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由比ヶ浜ケイの受難─第1章─7話「栄光、そして受難」

【由比ヶ浜ケイの受難】


「めっちゃかっこよかったよ由比ヶ浜さん!!」

舞台袖に戻るなり、古賀美柑がはしゃぐように話しかけてきた。

目をキラキラさせ、興奮冷めやらぬ様子で私の肩を揺さぶる。

「ありがとうございます……」

ケイは満更でもなかった。

今はただ、大舞台を完璧に乗り切った達成感と、「やってやった」というアドレナリンが脳内を駆け巡っている。

(……意外と、悪くない気分ね。私が場を支配した、あの感覚……)

「あんなキレキレのダンス踊れたんやね!? 文化祭動画とのギャップが凄くて心臓撃ち抜かれた! あれはファンになるわー!」

「どうも……(ふふ、そうでしょうね)」

食い気味な美柑にいつもの塩対応で済ませつつも、内心では鼻高々だった。

「クール系アイドル」。

これならイケる。笑わなくていいし、カッコつけてればいい。これこそが私の求めていた「正解」かもしれない。


そこへ、諸悪の根源であるマネージャー・瓦幸慈がやってきた。

「ケイちゃんお疲れ! とってもカッコよかったよ! これでクール系としての仕事も増えるね!」

彼女もまた、飛び跳ねんばかりにはしゃいでいる。

だが、その笑顔の裏に隠された「次の計画」に、ケイはまだ気づいていなかった。

すると、瓦は美柑に目をやった。

「あれ、古賀美柑さん。お疲れ様です! 来週のイベントはよろしくお願いします!」

「あら? 来週……あぁ『アレ』由比ヶ浜さんと共演なんやね!」

美柑はぱんっと手を叩き、嬉しそうに笑った。

「アレ……?」

ケイの思考が停止する。

来週? 共演? 聞いていない。

「そう! 『未来食フィーチャーフードを堪能しよう!フェスティバルのゲスト』がうちと由比ヶ浜さんなんよ。聞いてなかったん?」

「未来……食……?」

嫌な予感がする。SFのような響きだが、アイドルの仕事でそんな高尚なものがあるだろうか。

恐る恐る瓦の方を見ると、彼女は明後日の方向を見て「ヒュ〜♪」と下手くそな口笛を吹き始めた。

「……瓦さん? 目を合わせなさい」

「………ヒュ〜♪」

ケイは逃げ腰のマネージャーを無視し、美柑に向き直った。

「……ちなみに、その未来食って?」

美柑は無邪気な笑顔で、爆弾を投下した。

「昆虫よ! 虫!」

「…………は?」

由比ヶ浜ケイは絶句した。

時が止まった。

「コオロギとかタガメとか! 今、栄養価高いって注目されとるらしいよ〜。うちも初めてやけど、一緒に頑張ろうねっ!」

キラキラした笑顔で「虫を食おう」と誘う美少女。

さっきまで「星空の女神」のようにクールに振る舞っていた私が?

来週には「虫を喰らう女」になる?

「瓦、さん……?」

「だ、だって! 今SDGsとか話題だし! インパクトある仕事取らないと埋もれちゃうし!」

瓦が早口で言い訳をまくし立てる。

由比ヶ浜ケイは悟った。

「クール系」という安住の地などなかったのだ。

「……帰りたい(切実)」

本日二度目の、そして最も深い絶望のため息が、舞台袖に吸い込まれていった。



10月上旬・1年A組教室


「……あぁぁ……」

放課後の教室。由比ヶ浜ケイは机に突っ伏し、屍のように呻いていた。

その後、彼女を待っていたのは、怒涛のライブステージと、それを上回るゲテモノ企画の数々だった。

先日の『未来食フェス』では、共演者の古賀美柑が「ん〜っ! クリーミーで美味しいっ!」と満面の笑みでタガメをムシャムシャと食べたせいで、ケイも食べないわけにはいかず、涙目で大量の昆虫を咀嚼させられた。口の中に残る羽根の感触は、今もトラウマだ。

その次は『無人島サバイバル』。簡易的なシャワールームしかない無人島に土日置き去りにされ、カメラの前で魚を銛で突く羽目になった。

「クール系アイドル」とは何だったのか。ただの「体を張る芸人」ではないか。

「もう嫌だ……家に帰って本を読みたい……」

「どしたのケイちゃん! 死んでるじゃん!」

そこへ、松葉杖の音が近づいてきた。

全ての元凶・神野愛理だ。彼女は不自由な足を感じさせない速度で、ケイの机の前までやってきた。

「土日は仕事、平日は授業に放課後献上でレッスン……身が持たないわよ……」

「あはは……まぁじきに慣れるよ! 人間、限界を超えてからが本番だし!」

無責任極まりないサムズアップをかます愛理。

この体力オバケと一緒にしないでほしい。


「ケイちゃんケイちゃん!! 次の仕事取ってきた!! しかも超大きいやつ!!」

教室のドアが勢いよく開き、小柄なポニーテールが飛び込んできた。瓦幸慈だ。

ケイの背筋に、冷たいものが走る。

(……嫌な予感がする。こういう時の「大きいやつ」は、大抵ロクな事じゃない)

「……なに? 今度はアマゾン川でピラニアと泳ぐとか?」

「違うよ! 『アイドル水泳選手権』だよ!」

「えーー! 凄いじゃん地上波だよ!」

愛理が驚きの声を上げる。

……地上波?

ケイの顔が引きつる。ネット配信やローカルイベントではない、全国のお茶の間に流れるやつ?

「しかも! ケイちゃんは選手兼……司会進行です!!」

「……は?」

「司会進行……?」

ケイと愛理の声が重なった。

素人が? アイドル歴1ヶ月未満の私が? MC?

「そう! ケイちゃんの『恥じらいバズ動画』と『クールなライブ映像』、そして私の全力の土下座を組み合わせた猛アプローチで、プロデューサーに見事気に入ってもらってゲットしたんです!」

鼻息荒くVサインをする瓦。彼女の土下座はもはや戦略兵器だ。


「……」

愛理の表情が、スッと真剣なものに変わった。

先ほどまでの能天気さは消え、プロのアイドルの顔になっている。

「……ケイちゃん、ヤバいかも」

「え?」

「この番組、けっこう歴史あるちゃんとしたヤツだよ。芸人さんの大御所も来るし。もしMCでトチったりしたら……」

愛理は声を潜めた。

「放送事故になるよ」

「…………」

由比ヶ浜ケイの顔から血の気が引いた。

ただ恥をかくだけではない。

地上波で、大御所を前に、素人の司会進行。

一度のミスが、全国規模の「公開処刑」に直結する。

「わ、瓦さん……断っ……」

「もう台本届いてまーす! 読み合わせしましょう!」

由比ヶ浜ケイの地上波デビュー。

それは栄光への架け橋ではなく、断崖絶壁の上でタップダンスを踊るような、最大の「受難」の予感に満ちていた。

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