act.18 出発
買い物から帰ってきたマユキは、シェイルに寄ってからファナティライストに向かうというネルたちの話に、さしたる反論も挟まずに頷いた。
「そうね、いいんじゃないかしら」
「あれ?反対しないの」ルナセオは面食らった。
「私はあなたたちの保護者じゃないから、口うるさく何か言う必要はないと思うわ」
マユキはいたずらっぽく口端を上げた。
「ロビはともかくとしても、ギルビスには会いに行くべきだと思うわ。そうね、特にネルは」
「え、私?」
ネルはきょとんとした。ルナセオやメルセナの話から、ギルビスとやらに興味はあったが、マユキがそう言う意図はまるでつかめなかった。
マユキはそんなネルににっこりした。
「きっとびっくりすると思うわ」
「どづいう意味?そのギルビスさんって、何かあるの?」
「さあ?」
にこにこしているマユキに、子供たちは顔を見合わせた。
「どういうことだと思う?」
「わかんない」
「ギルビスさんとネルってなにかあるの?」
口々に言うが、マユキはそれ以上何かを言うつもりはないようだった。
◆
ギルビスが何者であれ、とりあえず会いに行けばわかるだろうと結論づけて、旅立ちの朝、巫子三人は寝不足の目をこすりながら旅支度を済ませてリビングに集合した。
まだ日ものぼっていない。トレイズ達も起きだしていないようだ。ルナセオは声を潜めた。
「トレイズにはばれてないな?」
「たぶん」ネルはきょろきょろあたりを見回した。
「こんな早朝に押しかけて、チルタさんたち、起きてるかな」
「起きてないなら起こせばいいのよ」
メルセナは至極あっさりと言い放った。
旅立ちの朝、ルナセオたちは予告通りにチルタ達にあいさつに行くことにしたのだ。トレイズにばれると面倒だからと、大人たちには内緒にして。
エルディにはついてきてもらおうとネルが主張したが、メルセナが一蹴した。
「パパとトレイズは同じ部屋だもの。抜け出すとばれちゃうわ。いいじゃない、たまには私たちだけで行きましょう。夜明け前じゃ巫子狩りだって寝てるわよ」
そんなわけで三人だけで丘を下り、町中にすべりこむと、ルナセオは明るく言った。
「考えてもみれば、俺たち三人で出歩くのって初めてだな」
「そりゃそうよ。私たち、出会って何日目だと思ってるの?」
「なんだか不思議だよね。私たち、同じ巫子だからかもしれないけど、こう…初対面の気がしないっていうか、ずっと前に別れた友達みたいな、そんな感じがする」
ネルの言葉に、ルナセオとメルセナもうなずいた。
確かに、出会ったその時、三人は何か運命めいたものを感じたのだ。事実、運命的な出会いではあるのだが、三人とも、なにか不可思議な絆でつながっているような。
「そういえばクレッセと会ったときもちょっと感じたな」
ルナセオが虚空を見上げながら言った。
「妙に気が合うというか、話が合うというか」
「クレッセとセオで何を話したの?」
ネルは首を傾げた。ルナセオはふと彼女の赤い髪を見て、あっと声を上げた。
「なんかヘンなこと言ってたな。『赤い花を見たことがあるか』って」
「赤い花?」
メルセナが怪訝に繰り返した。ルナセオは記憶をたどるようにぎゅっと目をつぶった。
「なんか…花畑の中で一人の女の人が待ってるとか、誰かの帰りを待って眠ってるとか、そんなこと。今考えると、なんか妙な話だったな」
「赤い花の、花畑…」
ネルがはっと息を呑んだ。
「私、見た!赤い花畑!セオにも話したよ!」
「え?」
「私が赤い印を継承したときにね、花畑で女の子に会ったの。真っ赤な花畑だったよ」
「そういえばそんなこと言ってたっけ」
ルナセオはぱちりと目を開けた。
「神宿塔のステンドグラスに触ったら、花畑にいたんだよ」
「ステンドグラスに?」
メルセナは眉をひそめた。「転移装置ってこと?」
「うーん、というより、なんだか夢を見てるみたいだった。気付いたら神宿塔に戻ってたし。クレッセ、私の会った人のことを言ってたのかな」
「なんだかよくわからないわね」
メルセナが唸った。
「まあ、今はその話はいいわ。とにかく、巫子には何かわけのわからない絆があるってことよね」
「前の巫子のときもそうだったのかな?」
今の彼らの姿を見ていると、トレイズとマユキも、ラファも、どこか殺伐としていて、仲がいいとは思えない。
大人というのはみんなそんなものなのだろうか…考えているうちに、ルナセオの実家にたどり着いていた。
ルナセオの家はやはり静かだった、ルナもチルタも、まだ起きだしていないらしい。
しかしルナセオは構わずに、ノッカーをたたきつけた。
「だめだ、起きてないや」
「どうするの?」
「ちょっと待って」
ルナセオは玄関脇にある植木鉢を探った。そこに咲く細い花から見て三時の方向を掘ると、家の鍵がころりと出てきた。
「こんなところに鍵を入れてていいわけ?」
メルセナが呆れた様子で声を上げたが、ルナセオは「こういう時に役に立つだろ?」と笑って鍵を開けると、元の場所に鍵を埋め直した。
廊下はがらんとしていた。ルナセオはわざと音を立てるようにリビングへと続く扉を開けた。
「二人とも座って待ってて。父さんと母さんを起こしてくる」
ガンガン音を立てて階段を上る途中で、しかしひょっこりと黄土色の髪が上階からのぞいた。眠たげな瞳がルナセオたちを見下ろした。少し遅れて、黒髪の女性がそのうしろから現れる。
