返せ
突然、目が覚めた。
突然なんて言ったら変かもしれないが、
大きな音が鳴ったわけでもなく、日差しが眩しいわけでもなく、
本当に突然目が覚めた。
(今、何時なのかしら?)
この部屋には時計がない。
窓もないから、朝か夜かさえも分からない。
(・・取り合えず、顔洗わなきゃ)
トイレなどにあるような洗面器具と少し汚れた四角い鏡が目に入る。
変わった部屋だと思いながら洗面器具に向かって歩く。
必然的に鏡を見る。
「・・・ひぃっ!」
絶句。
鏡の中から汚いお婆さんが除いている。
自分と同じように驚いた顔で。
・・・待てよ?
これは鏡。
だったらこのお婆さんは私じゃないか。
考えてすぐ馬鹿らしくなって笑う。
(なんてね。私はまだ高校生よ。
どんなに老け顔だってここまで酷くないわ)
私は鏡の中の人物に無視を決め込んで、
顔を洗おうと水道をひねった。
「・・・っ!」
高校生の綺麗な手であるはずの自分の手は、しわしわだった。
しわしわで、細くて、所々茶色のシミまであって、
まるで、鏡の中のお婆さんの手のようだった。
「はぁ、はぁ。・・何よ、この手」
手をすぐさま後ろに引っ込め、下を向いて息を整える。
(ありえない。ありえない。ありえないよ。
・・まだ起きたばっかで寝ぼけてんのかも)
鏡を見ないよう慎重に回れ右をする。
さっきまで寝ていたベッドに戻ろうと走った。
しかし、腰が痛くなって3歩走って床に座りこんだ。
(あいたたた・・。ヤダ、こんなとこまでお婆ちゃんみたい)
ほふく前進でベッドまで進む。
同級生がこんな姿を見たらどう思うか心配になる。
(萩野高校のマドンナがプライベートでほふく前進なんて、
笑えないわ。皆の憧れの的であるべきなのに・・)
なんとかベッドに上った。
もう恐る恐る手を見る。
それはやっぱりお婆ちゃんの手。
(私の手じゃない。・・これって、夢なのかも。
此処、私の家じゃないし。・・・早く目を覚まそう)
また目が覚める。
今度はちゃんと理由がある。
明るすぎる照明と、ザワザワしている話し声、それに人の気配。
たくさんの人がいるが、皆白い服を着ている。
「やぁ、目が覚めたようだね」
白い集団の一人が話しかけた。
何て答えたらいいか分からないが、取り合えず喋った。
「はい。・・あの、ここはどこですか?」
「おぉ、喋ったぞ!意識もはっきりしている!」
その白い男は白い仲間達と騒ぐ。
こっちの質問は全く無視だ。
学校でもマドンナとして良く騒がれるけど、
今の騒がれ方は、ツチノコ発見みたいで、いい感じはしない。
「いいかい?今から君の事をざっと説明するから、良く聞くんだよ?
僕の言ってる事が分かるなら、はい、と言うんだ。」
さっきの白い男がまた話しかけてきた。
いくら年上でも、こんな馬鹿にされた話し方をするなんて。
悔しかったけど、逆らうのも面倒くさいと思い「はい」と答えた。
「よし、物分りがいいな。じゃあ今から君の事を言うよ?」
(早く言えよ!おたんこなす!すっとこどっこい!)
ニヤニヤ笑う男に考え付く限りの悪態をついた。
男の持つカルテに書かれていたのは。
【氏名 鈴木 お初。
70年前(当時高校2年生 17歳)
に事故で植物状態。手術後、当病院に入院。
今年で87歳になる】
目を覚ましてから数週間、昔の友人達がぱらぱら面会に来た。
「お初ちゃ〜ん、懐かしいわぁ。目ぇ覚めたんねぇ」
「うん。・・えっと、どなたかしら?」
「やぁねぇ、ウメ子よ。この通り老けちゃったけどねぇ。あっはっは」
しかし皆1時間足らずで帰ってしまった。
あんなに仲良かった友達も、
70年会わないとこうなっていまうのだろうか。
涙なんて、誰も流してくれなかった。
それにお初からすれば、知らないお婆ちゃんが来ただけ。
自分は体以外は何も変わってないのに、
皆は喋り方まで変わってしまった。
「お初ちゃんも随分老けたわねぇ」
そう、自分の体はすっかりお婆さんになってしまった。
マドンナだった頃の美しい自分はいない。
これだけ時が過ぎたのだから当たり前だが、父と母は死んでしまった。
自分が目を覚ますまで毎日病院に来てくれたらしい。
目を覚まして、話す事は一度もなかったけど。
初恋の人で恋人でもあった彼も、今は死んでしまったらしい。
既に結婚して、自分の事なんか忘れていたようだ。
しばらくして、退院の許可が出た。
しかし、これからどうしろと言うのだ?
家族もいない。友達も恋人もいない。
将来もない。夢もない。
お初は泣き崩れた。
返して、大好きだった両親を。
返して、仲の良かった友達を。
返して、甘酸っぱかった初恋を。
返して、美しかった私を。
返して、憧れのマドンナだった私を。
返して、楽しかった日々を。
全て、過去に置いてきてしまった。
返して、希望で満ち溢れていた将来を。
返して、将来を思い描く時間を。
返して、青春を。
返して、高校生の私を。
当たり前に過ぎるけど、大切だった時間。
返せ、全て成功していた私の人生を。
返せ、私の全てを。
返せ、私から奪ったものを。
私を、返せ。