act.13 ルナ・シエルテミナの嘘
「俺、学校の役員のラゼってやつと待ち合わせしてたんだ。あいつがトレイズと密会してるのを俺、見ちゃったから」
何から話したらいいのだろうか、言葉を選びながらルナセオはまずそう切り出した。
母はそれをじっと目をつぶって聞いている。まるで動かない石に向かって話している心地だった。
「だけど、いくら待ってもあいつ、来なくて。それで、俺、もう帰ろうと思ったんだけど、そしたら、いきなりラゼのやつ、走って来て。すごく焦ってた。あいつ、"巫子狩り"に追われてたんだ」
ぴくりと、固まっていた母の指先が動いた。ルナセオは戸惑いつつも続けた。
「よく、覚えてないんだ、その時のこと。たぶん、ラゼの耳にあった"赤い印"が、俺に移ったんだと思う。あいつが、巫子の力を使って暴れてたのが、突然止まったから。ラゼもびっくりしてた。その隙を突くみたいに、あいつらはラゼを殺したんだ」
「殺した?」
ネルがはっと息を呑んだ。「こ、ころした?」
「ああ、そうさ。あっという間だった。俺、わけがわからなくて、頭が真っ白になって、気が付いたら、ラゼのチャクラムを取って、あの巫子狩りを…」
ルナセオは畳まれたチャクラムを取り出した。今となってはこれもラゼの遺物だ。ルナセオは歯を噛みしめた。
「…気づいたら、俺、トレイズに連れられてゴドル洞にいたんだ。あ、トレイズが誰なのか説明してなかったよな。ラトメの蹄連合ってとこの人で…」
「知ってるわ。元・ラトメ神護隊長の『紅雨のトレイズ』でしょう。トレイズ・グランセルド…生きてたのね」
不意に母が声を上げた。普段の穏やかな物言いとはまるで違う、冷たい声音だった。まるで彼女はトレイズのことを憎んでいるみたいだった。
問い詰めようかと思ったが、ルナセオも、いつもと違う母に声をかけることもためらわれた。
何も言わなくなったルナセオに、母は話を振った。
「それで、どうしてうちに帰ってきたの?それもこんな奇抜なメンバーを引き連れて」
「帰ってきちゃ、駄目だった?」
「いいえ」
彼女はすぐに首を横に振った。
「ここはあなたの家なんだから、いつでも帰って来ていいの。当然でしょう?だけど、あの紅雨が、それを許すとは思えなかったから」
「紅雨って、トレイズのこと?反対してたよ。だけどマユキさん…あ、グレーシャの母さんだけど…あの人が、帰ったほうがいいって言ったから。みんな、母さんに会った方がいいって」
「そう」
そうして少しだけ母は笑った。皮肉るような微笑みだった。
「もう、時効なのかしらね」
「なにが?」
「ねえ、セオ。私、あなたにとんでもない隠し事をしてたって言ったら、どうする?」
ルナセオは眉を寄せた。
知らないほうが幸せだろうと、根拠もなくそう思ったが、何を言っても母は話すだろうとも確信していた。
「…なんだよ」
「あのね、私は…」
母の仮面が、ぼろぼろと崩れていくのがわかった。小さいころ、ルナセオが怯えていた、彼女のふたつめの顔だ。
母の仄暗い黒曜の瞳が、ルナセオから背けられ、ルナセオの反応を、見たくないとばかりに伏せられた。
「私はね、レナじゃないのよ。
母さんの本当の名前は、ルナ。ルナ・シエルテミナというの」
半ば予想していた台詞だ。間違いなくエルディも呼んでいたし、マユキもそんなことを言っていた。むしろ、「私、ファナティライストの高等祭司なの」などと言われなかっただけ幾分かましだった。
「なんだよ!」ルナセオは憤った。「名前なんて、そんなの!母さんは母さんだろ」
「そうね、間違いなくアンタは私の子よ。その小生意気なところなんて特に、昔の私にそっくり」
ルナと名乗った母はくすりと笑った。
「レナというのはね、死んだ私の妹の名前。もう25年…そんなに経つかしら。私は、アンタの父さんのためにね、自分の中のルナを殺して、身も心もレナになると決めた」
「え?妹?父さん?」
ルナセオは目を瞬いてネルと顔を見合わせた。
聞いた話と違う。ルナとレナが姉妹ということはともかく、メルセナは、「レナ・シエルテミナと会った」と言っていなかったか?
