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かねのねクラッシュ  作者: 佐倉アヤキ
メルセナ編-1
22/46

act.1 森の魔女

 きっと私は恵まれている、メルセナはいつもそう思っていた。

 人間で言うなら二十歳にもなるというのに、未だに十代前半にしか見えない彼女に奇異の目を送る者がどんなに多くても。本当の親が誰で、今どうしているのかわからなくても、それでも、多分メルセナは恵まれていた。


 メルセナは拾われっ子だった。

 誰の目から見ても明らかだった。父は銀髪に瑠璃の瞳の、娘から見てもうっとりするほど麗しい美青年で、到底メルセナのような大きな子供を持っているようには見えなかった。父はとても若く見える。

 一方でメルセナは淡い金髪に澄み切った水色の瞳で、おまけに父とは全く似ていなかった。よくしてくれている父の上司は、「顔は似ていないけれど、君たちの挙動は鏡に映したみたいにそっくりだな」なんて言って笑っていたけれど、メルセナはなんでもできる父とは打って変わっておっちょこちょいだったし、父は心配性で、娘は楽天家だった。

 ちなみに…人びとにとってはこれが決定打らしいが、父は人間なのに、メルセナはどこからどう見ても生粋のエルフだった。


 父はあまり教えてくれないけれど、メルセナは本当に小さい頃に、シェイルディアの南、国境近くの針葉樹林の入り口に捨てられていたらしい。人間とエルフは仲が悪い。ちょうど任地からの帰りだった父は、一緒にいた仲間が赤ん坊のメルセナに見てみぬふりをするのを見かねて、子供を引き取ってくれたそうだ。

 それが捨て子であるメルセナに対する憐れみだったとしても、父は底抜けの愛を惜しみなくメルセナに注いでくれた。血の繋がった親子だって、なかなかこうはならないだろう。父は大変にメルセナに対して甘かったし、娘はそんな父が誰より何より大好きだった。


 そんなメルセナは、今日も昼時になると、シェイルディア騎士団に勤めている父の弁当を届けるため、シェイルの王城・クレイスフィー城の城門をくぐった。門番の、「やァセーナ、今日もおつかいかい?」という陽気な挨拶に手を振って応えて、いつもと同じ廊下を小走りに抜けると(途中すれ違った騎士に、「廊下を走ってはいけないよ、セーナ」と諌められた)、すぐに騎士団の詰め所にたどり着いた。

 はやる気持ちを抑えて、すました挙動で丁寧に扉を三回ノックする。かすかに話し声がしていた部屋の中がぴたりと静かになり、そのあとでくすくす忍び笑いの向こうから、やわらかく空気を貫く涼やかな声がやってきた。

「どうぞ」

「失礼します」

できる限りその声と同じくらい響かせようとした台詞は、情けなくもわずかに裏返ってしまって、メルセナは赤くなった。身を竦ませて、自分が通れるだけの隙間を開くと、にこやかにメルセナを迎える騎士団の面々の一番奥、ひときわ大きな執務机を紙の束でいっぱいにして、一人の青年が顔を上げてメルセナを見た。


 濃紺の肩まで伸びた髪がさらりと頬にかかり、彼は同色の瞳を細めて鬱陶しげに払った。まだ二十代前半に見えるこの青年が、かのシェイルディア騎士団を束ねる存在だとは誰も思うまい。

「やあ」

わずかに首をかしげて、青年はやんわりと微笑んだ。はらり、細い前髪が数本流れただけでどきりとする。ごまかすように目をきょろきょろさせながら言う。

「あの、あの、こんにちは、ギルビス。パパはいますか?」

「悪いね、君の父さんはちょうど出ているんだ。大臣と急な会議が入ってしまってね。じきに戻ってくるだろうから、時間があればお茶の一杯でもどうだい?お父上も、セーナの弁当を本人から受け取りたいと思うだろう」


 パパありがとう!心の中でメルセナは踊り狂った。何度も首を縦に振ると、ギルビスはくすりと笑って席を立つ。

 メルセナのすぐ側で、騎士の一人が彼を茶化した。

「いいなあ、団長。俺にもお茶の一杯くらい淹れてくださいよ。部下をいたわるのも上司の仕事でしょ?」

「君がもう少し書類をさばけるようになったら考えてあげてもいいよ。さあ、メルセナ姫?今日は僕がおいしいお茶を淹れてあげよう。この間はヒーラにひどいものを飲まされたようだから」


 ヒーラというのは騎士のひとりで、確かメルセナより二つほど年上だったはずだが、とても子供っぽくてお茶目な少年だ。無類の甘いもの好きで、彼に茶を出させると、底のほうで砂糖が溶けきらずに沈んでいるくらい。はっとして見回すとヒーラも不在だった。気のきく騎士が「ヒーラは君のパパと一緒だよ」とわざわざ教えてくれた。彼の茶には困ったものだが、ヒーラ自身はユーモアのある楽しい男なので、彼のカラメル色の髪がないだけで少し違和感を覚えた。


