act.4 軍事都市シェイルディア
そうしてルナセオとトレイズがシェイルディアに辿り着いたのは、ルナセオが目覚めてから四日後のことだった。レクセ首都からシェイル首都のクレイスフィーまで、とても四日で辿り着ける距離ではないのだから、もしかするとルナセオが気を失っていた期間は相当のものだったのかもしれない。
レクセよりも気温の低いシェイルの風に、ルナセオはぶるぶると震えた。厚着のトレイズは替えのマントを一枚ルナセオに与えてくれたが、それでも薄手の制服では寒さを紛らわせない。太陽系の魔術でも覚えていたら温暖の術でもかければいいが、残念ながらルナセオは太陽系の魔術は使えない。こういうときに、生まれながらにして使える魔術の属性が決まっているのは厄介だと思う。生命術という、魔術の系統の中ではやや珍しい属性を持つルナセオだったが、こういうときには自分を仮死状態にでもして、トレイズに温かい部屋まで連れて行ってしまうのがせいぜいだろう。
そんなわけで、トレイズの知り合いに会う前に、ひとまずルナセオの服を買うことになった。当然ルナセオは手持ちの金が一般学生並みなので、費用はトレイズ持ちだ。
「ま、勝手に連れ出しちまったんだし、大概のモンは俺が買ってやるよ」
そう言って肩をすくめてウインクしてみせたトレイズは、少なくとも人攫いの類には見えなかった。彼をちょっとくらい信じてみてもいいかもしれない。もとよりそう疑り深いわけでもないルナセオの最近の意見である。
人の善意も金も惜しまないルナセオは、旅暮らしのトレイズにとっては貴重なはずの金を泣く泣く払う男の背を見て、それから幾分ましになった温かい自分の服を見下ろした。
少なくとも見た目は一般的な旅装だ。一見するともとの制服と変わりない薄着で、セピア系の地味な配色のコートの下に、濃い緑のシャツを腰紐で縛り、黒いズボンを履く。ここまでは目立たないただの旅装だが、この服には自動で体感温度を調節してくれる魔術がかかっている。寒い場所では温石のように服が温まり、逆に暑い地域では風通しをよくして涼しくしてくれる機能だ。トレイズが財布の中身をのぞきこんで青ざめているのは、ひとえにこの機能のせいで馬鹿高い値段がついたためである。泣きついてきたいい年の独身男に免じて、マントは今後も彼のお下がりを使わせてもらうことになった。ルナセオの比較的小柄な背丈では、トレイズの大きなマントはだぼだぼだったが、これ以上のわがままを言うと、いくら気長な彼といえどルナセオを捨てかねないので、ルナセオはこれはこれで暖かいと満足することにした。
服を買い込んだところで、今度は街を見て回りたくなった。レクセから出たのも初めてなのだ。詳しいことは聞いたことがないが、両親の出身はシェイルだという。あの童顔でお茶目な母と、老け顔でお人好しの父が生まれ育った街に、こんな形で来ることになるとは思わなかった。
そんな事情を説明すると、トレイズはからから笑った。
「ま、スラムに入り込みさえしなきゃ構わないけどな。ひとまず知り合いに会ってからにしようぜ。もしかしたら手続きに時間がかかるかもしれない」
「トレイズの知り合いってどんな人?なにやってるの?」
「騎士だよ、シェイルディア騎士団の騎士。だから城に行って手続きしなきゃ会えないんだ。本当なら団長に頼みたいところだけど…あいつは忙しい」
「ふうん、顔が広いんだなあ」
元・ラトメ神護隊長、"神の子"直属の護衛隊長という地位についていたのだから、それも当然かもしれない。レクセのルイシルヴァ学園という狭い世界で生きてきたルナセオには考えも及ばない話だ。
観光は手続きしてから、というトレイズについてクレイスフィー城に向かいながら、ルナセオはものめずらしげに通りを眺めた。レクセの学生ショッピングモールと違って、太陽がまだ真上まで上がっていないのに店員のいる商店街というのは新鮮だった。それだけじゃない。分厚い石造りの建物も、たまに細い路地の奥から抜け目なくこちらを伺っているスラム街のガリガリの子供も、これまで見たこともない景色だ。
あまりにもあたりの情景に気をとられているルナセオに苦笑して、トレイズはマントからルナセオの腕を引っ張り出して、ずんずんと城に向かっていった。
◆
「いない?」