「…どういうこと?」
「ああ、セオ。いいこと?落ち着いて聞いてね。…あなたの父さんは、昔、第9の巫子だったのよ」
絶叫しそうになったのに、肝心の声は出なかった。
ネルも目を見開いた。メルセナとエルディは知っていたのか、厳しい表情を崩さずにルナの話に聞き入っている。
ルナセオは混乱した。
「え、ちょっと待って。だって、だっておかしくない?前の巫子って、もう20年以上も前の話だろ?父さん、まだ生きてるじゃん。ピンピンしてるよ。第9の巫子って、こ、殺されちゃうんじゃなかったの?」
「奇跡が起きたって、マユキさんが言ってたわ。第9の巫子を殺さなくてもよくなったって」
メルセナが口をはさんだ。ルナは自嘲するように吐き捨てた。
「奇跡、ね。そうだとしたら、最低の奇跡もあったものね」
「奇跡って、どういうこと?」
ネルが声を低くした。クレッセを救う手がかりがほしいのだろう。ルナは首をゆるゆると振った。
「チルタ…元・第9の巫子の願いは、死んだレナを生き返らせることだった。あのひとは、レナのことを愛していた…いえ、まだ愛している、のかしら。今となってはわからないわね。私が、こんな形で、あのひとの願いを叶えてしまったから」
「はあ!?」
ルナセオは素っ頓狂な声を上げた。ルナが続けた。
「私はレナを生き返らせた。私がレナになることで。願いが叶えば、チルタが第9の巫子でいる必要はない。…奇跡というなら、そうなんでしょうね。チルタは、きっと私を哀れに思ったことでしょう」
「じゃ、じゃ、じゃあ、父さんはそれ、知ってんの?父さんは全部知ってて、母さんのことを、母さんの妹の身代わりにしてるの?」
「…セオ、父さんを責めるのはやめなさい。母さんが好きでやっているのだから」
「だって、本当にそうなら、父さん、サイテーだよ!」
ルナセオはいきり立った。ずっと我が家の夫婦は、いつまでも新婚気分で飽きやしないのかと思っていた。
あれが、全部、演技?ふざけるなと叫びたかった。
だとすれば、ルナセオの存在はどうなる。その演技の小道具に過ぎないとでもいうのだろうか。
ぶるぶる震える息子の手に、母は自分の小さな手を重ねた。
「セオ。母さん嘘ついてたけど、でも、あなたや、あなたの兄さんを愛してるのは本当よ。父さんだってあなたを愛してる。嘘じゃないわ。
…私たちの都合で振り回してしまってごめんなさい。母さん、ルナセオやヒュランを産めて幸せよ」
そんな気休めはいらないと怒鳴ってやりたかった。
仮面夫婦をやるなら産まなきゃいいのにと言ってやりたかった。
けれど、ルナセオには言えなかった。こんな時、自分の察しの良さがいやになる。ルナが、母が、ルナセオの反応を心底怖がっているのを、わかってしまったから。
ルナセオは手の力を抜いて、うなだれた。
俺は大丈夫だと、言わなければならない。しかし、とても答えられる気にはなれなかった。気を落ち着かせようと息を吐いていると、メルセナが切り出した。
「ねえ、だけど、ルナさん?ルナさんは、その、ルナセオのお父さんのこと、好きなのよね?そうなんでしょ?」
「セーナ、口が過ぎる」
エルディがたしなめた。しかし、メルセナはむっとして返した。
「だってパパったら、だとしたら、よくないでしょ。ルナセオとルナさんはどうなるの?家庭崩壊の危機だよ」
「…何の話?」
ルナが眉をひそめた。ルナセオはやっと事の重大さに気付いた。
「そうだ、そうだよ。大変なんだ、母さん。レナは死んじゃいないんだよ!」
「え?」
「セーナとエルディさんが、レナ・シエルテミナっていうファナティライストの高等祭司に会ったんだって!な、セーナ!」
「ええ。ルナさんにそっくりの顔してた」
ルナは「まさか」と小さくつぶやいた。息子たちの言葉を信じられずにいるようだった。
「嘘よ。だって私、死んだあの子を見たし、抱きしめた。埋葬されるあの子を見てたのよ」
「でも、会ったの!箱入りのお嬢さんみたいな感じで、そう、私、エルフのことを見ても全然怖がってなかった。『ただちょっと耳が長いだけ』って言ってたわ」
「耳、が…」