 ギルビスが執務室から続く給湯室に消えたのを見計らって、途端に団員達は席を離れてメルセナに構った。椅子に座らされ、あれこれ尋ねてくる男達に応対していると、執務室の扉が開け放たれて、三人の男が入ってきた。

「まったく、シバのヤツふざけてる。これ以上馬が減らされてちゃ、大変なのは奴らだろうに」

「仕方ありませんよダラー殿。片や奴らは頭カチコチの貴族だし、僕ら下層の人間に対する理解が薄い。シバ様はまだ良心的なほうだ」

「ヒーラ、お前は騎士としてもう少し威厳を持て。そんなんだから役員どもになめられるんだ…ああ、セーナ。もう来ていたのか」


 最後に口を開いた銀髪の男、メルセナの父が、おしゃべりをやめて入り口に注目している男達の輪の中心にいるメルセナに気がついた。背中まで伸びた艶やかな銀髪をうなじの辺りでひとくくりにし、白磁の肌に真っ黒な軍服を着込んだ男は、娘の周囲を取り囲む同僚達に不審げな視線を投げかけた。瑠璃色の瞳が冷ややかな色を帯びる。

「人の娘に何やってる」

「オイオイエルディ、俺たちの可愛い長耳のお姫様が、こわぁいお父様にいじめられていやしないかって、心配してただけなのに」

「怒られるいわれはないよなァ!」

げらげら笑う団員に、父の薄紅色のくちびるが剣呑な呪文を紡ごうとしたとき、がたんと音を立てて、茶の乗ったトレーを両手で持ったギルビスが、給湯室の扉を脚で開いてやってきた。

「何事だい?…ああ、三人とも気が利かないね。僕はこれからセーナとお茶会の予定だったのに」

口調は大仰に悲しんでみせたが、顔は笑っていた。悪戯が見つかった子供のように舌を出してみせ、後ろ足で給湯室の扉をばたりと閉めた。ブロンドの波打つ、そろそろ二十代も潮時の副団長・ダラーが、品のないギルビスの挙動に渋い顔をした。シェイルの貴族出身のダラーは、こうして時々、ギルビスに対して見下すような視線を向ける。我らが団長が、どこか田舎ののどかな村で育ったという話を聞いてからの話だ。


 「セーナ、たまには僕にもおいしい弁当を作っておくれよ。エルディ殿ばかりずるくはないかい?」

溌剌と問いかけてくる、カラメル色の髪を載せた甘い顔立ちのヒーラは、確か二十二歳。五位階に分かれているシェイルディア騎士団の一等騎士に昨年若くして着任した実力者だが、メルセナとは大層気が合うらしく、今ではすっかり仲良しになっていた。

 すると父が舌打ちして毒づく。

「お前なんかにメルセナの飯を食わせてたまるか」

「酷いなあ。セーナだってそろそろ嫁入り時でしょう?見た目はともあれ。寄ってくる男をお父上が片っ端から追っ払ってちゃ、大切な娘さんが行き遅れちゃいますよ。あ、別に僕が婿入りさせてもらえるなら喜んで…」

「絶対反対だ!」

「ごめんねヒーラ。私甘いのはキライじゃないけど、ヒーラと生活できる自信はないわ」


 ヒーラの妄言をさらりとかわしつつ、メルセナはダラーによって執務室に追い立てられるギルビスを盗み見た。一連の会話は彼の耳にも入っているはずなのに、全く反応もせずに、ギルビスはこちらを長めている。ぱんぱん、乾いた音を立てて二度両手を合わせるとにこやかに言った。

「さあ、喧嘩はそのくらいにして。そろそろ仕事を再開しよう。仕事はたんまりあるんだから」



 結局ギルビスのお茶を飲み損ねちゃったわ!

 遅ればせながらメルセナが気づいたのは、もう城を出たあとだった。父はメルセナに対してべろべろに甘かったが、ヒーラの言うとおり男性とお付き合いなんて認めてくれない。同じ年頃の娘達は、皆華やかに着飾って、どこからともなく男の人を引っ張ってきているのに。

 セーナのパパはとっても素敵だけれど、女心ってやつを分かってないわね!

