act.22 謎と虚勢とそれから邂逅
「俺が巫子になったとき、襲ってきた巫子狩りをチャクラムで斬ったんだ。よく覚えてないけど、たぶん、それは間違ってないと思う」
一行は賑やかなレストランの片隅で頭を突き合わせた。ルナセオはあたたかいミルクを飲んで、ようやく気持ちが落ち着いてきたらしく、息をついて話し始めた。
「俺、頭が真っ白になって、その後気絶しちゃったから、その巫子狩りがどうなったのかなんて覚えてないけど、なんでか俺、あいつを殺したんだって、そう思ってた。なのに…今、目の前にあいつがいて」
「セオの勘違いで、本当は怪我させただけだったってこと?」
「だが、妙だな。ルナセオに手ごたえがあったのなら、少なくとも相手は手傷を負ったはずだ。それなのにあんなにピンピンしてるモンか?なあ、本当にさっきのが、お前が斬ったっていう巫子狩りと同じヤツなのか?」
「たぶん」
ルナセオの返事は煮え切らないものだった。
「でも、見た時に、コイツだ!って思ったんだ。声に聞き覚えがあったし、背丈もさ」
「確かに、あんなチビっこい男の子なんてそういないわね」
自分のことは棚に上げてオムライスを食べながらメルセナが言った。それからスプーンをルナセオに突き付ける。
「ね、私ちょっと思いついちゃったんだけど、セオは本当にその巫子狩りを殺しちゃったんじゃない?」
「どういうこと?」
「死んだ巫子狩りを誰かが生き返らせた、ってことは?」
「オイオイ、さすがにそれは小説の読みすぎじゃないか?」
鼻で笑ったトレイズの隣で、ネルがあっと声を上げた。ルナセオも眉を寄せた。感づいたふたりに、メルセナはふふんと笑って見せた。
「私たち、知ってるじゃない?死んだはずの人間が生きてるとかいう、よくわからない事例をね」
「…どういうことだ」
事情を知らないトレイズだけが、怪訝そうな面持ちになった。ネルがルナセオの方をチラチラ気にしながら、おずおず言う。
「あのね、レクセで、レナ・シエルテミナって人に会ったの。えっと…前の第九の巫子が、巫子になる原因になったっていう人」
「レナ…?」
トレイズはしばらく何かを思い出すように沈黙していたが、みるみるうちに険しい顔色に染まって、ネル達の顔を順繰りに見た。
「レナって、あの、レナか?嘘だろ。そいつは死んだはずだ。別の奴と間違えたんだろ」
「それが本人だって話だから余計に謎なんじゃない」
「そういえば、さっきの女の子も言ってたよね。レナって人が突然現れて、高等祭司の地位に納まったって」
「ちょ、ちょっと待て、お前ら、そのレナとどこで会ったっていうんだ?」
トレイズが身を乗り出したところで、メルセナはその肩を押しのけて遮った。
「とにかく!レナと同じことが、あのトックとかいう巫子狩りに関しても言えるわけでしょ?死んだはずの人間がー、ってやつ」
「高等祭司も、巫子狩りも、ファナティライストのもの、か」
神妙な顔でルナセオはミルクの白い水面を見下ろした。
「キナ臭い話になってきたけど、ファナティライストに行けば、それも分かるのかな」
ネルは大きく頷いた。「きっとそうだよ!クレッセのことと一緒に調べてみようよ」
「巫子のこと以外にも、考えなきゃいけないことが多すぎるわね」
ラトメディアの混乱、ファナティライストの謎に、まっとくわけがわからない。ただ第九の巫子のことだけ考えていられたら、よほど楽だったろうに。メルセナがぼやくと、ルナセオがようやくちょっとだけ笑った。
「そんなこと言って、ワクワクしてるくせに」
「推理小説読者の血が騒ぐわね」
「考えられない話だな」
トレイズは頭が痛いとばかりにこめかみをぐりぐりやっている。
「ただでさえ事態がややこしいってのに、おまけに死者が蘇るだって?ファナティライストで何が起こってるんだ。世界王はそんなにイカれたヤツじゃないと思ってたが」
そして右手を顎に当てて、無精ひげを撫でる。レクセを出る前にマユキにくどくどと言われるがままに剃っていた彼の無精髭は、シェイルに着くまでにすっかり生え伸びてしまっていた。
「意味不明だ」
「だよな。でも俺、もう何があったって驚かないかも。だって巫子になってからこっち、信じられないようなことしか起こってないような気がするよ」