ルナの表情がみるみるうちに青ざめていった。その台詞になにか思い当たる意味があるらしい。
彼女はぱっと口元に手を当てて、恐怖の表情を浮かべた。
「そんなことを言うのはあの子しかいないわ…でも、どうして…?」
ラファも同じような顔をしていたとメルセナは思った。少なくとも、死んだはずの妹が生きていて喜んでいる顔ではない。
メルセナはたたみかけた。
「レナは私の"印"を狙ってるみたい。返せって、そう言ってた」
手首の赤い印を見せると、ルナは怪訝な表情でエルディを見た。
「…エルディ卿、この子、あなたの実の娘ではないのですね」
「はい。赤ん坊のセーナを枯れ森で拾って育てました」
「…そう」
ルナはこめかみに手を当て、ぎゅっと眉を寄せてから、なにか決然とした表情で息子を見た。
「とにかく…そうとなれば、巫子にとって、ここは危険かもしれないわ。マユキ・ラトメの家でお世話になったと言ってたわね。すぐに戻りなさい。さもないと、」
コン、コン。
小さな音だった。ルナがぴたりと言葉を止めて玄関を見る。一同は息を殺した。
コン、コン。
もう一度、扉がノックされる。恐る恐る母を見ると、彼女は顔をしかめてささやいた。視線は扉に向けたままだ。
「あなたたち、全員よ。2階に行きなさい」
「だけど…」
「万が一"巫子狩り"だったとして、あいつらのやり口を、私はよく知ってる。私はチルタの元で巫子狩りをやっていたから。
さあ、セオ。みんなを連れて、2階の部屋に入って。
鍵はかけないで、窓にはカーテンを閉めておくの。部屋の中央にいて、逃げ場を作っておきなさい。何もないとわかったら、母さんがアンタたちを呼ぶから」
「…ルナセオ、彼女の言う通りにしたほうがいい」
エルディにも後押しされて、ルナセオはすぐさま身をひるがえした。ソファに置きっぱなしのマントを盗り、階段室の扉を開き、全員を入れてから、母を見た。
彼女がひとつ頷いたから、ルナセオは音を立てずに扉を閉めた。
その一連の動作を見送って、ルナはひとつため息をつき、「レナ」の皮をかぶって明るく言い放った。
「はあい、今開けまーす!どちら様?」
◆
言われた通り、ルナセオの部屋のカーテンを閉め、皆で部屋の中央に円を描くように立ちながら、ルナセオは憮然として言った。
「…なんか、全部夢の中の話みたいだ。今更だけど」
「わかるよ。私もそんな感じだもん。そのうち、目が覚めて、インテレディアの自分の家で寝てるんじゃないかって、時々思うの」
ネルが同意した。それから一同を見回す。
「ねえ、私、考えたんだけど、ルナさんが言ってたことを私もやったら、クレッセを助けられるのかな?」
「バカ、お前、母さんの話忘れたのかよ?ロクなことになんないよ」
「でも、クレッセの願いを叶えれば、クレッセの呪いは解けるんでしょ?クレッセがどうして第9の巫子になったのか分かれば、私たち、クレッセを殺す必要、なくなるよ!」
そうだよね、ネルが期待を込めてエルディを見上げたが、彼は渋面を崩さなかった。
メルセナが首をかしげた。
「パパ、駄目なの?私も同じことを思ったんだけど」
「もちろん、その通り。理論上は、だが。
第9の巫子である理由がなくなれば、クレッセから"印"が外れ、お前たちも巫子の役目から解放されるのは確かだ。…しかし、ネル。お前は、どんな願いでもかなえるつもりか?」
「なんで?どういうこと?」
「チルタの場合は、いいんだ。彼の願いはあくまで、世界の崩壊とは別のところにあった。だが、クレッセの目的如何によっては、ネル。その方法は難しいかもしれない」
「もったいぶるなあ。つまり?」
「…クレッセの目的が"世界の破滅"そのものだとしたら、それこそ彼が世界を滅ぼすまで、"印"は外れない。巫子が彼を殺さない限り」
子供たちはいぶかる顔を見合わせた。突拍子もない話でピンと来ない。壮大な願いにもほどがある。
「そんなこと本気で願う人がいるの?」
メルセナは器用にも片方の眉だけを上げて尋ねた。すると父も同じ表情で、揚げ足をとるような物言いで返した。
「セーナ、それを本気で願う人間がいたから、この世界に第9の巫子なんてものが存在するんだ。違うか?」
