act.16 無償の愛と打算の
「マユキ・ラトメによろしく伝えておいて」
「うん」
昼食を食べ終わり、また巫女狩りたちが来ないうちに、ネルたちは一旦マユキの家に戻ろうという話になった。
ルナセオは玄関口で、見送りに出たルナとチルタの二人に渋い顔をする。
「母さんたちも来ればいいじゃん。ここは危ないんだろ?」
「母さんは元・巫子狩りで、チルタは高等祭司だったわ。巫子さえいなければこの家は安全よ。そもそも、私たちは彼女の家にノコノコ行ける身分じゃないの。レクセを発つときに連絡をちょうだい。グレーシャ君に一言伝えてくれれば、あの子なら私たちに伝えてくれるでしょう?」
「何言ってんだよ。出発前に寄るから」
断固とした息子のセリフに、ルナは苦笑した。まったく、この子の頑固なところはいったい誰に似たのかしら。つぶやきそうになったところで口をつぐんだ。こんな偽りだらけだった両親のもとで、よくもまあこんなにまっすぐに育ったものだ。
「行ってらっしゃい」
ルナはやんわりとそれだけ言った。そういえば、最後にルナセオが家を出た時も、こうして送り出した気がする。
そして、いつものように、明るい笑顔でルナセオは返した。
「行ってきます!」
◆
「セオ!」
家を出て小道を曲がろうかというところで呼び止められて、ルナセオたちは振り返った。見るとチルタが小脇に何やら小包を抱えて、息を切らしてこちらへやってくる。
「父さん、どうしたの?」
「ルナの前で渡すとまた気に病むと思ってね」
そう言ってチルタは一度セオの腰についたチャクラムに目を留め、それから一同の顔を順繰りに見てから、やがてネルに目を留めて、包みを差し出した。
「そうだな、ネルがいいだろう。君が持っているといい。セオとメルセナと、三人で使いなさい」
「何が入っているの?」
ネルがメルセナに催促されて、薄い紙袋にぞんざいに入れられた中身を覗き込んだ。ルナセオとメルセナも脇から首を伸ばしてくる。
奥に入っていたのは、片手で持てそうなサイズの、黒くて折れ曲がった筒のようなものだった。どっしりと重い。
「黒い筒?」
「なにに使うの?」
子供たちが口々に言うと、チルタがまじめな声で言った。
「魔弾銃だよ。第九の巫子には大概の武器が効かない、不老不死だからね。だけど、これなら多少の足止めができるはずだ。君たちが第九の巫子を止めるのに、きっと役に立つだろう。使い方はエルディ君が知ってるはずだ」
「魔弾銃?」
メルセナが目を丸くした。黒い筒と言えば思い浮かぶのはただ一つ、シェイルから逃げてきたとき、巫子狩りたちが持っていた、あの馬鹿でかい音を出して鉛の弾が出てくる、アレ。
しかし、巫子狩りのものよりそれはずっと小さく、形状も少々異なっていた。
「魔弾銃って、あの巫女狩りたちの持ってた長いやつじゃないの?」
「あれの携帯用だと思えばいい。この型のものは、本来はファナティライストの上層部にしか支給されないんだが、高等祭司を辞めたときに、"うっかり"返すのを忘れてしまってね。何かあったときのために、ルナには内緒でこっそり持っていたんだ」
「ってことは、これが、ずっとうちにあったってこと?」
ルナセオは妙な感慨で、紙袋に入った黒い凶器を見下ろした。これでもルイシルヴァ学園で武術を習っていたのだ、ほんの小さな針でだって人の命を奪えることは知っているが、それにしたってこんな見慣れない筒の仲間が、ラゼの命を奪っただなんて信じられなかった。
ルナセオの表情がゆっくりと消えていくことに気付いてか、チルタは優しく微笑んだ。その笑顔は、若返ってもルナセオのよく知る父親のそれだった。
「セオ、いつも苦労をかけてすまない。でも、セオがいたから、僕は安心して家を空けられるんだ。セオが頼りになる賢い子だって、父さんは誰よりわかっているつもりだ」
「…親馬鹿」
人前だっていうのに。ルナセオは唇をとがらせてうつむいた。すると父は意に介した風でもなくケタケタ笑った。
「馬鹿で結構。でもな、ルナセオ。いくら巫子っていったって、怪我をすれば痛いし、怖い思いをすることがあるかもしれない。セオは男の子だから、そんなとき、ちゃんと女の子たちを守ってやらなきゃいけないよ。今日、母さんのことを守ってくれたように」
「そ、そんなのわかってるよ!」
むきになって反論してやると、チルタはそれでいいとばかりに大きく頷いて、それからエルディを見た。
「エルディ君、うちの息子を頼んだよ」
「不思議な縁もあるものだが…もとより、今の我々は敵じゃない。きっと無事に帰す」
チルタとエルディはしばし見つめあって、それからチルタはひとつ礼をすると、今度はネルとメルセナを見た。彼女らとは頭一つ二つぶんしか背丈も変わらないのに、やはり目の前の彼はずっと大人なのだとふたりは感じた。
「ネルとメルセナも。無事を祈ってるよ。何かあったら、いつでもうちに来ればいい」
