act.9 ネルとルナセオ(ネル・ルナセオ共通)
ルナセオ編act.9と同内容になります。
二人は、互いを見て息を詰めた。
出会ったことも、見かけたことすらないはずなのに、二人の姿は視界の中でぴったりと馴染んだ。まるで遠い昔の友人にでも出会ったかのような…ネルとルナセオは、この世界ふたりきりになったみたいに、神聖な塔の中で、一歩たりとも動けなくなった。
「おいおい」
トレイズが声を上げ、ルナセオはびくりと我に返った。
「こんなときに継承するなんて、間の悪いやつだな」
ルナセオは素直には頷けなかった。彼自身、印をその身に宿したのは切羽詰った状況で、お世辞にも間がよかったとは言えない。それどころか、あの出来事さえなければ、死ぬ必要のない人間が死んだのだから。
チャクラムをぐっと握り締めると、レインがネルを立たせて、こちらに歩み寄ってきた。ネルの紅い髪は、ほの暗い神殿の中で月明かりに照らされて光っている。
「あの…」
か細い声でネルは尋ねた。「あの、あなたたちは?」
「ネル、こちらトレイズさんと、ルナセオ様だ。お二方、彼女はネル。舞宿塔の前にいたのを保護したんです」
「そう!そうだ、ねえ、私の友達は?」
レインは厳しい表情で首を横に振った。あの暴動、いや虐殺は、理不尽に無差別に人が倒れて、冷静に考えれば人探しなどできようはずもなかった。まして、あの転がったかたまりの中に、ネルの友人がいないという保障もない。ネルは青ざめて俯いた。吐き捨てるようにつぶやく。
「どうして?あいつらが探してたのは、"ファナティライストの高等祭司"、なんでしょ?他の人たちはなんの関係もないのに」
「そういう看板を立てて、実際は単に血に飢えてるのさ、奴等はな。とにかく、えーと、ネル?お前はどうしてラトメに?見たとこ、その服はインテレディアのものみたいだが」
トレイズがやんわりと問いかけると、ネルは伺うように彼と、それからルナセオを見上げた。警戒した様子で二人を見比べ、最後にもう一度だけルナセオを見て、ネルは言葉少なに紡いだ。
「人探しをしてたの。幼馴染と、そのお父さん。神護隊のやつらに連れ去られて、それから、行方不明になったって聞いてて」
「神護隊に連れ去られた、親子?」
「えっと、幼馴染とは、会えたんだけど…クレッセ、ちゃんと逃げられたのかな…」
「クレッセだって!?」
思わずルナセオが裏返った声を上げた。びっくりしたネルと再び目が合う。
「クレッセを、知ってるの?」
「知ってるもなにも、さっきまで一緒だったんだ。ラファさんに連れられてどこかへ行ったけど」
「クレッセは、ちゃんと逃げられたの?ラファも無事なの?」
「ちょっと待て、お前ら」
二人が息巻いて互いに詰め寄ったその時、トレイズがこめかみに手を当てて制した。レインもまた、口元を引きつらせている。
「整理させてくれ。アー、お前、ネル、クレッセとはどういう関係?」
「幼馴染よ、同じ村で育ったの」
「…なるほど、レフィルが探しに行った名もなき村の奴か」
「レフィルって?」
ルナセオが問うと、トレイズはその場に腰を下ろした。
「まあ、焦るな。どうやら奴さん、俺たちの旅に関係があるお嬢さんらしいぜ」
◆
いくつか手近な燭台に灯をともして、ようやく一同が腰を落ち着けると、トレイズが口火を切った。
「まずは改めて自己紹介だ。俺の名前はトレイズ。元・ラトメ神護隊長で、"蹄連合"のひとりだ。最近、ラトメで保護していたクレッセが行方不明になったというから、俺は連合のレフィルってヤツと手分けして探してたんだ」
早速ルナセオが口を挟んだ。
「ラトメで保護ってどういうこと?クレッセはファナティライストの高等祭司の服を着てたよ」
「エルミさん…えっと、蹄連合の人が言ってたけど、クレッセをわざとラトメから逃がして、ラファに保護されたって。クレッセはラファの守護がないと、自我が保てないって」
「エルミって、俺たちが会いに来た人だよな」