「そりゃ、そうだけど」
ネルは困ったような表情だ。
「私…ラトメからユールおじさんを助けて、デクレも見つけて、それでみんなで一緒にまた、村で暮らせるようになれば、クレッセはもとに戻るんじゃないかって思ったの」
「もちろん、その可能性もある。が、可能性がある、というだけだ。…考えても栓のないことだ。どうせここにクレッセがいない限り、彼の野望を知るすべなど我々は持ち合わせていない。巫子はお前たちなのだから、お前たちが決めなければ」
「世界の命運を丸投げか。やンなるなあ」
ルナセオがおどけた風を装って両手を挙げた。しぐさとは裏腹に、彼の表情は相変わらずむっつりとしている。
それからルナセオはネルを見た。
「さっき言ってた、母さんみたいな方法は、息子としては断固反対だね。でも、クレッセの父さんと、そのデクレって奴を助けてみるってのはアリじゃないかな。人殺ししなくて済むなら、できる限りのことはやってみるべきだもんな」
「うん、私もそう思う。どっちにしろ、ネルの愛するデクレ君を探すのは、私も協力してあげたいと思ってたし」
「セーナ!私、べつにデクレのことはそんなんじゃないよ!」
ネルは顔を真っ赤にして抗議したが、メルセナは取り合わずにニヤニヤしている。エルディはそんな娘に半ばあきれたようだった。
「そうだな…デクレというのはレイン達が動いているようだから、我々にできることは少ないが…ユール様を救うなら、ある程度やりようはある」
「どうすればいいの?」ネルは身を乗り出した。
「言うだけなら簡単な話だ。蹄連合と協力して、再び前・"神の子"フェルマータ・M・ラトメ様をラトメディアの頂点に据えて、神宿塔を開放する」
「神宿塔って、俺たちが集まったあの場所だよな」
エルディは頷いた。
「実は、ユール様がどの派閥に捕らわれているのか、蹄連合は把握していない。昨夜マユキ様に聞いた話だと、ユール様を連れていく時には舞宿塔が神護隊を動かしたようだが、その後の引き渡しにはかかわっていないそうだ。ユール様の存在はいまだ極秘とされていて、上層部の、それもほんの一部にしか知られてないそうだ」
「それと、そのフェルマータ様っていうのを助けるのと、なんの関係があるの?」
「フェルマータ様が再び即位されれば、神宿塔が開かれる。神官たちが復権すれば、連中はユール様を盾に何かしら仕掛けてくるはずだ。
彼は蹄連合に対しての人質だ。実際にあの方をどう使うつもりで連れ去ったのかはわからないが」
「えーと、よくわかんないけど。とりあえずフェルマータ様って人を助ければ、ユールおじさんも助けられるかもってことだよね?」
「少なくとも、蹄連合はそのつもりで動いているな」
ルナセオはいささか納得がいかない様子だ。
「でも、それって実際、可能なの?フェルマータって犯罪者じゃん。いくらなんでも、即位する"神の子"が大罪人ってよくないと思うけど」
「それも様々な思惑がある。フェルマータ様がラトメを守る礎になってたのは事実だ。だから貴族は、彼女を捕らえて20年以上が経った今でも、処刑に踏み切れずにいる…詳しい話はあとだな。ルナ様は大丈夫だろうか」
エルディが言ったその時、階下で激しい音が響いた。
大きなものが倒れたような音だ。次いで、食器の割れる音。何やらルナのものらしき怒声も聞こえる。
一同がはっとする間に、すでにルナセオは動いていた。
「セオ!?」
「馬鹿、不用意に外に出るな!」
ネルとエルディの制止の声も聞かずに、部屋を飛び出す。すべるように階段を下りる。階段室の扉をがばりと開いた。
「母さん!」
絶叫した。腹を押さえてうずくまる母に駆け寄る。彼女は青い顔でルナセオを見上げた。
「セオ、逃げなさい」
「何言ってんだ、そんなことできない…」
ルナセオは言葉を切った。目の前に下りた影に顔を上げた。そこにいた人物はふわりと笑ってルナセオを見下ろしている。
ルナセオはつぶやいた。そこにまるで自分だけが映らない鏡があるようだった。
「かあ、さん?」
レナ・シエルテミナは不気味に微笑んだ。