「同感。それ考えると、私たちって相当運がないわよね」
ルナセオとメルセナが揃って両手を挙げて降参のポーズをしてみせた。ネルも水を飲みながらクスクス笑う。彼女もこれまでの境遇を笑える程度には明るさを取り戻せたらしい。トレイズは内心でほっとした。
「その、ギルビスさんって人は、こういうことに詳しくないの?」
「ギルビスは巫子のことはよく調べていたけどな、前に会った時に何も言ってなかったってことは、あいつもなにも知らないんじゃないか?敵が自由自在に生き返るだなんて非常事態、見過ごせる話じゃないだろ」
そう言ってどんぶりの中身をかきこむと、トレイズは水を飲み干した。勢いよくテーブルにグラスを置くと、彼は立ち上がりながら子供たちを急かした。
「さっさと食って出るぞ。ギルビスたちも待ちかねてる頃だろう」
◆
シェイルディアの王城、クレイスフィー城の周りには、高い石壁がそびえている。城自体もとても大きな建物だから、ネルは尖塔のてっぺんを見上げようとして首を大きくそらした。ラトメの三尖塔はとても観光している余裕なんてなかったし、こんなに高くて大きな建物をまじまじ見るのはこれが初めてだった。
「お城って大きいんだねえ」
「そうかあ?敷地の広さだけなら俺の通ってる学園も同じくらいあるよ。ま、こんなに背の高い建物じゃないけどさ」
「インテレディアに大きな建物ってないの?」
メルセナは石畳の街に武骨な城などもう見慣れてしまっているからか、インテレディアの風景に興味津々だ。ネルは首を横に振って否定した。
「うーん、私も自分の村から出たことなんてなかったからわからないけど、多分ないんじゃないかなあ。森とか原っぱならいっぱいあるけど」
「いいねえ、自然都市。俺、来年の実地研修、インテレディアに行こうかな。父さんにくっついてクライディアの発掘に行こうと思ってたんだけどさ」
「それ以前にセオは退学の心配をしたほうがいいんじゃないの?」
「いざとなったらウチの宿屋で雇ってあげるよ、セオ」
メルセナもネルもけらけら笑う。ルナセオはむっと口を尖らせた。返す言葉もない。確かに校則の厳しいルイシルヴァ学園のことだから、いい加減退学処分をくらっていても文句は言えない。グレーシャあたりが何か口添えしていればよいのだが、彼は彼で校内きっての不真面目学生。教師の信用は底辺だった。
明るい会話とともにクレイスフィーの城門が見えてきたところで、最後尾をのんびりついてきて三人の会話を聞いていたトレイズが声をかけてきた。
「宿屋…?おいネル、お前って」
「何なのよアンタ!」
だが、トレイズの言葉が最後まで続く前に、城門の方から金切り声が聞こえてきて、一行の視線はそちらに吸い寄せられた。
先程見かけたばかりの巫子狩り二人組が、門番らしき兵士に突っかかっている。といっても、どうやらいきり立っているのは少女のほうだけで、トックは戸惑った様子でおろおろしていたし、門番に至っては困り顔で後頭部を掻いている。
「といってもなあ、こっちも決まりなんだよ。門の前の立ち往生禁止ってさ。待ち合わせだかなんだか知らないけど、よそでやってくれ」
「駄目よ!あたしたちも仕事なの。今日中に絶対、ぜーったい!連中は現れるんだから。あたしたちはそいつらをとっ捕まえて、神都に連れていく必要があるの」
「なんだァ?罪人の護送かなんかかい?でもダメだ。いくら神都の兵隊さんだってな、シェイルにはシェイルのやり方ってモンがあるんだよ」
「何ですって、五大都市は神都に服従してるはずでしょ!属国風情が偉そうな口を…」
「ローア、言い過ぎだよォ!」
涙声でトックがわめく。ローアの暴言に、さすがに温厚そうな門番もカチンときたのか、顔をしかめて一歩前に出た。息をつめて見守っていると、城門から穏やかな声がかかる。
「黙って聞いていれば、ファナティライストの教育というのは、随分と歴史を曲解しているんだな」
カツカツとかかとを鳴らして現れたのは、シェイルディア騎士団の黒い軍服に、はためく白いマントを身に着けた、濃紺の髪の青年だった。きっと門番よりもずっと位の高い人だとネルは思った。なぜなら、門番は慌てた様子で青年に頭を下げていたから。