「なるほど、エルミならやりそうなことです。彼女とラファ様は懇意にしていますから、協力してクレッセ一人ラトメから出すことくらいわけないことでしょう。クレッセが行方不明になる直前、彼の精神状態は我々の手に余るものだった」
レインが口元に手を当てて言った。ネルが目をぱちくりして彼を見上げると、レインはちょっぴり悪戯っぽくウインクした。「…私も蹄連合の一人なんだ。見つかったのが私でよかったな、ネル?」
ルナセオは釈然とせずに腕を組んだ。
「精神状態ってなに?確かにちょっと大人っぽいヤツだなとは思ったけど」
「昼間はすごく子供っぽいの。見た目どおりの年にしか見えないんだよ、本当はもう16歳なのに」
「16歳!?」
どおりで大人びた少年だと思った。彼の穏やかな性格が、16歳ゆえのものだといわれれば納得だが、しかし見た目は十歳前後にしか見えないのに。
すると、ルナセオとレインの間で、トレイズが自嘲的に笑った。
「くそ、またラファかよ。あいつの性根はとことん腐っちまったみたいだな」
「トレイズさんはラファのこと、知ってるの?」
トレイズにとってラファの話題が鬼門だということは、先ほどラファに出会ったときの一件でルナセオには痛いほど分かっていたが、彼らの関係が気になるのでルナセオは口をつぐんでいた。レインは一人事情を知っているようで居心地悪そうに視線を彷徨わせたが、興味津々な子供二人を止める気はないらしい。やがてトレイズは盛大に溜息をついた。
「ラファと俺は、二十五年前に出会ったんだ」
忌むような声音だった。
「あの頃のアイツは、ちょっと疑り深くて、だけどその辺にいそうな普通の学生だった。レクセディアにある幽霊屋敷で俺たちは出会った。あいつは巫子の"赤い印"を継承したばかりで、めちゃめちゃ怯えた顔で俺を見てた」
ラファが巫子だったという事実にネルは目を見開いた。それに気付いたトレイズは、口端を無理矢理に引き上げた。
「ラファだけじゃない、俺も巫子だった。俺たちは巫子の役目を果たすために、一緒に旅に出た。それなりに仲良くやってたと思うし、まあ…あいつはたまに馬鹿をやったから、俺もわりと気にかけてたところもある」
「ラファ様にとってトレイズさんは兄のような存在だったんでしょうね、随分懐いていたのを覚えていますよ」
レインがくすりと口ひげの奥で笑ったが、トレイズはますます機嫌を損ねるばかりだった。
「あいつが変わったのは、旅ももう終わるかって頃の話だ。突然行方不明になっちまって、戻ってきたときのあいつは別人みたいだった。第九の巫子にいきなり同情したかと思えば、やつを殺せないって言い出した。信じられるか?あいつは、ラファは第九の巫子に両親を殺されてるんだぞ?」
ネルとルナセオは一瞬息を止めた。あの飄々としたラファにそんな過去があることなど、予想だにしていなかったのだ。
トレイズは息をついた。
「印が消えて何年も経ってから、俺たちは再会した。その頃もまだ、あいつは第九の巫子を何が何でも守るって、そればっかりで。俺たちは相当派手に争って、で、最終的にはもう勝手にしろってさ。あいつはファナティライストへ、俺はラトメへ。…俺にはラファの考えていることは分からないし、分かりたくもない。第九の巫子だけが一概に悪いとは言わないぜ。でも、連中が良いやつだとは到底思えない」
「でも、クレッセは悪い子じゃない、でしょ?」
挑戦的な瞳をまっすぐに向けて、ネルは言い放った。
「クレッセは優しいよ。いつだって私達のこと考えてくれる。第九の巫子は世界を破滅に導くんでしょ?でも、最初に私達の世界を壊したのはそっちだもの。ラトメに無理矢理連れて行って、お父さん傷つけられて…私も、デクレも、クレッセも、みんなみんな、バラバラになっちゃった。なんだかよくわからない馬鹿みたいな争いのせいで!」
