act.2 謎の能力
残酷描写があります。苦手な方はご注意ください。
「セオ!」
弾かれたようにラゼが声を上げた。ぱっとルナセオのところにやってきて、その胸倉を掴み上げた。
「何を聞いたの?」
「な、な、なにって」
「あれ、ラゼ?なにお前。役員のくせに夜遊び?」
グレーシャが寄ってきた。ラゼは顔をしかめた。きつく握っていたルナセオのシャツをぐっと寄せると、彼女は耳元で囁いた。本来ならドキリとする場面だが、彼女の金色の目がどこか不気味で、ルナセオには意図せず鳥肌が立った。
「明日の3限、無人廃墟の館前に来て。絶対よ」
そうしてぐっと金色の瞳でルナセオを射抜いて、ラゼはルナセオを突き放した。元の路地へと駆けて行き呼び止める暇もない。しかも、あの男もすでにいなかった。
呆然と立ち尽くしていると、追いついてきたグレーシャが、路地とルナセオを見比べた。
「何なんだ?あいつ」
「さあ…」
けれど、ちらと見えてしまったのだ。いつもラゼがなでつけている髪の奥。その左耳が、まるで血でも浴びたかのように、真っ赤に染まっているのを。
◆
次の日の約束の時間。なぜだかラゼは来なかった。
もとより律儀で、待ち合わせに遅れたという話も聞かないラゼだから、こういうこともあるもんかと、古い廃屋の塀に寄りかかってラゼを待っていたが、遅刻も半刻を過ぎると、いくら気の長いルナセオといえど限界だった。
からかわれたのだ。そうに違いない。
「なんだよ!」
声を荒げてルナセオはその場を去った。きっと今頃ラゼは、学園内でルナセオの憤るさまを想像してほくそ笑んでいるのだろう。そう考えると無性にいらついた。
「ラゼのやつ、むかつく!人前ではいい人ぶりやがって!」
肩を怒らせて路地を突き進み、大通りに出る。まだ放課後になっていないからか、この通りも無人だった。レクセには大人も住んでいるはずなのに珍しいこともあるもんだ。そうだ、よくよく考えれば、あのガリ勉女が授業をさぼるわけがない!
そこまで思ったときだった。前方から金髪の少女が走ってきた。
「セオ!」
「ラゼ!」
なんだ、もしかしてルナセオの慌てふためく姿をどこかで見物していたのか。疑心暗鬼になりながら口を尖らせて、なにやら焦ってこちらに向かってくるラゼを迎えた。
「人を待たせといて、何やってるんだよ、お前…」
「そんなことはどうでもいいの!」
どうでもいいだって!?ルナセオは地団太を踏んだ。
「なんだよその態度は…ッと!?」
「いいから来て!」
ラゼはルナセオの腕をしっかと掴んで、無人の大通りを学園向けて全力疾走した。ルナセオは引きずられそうになった。
「なんだよ!」
「…数が多いわ」
ちらと背後を盗み見て、ラゼは舌打ちした。制服のベストの裏をごそごそやって、なにやら刃のついた武器のようなものを取り出した。武術の授業で見たことがある、収納型のチャクラムだ。それは四枚の刃がついた物騒な投擲武器だ。…当然の話だが、学園では自分用の武器の所持は禁止である。
「なんてモン持ってんだよ!」
「いいからセオは黙ってて!」
優等生のラゼはチャクラムを一閃して刃を広げた。それを迷うことなく背後に投げる。…チャクラムが左のこめかみ近くをすり抜けていく際、ルナセオの自慢である髪が数本散った。
「なに…」
すんだよ、と怒鳴ろうとした矢先、背後でなにかが倒れた大きな音が聞こえた。同時に、うめき声のようなものも。
「…え?」
振り返る。今さっきまで大通りは人ひとりどころか、猫いっぴきいなかったはずだ。それなのに。
五人、六人、もしかするとそれより多いかも。皆一様に真っ黒なマントのフードを目深に被っている。手にしている筒のようなものもまた黒かった。ラゼはそのうちの一人にチャクラムを投げたらしい。黒ずくめがひとつ地面にうずくまって小刻みに震えていた。
ラゼが立ち止まった。見ると前方にも、同じ出で立ちの人間が数人立っていた。ラゼは舞い戻ってきたチャクラムを回収し、抜け目なくマントたちを見据えていた。
「な、な、なんなんだよっ、こいつらは!」
ルナセオが叫んだ。
とにかく危険だと言うことは分かる。この明るく暖かな昼下がり、こんな黒マント集団が自分達を囲んでるだけで不自然だし、お世辞にも彼らはルナセオとラゼに世間話をしにきたようには見えなかった。
「"巫子狩り"…」
ラゼが吐き捨てるように言った。
「なんの用?あんた達に"印"は渡さないわよ!」
え?思わず声が漏れた。巫子狩り?印?一体なんのことだ?疑問に思う中で、ルナセオはピンと来るものがあった。昨夜見た、ラゼの左耳だ!
