act.8 25年前のメシア
エルディとエルミのふたりが並ぶと、本当に鏡に映っているかのようにそっくりなことが分かった。
かたや麻のコートを羽織る女性で、かたや黒い軍服にマント姿の男性ではあるものの、少し吊り気味の瞳も、白磁の肌も、細長い指先まで、このふたりはよく似ていた。
しかし、微笑む姿はエルミのほうが柔らかい。父は照れ屋で、すぐにむっとした顔をするが、彼女はそうではないらしい。
「まさかあなたがセーナだとは思いませんでした。あなたのことは、ここにいるお父上からよく聞いています」
「え?えっと…」
先ほどの冷淡な姿はどこへやら、すっかり温かく笑うエルミに、メルセナは気おされていた。あの恐ろしい出で立ちはもはやなりをひそめて、それが妙に不気味だ。
一方エルディはといえば、上から下までメルセナの服を見て、べっとりとマントについた血を見て真っ青になった。
「セーナ、どこか怪我をしたのか?見せてみなさい、一体どこを…」
「ちょっとパパ、やめてよ!」
年頃の娘をつかまえて、勝手にマントの中身を覗こうとする父の手を思わず叩いていると、それまで黙り込んでいた小麦色の髪の女性が見かねたように声をあげた。
「落ち着きなさい、エルディ。見たところ怪我はないように見えるけど」
「自分で塗ったのよ!死んだフリしなきゃならなかったんだもの!」
「神護隊から隠れていたんだよ、エルディ君」
女性三人に非難の目で見られて、エルディはようやく我に返ったらしい。ひるんだ様子で耳を赤らめ、そっぽを向いた。モゴモゴと「怪我がなければいいんだ」とかなんとか言っている。
メルセナはようやく一息ついて、小麦色の髪の女性をちらりと見た。彼女は一体何者なのだろう?
まじまじと眺めていると、女性はようやくこちらに気がついて薄く微笑した。
「自己紹介がまだだったかしら?」
綺麗な声だ。メルセナは瞬きも忘れて聞き入った。
「私はマユキというの。あなたのお父様に…まあ、世話になった者よ」
その含みのある口調が、先ほどのラファによく似ていることに気がついた。思わず父を見上げると、彼は肩をすくめた。
「マユキ様は、蹄連合の中心メンバーだ。巫子についてもお詳しい。事情は説明しておいた」
「巫子?」
エルミが首をかしげた。はっとして彼女を見ると、エルミのほうもじっとメルセナを見つめている。
「フェルマータ様がいらっしゃらないとはいえ、巫子が頼れる場所といえばここしかない。他にも巫子が来ているんだろう、エルミ?」
「うーん、来てるといえば、来てるよ」
微妙な言い回しだ。眉をひそめるメルセナをちらりと見て、エルミは少し困った様子で言った。
「ただ、行方知れずなんだ。クレッセ…第九の巫子は、たぶん、逃げおおせたと思うんだけど」
「え、第九の巫子?」
メルセナはぎょっとした。
「第九の巫子が、ここにいたの?ここに?」
「ラファが連れていたのよ。えっと…ラファのことは知っているのよね。あの人の考えてることは本当にわけがわからないわ」
わけがわからないのはこっちだ!メルセナは叫びたくなった。それに、マユキがファナティライスト高等祭司などという天上人の名を平然と呼んでいるところもどこか解せない。目を白黒させるメルセナに、エルミが苦笑した。
「一からご説明いたしましょう。申し遅れましたが、私はエルミといいます。エルディ君は私の双子の兄です」
なんとなく予想はできていたので、メルセナはひとつ頷いただけだった。しかし、父を見上げて一応問う。
「血は繋がってないんじゃなかったっけ?」
「…まあ、他人の空似というやつだ」
世の中には三人くらい自分と同じ顔の人間がいるっていうものね、メルセナは深く考えることを放棄した。これ以上ややこしいことが増えると、そろそろ頭がパンクしてしまう。
「ラファっていうのは何者なの?」
