表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

80/83

─第4章─最終話「由比ヶ浜ケイの決断」

【由比ヶ浜ケイの受難】


ケイは、ジャージ姿で控え室のソファに深く沈み込んでいた。


その敗北に、『安堵』は微塵もない。


持ち前の記憶力と、徹底した理詰め思考によってここまで上り詰めてきた自称・日陰者の『初めての挫折』。


由比ヶ浜ケイの胸の奥には、どうしようもない感情が込み上げていた。


「…………はぁ」


ケイは大きく、長く溜め息をつき、血走った目でスマホに何かを猛烈な勢いで打ち込んでいるマネージャー・瓦の方を向いた。


「瓦さん、一つ頼みがあるの」

「……ん? どうしたの、ケイちゃん?」


スマホから顔を上げた瓦に向かって、ケイは静かに、しかし決して揺らぐことのない瞳で告げた。


「普通科からアイドル科へ転入する手続き、手伝ってくれる?」





決勝戦のステージ。


そこには、肺の空気を絞り出されるような、窒息しそうなほどの静寂があった。


神野愛理と、城ヶ崎莉杏。


言葉はひと言も交わさなかった。互いが互いを、自分と同じ『神の領域』に立つ唯一の特異点だと完全に理解している。


ただそこに在るだけで肌が粟立つ、膨大な存在感オーラの衝突。

それはまるで、灼熱の太陽と、冷たく美しい月が同時に空に見えるような、異常な雰囲気だった。



「決勝戦、先攻! 城ヶ崎莉杏ッ!!」 


アナウンスが響く。莉杏はゆらりと動き出し、ステージの光の中へと溶けていった。


開演。

その瞬間、コンサートホールから「色」が消えた。


カッ!!!!


照明が最大出力で焚かれ、ステージ上が真っ白な光に包まれる。

眩しい。目が焼けるほどに明るい。だが、観客が感じたのは「光」ではなく、底知れぬ『白い闇』だった。


流れるのは、不協和音ギリギリの旋律が幾重にも重なる、アヴァンギャルド・アンビエント。

リズム隊が消え、心臓の鼓動のような重低音だけが不規則に響く。


「───ッ」

その「白」の中で、莉杏が踊る。

重力を完全に喪失したような浮遊感。関節が在るべき場所にないかのような、軟体的で、グロテスクなまでの美しさ。

彼女が指先を動かすたびに、空間の座標が狂い、観客の視界が歪む。


囁くような、それでいて脳髄に直接響く歌声。

それは決して甘いラブソングではない。獲物を巣穴へ誘い込む、恐ろしくも美しい蜘蛛の糸だ。


明るすぎて、何も見えない。彼女の輪郭が光に溶け、自分の精神が『城ヶ崎莉杏』という巨大な虚無に飲み込まれていく感覚。


恐怖と、圧倒的な恍惚。誰もが呼吸を忘れ、瞬きすら許されない。

そこにいたのは、人の形をした何か……『美霊』そのものだった。


音が、唐突に途切れる。


光がフッと消え、暗闇の中に莉杏のシルエットだけが残った。


「…………」


彼女は最後に、ゾッとするほど美しい、女神のような笑みを浮かべていた。

拍手すら起きない。ただ、完全に圧倒された静寂だけが会場を支配していた。


決勝戦の特別ルールにより、スコアは後攻のパフォーマンス終了後に一斉公開される。だが、誰もが肌で予感していた。

『大会のハイスコアが更新された』、と。


莉杏が舞台袖へ戻ってくる。

汗ひとつかいていない涼しい顔で、出番を待つ愛理の横をすり抜ける。その時も、言葉はなかった。


入れ替わりに、神野愛理が一歩を踏み出す。

『白い闇』に塗りつぶされた会場。完全に凍りついた空気。

愛理は深く息を吸い込み、ニカッと笑った。


「よっしゃ……!」


彼女がステージに向かうその背中は、どんな深い闇も焼き払う『ビッグバン』の予兆そのものだった。


「後攻! 神野愛理ッ!!」


愛理がステージ中央に立った瞬間、莉杏が残した冷気がジワリと溶け出した。

彼女はマイクを握り、閉じていた瞳をパッと開く。


「行くよッ!!!!」


ドッパァァァァァァン!!!!


一音目から、世界が反転した。

莉杏の白い闇を、とてつもない熱量で塗り替えていく。

曲は、とてつもなく壮大で、どこまでも温かい『フルオーケストラ・ポップス』。

ブラスバンドのファンファーレが、新しい宇宙の誕生を高らかに告げる。


「――――ッ!!!」


愛理が駆け出す。その一歩一歩が、凍てついた大地に熱を灯していく。

彼女のパフォーマンスは、観客を置いてけぼりにする「支配」ではない。凍えていた観客の手を一人一人強く握りしめ、「生きろ! 歌え! 楽しめ!」と魂を直接揺さぶる『創世』のエネルギー。


──サビ。

会場のボルテージが臨界点を超える。

愛理の声が、光の奔流となって降り注ぐ。それはまさにビッグバン。


爆発的な熱狂が、会場の壁を、天井を、そしてアイドルの常識を吹き飛ばす。

莉杏の作った『白い闇』は完全に破壊され、愛理を中心とした新たな宇宙が『創世』される。


眩しい。あまりにも眩しくて、涙が出るほど温かい。

誰もが理性を失い、喉が枯れるまで彼女の名を叫んでいた。


これが、高校生最強アイドル・神野愛理。



演奏が終わり、光の余韻が漂う中、城ヶ崎莉杏がステージに戻ってきた。


美霊とビッグバン。

二人がステージ中央で並び立つ。互いに全力を出し尽くした充足感だけが、二人の間に漂っている。


会場中が固唾を飲んでメインモニターを見つめる。

審査員席の坂本雅らが、震える手で最後の入力を終えた。

ドラムロールなど鳴り響かない。そんな安い演出など不要なほどの、究極の緊張感。


ドン、と二つの数字が同時に表示された。


【先攻】 城ヶ崎 莉杏

得点:【391点】


「……ッ!!」

会場がどよめく。

準決勝の388点を超えた。莉杏は最後の最後で自らの殻を破り、自己最高記録を更新したのだ。神の領域をさらに拡張した、驚異のスコア。


そして。


【後攻】 神野 愛理

得点:【393点】


【勝者:神野 愛理】

一瞬の静寂の後、会場が割れんばかりの大歓声と拍手に包まれた。


393点。

400点満点中、ほぼ満点に近い「完全なるアイドル」の証明。

その差、わずか2点。

しかし、その2点に、太陽としての意地と、王者の絶対的な輝きが全て詰まっていた。


「…………」


莉杏はスコアを見上げ、ふっ、と短く息を吐いた。

悔しさはある。だが、それ以上に憑き物が落ちたような清々しい顔で、隣に立つ愛理へ視線を向けた。


愛理は満面の笑みで、莉杏と客席に向けて高くピースサインを掲げた。


秋の激闘『朝陽ノフォールカップ』は、こうして王者が再び玉座につく、圧巻のフィナーレで幕を閉じたのだった。

4章完結しました!

よろしければ評価をお願いします!

まだされていない方は、ブクマで続きを楽しみにしてくださると幸いです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