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ベストフレンズ  作者: 菊池まりな


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第92話 日常への帰り道

 河川敷からの帰り道、二人は言葉少なに、夜の住宅街を並んで歩いた。特別なことは何も話さなかったが、その沈黙は、以前とは違う質感を持っていた。


「お腹すいた」


紗奈がぽつりと言うと、悠真が笑った。


「あんだけ泣いたあとに、それ?」


「泣くと、お腹すくの。知らなかった?」


「知らない」


 二人は近くのラーメン屋に寄り、他愛のない話をしながら遅い夕食を取った。悠真の展示の話、紗奈のゼミの課題の話。特別なことは何もない、ただの日常の会話だった。


(これでいいんだ)


 紗奈は割り箸を割りながら、そう思った。大きな告白のあとに、劇的な何かが続く必要はない。むしろ、こうしてラーメンを啜りながら笑い合えることの方が、二人にとっては大切だった。



 その週末、紗奈は実家に電話をかけた。


「お母さん、河川敷で、悠真にちゃんと話せた」


「……そう」


 母はしばらく黙っていた。


「あの夏のこと、話したの?」


「うん。全部、じゃないけど。……言いたかったこと、言えた」


「そう」


 母の声は静かだったが、その静けさの中に、深い安堵が滲んでいた。


「紗奈がそうやって、ちゃんと言葉にできるようになったこと。お母さん、本当に嬉しい」


「うん」


「悠真くんにも、今度会ったらお礼言わないとね」


「お礼?」


「ずっと隣にいてくれたことへの、お礼」


 紗奈は電話を握りしめながら、小さく頷いた。母には見えないと分かっていても、頷かずにはいられなかった。



 翌週、恒一と玲奈にも、それとなく報告した。四人のグループチャットに、紗奈が短いメッセージを送った。


〈河川敷で、悠真とちゃんと話せた。ずっと言えなかったこと、言えた〉


 すぐに恒一から返信が来た。


〈おう。よかったな〉


 シンプルな一言だったが、その裏にある恒一なりの気遣いを、紗奈は感じ取った。


 玲奈からも、少し遅れてメッセージが届いた。


〈紗奈が言えたこと、すごく嬉しい。私も、いつか自分の弱いところ、ちゃんと言葉にできるようになりたい〉


 紗奈は少し驚いた。玲奈がそんな風に、自分の弱さについて考えていたことに。


〈玲奈も、いつでも聞くよ〉


〈ありがとう。……紗奈が、私にそう言ってくれる日が来るとは思わなかった〉


 その一言に、紗奈は二人の関係がここまで変わったことを、改めて実感した。かつて怖れ、嫉妬し、時に敵視していた相手が、今では互いの弱さを分かち合える友人になっていた。



 九月に入り、大学は後期に向けて動き出していた。紗奈は佐伯と並んで、久しぶりに構内のベンチでお昼を食べていた。


「最近、なんか安定してるね」


 佐伯がふと言った。


「そう?」


「うん。無理してる感じもないし、かといって塞ぎ込んでる感じもない。ちょうどいい感じ」


 紗奈は少し考えてから答えた。


「悠真と、ちゃんと話せたから、かもしれない」


「河川敷の?」


「うん」


「よかったじゃん」


 佐伯はそれ以上深く聞かず、ただそう言って笑った。詮索しすぎない距離感も、紗奈にとってはありがたいものだった。



 十月、悠真の大学の文化祭に、紗奈は恒一・玲奈と共に足を運んだ。悠真の写真がまた新しく展示されていたが、今回は特別なテーマではなく、日常のスナップを集めたシンプルな展示だった。


「今回は、隣にいることとか、そういう重いテーマじゃないんだ」


 紗奈が言うと、悠真は照れくさそうに笑った。


「たまには、何も考えずに撮った写真も、見せたくなって」


 紗奈はその言葉に、悠真の中の何かが軽くなったことを感じた。重いテーマを背負い続けることだけが、誠実さの証明ではない。ただの日常も、大切にしていい。


 四人は写真を眺めながら、たわいのない話で笑い合った。特別な事件も、劇的な展開もない、ただの秋の一日だった。



 その夜、紗奈は久しぶりにノートを開いた。


 河川敷で全部を話したあと、何か大きく変わるかと思っていた。


 でも実際は、大きく変わったというより、日常が少しだけ、軽くなった。


 ラーメンを食べて、友達と笑って、母に電話して。


 特別じゃない毎日の中に、確かに変化がある。


 それでいいんだと思う。劇的な救いじゃなくても。


 ただ、隣にいる日々が、少しずつ積み重なっていくこと。


 それが、私たちの答えなのかもしれない。


 窓の外、秋の虫の声が静かに響いていた。紗奈はノートを閉じ、明日の授業の準備を始めた。


 何も特別でない、でも確かに続いていく日々が、そこにあった。


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