見たところ自分よりも年下のはずで、そしてファナティライスト高等祭司。そして父が信頼している遠い親戚。それだけでも只者ではない。ラディといい、エルミといい、父の親類には予想の斜め上を飛び越えていく人たちばかりなのは確かだ。
「ラファは昔、どこにでもいるレクセの学生でした。その頃のことは、私よりもマユキ様のほうが詳しいでしょう」
「私とラファは、学校で同級だったのよ」
メルセナはマユキをじっと見た。彼女の年は二十代半ばを過ぎたあたりだろうか。少なくとも、ラファよりも随分年上に見える。
「私たちはあなたとよく似た状況に立たされた。もう二十五年も前になるかしら、私とラファは『赤い印』を継承して、あなたと同じように巫子になった」
「巫子!」
「古い話だ。そのとき、ラトメから派遣されてラファ様とマユキ様を保護しに行ったのが、私と、当時の神護体長…私の上司だった。お二人は当時の第九の巫子を倒すために旅に出た」
「物語みたいに、悪役を倒しに勇者達が立ち上がったってわけね」
何度も頷きながらメルセナは言った。
それで合点がいった。エルディが、ラファとマユキに「様」づけをする理由。神護隊にいたエルディにとって、彼らは敬う対象だったのだろう。
メルセナの解釈に、マユキはやや苦く笑った。
「まあね。私もそう信じてたわ。でも…土壇場になって、ラファが突然、第九の巫子側に寝返ったの」
「え!?」
勇者が悪役側に寝返る話なんて聞いたことがない。
「なんで?」
「実は、第九の巫子が印を継承したことの責任の一端はラファにあったのよ。彼は、責任を感じて、第九の巫子を殺すなんてできないって、そう言い出した」
「そ、それでどうなったの?」
「…結果的に、私たちは第九の巫子を殺さなかった。ある意味ハッピーエンドだったわ。奇跡的に、第九の巫子は印から解放されて、私たちは彼を殺す必要がなくなった」
ハッピーエンドという割には、マユキは浮かない顔だった。こういう場合、物語はすがすがしいくらいの大団円を無駆るものではないだろうか。メルセナが怪訝に思っていると、エルディとエルミが顔を見合わせた。
「世界が続いていく限り、物語は終わらない。ラファ様が本当の苦境に立たされたのはここからだった。彼は巫子の役目から解放されたあと、第九の巫子を守るために生きることを決めた。ファナティライストで世界王の直属の部下にまで上り詰めた。…われわれには、止める権利はない。これまで巫子にとって、第九の巫子は敵にしかなりえなかったのを変えたのがラファ様だ。個人的には尊敬するよ、彼ほど高い理想を掲げた人間を、私は他に知らない」
「…そんなに優しそうな人には見えなかったけど」
ちらりとマユキを見ながらメルセナはぼやいた。先ほど会ったラファはどこか底知れぬ印象で、どうも気に食わない人物に思われた。
それを説明すると、エルミがくすくすと笑った。
「ラファは優しいですよ。ただちょっと素直ではないだけで」
「…それで、ラファは、ラトメの神護隊長…あの時はもう解任されてたかしら?とにかく、彼と争って、結局ラファは彼と喧嘩別れ。今も第九の巫子の傍にいる」
「言っただろう?彼は味方でもないが敵でもない。第九の巫子の傍にいても、奴に世界を滅ぼさせはしないし、巫子を傷つけることもない」
ラファに対して、父が警戒していなかった理由がわかった。ファナティライストの高等祭司と一口に言っても、彼の考えをエルディはよく知っているから、敵ではないとはじめから知っていたのだ。
メルセナはマユキを見た。
「あなたはどう思ってるんですか?」
「私?」マユキはきょとんとした。
「ラファって人とは友達だったんでしょう。マユキさんでしたっけ、あなたもラファと同じ考えなんですか?」
今も彼女はラファの友達なのだろうか。だとしたら、こうして彼女が巫子の保護地であるラトメにいるのはなぜだろう。
マユキは苦く笑った。
「そうね、私は第九の巫子は嫌いだけど、ラファの敵にはならないわ」
「どういうこと?」
