─第4章─7話「西園寺ミリアの受難」
【由比ヶ浜ケイの受難】
「はぁ…………」
控え室で、西園寺ミリアは深いため息をついていた。
その視線の先にあるモニターには、382点という驚異的なハイスコアを叩き出し、あの由比ヶ浜ケイをも撃破した城ヶ崎杏樹の姿が映っていた。
(わたくしは、西園寺グループの令嬢。元有名子役にして、名門アイドルスクールを首席で卒業したエリート中のエリートですのよ……?)
彼女の経歴は確かに輝かしい。
幼い頃から芸能界で揉まれ、挫折など知らず、この朝陽ノ高校でも当然のように「1年生の星」としてチヤホヤされるはずだった。
実際、全校生徒の中から成績上位30名に選抜され、そこからさらに予選を勝ち抜いてベスト8(決勝トーナメント)に進出すること自体、1年生としては異例の「快挙」なのだ。本来なら、学校中で称賛されるべき偉業である。
だが。
あの無邪気な怪物が、全てを掻っ攫っていった。
予選1位通過。そして、冬のチャンピオンの撃破。
西園寺ミリアの実績は、その規格外の力の前に完全に霞んでしまっていた。
「……悔しいけれど、認めざるを得ませんわね」
ミリアは持っていた扇子をパチンと閉じた。
彼女には、幼少期から現場で培ってきた確かな審美眼がある。だからこそ、痛いほどに分かってしまうのだ。
さきほどの杏樹のパフォーマンスが、単なるパワーや運動神経のゴリ押しではなく、極めて高度な技術によって創り出された「芸術」であったことが。
(あんな動き、わたくしには到底不可能ですわ。………目が離せないほど美しかった)
認めるしかない、残酷なまでの実力差。
それがプライドの高いミリアには何よりも辛く、そしてまた深くため息をつかせた。
しかし、嘆いてばかりもいられない。
ミリアには、これからさらなる過酷な現実が待っている。
決勝トーナメント第2試合。対戦相手は――神野愛理。
「……予選で城ヶ崎杏樹に心を折られかけ、トーナメント初戦で神野愛理と戦うなんて。神様は西園寺ミリアに試練を与えすぎではありませんこと?」
ミリアは自嘲気味に笑った。
だが、その瞳に怯えはなかった。
杏樹に対する感情が「生物としての恐怖」だとするなら、愛理に対する感情は純粋な「畏怖と尊敬」に近い。
「勝てるなんて、ハナから思っていませんわ。でも……」
ミリアはパンッ、と両頬を叩いて気合を入れた。
最強のアイドルと、公式戦の舞台で一対一で戦える。
これはエリートである自分にとって、またとない成長の機会であり、最高の「胸の借り場所」だ。
「西園寺の名に恥じぬよう、精一杯散ってきますわ。……見てらっしゃい。わたくしだって、ただでは終わりませんことよ!」
ミリアは縦ロールの髪をファサッと払い、悲壮な覚悟と少しの希望を胸に、『最強』が待つステージへと顔を上げた。
第2試合。神野愛理と西園寺ミリアの対決。
予選上位者である愛理は、迷うことなく「先攻」を選択した。
後輩にプレッシャーをかけるためではない。「あたしのステージを見なさい」という、王者としての純粋な自負ゆえの選択だ。
「先攻、神野愛理」
愛理がステージに立つ。
照明が点灯した瞬間、体育館の季節が真夏へと変わった。
「みんなー! 最高に楽しんでいってね!!」
弾けるような笑顔とともに始まったのは、とてつもないエネルギーの奔流。
高度なアクロバットや奇抜な演出はない。ただ、歌とダンスという「基礎能力」が、神のレベルで完結しているのだ。
彼女が手を振れば、観客全員が振り返す。彼女が笑えば、世界が明るくなる。
抗いがたい、ポジティブな強制力。
それは「上手い」という次元を超えた、見る者すべてを理屈抜きに焼き尽くし、同時に凄まじい活力を与える『ビッグバン』そのものだった。
出番を待つ西園寺ミリアは、舞台袖からその光景を眺めていた。
「…………」
言葉が出なかった。
杏樹のパフォーマンスを見て感じたのが「恐怖」なら、愛理のパフォーマンスに感じるのは「魂の震え」だった。
悔しさも、嫉妬も、恐怖すらも蒸発していく。ただただ、魅了された。
(これが……頂点。わたくしが目指すべき場所……!)
ミリアの胸中に、熱い塊が生まれた。
エリートとしてチヤホヤされたいという、安いプライドではない。
あの眩い光の中へ、「神の領域」へと自分の足で踏み入れたい。怪物たちに怯えるだけの被害者ではなく、あのステージの真ん中で輝く「主役」になってみたい。
曲が終わり、モニターに愛理の得点が表示される。
結果:【388点】
予選と同点。揺るぎない、最強の証明。審査員席のレジェンドたちでさえ、満足げに頷き、惜しみない拍手を送っていた。
「後攻、西園寺ミリア」
アナウンスが流れ、ミリアは顔を上げた。足の震えは完全に止まっていた。
「行ってきますわ」
誰に言うでもなく呟き、彼女はステージへと向かう。
照明が変わり、柔らかな緑と木漏れ日のような光がステージを包む。
ミリアが選んだのは彼女自身のルーツである子役時代の経験を存分に活かした、物語性のあるミュージカル調のパフォーマンス。
軽やかで楽しげなステップ。
くるくると変わる豊かな表情。
まるで森の中で動物たちと戯れているかのような、和やかでファンタジックな癒しの空間。
(見てらっしゃい! これが西園寺ミリアのステージですわ!)
愛理の強烈な陽に焼かれた会場の空気を、彼女は自分色の世界観で必死に塗り替えようとした。
エリートとしての確かな技術と、新たに芽生えた「主役になりたい」という強い意志が、彼女のパフォーマンスを予選の時よりも遥かに輝かせていた。
しかし。
ビッグバンは、あまりにも高く、遠かった。
曲が終わり、静寂が訪れる。
そして、モニターに結果が表示される。
結果:【348点】。
予選(341点)からの確かな成長は示せた。しかし、愛理との差は40点。
残酷なまでの実力差が、誤魔化しようのない数字として突きつけられた。
会場から、健闘を称える温かい拍手が送られる。
ミリアは、涙を見せなかった。
悔しさに顔を歪めることも、絶望に膝をつくこともしなかった。
「……ごきげんよう」
彼女はいつものように、両手でスカートの裾を少しつまみ、背筋をピンと伸ばして優雅に一礼した。
非の打ち所がない、完璧な令嬢の所作。
そして、顔を上げて堂々と舞台裏へと引っ込んだ。
その気高い背中は、ただ完敗した敗者のそれではなく、遥かな高みを見据えた『挑戦者』のものだった。




