の駅を降りて、教習所のバスに乗り込む。当山ひとみと小比類巻かほるを聞きながら。はっ! 年代がバレる……
たまに西新井駅にあるモデルハウスを冷やかしたりして、「お嬢ちゃん、次はご両親と来てね」などと案内係のお姉さんの顔を引きつらせたりしたものだ。
そうか! 社会の仕組みを知らないから、女子高生って強いんだ、きっと。
そうやって、最初は楽しく教習所通いを満喫していたのだが、楽しいばかりでは済まないのが人生。間もなくやってきましたとも、神様からの試練が。
順調に講習を受け、残りわずかとなった時のこと。どうしても学科の『9番』だけ、スケジュールが合わなくて受講できない。
どうやり繰りしても、どんなに頑張っても、どうしても『9番』だけが残ってしまうのだ。
自分の予定に合わせていたら、受講できるのはかなり先になってしまう。卒業が危ぶまれるくらいに。
危機感を感じた私は、ならばこちらが合わせるしかないな、と決心して、親公認でちょっと腹痛を装ってみた。
世間ではそれを『仮病』とか『ずる休み』とか言うみたいだけど、私にとって『9番』の受講は最重要課題だったのだ。仕方がない。
講習は何とかなったので、残るは実技。仮免許への挑戦だ。
結果から言うと、仮免は四回落ちた。
四回のうちの二回は車庫入れの失敗。内一回は、最後までやらせてさえもらえなかった。
焦れば焦るほどうまくできない。教官にため息を吐かれて「もういいから戻って」と言われた時には、自分で穴を掘ってでも入りたいくらい恥ずかしかった。
悔しくて悔しくて、近所の公園の駐車場で、父親に車庫入れの特訓をしてもらった。早朝(五時)の公園で、下手くそな車が車庫入れの練習をしているのだ。絶対に近づきたくない。
四回のうちの一回は、脱輪が原因だった。クランクから抜け出せなくなってしまったのだ。
残りの一回は忘れた。もう、どうでもよくなっていた。だけど教官が、『どうせだから、とことんまでやってみよう』と言って不合格にした事だけは覚えている。どうせだからとは失礼な!
帰り道の公衆電話で、父に、また不合格だったと伝えた。
半べそをかいて「また落ちちゃった」と言った私に向かって、「いつか受かるよ」って大爆笑してたっけ。
その言葉で気持ちは楽になったけど、これ以上無いくらい落ち込んでる娘に、大爆笑はないよ、お父さん。
次の検定ではついに合格。父が気持ちを軽くしてくれたからか、私の実力がやっと発揮されたからか。どちらにしても、父には感謝している。
その後は何事もなく卒業して、本試験にも一発合格した。
あ、いや。卒検も一回落ちてる。一回くらいじゃ驚きもしないけどねっ!
そんな日々も今となっては遠い過去だが、未だに私の記録を抜く人には巡り合っていない。
現在は、卒検の時に車庫入れの試験をするって甥っ子が言っていたっけ。
路上のコースを回った後、疲労困憊のところ車庫入れ? なんとご苦労な事だろう。昔の人で良かったと、こっそり胸を撫で下ろしたのだった。
そんな私も、この四月から晴れてゴールド免許。もちろんペーパーではない。
そこまでの道のりも辛く険しかったけれど、それはまた別の話。
読んでくださってありがとうございました。
書いてみたら意外と忘れている事が多くて、過ぎ去った年月の長さを痛感しました。