 ぱっちりとした瞳をきらきらさせながら、近所のお嬢さんはこぞってメルセナの想い人と近づけさせたいと躍起になって、たびたび見目幼いメルセナにおしゃれを教えてくれたが、優しい父を怒らせてまでギルビスに近づく勇気はなかった。まして、片や誰が見ても憧れるシェイルディア騎士団の団長と、対するこちらは年齢にそぐわない見た目をしたエルフの小娘。雲泥の差にもほどがあった。


 ヒーラは会って早々にメルセナの秘めたる思いに気がついて、なにかと世話を焼いてくれるのだが、メルセナは知っているのだ、彼にはとびきり可愛い彼女がいるってこと。ヒーラは勿論ただの友達だが、年頃の娘は、ちょっと人が異性と並んでいるだけでとんだ邪推をするものだ。あんまりヒーラと尾近づきになって、恋人に勘違いはさせたくない。

 物思いにふけってひとつ溜息をついてから顔をあげると、いつの間にやら人気のない"枯れ森"に入っているのに気がついた。シェイルディア首都のクレイスフィーの隣には、そんな風に呼ばれるくすんだ色合いの針葉樹林帯があって、「迷い込んだら森に住む怖い魔女に食べられてしまう」、なんてありがちないわく話がまことしやかに囁かれているのだ。


 考え事をしているうちに迷い込んじゃったんだわ。

 メルセナは怪談を信じているわけではなかったが、昼間でも薄暗い"枯れ森"が不気味なことにかわりはない。慌てて踵を返そうとしたが、ふと視界に掠めた黒い色に気をとられて足を止めた。振り返ると、養分が足りているのかも危ういひょろりとした木々の向こうで、誰かの長い黒髪がなびいているのが見えた。


 噂の「森の魔女」とは彼女に違いない。メルセナはそう直感したが、ずるずると長い彼女の黒いコートは、御伽噺のような魔女の衣装ではなく、ファナティライストの神官かなにかの礼装だった。腰まである長いつややかな髪が豊かに伸びて、彼女は黒い瞳をこちらへ向けていた。

 いつから見られていたのかしら。メルセナはどきりとした。鼻筋のすっと通った彼女の顔に表情はなく、一瞬だけ紅を塗った唇がふるりと震えたが、彼女の口からは言葉の代わりに吐息が漏れた。長いまつげが一回瞬いて、メルセナをうかがうようにようやく声を上げる。


 「メーゼ…?」

「え?」

よく聞き取れなくて首を傾げると、年齢の読めない若い女性はぱっと口元に指を乗せた。シェイル人特有の白っぽい頬が瞬く間に熱っぽく染まった。

「まあ、ごめんなさい。こんなところでエルフを見るなんて思わなかったから、少し驚いてしまったの」


 随分と人間じみた「魔女」だとメルセナは思った。

 だが、大概の場合、初対面の人間は自分を胡乱げに見るものなので、彼女のように嬉しそうに微笑まれたのに悪い気はしなかった。

「あなた、私が怖くないの?」

メルセナが問うと、彼女は上品にこちらに寄って一礼した。

「エルフは怖いものではないって聞いたもの。"ただちょっと耳が長いだけ"、そうでしょう?わたくし、好きよ。素敵じゃない。わたくしもエルフに生まれてきたかったものだわ」

頬に手を当ててうっとりと謳いあげる彼女に、メルセナは目を丸くした。自身にとってエルフの姿はコンプレックス以外の何者でもなく、まさか「耳が長いだけ」なんて割り切れるものではなかったから。

「エルフなんて!私はあなたみたいに人間に生まれたかったのに!」

「まあ…そんな悲しいことを言わないで、素敵なお耳のお嬢さん。わたくしが人間の女に生まれてきたように、あなたにもエルフが生まれた意味がきっとあるのだもの。わたくし、軽率なことを言ったわ。ごめんなさいね。ねえ、許していただけるなら、あなたの名前を聞かせてくださいな」

 穏やかで丁寧な喋り方から、彼女はどこかいいところのお嬢様なのだと推察された。変わり者の貴族だ。あのヒーラやダラーでさえ、初めてメルセナを見たときはエルディの神経を疑った、だなんて冗談交じりに言っていたものだった。


 それを思えば、彼女はその突拍子もない台詞に驚きこそすれ、きっと奇特ながら素直な女性なのだろう…気分を害しかけたのをすんでのところで押さえ込む。女性は誠実で、見ようによってはメルセナと同じ齢にも見えるのに、自分ひとりこの"枯れ森"でわめくのは大人気ない気がした。見目が幼い分、自分はよりいっそう大人にならなくては。それがメルセナの持論なのだ。

「…セーナ。メルセナよ」

つっけんどんに言い放ったつもりだったが、このお嬢様には通じなかったらしい。心底嬉しそうににっこり表情が綻んで、華やかに喜んでみせた。

「セーナ!お名前を知ることができて嬉しいわ!わたくしのことはレナと呼んで頂戴。よろしくね」

そう言って、レナはメルセナの手を取った。


 それからどうなったのか、いまいち覚えていない。

 彼女の両手がメルセナの左手を握り締めた瞬間、メルセナの頭の中が、ばちんと灯りをつけたように真っ白になり、同時に握られた左手首が燃えるような熱を放った。

 不可解だった。

 身体の中でびりりと何かが迸り、骨の髄が悲鳴を上げたと思ったら…メルセナの意識は、ぶちりとちぎれてしまっていた。

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