一話
降り注ぐ漆黒。
弾丸よりは遅いそれを、私は身を捩って避ける。
ドン、という音と共に地面に着弾。振り返ってみれば、それは地面に半分ほどめり込む直径五センチ程度の鉄球だった。
「よそ見すんなぁ!」
鼓膜を揺らす声。まずいと気付いた時には、既に対戦相手は私まであと二歩の距離にまで迫って来ていた。走ってきた勢いのまま大振りに引き絞られた拳には、鈍く輝く黒金がグローブのように装着されている。
かわすには体勢があまりに不安定。しかし、敢えて受けるにしては相手の一撃の威力はあまりに凶悪。反射的に、私は左腕を逆袈裟切りの形で振り上げる。
「弾けろぉ!」
その言葉と同時。あと一歩というところまで追い詰めた相手と、私のちょうど真ん中の空間が、破裂した。
「うおっ!?」
握り拳程度の小さな爆発。白熱電球並みの光量に、音も爆竹程度。しかし、目くらましには十分だったようだ。相手は驚いたような声を上げ、大きく飛び退った。その隙に私も大きく後退し体勢を整える。
場所は第三訓練所。
床は硬く固められた土。灰色の壁に囲まれたバスケットコートくらいの殺風景な空間で、私は今回の訓練の相手である部隊の先輩と、十歩ほどの距離で向かい合っていた。
私と同じ、全身をぴっちりと包む黒の戦闘用のスーツを纏った、二メートル近い肢体。その隅々にまで意識が張り巡らされていて、隙など欠片もない。極めつけに、そのいかつい顔にふさわしい鋭い眼は、肉食獣が獲物を狙うようなギラギラとした輝きに満ちていた。
勝てるわけがない。
怯え、下がりそうになる足を無理やり押さえつけ、睨み返す。
姿勢を少しでも崩せば、それが致命的な隙になる。それが分かっていたからこそ、虚勢だろうが耐えるしかなかった。
今回の戦闘訓練、私に課せられたルールは『制限時間が切れるまでやられない』こと。
最初聞いた時は舐められたものだと思ったが、実際に戦ってその難易度の高さを痛感した。この狭さでは逃げることも満足に出来やしない。
「なんだ、ギブアップか?」
対戦相手、確かオースと呼ばれていたか、が小馬鹿にするような笑みを浮かべ、尋ねてくる。
「うるさい。ただでさえむさくるしいんだから、態度くらいクールに振る舞ったら?」
鬱陶しかったので、毒づきやり返す。その間も頭はフル稼働で、対策を考え続けていた。
オースはそんな私の様子を見て、にやりと笑う。
「ほお、仮にも部隊の先輩にそんな口を叩くのか。後でお仕置きしてやらないとな?」
悪戯っぽく、楽しげに語るのを見て、内心だけで舌打ちする。
少しでも怒ってくれればまだチャンスがあったのに、するりと流されてしまった。流石に場数が違う。
「セクハラで訴えるわよ」
「おお、怖い怖い」
まだ、この状況を打破する為の策は浮かんでいない。
私の打てる最上の手は、会話を引き延ばす時間稼ぎ。脳みそを回転させつつ、私は口を開く。
「ふん。あんまり怖がってるように見えないけど? 格下なんて怖がる必要もないってことなのかしら」
「そんなことはないさ。少なくても、俺は戦ってる相手を侮ったりしない。だからな……」
目では相手を窺いつつの、口先と表情だけでの軽口の応酬。次の言葉を紡ごうとするまでのほんの一瞬。
オースが、野獣のように、笑った。
「行くぞ!」
ダン! と地面を蹴る音が、火薬の炸裂のように胸に響く。
飛び出してくるオースに気圧され、ほんの一瞬硬直。しかし、油断していたわけではなかったから、私は真正面から飛び込んでくるオースに合わせ、今度は無言で横薙ぎに腕を振る。
私の超能力は『爆発』。
この能力を使えば、任意の場所に爆発を発生させることができる。範囲の自由度が高すぎるので、位置情報を入力する為に一々腕を振らなくてはいけない。また、その威力も、体を鍛えた相手を一撃で戦闘不能に追い込むには不足していた。
しかし、不意さえ突けば、爆発で三半規管をいかれさせることもできる。
だから、私は突っ込んでくるオースの正面、ではなく、その頭の横で『爆発』を使う!
が。
「しゃらくせえ!」
それは、唐突にオースの頭部を覆うようにして出現した、鈍い黒の光沢を放つ鉄仮面に防がれた。
ダメージはゼロではないのだろう、僅かにオースの体が傾ぐ。しかし、その勢いは止まらない。
対して、私は能力を使ったことで、体勢が崩れてしまっていた。これで決まると油断していたせいだ。せめて、オースが飛び込んで来た瞬間の硬直がなければ、反撃に転じることも出来たろう。
しかし、
「終わりだ」
既に射程距離に入ってしまったオースは、鉄に覆われていない拳を横に振り抜く。
それに反応することもできず、拳は吸い込まれるように側頭部を直撃し、私の意識を奪う。
気を失う直前。にやりと、鉄仮面の奥でオースが笑ったのが、不思議と理解できた。