愛はお金で買えるのよ?~遺産相続で公爵家の当主になった令嬢、顔だけ夫に溺愛されます~
世の中、不本意すぎる。
ふりまく愛想笑いが強張り始めた頃、リリアーナ・アシュフォードは人気の少ない壁際にさりげなく逃げ出した。
成人したら、貯めたお金を持って家を出るつもりだった。両親はすでに亡く、跡取りで保護者だった兄も失踪した。――ごめん、もう無理だ。それだけを残して。
ひとり残されて茫然としたリリアーナはすぐさま気持ちを切り替えた。いつまでも嘆いていても生きて行けない。兄が失踪したことを理由に子爵位を返上し、借金もわずかに残った資産から清算して。身軽になったところで、あとは平民として暮らすだけとなった。
貴族ではなくなるのだ。淑女でいる必要などない。好きな仕事をして、好きな時間に起きて、好きなものを食べる。
そんな、ささやかだけれど最高に自由で新しい人生を送るはずだった。
――なのに。
どういうわけか、彼女の手元に転がり込んできたのは、自由ではなく公爵家の爵位と莫大な財産だった。なんでも、遠縁にあたる公爵家の当主が亡くなったそうだ。そこで継承者を辿っていったところ、なんと最後に残ったのがリリアーナだった。
その事実を王城の事務官に知らされて、リリアーナの意識は盛大にぶっ飛んだ。まだ、行方不明の兄の遺体が見つかったという連絡の方が心臓に優しかった。
「何かの間違いでは?」
声を絞り出して事務官に尋ねたが、彼は無情にも一言「継承権は法で決まっておりますので」と告げた。
それでも信じられず、茫然としている間に手続きが終わり、あっという間にリリアーナは公爵当主となった。どこからも反対が上がらなかったのは、それだけ直系の血筋が生き残っていなかったのである。あの時ほど、兄が出奔したのを恨んだことはない。
おかげで今夜も、笑顔の貴族たちに囲まれている。どいつもこいつも、奇妙なお面をかぶった変な人間にしか見えない。
「大変お美しい……どうか私の手を取っていただけませんか」
そんな歯の浮くようなお世辞を口にしながら、平凡を絵にしたような容姿にうっとりとして見せる。
(すごい、貴族の演技力、半端ない……!)
リリアーナは顔を引きつらせた。確かに公爵当主としてふさわしい豪華な装いはしている。だからといって、元は変わらないのだ。
重苦しいほどまっすぐな黒髪で、さらに黒目がち。瞬きも少ないため、近所のクソガキたちからは「呪いの人形みたいだ」と揶揄われてきた。
どこかの詩集から引用してきた美辞麗句を口にする彼らが見ているのはリリアーナではない。彼女の背後にある財産だ。政治も知らぬ小娘を傀儡にしようと虎視眈々と狙っている。呪いの人形相手でも、うっとりした顔ができるわけだ。
だから逃げた、壁際へと。誰かに話しかけられる前に直角に曲がり、できるだけ人の少ないところへ。
ようやく誰もいない場所に抜け出せて、ほっと力を抜いたその矢先だった。
「ああ、ごめん。先客がいたか」
同じように逃げてきたらしい青年と目が合った。
「いえいえ、あなたも逃げてきたの?」
「……分かる?」
「分かるわ。私も逃げてきたもの」
青年は一瞬きょとんとして、それから苦笑した。
「じゃあ、ここにいてもいいかな」
「もちろん。ここは逃亡者同士、仲良くしましょう」
「ありがとう。僕はクラウス・グレンヴィル。今、一応、伯爵当主だ」
「……今、一応?」
「父と兄たちが立て続けに亡くなってね。予定では、僕は一生、伯爵家の三男でいるはずだったんだけど、気づいたら伯爵になってた」
そういってクラウスは肩をすくめた。
(驚いた、私と似た境遇の人って、いるのね。なんだか、他人とは思えない)
心の底から、親近感がこみ上げてくる。
「私も似たようなものよ。成人したら家を出て、平民として自由に暮らす予定だったの」
クラウスが遠い目をした。
「それは……ご愁傷さま。気の毒に」
「ふふ、気が合うわね。あなたもご愁傷さま」
リリアーナも遠い目を返す。
今夜、初めてだった。自分の不幸を説明せずとも、理解してくれる人に出会ったのは。
だから二人はお互いを見つめ合うと、ほんの少しだけ笑った。
「君の悩みは何だろうか?」
「……そうね、一番の問題は遺産狙いのハニートラップがひどいところ。あなたは?」
軽く悩みを打ち明ければ、クラウスは困ったようにため息をついた。