「ああそうさ、第九の巫子は優しい。底抜けの優しさだ!でもな、優しいやつだからといって、必ずしもその優しさが世界のためになるとは限らない。クレッセの幼馴染だったな、どんなにお前がクレッセを思ったところで、行き着く果てが世界の破滅なら、大勢が大迷惑するのさ。第九の巫子がかわいそうだから、世界は破滅してもいいっていうのか?…俺はラファの考えが理解できないのさ」
ぐっと長さの足りない左の二の腕の先っぽをさすりながら、トレイズは吐き捨てた。ルナセオは黙りこくって、二人の口論を頭の中で咀嚼していたが、やがてゆっくりと伸びた前髪に指を通して、視線を上げて神妙に問うた。
「…第九の巫子?」
口に出して言うと、そのことばは途端に現実味を帯びてルナセオの中で響いた。
「クレッセが、第九の巫子なのか?」
その単語は、繰り返すたびに重みを伴って肩にのしかかってくる。無意識に左耳に手が伸びた。次第に表情を硬くしていくルナセオに、ネルは眉をひそめた。
「トレイズさんのことは分かったけど…えっと、ルナセオ?君も蹄連合の人なの?」
そしてネルはちらとレインを見た。「様」付けで呼ばれていたくらいだから、もしかしたらどこかの尊い人なのかもしれない。ルナセオはふらりと視線を彷徨わせたが、あちこち見た後で最後にネルの真っ赤な髪に目を留めて、観念したように言った。
「俺はレクセの学生なんだ。ルイシルヴァ学園の五回生。普通の学生で、蹄連合とかは関係ないんだけど、えーと…俺も、巫子なんだ」
舞い上がった黄土色の髪の奥で、血色の左耳があらわになった。ネルの染まった髪と、ちょうど同じ色だ。
ネルは眉尻を下げて俯いた。
「…私、巫子になったのかな」
「印が現れたのならそうなんだろう。お前は"手を取った"んだろう、ネル?」
冷静を努めてトレイズが出来るだけ優しい声音で問うと、ネルはゆるゆると首を横に振った。
「あのね、よくわからないの。デクレを助けてって考えたらね、あそこの…十字架の裏にあるステンドグラスから、女の子の声が聞こえたの。友達を受け取ってとか、言ってたと思う。それでね、あのガラスの紅い花に触ったら、気がついたら…こんな風になってたの」
「俺、そんな感じじゃなかったけどな」
ルナセオは怪訝に首をかしげた。
「俺は頭の中が真っ白になったと思ったら、声と一緒に手が伸びてきたんだ」
「なにか別の継承の形があるのかもしれないな。ただ、俺たちが塔に来たときの光は継承の時に出るものなのは間違いない」
そうして言葉を切ると、しばらく皆ぐっと黙り込んだ。いろいろなことがいっぺんに起こりすぎて、頭の中でぐるぐると渦を巻いていた。
沈黙を破ったのはルナセオだった。不安げな表情で、震える声をどうにかこうにか絞り出した。
「巫子ってなんなんだ?俺、学校では、赤の巫子は世界を救ってくれるありがたい存在なんだって習った。でも、本当は違うんだろ?シェイルでは襲われたし、第九の巫子を殺さなきゃならないとか言うし、なあ、教えてくれよ。俺たちは何をすればいいんだ?」
「そのお話、私達も混ぜていただいても構いませんか?」
トレイズが重たい口を開こうとしたが、漏れでた言葉は神宿塔の扉が開かれる音にかき消されてしまった。一同が息を呑んで立ち上がりかけたのを、彼女は手でやんわりと制して穏やかに微笑んだ。その脇を一人の女性…マユキがすりぬけてきた。
「セオ君!…まあ、ネルも一緒だったのね」
「マユキ様、無事を祝うにはまだ早いようですよ」
銀髪の女性は振り返り、扉の外にいる誰かを中に入るように促した。すると、深い青色のマントを着た二人組がするりと塔の中に入ってきた。
背の高いほうがフードを取り払う。女性と同じ銀髪を、うしろでひとくくりにした男声だ。女性の血縁者なのか、性別こそ違えど、顔のパーツはよく似ている。彼は膝をついて、小柄なもう一人のフードを下げてやっていた。
淡い金髪がひょっこりと現れ、その隙間から、人間ではありえない長くてとがった耳が、ぴんと伸び出た。