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かねのねクラッシュ  作者: 佐倉アヤキ
ルナセオ編-1
15/46

act.3 トレイズ・グランセルド

 ぴちゃんと、宙から落ちた冷たい水滴が、ルナセオの頬を叩いた。頭のうしろがひどく痛んだ。肌寒い。

 なんだ、全部夢だったんだ。

 目を開けばきっとそこは慣れ親しんだレクセの町並みが広がっていて、無人廃墟の前で、ラゼを待って居眠りをしたルナセオを、あの金髪の少女が呆れたように見下ろしているのだ。

 なにもかも、悪い夢だったのだ。


 「おい、目が覚めたか?」

男の声でルナセオは飛び起きた。

 薄暗い洞窟のような場所に、ルナセオは横たわっていた。男はルナセオを見下ろしていた。その瞳は、ラゼのものよりも鈍い金色をしていた。

「お、俺…?」

ぐらぐらする頭を押さえる。記憶が渦を巻いてルナセオに襲い掛かってくるようだった。

 そうだ、何が起こった?

 ラゼのところに"巫子狩り"とかいうマント集団が襲ってきて、ラゼが撃たれて、そうしたら、女の人の声がどこからか聞こえてきて…?

「そうだ、ラゼは!?」

「待て待て、あんまり動くな。またぶっ倒れるぞ」


 そう言われて、ルナセオはようやくまともに男を見た。赤錆のような色がところどころに混じったブラウンの髪、金の瞳、肩幅はルナセオよりもずっとずっと広く、身体も大柄で、無精ひげを生やした顔は少し頬がこけていた。ラゼと一緒にいた男だ!ルナセオは思うとともに、前は気づかなかったところが目についた。男の左腕は、肘から先がなかったのだ。

 男はかさかさに乾いた唇から深々と溜息を漏らした。

「落ち着いて聞けよ、ラゼは死んだ」

「……は?」

「俺が来たときにはもう手遅れだった。胸を一発、ドカン。多分苦しむ間もなかっただろう」

男は沈鬱な表情でうなだれた。その姿から、彼が嘘をついているのではないと分かってしまった。ルナセオの体中から力が抜けていった。

「そんな」

「詳しいことは、俺よりもお前のほうがよく知っているはずだ。俺がお前を見つけたのは、全部が終わったあとだった。…ほら、お前、こいつをずっと握ってたんだよ」


 そう言ってトレイズが取り出したのは、あの時ラゼが使っていたチャクラムだった。…そうだ、あの"手を取った"あとで、ルナセオは怒りのままに巫子狩りにこれを振りかぶった。

「俺、人を殺したんだ」熱に浮かされたようにルナセオは言った。

「…お前…」

「"友人を殺した人間を捨て置いてはならない"って言われて、ラゼのこと撃った奴を殺さなきゃって思ったんだ」

「そうか…それでお前は、"手を取った"んだな」

どこか皮肉っぽく言った男は、ちょんとルナセオの耳をつまんだ。

「お前の左耳が、赤くなってる」

「え?」

「元はラゼのところにあった"印"だ。どうしてあいつのところから、今になって消えたのかは分からないが」

「"印"って」

心当たりはある。でも信じられなかった。だって、それはルナセオにとっては御伽噺のようなものだったから。

「お前は"赤の巫子"になったんだ。ラゼの後釜として」



 隻腕の男はトレイズと名乗った。

 どこかで聞いた名だが、ありふれた名前だ。ルナセオは自分も名乗るだけに済ませた。

「俺も昔巫子だったんだ。その関係でラゼと知り合った。あれでもラゼは俺と大して年が変わらないんだぜ」

四十代前半ほどの男はそう言ってニッと笑った。旅暮らしのためか、清潔とはとても言えないトレイズの歯は黄ばんでいた。

 赤の巫子は不老不死。ラゼはもうずっと前からあの姿だったということだろうか。

「昔ってことは、トレイズは"巫子"じゃないんだよな、今は」

「まあな。俺たちの役目は終わったから。むしろラゼが今まで"巫子"だったことのほうが不思議なんだ。役目を果たせば、巫子の宿す"赤い印"からは解放されるはずだから」

「役目?」

「ま、平たく言えば『世界を救う』ってやつだ。俺は結局、なんにもやってないけどな」

「……」

黙り込んでうつむくルナセオにひとつ息をついて、トレイズはその背中を叩いた。

「だから、巫子のことは俺が説明するには向かない。ラトメディアに、そういうことに詳しい奴がいる。そいつに会ってこれからのことを考えよう」

「…ラゼが、あの黒マントのことを"巫子狩り"って呼んでた。あいつらに追われてたみたいだ。どうして?巫子って世界を救うんだろ?追われることなんてないじゃんか」

「事情が複雑なのさ。"巫子に世界を救ってほしくない人間"ってのも、広い広いこの世の中には存在するってわけだ。あいつらはその差し金。ルナセオ、お前も気をつけたほうがいい。きっとお前も追われるだろう」

ルナセオは、トレイズの瞳に剣呑な光を感じておとなしくうなずいた。そのまま尋ねる。

「…トレイズは、何者なの?」

「はは、見て分かるだろ?ただのしがない旅人!用事ついでにたまたまレクセに来たから、ラゼにも会おうと思ったんだ。旅はいいぞ、気楽だし、自由だし」

「俺はいいよ、母さんを一人にはできないし…」

そこまで言って、ルナセオははたと気づいた。

「しまった、母さん!」

「どうした?」

「どうしよう、帰らなきゃ。母さん、心配してるよ。それにあの人、一人じゃなにもできないんだ!」


 あの童顔の母を思い出す。良家のお嬢様だったらしい母が、一人で生き延びられるような生活力があるとは到底思えない。それに、あれからどのくらい時間が経ったのだろう。きっと帰らないルナセオを心配している。