「申し訳ございませんギルビス様、王殿下の居城をお騒がせして…」
「あなたが責任者ね。それなら話が早いわ。この城に“赤の巫子”が現れたら、即刻ファナティライストに引き渡してほしいの」
どこからそんな自信が湧いてくるのか、ローアはもちろん断らないわよね?と言わんばかりに胸を張っている。彼女は実に偉そうにギルビスを見ていた。しかし、相手するほうのギルビスは顔色ひとつ変えやしない。
「“赤の巫子”とはまた興味深いお話だ。ぜひとも詳しくお話を伺いたいところだが、残念だけど、そういう国家間のやりとりには、正式な書面が必要だ。もちろん、世界王閣下の印の入った、ね。そういったものは持ってきているかい?」
そこで初めてローアが言葉に詰まった。先程の路地裏でのやりとりから、彼らが独断でネル達を狙っているのは明らかだ。正式な書類なんて持っていないのに違いない。
案の定、悔し気に歯噛みしたローアはしばらく屈辱に身を震わせていたが、やがてぱっと顔を明るくして、自信ありげに言った。
「そんなもの!いらないわ。あたしたちは栄えある神都ファナティライストを守る特別部隊だもの。アンタたちはあたしたちに従う義務がある」
「へえ、そうか」
ギルビスは片方の眉を上げてみせたが、ちっとも下手に出る気はないようだ。そればかりか仕方のない子供を相手取るように腰に手まで当てている。
「君がその地位を笠に着て好きにふるまうのは結構だけどね。仮に君たちの横暴を受け入れたとして、その責任はどのようにとるつもりかな。なんなら君の訴えが正当な神都の任務によるものか、今からシェーロラスディ世界王陛下に問い合わせてみようか。なに、そんなに時間は取らせないよ。ちょうどうちの王様も帰ってきているからね。殿下経由で聞いてみればすぐだ」
そこまで言い終わる頃には、ローアは怒りと焦りで二の句も継げない様子だった。ギリギリと歯ぎしりしていたが、どうやら彼女もそこまで無鉄砲でもなかったらしい、やがてローアは身をひるがえした。
「ふん、行くわよ、トック!」
「ローア…」相方の少年はほっと胸をなでおろしていた。
「いい?次はちゃんと許可証を持ってきてやるんだからね!精々後悔するといいわ!」
悔し紛れの捨て台詞を吐いて、ローアは去っていった。慌ててその後をトックが追っていく。
ギルビスはひとつため息をついて、くるりとこちらに振りむいた。やれやれと首を振りながら歩み寄ってくる。
「まったく、ファナティライストは人手不足なのかな。あんな子供が“巫子狩り”とは、世も末だね」
「悪いな、追っ払ってくれて」
「まあね。そのうち借りはまとめて返してくれればいいさ」
トレイズと軽口をたたくと、ギルビスはまず、キラキラした目で彼を見上げるメルセナに微笑みかけた。
「やあ、セーナ。君のお父上を呼び戻してしまって悪かったね。ラトメでは大変な目に遭ったと聞いて心配していたよ」
「ううん、そんな!こっちこそパパを連れまわしちゃってごめんなさい」
「なに、当たり前だろう。なにせ君の父上は君のナイトなんだから」
メルセナににっこり笑って、それから次にギルビスはルナセオを見た。
「君とは一度会ったね。君も無事で何よりだ」
「は、はい!」
ルナセオもぴんと背筋を伸ばした。
「それで、こちらは…」
そうして最後に、じっと自分を見つめてくるネルに視線を移して、ギルビスの笑顔が不自然に固まった。ネルはギルビスの瞬きひとつまで見逃さぬように、その一挙一動を食い入るように見つめていた。バクバク鳴る心臓を押しとどめるように、ネルは口を開いた。
「あ、あの」
さっき水を飲んだばかりだというのに、喉がカラカラに乾いていた。ギルビスの濃紺の瞳がネルの口元に向く。
「あの、ネル、です…」
ギルビスは反射的に右手を差し出そうとしたようだが、少し考えてその手をひっこめると、それから優しく微笑んだ。
「そうか」
彼が緊張していることに、ネルはすぐに気が付いた。
「私はギルビス。このシェイルディアで騎士団長をしている。ようこそクレイスフィーへ…ネル」
ぎこちない二人のやりとりに、トレイズだけが訳知り顔でため息をついていた。