妙な言い草だ。父を見ると、彼は意味ありげに肩をすくめている。エルミがくすりとひとつ笑った。
「セーナはファンタジー小説しか読みませんか?」
「冒険小説とか、推理小説も好きだけど…え、なに、どうして?」
「もう少し他のジャンルに手を出してみるべきですね」
女の子らしくラブ・ロマンスとか。エルミはそう言って、メルセナの問いには答えなかった。まったく意味がわからない。シェイルのお嬢さんたちは、宮廷恋愛のかわいらしい表紙の本などがお好みのようだが、恋愛なんてできるのは自分にとってまだまだ先の話だと思っていたし、それゆえ一番に興味のないジャンルだった。
それが、今の話とどう繋がるのか図りかねて、メルセナは首をかしげた。
「そりゃ、ラファは馬鹿よ」
マユキはメルセナの混乱に構わず先を続けた。
「底なしのお人よし。説教する気もおきないくらいに。彼は自分勝手だもの。…昔からそうだったわ。自分が何をやって、それでまわりがどう思うかなんて、これっぽっちも考えちゃいないの」
マユキはそうラファのことを批評したが、責めている口調ではなかった。むしろ、シェイルディア騎士団のみんなが、エルディを「こわーい親馬鹿の父親」と評するように、親愛のこめられた口調ですらあった。
メルセナはエルミの言いたいことがちょっとだけわかった。きっと、マユキとラファは、友人以上の大切な絆があるのだ。
「素直なんですよ、ラファは」
エルミがラファを庇った。マユキは溜息をつく。
「素直よね、もう少し意地汚く生きればいいのに」
「素直ォ…?」
メルセナは頓狂な声をあげた。あの食えない男が、素直?それはどうも引っかかった。一言も確かなことを言いやしないし、わけのわからないままにその場から退場したじゃないか。
そこまで考えて、メルセナははたと気がついた。マユキやエルミなら、ラファがレナを恐れているような、あの態度の理由が分かるだろうか。
「ねえ、レナ・シエルテミナって知ってる?」
「え?」マユキが不可解そうな表情を作った。
「ファナティライストの高等祭司なんですけど。私、彼女から『赤い印』を…えっと、もらったって言えばいいのかしら、うん。レナと会ったって話をしたら、ラファ、すごく…怯えたみたいな顔になって。レナって何者なのか、マユキさんたちは知ってるんですか?」
「…その、あなたの言う、レナ・シエルテミナっていうのは、黒い髪に、黒い目をしている女性かしら?」
「そうよ!」
マユキの台詞に、メルセナは目を輝かせて食いついた。やはり彼女も知っていたのだ!
しかし、マユキは考え込むように俯いてしまった。メルセナは息つく間もなく続けた。
「黒くて綺麗な髪に、黒い目をしてた。いいところのお嬢様みたいでした。ちょっと変わってたわ、私を見ても、ほら、エルフでしょ?なのに、私のことを怖がったりしなかったもの」
「…あなたの言うのが、本物のレナ・シエルテミナであるはずがないわ」
ぼそりとしたつぶやきだった。メルセナはマユキが何を言ったのか聞き取れなかったが、聞き返す前に彼女は決然と顔を上げた。
「メルセナ、そのレナという子と会ったのは、いつの話かしら」
「初めて会ったのは、えっと、おとといの夕方。でも、今日も会ったわ。ゼルシャの森の近くで」
「おとといの夕方…セオ君がうちに来たときだわ」
知らない名前が出てきたが、どうやらレナとなにか関係がある名らしい。マユキは、エルディとエルミに視線を移した。
「申し訳ないのだけど、行きたい場所があるの」
「どちらに?」
「神宿塔よ」
本来父との待ち合わせ場所だったところだ。しかし、父の話では、あそこは今封鎖されているはずではなかったか。
「神宿塔は今、何もないはずでは…」
「トレイズとレインが行ってるの。もしかしたらもう転移陣で、ラトメから逃げてるかもしれないけど。彼と一緒に」
「彼とは?」
マユキは一旦言葉を切って、メルセナを見た。
「レナ・シエルテミナの息子が、一緒にいるのよ」