「僕は借金と身の危険かな。ほら、見ての通り僕、顔だけは無駄にいいんだ。そのせいで、お金を払うから愛人になってくれなんて話がひっきりなしに来るんだ」
「たしかにすごい美形ね。こうして普通に話せているのが驚くぐらい美しいわ」
まじまじとリリアーナはクラウスを観察した。
整った顔立ちに明るい金髪。青い目はばさばさする睫毛に縁取られている。眉を寄せても色気しかない。しかも背が高く、体つきもしっかりしている。
「――いい体、している」
「面白いね、そこを見るんだ? 借金返済で肉体労働をしていたから、筋肉はそこそこ付いているんだ」
「そう、苦労していたのね。でも、その顔で平民と混ざって仕事して、大丈夫だったの? 不埒な男どもが放っておかなそう」
「対策はばっちりしたさ。その時は顔に醜い傷があるということで、マスクをしていた」
マスク、と聞いて納得した。それならば遠巻きにされるだろう。
「……お金、まだ大変なの?」
「そうだね。とりあえず何もかも放り出して逃亡したくなるぐらいには。君は? ハニートラップはどのぐらい深刻なの?」
二人は見つめ合った。リリアーナの頭には一つのアイディアが浮かんでいた。
(どうしよう……提案してみようかしら? 嫌悪されたら、すぐにここから去ればいいし)
緊張しながら、少しだけ乾いた唇を舐める。そして、勢いよく言った。
「「あの!」」
同時に声を発したことに気付いて、二人ともお互いを見つめた。
「えっと、どうぞ、あなたから?」
「いや、君からどうぞ」
「そう? じゃあ、あの断ってもいいのよ。今ちょっと閃いただけなんだけど……どうせ政略結婚しなくちゃいけないのよ。クラウス様は伯爵家当主のまま、私と結婚しない? もちろん、借金肩代わりするわ。ついでにお小遣いもつける。不埒なマダムには手を出さないように権力をちらつかせるし、できる限り快適さを保証する。その……どうかしら?」
考えていることを伝えてみたものの、あまりのひどさに声がどんどん小さくなる。だが、クラウスは逆に目を輝かせた。
「……いいのかい? 僕も君のガードとして結婚してくれないかと提案しようかと。恩恵は僕の方が多いけど」
「そんなことはないわよ。私なんて、呪いの人形ってずっと言われているし。結婚って一生じゃない? 私と結婚することで、時間を無駄にすることは間違いないわ」
「無駄とは思わない。それに、君は可愛いよ。ストレートの黒髪は艶やかだし、感情豊かで面白い」
しばらく二人は見つめ合って、どちらかともなく噴き出した。
「ふふ、なんか気が合う。ねえ、じゃあ、明日、気が変わらなかったらうちに来て。ちゃんと家令には伝えておくから」
「うん、そうさせてもらうよ」
リリアーナは公爵当主になってから初めて心からの笑みを浮かべた。
リリアーナが公爵家当主になったことで、一番変わったのは仕事の量だった。
もともと、子爵家の仕事は手伝っていた。とにかく兄は自由人で、いつだって家を捨てて世界を知る旅に行きたい人だった。ただ、両親が亡くなったとき、リリアーナはまだ十三歳だった。
「さすがに一人置いておくわけにはいかないからなぁ~。俺の人生、終わったと思ったよ」
それが酒が入ったときの口癖だった。リリアーナはそれを聞かされると、必ず言葉を返した。
「うん、そうだね。そのまま頑張って成人まで私の面倒見て」
リリアーナとしては兄の負担を減らそうとできる限りの仕事はした。ところが、子爵家は借金返済として、徐々に領地を削られていて、最後には屋敷しか手元には残っていなかった。
ただ、予想外だったのはリリアーナの成人直前になって逃亡されたことだ。兄の心が折れた理由は、結局わからない。わかっているのは、あと少しで成人するリリアーナに後始末の何もかも押し付けて逃げ出したことだけだった。
ついでに一度も会ったことのない公爵も許しがたい。権力を手にしているのだ。子供ぐらい、いろいろなところに作っておけといいたい。どろどろの遺産相続が発生しないなんて、おかしいだろう。
「……兄に会うことがあったら、一発殴りたい」
だん、と書類に力強く印を押しながら、呟いた。いくつもの書類をさばいていると、ノックの音がする。許可をすれば家令が入ってきた。
「リリアーナ様。お客人がいらしています」
「誰?」
「グレンヴィル伯爵様でございます」
クラウスの名前を聞いて、リリアーナは勢いよく立ち上がった。