「家には帰れない。家族の居所が知れたら、巫子狩りは家族を狙うだろうからな」

「そんな」

「一日でも早く帰れるように、俺も手を尽くすよ。そのためにも、はやくラトメに行こうぜ」

「……ところで、ここはどこ?」


 粗方の説明を聞いて、幾分か平静を取り戻したルナセオは、そこでようやく周囲を見渡す余裕ができた。あたり一面ぼこぼこと岩がトンネルを作っている。少なくとも、ルナセオの知る限り、自分の生まれ育ったレクセにこんな場所はなかったはずだ。

 トレイズがルナセオを連れ出した理由はなんとなく、わかる。あの惨状だ。レクセディアの司法たる教師に見つかったら、ルイシルヴァの制服を着て唯一生き残ったルナセオには、言い逃れはできない。生徒は教師には逆らえないのだ。

 ルナセオに事情を聞くためか、ラゼが死んだことを責めるためか。もしくは"巫子"という立場にはトレイズにとって、なんらかの付加価値があるのか…そこまでは推し量ることはできないけれど、トレイズはルナセオに一種の価値を見出して連れ出したはずだ。ラトメに行く、というのも方便か知らないが、ここがどこか分からない以上、この男を信じる以外、今のところルナセオに生き延びる術はないのだろう。

 それでも、どことも知れぬ場所に勝手につれてこられたのは、ルナセオとしても心外だ。しかも、ラトメに続く道がこんな岩場とも思えない。レクセより南、ラトメに向かう道には草原が広がっていたはずだ。ともすれば、彼はルナセオをラトメ以外の場所に連れて行こうとしているのではあるまいか。


 頼りにならない母から学んだ数少ないことのひとつ、「知らない人にはついていっちゃいけません」を胸のうちで復唱してルナセオはトレイズを見た。トレイズは胸を張り、隻腕を折り曲げて胸に当てた。

「ゴドル洞だ!」

「……ゴドル洞は北のシェイルに続く道なんだけど」


 彼が単なる、極度の方向音痴だと知るのは、もうまもなくのことだった。



 「トレイズは、どうして旅を?」

仮にもこれから旅の相棒となるのだ。信用するかはともかく、トレイズのことを知っていて損はないだろう。「一旦シェイルに出て、知り合いに転移装置を借りよう」と言うトレイズの背を追いながらルナセオは尋ねた。

 トレイズは苦笑した。

「追放、ってほどひどくはないけどな。国から追い出されちまったんだ」

「…なんかやったの?」

「いいや、むしろやらなかったからというか…25年前の"神の子"逮捕の話、知ってるか?」

「授業でやったよ」

「あの時、俺はラトメ神護隊の隊長をやっていた」


 ルナセオはトレイズの髭交じりの顔をまじまじと見た。そうだ、どこかで聞いた名だと思ったら、「トレイズ」。ラトメディア神護隊、ラトメの治安維持部隊の初代隊長の名だ。

「あのあと…授業でやったかもしれないけど、ラトメ国内では"神の子"の処刑を主張する貴族側と、"神の子"を擁護する舞い手側に分断された。あ、ラトメが神官と、貴族と、舞い手の三つの勢力がいるってのは知ってるよな?ならいい。

 俺は…というか、俺をはじめとするフェル様、フェルマータ・M・ラトメ、当時の"神の子"だが…彼女に恩を感じる多くの者は、神官勢力の端くれである神護隊が貴族の監視下に入った時点で、左遷されるか追放された。まあ、俺は隊長だし?公にそんな処分をされると神護隊を支持してくれる民衆への心証が悪いからな。早々に要領のいい、信頼できる部下に引き継いだ。ま、それからは根無し草」

「…今の神護隊長、極悪非道だって噂だけど?」


 貴族の手先、"神の子"への恩を忘れた最低の連中。

 そう評される現在の神護隊の頂点である隊長を、トレイズが「信頼できる部下」と称すのは甚だ疑問だ。むしろ、彼は人選を誤ったのではないか。

 しかしルナセオの訴えを、トレイズは一蹴した。

「そうだな。あいつはずいぶんうまいことやってる」

「…どういうこと?」

「分かるだろ?"神の子"傘下だったときは、民衆に慕われてた神護隊が、貴族の下についたとたんにこれだ。誰が見たって、これは貴族の管理の仕方が悪いんだって言う。ま、つまり神護隊の評判を落とせば落とすほど、『やっぱり"神の子"は、あんな荒くれ者の神護隊を御せるくらいいい統治者だったんだ』って思うって寸法だ」


 ちなみに今の隊長も副隊長も、表向きじゃ貴族の統治を支持しているが、二人ともれっきとした"神の子"擁護派だ。そう言ってのけたトレイズに、ルナセオは目を丸くした。ということは、今の神護隊の評判がどん底なのも、すべて計算のうちということ。

 大人って、汚い。


 「神の子擁護派…俺たちは"蹄連合"って呼んでるんだが…連中は秘密裏で各都市に枝を広げて、協力者を募ってる。俺は各地をふらふらしながら、協力者を集めて、ラトメにある本部に通達するのが仕事。だからそれ以外は、ただの旅人だ」

「ああ、あいつも蹄連合の一人だ。あいつは潔癖だし、平和が好きなのさ」

そう言って左の肩をさするトレイズ。ルナセオは、ラゼの遺したチャクラムを握り締めることしかできなかった。

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