まさか。
「セオ、巻き込んじゃってごめんね」
ぎゅっとチャクラムの柄を握り締めるラゼ。
「でも、セオのことはちゃんと学園に帰すから」
そしてラゼは左の金髪を無造作に耳にかけた。現れた彼女の左耳には、血みたいな赤が塗りたくられていた。見間違いじゃない。昨晩と同じ色だった。
「"封印を…」
歌うように紡がれるラゼの呪文。なぜだろう、無性に、嫌な予感がした。
「……解除します"」
ぞわり、全身の毛が逆立つような心地だった。"巫子狩り"と呼ばれたマントたちは、警戒心もあらわに手にした筒の先っぽをラゼに向けた。ルナセオは途端に足に力が入らなくなってその場にしりもちをついた。見ると、制服ごしにでも分かるほど震えていた。
恐怖だ。こわい。目の前の少女が、たった、たった一言、台詞を吐いただけなのに。
「……ふふっ」
ラゼが笑った。いや、まず、あれは本当に『ラゼ』なのか?
金髪の少女はくるりとチャクラムを振り回して、踊るようにその場でターンした。
「ふふ、うふふ…うふふふはははははッ!」
狂ったように笑う少女。楽しそうに金髪が跳ねた。革靴のかかとを鳴らして、スカートを舞い上がらせて、首にかけたネックレスを陽光にきらと反射させて…そう思った直後、少女の姿はルナセオの目の前から掻き消えていた。
「!?」
「ぐああァッ!!」
ルナセオが目を丸くするのと、マント集団の最前列にいた一人が地面に崩れ落ちるのとはほぼ同時だった。悲鳴を上げた"巫子狩り"の背にはチャクラムの刃が深々と刺さっている。いつの間に移動したのだろう。少女は突き立てた刃を造作もなく抜き取ると、自身の頬についた返り血を「れろ」と舐めて、口端を上げた。
「ああ…懐かしいわ、またこうして素敵な色が見られるなんて」
酔ったように恍惚とした口調。ルナセオは背筋が粟立つのをどうすることもできずにいた。
「なにッ!?」
「貴様、いつの間に…!?」
"巫子狩り"たちはいっせいにラゼと距離を置こうとしたが、
遅かった。
ザンッ、巫子狩りの首がごとごとと、音を立てて落ちていく。一拍あとで、置いてけぼりにされた身体も倒れた。
一瞬だった。一瞬で、十数人いた人間が死んだ。ルナセオは足元に転がってきた生首を見てしまった。黒い千切れたフードの置くで恐怖にすくむ表情…きっと、今のルナセオも同じ目をしているに違いない。
「みっ、みみ、巫子があッ!」
"巫子狩り"の中でもひときわ小柄な体躯の、声から察するに少年が、ラゼに向かっていった。筒をラゼに向けて、指にかけた金具を引いた。
だんっ!
大きな音。ラゼの肩にぱっと紅が咲いた。なにかの飛び道具らしいが、ラゼは表情ひとつ変えなかった。
「……くす」
ただ、微笑んだ、だけだ。
もうやめてくれ、ルナセオは祈る気持ちでつぶやいた。目の前で知り合いが虐殺なんてしている姿、なんて。悪夢ならはやく覚めてくれ。そうすれば今もきっと、自分は無人廃墟の館でラゼを待っているはずだから。
ラゼが血にまみれた地面を蹴った。にいと笑んだまま、筒を持つ少年へと刃を向けた。やめろ、やめろ、やめろ…!
「やめろよ、ラゼ!!!」
ぴたり、その刃は唐突に少年の首筋で止まった。人形の糸が切れたかのように少年は座り込んだ。先ほどのルナセオと同じだった。
ラゼは目をぱちくりさせた。ぱりん、どこかで硝子細工が壊れた音がしたと思ったら、気づけばラゼの左耳は肌色に戻っていた。
「え…?」
愕然としたラゼの声。そこに狂気はない。いつもと同じ、柔らかな少女の声だった。
ラゼが顔をルナセオに向けた。あっけにとられた、そう形容するに相応しい表情だ。あまりにも突然動きを止めるものだから、叫んだルナセオですら目を丸くしてラゼを見た。
二人は互いを見詰め合った。一瞬だけ、時間が止まったように思えた。…けれど、それも一瞬だけ。
「……っ!!」
だんっ!
爆発音が、再びレクセディアの穏やかな晴れの日に高く響いた。ラゼの身体が弓なりにのけぞった。きょとんとした表情のまま、口から鮮血を吐き出した。豊かな金髪が、引力に逆らって舞い上がった。ラゼが油断した一瞬、巫子狩りが引き金を引くのも、またラゼが倒れるのも、ルナセオは止めることができなかった。
頭が、真っ白になった。
その白い世界の中で、厳しい女性の声が、静かに響いた。殺してやりたいか?彼女はそう尋ねた。あの少年を殺してやりたいか?ルナセオは言っている意味がよく分からなかった。けれどじんわりと理解する。あの腰を抜かした少年の"巫子狩り"が、ラゼを殺したのだと。
そうだ、殺してやろう。くすくす女性が笑う。それは甘美な囁きに聞こえた。
(友人を殺した人間を捨て置いてはならない)
それはルナセオの声か、それとも女性の声か。どこからか伸びた白い手。ルナセオに助けを与えるような自愛に満ちた光だった。迷いはしない。とにかくあの少年を傷つけたかった。
駆け出して、ラゼが取り落としたチャクラムを拾い上げて、巫子狩りに振り上げた…そのあと、ルナセオの記憶はぶつりと途切れた。