「うそ、本当に来た!」
「……随分と美しい男性ですね。リリアーナ様は面食いでございましたか」
「クラウス様は美術品としてもいいぐらい美しいわね。でも違うわよ。うん? そうじゃないのかしら? 札束で彼の頬を殴ったようなものだから?」
思わず、昨夜のことを思い出し首をひねる。家令が困惑した顔になった。
「一体どのようなお話をされたのです?」
「借金の形に、結婚しないかって誘ってみた」
「リ、リリアーナ様っ! さすがにそれは!」
家令が真っ青になった。今にもひきつけを起こして倒れてしまいそうだ。リリアーナは顔色を悪くした家令に慌てて言い訳する。
「大丈夫、本人も提案するつもりだったって……!」
「どこが大丈夫なんですか!? え、本当にそんな結婚をするおつもりで?」
クラウスと会う前に家令といろいろ話し合うことになってしまった。
クラウスが居間に通されてから一時間。
豪華な応接室で彼はゆっくりとお茶を飲んでいた。居心地のいいソファは体を優しく包み込み、緊張を程よくほぐしてくれる。
(ああ、さすがに公爵家だ。いい茶葉を使っている。えぐみがまったくない。それに、この特徴のある香りと渋みは北の国なものだ。こんなにいいお茶を飲んだのは五年ぶりか……)
これを逃せばいつになるかわからないという危機感を抱きつつ、丁寧に味わっているうちにお茶はなくなってしまった。
「お代わりをお持ちしましょう」
控えていた使用人がそう声をかける。
「ああ、ありがとう。ところでリリアーナ様はお忙しいのだろうか?」
「今、家令との打ち合わせをしておりまして。もうしばらくお待ちくださいませ」
(では、もう二杯ぐらいお茶をお替りしても問題ないな。しかもここには纏わりつく女性もいない。いい環境だ)
ホッとしてくつろいでいると、慌ただしい足音が聞こえた。続いて忙しなくノックが響き、返事をする間もなく扉が開く。飛び込んできたのはリリアーナだった。
長い黒髪が、彼女の動きに合わせてつるりと流れた。艶のある髪がまとまりを保ったまま、重みを持って揺れる。その美しさに、クラウスはほんのわずかだけ目を奪われた。
「クラウス様、お待たせしました! これ、契約書です。内容確認して、サインをしてください」
「ごきげんよう、リリアーナ様。このお茶を飲んだ後でいいですか?」
にこりと微笑むと、リリアーナはクラウスを見てから、彼の持つカップを見た。
「お菓子もあるわよ? よく合うのよ。食べる?」
「いただきます。リリアーナ様も一緒にどうです?」
「……そうね、用意してちょうだい」
リリアーナは小さく頷くと、侍女にお願いして向かいの席に座った。侍女は表情も変えずに、クラウスにお代わりを用意し、リリアーナには新しく淹れる。そして、焼き菓子が置かれた。
「ああ、これはもしかして中央通りにあるパティスリーの焼き菓子?」
「よく知っているわね。美味しいわよ。並ばずに買えるようになったことが、公爵になって一番よかったことだわ」
少し自慢げに話せば、クラウスは目を丸くした。
「すごいね。そんな買い物の仕方、想像もできないよ」
「私もこの家を継承する前は貧乏子爵家の娘だったから、その感覚わかるわ。でもクラウス様もすぐに慣れるわよ。特権って、慣れるのも早いから恐ろしいわ」
リリアーナはほうっと息を吐いた。
「――本当に僕でいいのか?」
「それは私が聞きたいわ。私でいいの?」
二人で問いかけあい、最後には笑った。
クラウスはじっくりと契約書を読んだあと、ためらうことなくサインをした。
「では、今日からよろしく。奥さん」
「ええ、こちらこそ。旦那様」
庶民のような掛け合いに、クラウスは満面の笑みを浮かべた。
クラウスと結婚して三か月。
式は挙げなかったが、すぐに届け出は出した。本来、公爵当主の結婚ともなれば、こんなに早く届け出が受理されることはない。
だが、公爵家の継承時に世話になった文官を通したため、あっさりと受領された。
そもそも、さっさと結婚して跡取りをたくさん作ってください、というとてつもなく腹が立って、とてつもなく理解できてしまう事情を押し付けられていたのだから、このぐらいの融通は利かせてもらわないと困る。
クラウスを伴い、リリアーナは精力的に茶会や夜会へ繰り出した。クラウスがリリアーナの夫になったという宣伝である。それを知った貴族夫人たちの忌々しそうな目を思い出し、リリアーナは愉快になっていた。
