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─第3章─9話「遠征出発」

【由比ヶ浜ケイの受難】

「城ヶ崎杏樹……莉杏先輩の妹、だよね」

待ち合わせの大型バスの前。

エナメルバッグを肩にかけた御空ユミが、静かに口を開いた。


その横で、川那部ナツメが珍しく腕を組んで、ウンウンと真剣に考え込んでいる。

「莉杏の……そうか! 言われてみればその銀髪、よう似とるわ!」

ナツメはポンと手を叩くと、興味津々といった様子で杏樹の顔を覗き込んだ。

「なあなあ、あの昨日の動き。独特な『タメ』とか重心移動……ダンスは莉杏に直接教わったん?」


昨日の選抜会で見せた、杏樹の規格外のダンス。

その根底には、確かに城ヶ崎莉杏の『幽玄の舞』に通じるエッセンスが含まれていた。特に、重力を無視するような浮遊感と重心移動。

しかし、杏樹はリュックの紐をギュッと握りしめ、カラッと明るく答えた。


「ううん、教わったわけじゃないんです。お姉ちゃんのステージのビデオを見て、何回も練習したんです!」

「はぇ〜! 見様見真似であそこまで? あんさん、ホンマにセンスあるなぁ!」


ナツメが感心したように口笛を吹く。

横で聞いていたケイも、愛想笑いを浮かべてコクリと頷いた。


(……違う、ナツメ先輩)

ケイは心の中で、トップアイドルの評価を静かに、そして全力で否定した。

この子にダンスのセンスなんて、これっぽっちも備わっていない。それは、ゼロから彼女の身体操作を理詰めで教え込んだケイが一番よく理解している。


天性のリズム感もなければ、城ヶ崎莉杏のような身体操作の才能もない。最初なんて、自分の足に絡まって無様に転んでいたレベルなのだから。

杏樹の言う「何回も」は、普通の人間が想像する反復回数ではない。

「何千回、何万回」という意味だ。

筋肉が悲鳴を上げ、足から血が滲むまで同じ動作を繰り返す。

天性の「センスの欠如」を、狂気じみた「努力と反復」で完全に埋め尽くした結果が、あの常識外れの動きなのだ。


(……努力の鬼………)


「おい、いつまで喋っている。さっさとバスに乗り込め」

瀬谷先生の冷徹な号令が朝の空気を切り裂く。

ケイたちは慌てて大型バスへと乗り込んだ。

そして、自然な流れで一泊二日の座席が決まっていく。


■ 最前列:由比ヶ浜ケイ & 城ヶ崎杏樹

ここは平和だ。初めての遠征に「わぁーっ!」と窓の外を見てはしゃぐ後輩を、ケイが微笑ましく(あるいは胃の痛みを堪えながら)見守る定位置。

■ 2列目:神野愛理 & 川那部ナツメ

「お菓子食べるー?」

「ワイは酢昆布持ってきたで!」

「ちょっと、臭いってばー!」

騒音と太陽のコンビ。引率の先生がいるというのに、完全に遠足気分である。うるさいが、極めて平和で楽しそうだ。

そして、問題の最後列。

奇数人数の余りが出た結果、最も恐ろしい組み合わせが誕生してしまった。

■ 最後列:御空ユミ & 瀬谷涼子

「…………」

「…………」


空気が、重い。

背後から漂ってくるプレッシャーが尋常ではない。

エリートであり、普段は完璧でクールなあの御空ユミが、鉄の女・瀬谷先生の隣で、借りてきた猫……いや、直立不動の氷像のようにカチコチに固まっている。

瀬谷先生は無言で分厚い書類に目を通し、ユミは虚空を真っ直ぐに見つめたまま、微動だにしない。


(……頑張って、ユミ)

ケイは心の中で、かつて命懸けのビーチバレーを繰り広げたライバルの無事を祈り、そっと合掌した。

かくして、朝陽ノ高校アイドル科・選抜メンバーを乗せたバスは、決戦の地・愛知県へと出発したのである。

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