華やかな化粧を施した受付の女性の返答を聞くなり、トレイズは怪訝な声を上げた。受付嬢は頷く。
「はい。エルディ一等騎士は休暇中でいらっしゃいます。申し訳ありませんが日をお改めください」
「何日で戻ってくるかとか分かるか?急用なんだけど」
「私の口からはなんとも…」
受付嬢も困り顔だ。トレイズはすごすごとロビーで待つルナセオの元に戻ってきた。
「参ったなあ。あいつは滅多にシェイルを離れないから安心してたのに」
「どうすんの?」
どうしよう。トレイズの目は途方に暮れていた。
「一般の人間は転移装置を使うのに面倒な手続きが要るんだ。騎士の許可が下りれば楽なんだが…これは、無礼承知で団長に会いに行くしか」
「なにか、お困りですか?」
立ち尽くすルナセオとトレイズに、声がかかる。トレイズが目を瞬かせるのを見てから、ルナセオも振り返った。はっと息を呑んだ。
透き通るような銀の髪をうしろで小さく結んでいた。
身に纏うのは、レースが随所についたどこかのお嬢様のようなワンピースだったが、年頃の娘にしては地味な色合いだ。ワンピースは真っ黒で、胸元に十字架のブローチがついている。彼女は聖職者なのだ、ルナセオはぴんときた。
少女は宝石のように澄んだ瑠璃色の瞳をしていた。トレイズが魚のようにぱくぱくと口を動かした。声にならないほど驚いている。確かに言葉を忘れるほどに美人だ。
ルナセオとトレイズが黙りこくっているのを見てとって、美少女はくすりと笑った。
「突然申し訳ございません。お困りのようでしたので、思わず」
「あ、いや」
トレイズが口ごもった。
「城にあるラトメ直通の転移陣が使いたくて」
「ラトメに行きたいのですか?」
滑らかに、少女は首をかしげた。
「私でよろしければ、転移魔術を組ませていただきますが」
「転移術!すげえ!」
美少女の発言に、ルナセオは思わず叫んだ。
転移呪文は疲れるし、公式が難解だ。ルイシルヴァでは最高学年で習う術だが、生徒の一割も習得できないという。まだ五期生のルナセオには公式なんて子守唄に聴こえる。そんな術だから、普通は皆遠出するときは転移装置か馬車、船などを使うのだ。それが自分よりも年下に見える少女に使えるとは。世界は広かった。
大仰に驚いてみせたルナセオに、美少女は柔らかく微笑んだ。形のいい桃色の唇がふるりと揺れた。
「微力ながらお手伝いいたしましょう」
「ありがとう!なあ、そうしようよ、トレイズ!」
美少女ありがとう!内心で雄たけびを上げながらトレイズを振り仰ぐと、何故だろう、彼は青ざめていた。
「転移呪文」
ぼそりとつぶやく。
「いや、しかし…でも、背に腹はかえられないし」
「トレイズ?」
眉を寄せて彼を呼ぶと、彼は何事か頷いて、美少女に向き直った。
「いつまでも逃げてちゃ駄目だ。…すまん、頼む。礼はするから」
「お礼なんて必要ありませんわ。双子神のお心のままに行動した結果ですもの」
ふんわりとしたスカートを指先でつまんで一礼した少女。聖職者というよりも、王族や貴族のように洗練された動きに、ルナセオは思わず息をついた。
「城内は人が多くて、他の方にも術式が及んでしまいかねません。広場へ移動してもよろしいでしょうか?」
「ああ」
◆
その広場はクレイスフィー城の裏にあった。子供の遊び場にでもなりそうな原っぱには、しかし都合のいいことに人ひとりいない。美少女はあたりを見回した。
「このあたりでよさそうですね。それでは術式を展開いたしますので、お二方、私から離れないでくださいませね」
普通、転移呪文のような難解な術式を使う際には、魔力を増幅させる魔方陣を敷くものだが、当たり前のように直接呪文を紡ごうとする彼女は、陣も必要としないほどの魔力の持ち主らしい。ルナセオはどぎまぎしながら少女の詠唱を待った。
「"天にまします我らが双子の神よ…"」
そのとき。
長いまつげを伏せていた少女の瞳が、なにかに感づいたようにぱちりと開いた。
「…"我らが無力な羊の盾となり、我らをお守りください、『防御結界』"!」
バシィッ!!
ふわりと少女が両腕を広げたと同時、ルナセオたちの背後から、目にも留まらぬ速さで突っ込んできた小さな弾丸が、見えない盾によって弾かれた。
全然関係ないですがトレイズさんはバツイチです。