「セオ?帰ってるの?」
「あ、父さん母さん、ただいま」
◆
「なるほどね、シェイルにファナティライストか。確かに君たちがこれからのことを考えていく上で、ギルビス君とラファ君に会うのはいいかもね。ロビ君とは親しくないから僕にはなんとも言えないが」
チルタは一行のこの先に反論するでもなく頷いた。ルナセオは首を傾げた。
「ファナティライストに行くってのに、反対しないの?」
「反対してほしいのかい?」
チルタはクスクス笑った。
「エルディ君あたりなら言ってると思うけどね。ファナティライストのすべてが敵ではない。巫子の争いは国同士の戦争じゃないんだ。少なくとも、ラファ君は君たちを見るなり攻撃してくるような愚かなことはしないだろう。僕の知る限り、巫子について最も詳しいのはラファ君だ。彼が何を思って第九の巫子のそばにいるのか、考えてみるのもいいと思うよ。
ギルビス君は…彼はどちらかといえばトレイズに近いだろう。反・第九の巫子とでも言えばいいかな。彼の事情は、僕の口からは説明できないが、ギルビス君は第九の巫子が忌まれる理由をよく知ってる。
いろいろな人の意見を聞くといい。君たちがなにを成すのか、考えるのはそれからでも遅くはないはずだ」
「二か月後には世界大会議があるわ」
ルナがカレンダーを見ながら続けた。
「各都市の上層部がファナティライストに集まって会議をするの。その時期は検問が厳しくなるわ。セオ、これを持っていきなさい」
言うなり、ルナは左耳についたピアスをはずした。血のように赤い宝石がついている。
彼女はルナセオにピアスを渡すと、自分の右耳を指さした。
「シエルテミナの当主に代々引き継がれているピアスよ。検問にこれを見せれば通してくれると思うわ。本来は左耳につけるものなんだけど…あなたには赤い印があるから、右の耳に着けていた方がいいわね」
「母さんって当主だったの?」ルナセオは目を丸くした。
「そんなたいそうなものじゃないわ」
ルナはくすりと笑ってみせた。
「家を出るときに父から拝借してきたものよ。何かの役に立つかもって思ってね」
「…ルナさんって案外したたか」
ぼそりとメルセナがつぶやいたら、ルナはにやりとした。きっとこれが本来の彼女の姿なのだろう。かつてのお嬢様じみた挙動からは似ても似つかなかった。
ルナセオはピアスを握りしめて、大きく頷いた。
「母さん、ありがとう」
「…ルナセオ。あなたは母さんと父さんの子よ。それを信じて、元気で帰ってきなさい」
ルナはそう言うと、ルナセオの肩をぐっと引き寄せて、抱きしめた。慣れない母の抱擁にルナセオはぎょっとしてネルとメルセナを見たが、謀ったように彼らはそっぽを向いている。
ルナセオは苦笑した。
「大丈夫だ、母さん。俺、ぜったいに帰ってくるよ」
「それでこそ僕達の息子だ」
誇らしげにそう言うと、チルタはルナセオとルナに腕を広げて、その背中を包んだ。ぎゅっと力をこめると、何があっても大丈夫だというように、彼はひとつ頷いた。
「無事で戻ってくるんだ、ネルとメルセナもね。いつでも顔を見せにおいで」
「父さんも、ありがとう。…行こう、ネル、セーナ」
チルタとルナ夫妻は玄関口までルナセオたちを見送ったが、ルナセオは決して振り返らなかった。なにかをこらえるように前だけを向く彼に、家を後にして大通りに出てから、ネルが声をかけた。
「…セオ、大丈夫?」
「あはは、駄目だなあ、俺」
ごまかすようにルナセオは笑った。袖口で目元をぬぐうと、彼はいたずらっぽく舌を出して見せた。
「あんなに励まされるとさ、かえって旅になんか出たくなくなっちゃって。いけないよな、巫子の仕事はこれからだってのに、こんなこと言っちゃって」
ごめんな、言葉尻は消えるようにルナセオは言った。
メルセナは何も言わなかったが、ネルは少年を勇気づけようとにっこり笑って見せた。
「あったかい人たちだね、ルナさんもチルタさんも」
「…うん」
「ファナティライストに行って、私たちのやるべきことが見つかったら、そうしたら、戻ってこようよ。セオの元気な顔、見せに行こう!」
「ネル」
ルナセオはちらりとネルとメルセナを見た。するとメルセナもふらふら視線をさまよわせながら、気恥ずかしそうに唸った。
「いいんじゃない?ファナティライストに行った後は、どうするか決めてないんだし。こうやって落ち着ける場所があるってのも…」
「あーっ、セーナ、泣いてる?」
「泣いてないわ!ちょっぴり感傷的な気持ちになってるだけなの。私って、旅に出てからこうして、落ち着くこともできなかったもの」
「俺も。あっという間だったなあ」
「私も…」
三人は誰からともなく立ち止った。なんとなく互いの顔を見合わせていると、早朝の鳥の鳴き声が穏やかに耳に入ってくる。すがすがしい晴れの天気だった。
「…がんばろうね」
やがて、ネルがそっと口を開いた。
「私、がんばる。デクレを見つけられるように。クレッセを助けられるように」
「俺は、元通りの生活に戻れるように、かな」
「それじゃあ私は、巫子の役目から解放されるように」
目的も、経緯も、何もかもが違うけれど、ネルたちは確かに「仲間」になったような気がしていた。
口々に望みを口にすると、最後にネルが高らかに宣言した。
「行こう、シェイルへ。そして、ファナティライストへ!」