─第4章─1話「朝陽ノフォールカップ」
【由比ヶ浜ケイの受難】
激闘の交流戦と、過密日程の地獄の夏休みを終え、由比ヶ浜ケイはついに新学期を迎えていた。
「ケイちゃん、秋の『朝陽ノフォールカップ』についてなんだけど」
「あぁ……」
新学期早々、瓦幸慈が持ち込んできた話題に、ケイは深々とため息をついて返答する。
『朝陽ノフォールカップ』。
それは9月上旬に開催される、30名の選抜アイドルがしのぎを削り合う朝陽ノ高校の公式大会の一つである。
ルールは以下の通りだ。
・まず、30名を15名ずつの2グループに分けて予選を実施。
・各グループの上位4名(計8名)が予選を通過。
・選ばれし8名で本戦トーナメントを行い、チャンピオンを決定する。
12月に開催される全国大会へ向けて、学校上層部に実力をアピールできる最後の重要な大会でもあった。
「それでね、今回の審査員は観客の投票じゃなくてアイドル科の教師陣! そして本戦では、なんとレジェンドアイドルたちが務めるという豪華仕様なんだ!」
「へぇ……そう」
日陰者であるケイにとっては、目立てば目立つほど面倒なことになるだけの大会だ。適当に予選敗退でやり過ごすのがベストだろうと企んでいたが、瓦の次の一言がその甘い考えを打ち砕いた。
「なんと! 今回は以前ケイちゃんの特別指導をしてくれた『坂本雅』さんが、本戦の審査員の一人を担当するんだって!」
「……!?」
坂本雅。
以前、由比ヶ浜ケイにアイドルとしての確かな基礎を徹底的に叩き込んでくれた伝説のアイドルだ。
あの大恩人が審査員を務めるとなると、一切の手を抜くことなどできない。もし無様な姿や手抜きを見せようものなら、後で何を言われるか分かったものではない。
「………しょうがないわね」
ケイは小さく息を吐き、腹を括った。
うだうだ言っても状況が変わらないことは、これまでの経験で嫌というほど分かっている。それならば、素早く思考を切り替えて対策を練った方が精神的に楽だ。
――由比ヶ浜ケイは、自らに降りかかる『受難』に完全に適応しつつあった。
「やる気が出たなら良かった! ……それはそうと、ケイちゃんがこないだ読んでた『放浪勇者戦記』ってファンタジー小説、あるじゃない?」
「ええ」
「実はあの本の作者さんとの対談企画が、今決まりかけてるんだけど……」
「瓦さん、ゼッタイ決めてきて」
ケイは食い気味に、そして眼光鋭く瓦に迫った。
愛読書の作者との対談。こういう趣味全開の文化的なお仕事は、殺伐としたアイドル生活において、日陰者・由比ヶ浜ケイに与えられた数少ない『ボーナスタイム』なのだ。
「う、うん……任せてよ!」
由比ヶ浜ケイは珍しく、いや、かつてないほどの圧でマネージャーの背中を力強く押したのだった。
アイドル科棟にて
城ヶ崎杏樹が廊下を歩いていると、向こうから縦ロールの金髪を揺らす令嬢――西園寺ミリアが歩いてくるのを見つけた。
「あ、西園寺さん、おはよう」
愛知遠征の選抜を争った同級生のライバルに対し、杏樹は爽やかに挨拶をした。
しかし、ミリアの反応は劇的だった。
「ひ……ッ!!!」
ミリアは持っていた扇子で顔の下半分をバサッと覆い、ビクッと肩を震わせて廊下の壁際にへばりついた。
その目は、密林で凶暴なヒグマに遭遇した小動物のように潤み、恐怖で小刻みに揺れている。
「ご、ご、ごきげんようですわ……!!」
必死に令嬢としての挨拶を震え声で返しながらも、その足はじりじりと後退っていく。
選抜会で完膚なきまでに叩きのめされた、生まれて初めての『敗北』の記憶。そして、目の前で繰り広げられたあの狂戦士のような物理的な暴力が、彼女の心に深すぎるトラウマとして完全に刻み込まれてしまっているのだ。
「あれ? 西園寺さん、顔色悪い……? 」
ズイッ、と心配して一歩距離を詰める杏樹。
「ひ!?け、結構ですわ! 近寄らないでくださいませ!!」
「えっ?」
脱兎のごとく逃げ出そうとするミリアを見て、杏樹は本気で心配そうに首を傾げている。
「なんだったんだろう……」
自分の存在そのものが、誇り高き西園寺ミリアの完全なる『トラウマ』になっているなど、この純真な少女は微塵も思い至っていなかった。