「ありがとうございます」
「ありがとう…あの、これも」
ネルは紙袋を持ち上げた。チルタは薄らと笑うと、最後に息子をちらと見てきびすを返した。
ルナセオは自分の知るものより一回り小さな父の背中に奥歯を噛みしめた。今生の別れでもあるまいに、無性に不安に駆られ、ルナセオは声を張り上げた。
「父さん!」
ちょうど家の前で立ち止まったチルタが振り返った。
「もう、母さんのこと…悲しませるなよ!」
チルタは手を挙げた。よく見えないが口元が動いている。何を言ったのかは聞こえない、けれど、ルナセオにはすぐにわかった。
「男の約束だ」。父の口癖。ルナセオは拳を振り上げた。
◆
「チルタさんって、思ったより優しい人だったね」
マユキの家への帰路をたどりながらメルセナがぼやいた。
「元・第九の巫子だなんて言うから、どんな人かと思えば、ってかんじ。まあ、ネルの話を聞いてれば、第九の巫子って言ったって、フツーの人間なんだってのは分かるんだけど…」
「俺もびっくりだよ。おまけに、ウチの母さんが巫子狩りだったなんてさ。よくよく考えたら、あのレナ・シエルテミナってやつも、俺の叔母さんにあたるんだよな。なんだか、突然すぎてついていけねえや」
「ひょっとして、セオが巫子に選ばれたのも、お父さんが第九の巫子だったからなのかな」
ネルがつぶやいた言葉に面食らって、ルナセオは顔を上げた。目まぐるしく変わる事態に、自分がどうして巫子になったのかなんて、ゆっくり考える暇もなかった。
ネルに何か言おうと思って彼女を見たルナセオだったが、ふと彼女の髪を見て目を瞬いた。両耳の脇に結ばれた髪飾りのリボンが、片方取れかかっていたのだ。
ルナセオは手を伸ばした。
「あれ、ネル」
「ん?」
「リボンが…」
言うのが少し遅かった。不意に吹いてきた風に淡い色の細いリボンはあっさりとネルの髪から外れて、ふわりと脇道のほうへ逃げていく。
「あ」
「え、あれ!?」
ルナセオから一拍遅れてリボンがさらわれたことに気が付いたネルは、ぱちんとリボンが取れたあたりの髪に手をやって、それからとたんに血相を変えて駆けだした。
「わ、わたしのリボン!」
「あ、おい」
リボンを追いかけて走り去るネルに、ルナセオとメルセナはあっけにとられた。ネルのあんまりのうろたえぶりに目を丸くしていると、二人の背後でエルディが舌打ちした。
「あの馬鹿、単独行動は…」
「あ、じゃあ俺、見てくるよ。そんな遠くまで飛んでないと思うし」
ルナセオもネルを追って、小道の前まで行く。案の定ネルはそこにいたが、何やら立ち尽くして、こちらには背を向けている。ルナセオは疑問符を浮かべつつ彼女に声をかけた。
「見つかった?」
「えっ?」
ネルがぎょっとした様子で振り返った。
何をそんなに驚いているのだろう?首をかしげると、ネルが目を見開いたまま、興奮した様子でまくしたてた。
「あ、あのね!この人がリボンを拾ってくれて…」
「この人?」
ルナセオは怪訝な声を上げた。ネルの指さす路地の奥を見ても、人どころか猫一匹いやしない。
ネルは瞬きしてもう一度路地の奥を見た。
「…あれ?いない」
◆
ネルはむっつりしていた。今ではきちんと落としたリボンも元通り髪を括っている。
彼女の話では、路地に入ったときに、道に落ちていたリボンを拾ってくれた男がいたのだという。
「ものすごい、かっこいい人だったんだよ。私たちと同じくらいか、少し年上って感じだったんだけど。大人っぽい人でね」
「へー、かっこいい!どんな?」
メルセナの目がきらりと光った。隣のエルディがため息をつく。
「エルディさんも綺麗だけどね、でも、エルディさんに負けないくらい!金髪だったかな。薄暗くてちゃんと見れなかったけど、きらきらした王子様みたいだったの!声なんかもすごくかっこよくてね…」
「えええ、ネルばっかりずるい、私も追いかければよかった」
ルナセオはげんなりした。女ってのはどいつもこいつも、そんな呆れたつぶやきを漏らして、ふと思いついて声をかけた。
「でもさ、ネル。ずいぶん慌ててたけど、そのリボンってそんなに大事なの?」
「ああ、これ?」
ネルは指先でリボンの端をつまんではにかんだ。
「うん。あのね、このリボン、私の誕生日にデクレがくれたんだ」
「デクレって、ネルの幼馴染だっけ」
「そう。私のお守りみたいなものなの。いっつもつけてるから、デクレに『あんまりつけるな』って文句言われたけど」
「ははーん、なるほどね」
メルセナがニヤニヤした。
「ま、結局、ネルにとっての王子様は、そのデクレ君のようね」
「セーナ!私、そんなんじゃないってば!」
顔を真っ赤にして抗議するネルを見て、とうとうしびれを切らしたエルディが口をはさんだ。
「お前たち。日が暮れるまでに戻りたいなら、口だけじゃなく足も動かすことだ。いつまでたっても帰れやしない」