「リリアーナ、すごく楽しそうだね。何かいいことあった?」
「ええ。クラウスを狙っていたマダムたちの悔しそうに歪む顔がおかしくって……!」
自分でも性格が悪いと思っているが、それでも隠しようもない愉悦である。高笑いしないように、扇子で口元を隠しつつ笑った。
「その気持ちわかるな。君をエスコートしていると、独身貴族たちから殺気が飛んでくるからね。ちょっと微笑んでみせたら、彼らは顔を引きつらせていたよ」
クラウスも自分に向けられている悪意のある眼差しを敏感に感じていた。リリアーナは女性たちの目だけを拾っていたのでそこには気付いていなかった。
「あら、クラウスも牽制してくれたのね」
「もちろんだよ」
そう言って、彼はリリアーナの腰を引き寄せた。いつも以上に近い位置に、リリアーナは瞬いた。
「無理していない? 人目があるからと我慢することはないのよ?」
「ちっとも。君がそばにいると守られていると思えて安心する」
「ふふ、それならよかったわ」
リリアーナは穏やかな表情の彼に、ほんの少しだけ寄りかかった。
「うん、悪くないわ。さあ、残りの社交をして帰りましょうか」
リリアーナはクラウスに体を寄せたまま、歩き始めた。だが数歩ですぐに足が止まる。
「アシュフォード女公爵、君は騙されている! そんな貧乏で顔だけの伯爵と婚姻を結ぶなど、断じてあってはならない!」
「……誰?」
リリアーナは不愉快そうに眉を寄せた。クラウスはわざとらしくため息を吐く。
「確かに僕が貧乏な伯爵は間違いないが……騙しているとは聞き捨てならないな」
「そうだ、認めたな! そもそもこの男は借金で首が回らず……」
「返したわよ」
男が言い終わる前にリリアーナがあっさりと告げた。男は呆気に取られて目を見開く。
「は?」
「だから。借金返済とお小遣いが契約だったし。そうじゃないと、彼、手に入らなかったんですもの」
あっけらかんと内情を説明したことで、会場がざわついた。特に女性たちの囀りがひどい。クラウスは力強くリリアーナを抱きしめた。
「うん、ありがとう。僕をあの地獄から救ってくれて」
「私もあなたが良かったから。お互い様ね」
「ちょっと待て! そんな倫理観のない――」
「どうして?」
リリアーナは強い口調で男を遮り、まっすぐに見つめた。男が息をのむ。
「女公爵たるもの、そのような価値観では」
「だから、どうして? あなたには関係ないでしょう? 私が条件を提示して、クラウスが頷いた。彼はそれを嫌とは思っていないし、私も彼と一緒にいて心地よい。他に何が必要なの?」
その問いかけに、誰も答えることはできなかった。クラウスはリリアーナの両手を持ち上げると、ちゅっとキスを落とす。
「嬉しいな。僕もリリアーナが好きだよ」
「――今、そういう話だった?」
リリアーナが面食らって目を丸くした。
「うん。熱烈な告白だった」
「……そう」
リリアーナの頬がほんのわずかに赤く染まった。クラウスはそれを見て、目を細めた。
「じゃあ、帰ろうか。今日はもう社交は無理そうだ」
「あら、私とあなたが夫婦になって仲がいいってことが伝わったのだから、十分、目的を果たしたわ」
二人はふふふ、と笑いあうとそのまま会場を後にした。
クラウスに髪を遊ばれ、リリアーナはため息をついた。
「もう、クラウスったら私の髪が好きすぎる」
「だって綺麗じゃないか。重みがあって、なめらかで。いつまでも触っていたい」
「――変わっているわね。こんな重くて鬱陶しい髪を触りたいだなんて」
リリアーナは呆れつつも、彼の手を止めることはなかった。そのまま夫の体に体を預ける。
「初めて会った時から触ってみたいと思っていたよ」
「まあ、変な趣味」
くすくすと笑うと、手を伸ばし、クラウスの髪を引っ張る。
「こっちの髪の方が綺麗だわ。この子はあなたに似てほしいわね」
「そう? 僕はどっちでもいいけど――君に似た女の子だったら嫁に行かせられないかな」
クラウスは髪を触るのをやめて、そっとリリアーナの膨れたお腹に手を置いた。優しい手つきで撫でながら呟く。
「今から過保護すぎよ。それに、私に似ていたら、心配しなくてもすぐに結婚なんて決まらないわ」
「心配しかないじゃないか」
これからのことに思いをはせながら、二人は幸せに笑いあった。
Fin.




